昨年もこの時季、長野で行われるイベントをお知らせし、なんと
か2月を元気な月にしたいとお話しました。雪に関するイベントは
除きまして、今年もさまざまな催しが行われましたので、順を追っ
て報告させていただきます。
1月28日(金)~30日(日)、「国際アイスホッケー大会長野
カップ2005」がビッグハットで開催されました。カナダ、ロシア、
日本の3チームにより熱戦が繰り広げられ、日本が優勝しました。
今年で5回目となる大会ですが、日本の優勝は初めてのことです。
29日(土)には、犀陵中学校(長野市)と軽井沢中学校(軽井沢町)
とのエキシビションマッチも行われました。日本アイスホッケー連
盟の冨田会長さんのお話では、本年から始まったアイスホッケーの
アジアリーグは順調に出発できたようです。日本4チーム、韓国1
チーム、中国2チーム、ロシア1チームの8チームでのリーグ戦と
のことですが、韓国、中国、ロシアではチーム数が増える可能性も
あり、当初の構想通りの展開で、次はスポンサー探しと張り切って
おられました。
アイスホッケーの大会を開催する場合、入場券などの売り上げが
収入のもとになりますから、多くの観客を収容するビッグハットの
存在は大きく大会運営に理想的と言ってよいでしょう。
1月30日(日)~2月1日(火)、長野市内在住の書家、笠原
聖雲さん、一色白泉さん、川村龍洲さんによる「新春書道三人展」が、
ながの東急百貨店シェルシェで開かれました。この書道三人展は、
22回開催されているそうで、私も素晴らしい芸術作品を鑑賞させ
ていただきました。30日夕方、市内のホテルで行われたパーティー
には、書道を学んでいる方々が長野県内から大勢出席されていまし
た。信濃毎日新聞社の瀬木専務は挨拶の中で、「この3人がどうし
て仲が良いのかわからない、普通は同じ業界人なら、あまり仲が良
くないはずなのに」とユーモアを交えて挨拶をされました。私は以
前から塚田前市長に書道を勧められていますが、「お言葉ですがこ
れだけは無理です」と申し上げ逃げ回っています。
2月3日(木)、善光寺と秋葉神社で節分会が行われ、「福は内、
鬼は外」の声が響きました。私は両方の節分会で豆まきをさせていた
だきましたので、今年は良いことがあるかもしれません。善光寺の
豆まきは、大本願から本堂まで善男善女が行進し、法要のあと、回
廊から大きな声で豆をまきました。秋葉神社の豆まきは、神社の中
で宮司さんが祝詞を上げてから、仮設の舞台で豆をまきました。
どちらも特別信徒ということで、芸能人も参加し、人気を集めてい
ました。天気に恵まれ、良い節分会でした。
2月5日(土)、第2回灯明まつりが始まりました。開会式は、
善光寺三門前で行われました。午後6時一斉に善光寺周辺がライト
アップされました。照明デザイナーの石井幹子さんが昨年に引き続
いて演出してくださったおかげで、日本最高の照明芸術で善光寺と
いう舞台が五色の光に包まれ、大変幻想的でした。まつりはこの日
から13日(日)まで、善光寺と本堂西側の特設ステージを中心に、
中央通り、長野駅前、長野駅東口一帯でにぎやかに行われました。
大門町の路上には沢山の作品の常夜灯が並び、また音楽グループの
演奏もあって、にぎわいました。6日の夜には特設ステージを利用
して、間近に迫ったスペシャルオリンピックス(SO)の集火式も
行われました。表参道宵まつりでは、合併した1町3村の特産品の
販売や伝統文化の紹介、太鼓などの演奏が行われました。灯ろうに
切り絵を張った「ゆめ灯り絵展」の表彰式も11日(金)に行われ、
宮下ひろみさんの作品が大賞に輝きました。主催者の意気込みは、
札幌の雪まつりに匹敵する大きなまつりに育てたい・・・と嬉しい
話です。
2月6日(日)、松代復元冬まつりシンポジウムが開催されまし
た。昨年の春・夏・秋と開催してきたエコール・ド・まつしろ20
04を締めくくるイベントとして、アカデミックな催しが行われま
した。前半は元NHKアナウンサーの鈴木健二さんの「ふるさとづ
くり、人づくり」と題した記念講演、続いてエコール・ド・まつし
ろを総合的にプロデュースしてくださった秋山智弘さんをコーディ
ネーターに「遊学城下町 信州・松代」をテーマにパネルディスカッ
ションが行われ、本年度の活動を総括するなかで、来年度以降へど
うつなげるかの議論が行われました。
2月11日(金)、長野市消防出初式が行なわれました。例年は
1月上旬に行われているのですが、今年は市町村合併や合併に伴う
市議会議員の増員選挙などがあり、それらが終わってから行われま
した。もちろん、増員選挙で新たに当選された4人の議員さんも出
席していただきました。この出初式は、「やすらぎ広がる安全・安心
のまち長野」を目指し、消防職員、消防団員と自主防災組織、婦人
消防隊員等の消防関係者が参加し、市民の生命と財産を守る誓いを
あらたにする式典と言えましょう。
2月19日(土)、アテネからの聖火と阿蘇山からの聖火が一つ
になりました。アテネで採火された聖火が日本に到着し、一方阿蘇
山で採火され、昨年9月頃から全国各地でアスリートや支援者によ
ってリレーされてきた500万人トーチランの火が、松本で統火さ
れました。現在は、県内2ルートに分かれて聖火が運ばれています。
明日25日(金)には、SO冬季世界大会トーチランの前夜祭会場
となる善光寺に2つの聖火が到着する予定です。
2月21日(月)、SOのインド選手団が到着し、SOホストタ
ウンプログラムが始まりました。このプログラムは、競技と同様に
大切なプログラムといわれており、県内外の自治体が大会参加選手
団を受け入れ、宿泊を伴いながら、地域との交流を行っていただい
ています。長野市は唯一、複数の11カ国を受け入れ、それぞれの
地域にお願いしています。「鬼無里の湯」、大岡の「聖山パノラマ
ホテル」等合併町村の施設も利用していただいています。きっと素
晴らしい交流が生まれているはずです。
以上、主な長野の冬のイベントについて書いてみました。2月は
寒い、景気が悪い・・・、でも長野の2月は、あの冬季オリンピッ
2005年2月24日木曜日
長野の冬は今年も元気です。
2005年2月17日木曜日
中山間地域市民会議に出席して
2月1日(火)、中山間地域のあり方について事例発表や意見交
換を行う「中山間地域市民会議」が開催されました。会議には、該
当地域の区長さんをはじめ地元住民の皆さん、そして中山間地域活
性化懇話会委員の皆さんや長野市の担当課、さらに、中山間地域の
活性化について長野市との共同研究に取り組んでいる早稲田大学の
後藤春彦研究室の皆さんが一堂に会しました。また今回から、合併
により新たに戸隠、鬼無里、大岡地区がメンバーに加わりました。
中山間地域は、都市部にはない自然環境に恵まれていますが、生
活条件や経済条件で不利な面を抱えており、人口の流出や高齢化の
進行による農業の担い手不足から耕作放棄地が増え、地域活力の衰
退が進んでいることは、皆さんご存知のとおりです。
長野市では、「地域資源を生かした地域づくり」「生活環境の整
備」「農林業の振興」を基本方針として掲げ、各地域で取り組まれ
ている具体的な事例の発表や後藤研究室との共同研究の報告を基に
意見交換を行う中山間地域市民会議を毎年開催し、中山間地域の活
性化に取り組んでおります。今回は、その報告をさせていただきま
す。
(1)浅川地区「21世紀の生活を考える会」の炭焼きを核とした
取り組み事例。
グループでボブスレー・リュージュパーク(スパイラル)
の近くに炭焼き窯を建設し、原木の集荷と材料の加工(薪割
り)そして炭焼きに取り組んでいる。浅川小学校の児童が体
験学習をしたり、荒れた山林の手入れをしたり、金儲けでは
なく、機能の低下した森林の大切さを訴え、地域コミュニテ
ィーの再生を願って活動しておられます。そして、白炭は売
れ行きが順調で、燃料用卸売り業者のルートができ、また、
市内のうなぎ屋さんの大口需要も獲得したとのこと。中国か
らの炭の輸入が減ったという幸運にも恵まれたようです。
(2)小田切地区の「あくなしワラビ苗」の普及活動の事例。
遊休農地を活用し、「高齢者でもできる手間の掛からない
山菜を」ということでワラビの普及を考え、ワラビの苗が高
いことに目をつけ、遊休農地で栽培してみたら非常によく生
育した。今後は大量に栽培して地区内の希望者に安く分けて
普及を図る考え。製品は農協の女性部が販売するとのこと。
その他、森林を整備して自然のキノコを栽培・供給して都市
部と交流を図っていきたいという意欲的な計画でした。
(3)若穂地区では、「地域を元気にしたい」ということで、「実
験農場」設置の取り組み事例。
遊休農地活性化委員会が「ふれあい実験農場」を設置し、
普及したい作物を順次作付けしている。また、清水寺を中心
としたボタンの復活にも取り組んでいるほか、温泉地(永保
荘)でのマレットゴルフ場や里山を活用したトレッキングコ
ースを検討しているとのことでした。
(4)七二会地区「春日山農村公園」の取り組み事例。
北アルプスの素晴らしい眺望を取り戻そうと、雑木林等の
伐採を行い、また、遊休化した桑畑の抜根、整地、造成を行
って公園化し、梅や山ぶどうの栽培にも取り組んでいます。
(5)鬼無里地区の「酒米」生産の取り組み事例。
地元の13名が酒造好適米「ひとごこち」を栽培し、酒造
会社と提携して、鬼無里の地酒「水芭蕉」を発売。地区内へ
の波及効果もあり、古代米を使った日本酒や地元産のそばを
原料にした焼酎の生産・販売も始まり、今後さらに栽培面積
を拡大していきたいとのことでした。
(6)芋井地区の農業未経験者による遊休水田を活用した「水稲栽
培事業」の取り組み事例。
農業経験のない3人が休日などを利用して、農林地の荒廃
による多面的機能の崩壊や食糧自給率の低下を憂い、稲作農
業に挑戦したという事例です。中山間地域の活性化を図るた
めには、新しく地域に入ってくる住民の方に、どのようなこ
とを提供できるかが重要になるなど、いろいろな提言をして
くださいました。
(7)各地域における取り組み事例の発表に引き続き、早稲田大学
の後藤春彦教授、そして学生さんも全国各地の事例を分析し、
長野の実情に照らしてどうすれば良いか、遊休農地や空き家
の活用事例などを具体的なモデルを示しながら一生懸命に話
してくださいました。
これらの発表をお聴きして、皆さんの努力には頭が下がるものの、
中山間地域の活性化というのは大変難しい問題で、現在の行政施策
が充分機能しているとは言い難いとつくづく感じました。国に文句
を言うわけではありませんが、日本中どこにも決定打と言える政策
が無いというのが、現実ではないでしょうか。
事例発表が行われた後、早稲田大学の後藤教授からお話がありま
した。概要は次のようなものでした。
(1)山に住む人を「人(にんべん)」に「山」と書いて「仙人」
といい、里に住む人は「人」に「谷」と書いて「俗人」と呼
ぶ、という前置きがあり、この調査を始めた頃は、地域にお
伺いしてもなかなかお話をお聞きできず、正直言って居心地
が悪かった。でも、何度か地域にお伺いしているうちに、今
は大変に居心地が良いものとなっている。
(2)中山間地には「役に立つ過去」と「懐かしい未来がある」。
2005年をピークとして、今後、総人口が減少していく社
会の中で、20年後の日本には20年前の日本の姿があり、
将来を研究していく上で、都市部に比べ開発が遅れ、人口が
減少しつつある今の中山間地域を見つめ直すことは、非常に
大切になってくる。すなわち、「過去の中に未来のヒントが
ある」。
というものでした。
最後のまとめの中で、私は次のように申し上げました。
(1)毎回実施している事例発表会ですが、確実に各地域の取り組
み事例は増えており、中山間地域を何とか活性化しようとい
う意識は高まってきていると感じる。
(2)ボランティアの方々が手助けしてくれるのは、本当にありが
たいことですが、行政の目標は定住人口を増やすことにある。
そのためにはまず交流人口を増やす必要があり、その後、ど
のように工夫したら定住者が増えることに資するかどうか・・・
ここが難しいところと感じました。少なくとも地域の特産を
生かした産業を興し、商品に地域のブランドとしての付加価
値を付け、安売りすることなく商品を提供していくべきであ
る。FS(*フィジビリティー・スタディー)をきちんと行
い、決算をきちんと行い、記録をとって、どうやればもっと
稼げて、多くの人に参加してもらえるか、工夫する必要があ
ると感じました。
(3)芋井地区の発表で感じたことですが、従来から住んでいる方
と新しくその地域に住み始めた方たちとのコミュニケーショ
ンは、なかなか難しいものがある。今回の発表はうまくいっ
た事例として貴重だと思う。そして、何事につけてもコーデ
ィネーターの存在の大切さを痛感しました。
以上、中山間地域の活性化を考える市民会議に出席させていただ
いた感想です。中山間地域が拡大した新長野市、いろいろなご意見、
ご提案をお聴きする中で、皆さんとの協働により、何とか活性化し
ていきたいと考えています。
*フィジビリティー・スタディー(feasibility study)
企業化調査。採算可能性調査。 新規分野に参入しようとするとき、
それが採算に合うかどうかを知るときに行う調査。
2005年2月10日木曜日
ダイエー長野若里店について
ダイエー長野若里店の閉鎖に関する報道がなされています。この
問題について、現段階で分かっている範囲のことをお知らせし、少
しでも市民の皆さんの不安解消ができればと考えています。
長野冬季オリンピック開催が決定し、オリンピック関連施設(必
ずしも競技施設だけではありません)を建設するに当たり、長野市
は若里にビッグハットの他にオリンピックを取材する報道関係者の
拠点となるメインプレスセンターを造る計画を策定しました。長野
市が所有する土地に民間企業が建物を建設し、オリンピック時だけ
長野オリンピック冬季競技大会組織委員会(NAOC)が使用し、オリ
ンピック終了後は民間企業が自由に使っていただく計画です。そし
て、建設会社が中心になって大型商業施設やホテルを造る案等のプ
レゼンテーションが行われ、外部委員も含めた検討委員会の審議の
結果、オリンピック後の施設利用として、ダイエーが出店するプロ
ジェクトが採用になったわけです。私は委員会の委員ではなかった
のですが、中心市街地のダイエーを閉鎖してそちらへ出店するので
はないかということで、内心、心配をしていました。しかし、その
段階では、中心市街地から退店しないということでダイエーの出店
が決まりました。
そして、オリンピック終了後の平成10年(1998年)10月、
(株)ダイエーが「ハイパーマート長野若里店」をオープンしまし
た。前述のとおり敷地は市有地ですので、市は大阪に本社のある京
阪神不動産(株)に30年契約で賃貸契約し、同社が建物の所有者
として、(株)ダイエーに賃貸したものです。
その後、平成12年12月には、懸念したとおり新田町のダイエ
ー長野店が閉店、平成14年には、ハイパーマートから本社直営店
として「ダイエー長野若里店」に名称を変えて、今日まで営業して
いるものです。
現在、店舗面積は、約1万1,500平方メートル(市内では3
番目の広さ)、年間売上は、推定で40億円前後と思われます。従
業員は、現在約200人(うち正社員30人程度)、テナント数は、
11店(うち市内業者3店)であり、1階に食料品、2階に衣料、
雑貨といった店舗構成です。商圏としては、中程度の半径約3キロ
メートルを範囲として、芹田地区を中心に地域に根付いた経営をし
ていると思います。
しかし、ご承知のとおり、(株)ダイエーは本体の経営不振と大
幅な債務超過により、昨年12月28日、ついに産業再生機構の支
援が正式決定しました。併せて、全国263店舗のうち不採算とさ
れる53店舗を閉鎖、150店舗を改装、また今後5年間で首都圏
・近畿圏を中心に食品スーパーを100店出店するという方針が打
ち出されました。
ダイエー長野若里店閉鎖という事態を避けるため、早速1月13
日に私が産業再生機構に出向き、担当者に説明を求め対策をお願い
してきましたが、その段階では機構としてもはっきり言えない部分
が多いという状況でした。
私としては、ダイエーが撤退するのは市場経済の論理のもとでは、
仕方がないと考えています。でも売上はそこそこあり建物は新しい、
小売店の条件としては決して悪くないはずです。問題は、既にあの
店は地域の中に根付いており、店舗の閉鎖は従業員の雇用機会が失
われることにもなりますので、地域として必要な施設だと考えてい
ます。撤退するなら間をおかずに次の店舗が入るようにしてほしい、
建物所有者の京阪神不動産(株)が次のテナントを探しやすいよう
に配慮してほしいと要望してきました。
なお、ダイエーとの直接の契約者である京阪神不動産(株)は、
ダイエーの関連会社ではなく、付き合いは長野だけということを確
認しホッとしました。また、京阪神不動産(株)に対しては、既に
本市の産業振興部において、昨年暮れから、万一の場合に備えて、
速やかな対応ができるよう連絡を密にしております。
長野市としては、ダイエーへの支援企業がまだ決定しているわけ
ではありませんし、産業再生機構からの閉鎖店舗の正式発表も3月
中と聞いていますので、今後の対策として、そのまま(株)ダイエ
ーの経営で長野若里店が存続できるように、関係方面に要請を続け
ていきたいと思います。
また、仮に閉鎖が決定した場合には、地域住民への影響を最小限
に抑えるため、食料品等を中心としたテナントを早く探し、閉鎖期
間をできるだけ短くして、次の店舗がオープンできるよう、契約し
ている京阪神不動産(株)にも、更に強く要請するとともに、関係
団体とも協議する中で、多方面に大きな影響の無い、当地に見合っ
た新たな商業者を市としても検討する必要があると考えています。
なお、2月4日には商工会議所、商店会、地元区長、県等に集ま
っていただき、現況説明に併せて、今後の対応について協議させて
いただいています。
2005年2月3日木曜日
中心市街地の活性化が次のステージへ
1月18日(火)、中心市街地の、長野銀座A-1地区の再開発
事業の起工式が行われました。中央通りと昭和通りの交わる新田町
交差点の北東に位置するこの事業は、昭和60年度の銀座地区再開
発事業基本計画の作成から20年という長い年月が流れてしまいま
したが、ようやく実現に向けて力強くスタートしたわけです。
起工式は、旧そごうビルの古い建物がすっかり取り払われたテン
トの中で、地権者である組合員の方々、区長さんをはじめとする近
隣の皆さん、建設関係者、行政関係者そして報道関係者等が大勢集
まっておごそかに行われました。一昨年、再開発組合の理事長に就
任された信越放送(SBC)の塩沢社長、そして開発組合を長いこ
と支え、組合員をまとめてこられた太田副理事長、お二人とも苦労
を重ねてきただけに、本当に嬉しそうでした。
この長野銀座A-1地区再開発事業は、平成9年に都市計画決定
がされていますが、その後の景気低迷、住宅分譲予定者の実質的な
事業からの撤退、そして長野そごうの倒産、ダイエーの撤退、加え
て中心市街地の空洞化の進展は土地価格の下落を招き、事業継続は
極めて困難と考えられた時期もありました。
平成14年8月、SBCが旧そごう跡地への進出を決定し、旧銀
座A-1地区と一体になって新たな再開発事業を推進することにな
り、準備組合の改組、都市計画の変更が行われ、平成15年末、改
組された銀座A-1地区再開発組合が、再出発したわけです。以後、
計画を推進するのと並行して古い建物の取り壊しが1年近くかけて
行われ、ようやくこの日の起工式を迎えたわけです。
バブル崩壊後、全国的に中心市街地の空洞化が進んでいることは
事実ですが、長野は特にオリンピック開催の後ということもあり、
空洞化の代表みたいに言われてきたこともあります。しかし、この
計画の始動で、私は空洞化克服への全国モデルになりたい、そんな
野望を持っており、開発組合の皆さんの努力には、心から感謝と敬
意を表する次第です。
長野市は、この再開発事業に補助金や生涯学習センター建設のた
めのフロア取得、交差点部分に象徴的な広場を建設する費用を支援
します。この財政状況のもとでの多額な支出は無駄な公共投資だと
おっしゃる方もいらっしゃいますが、長野のまちづくりの上では、
どうしても必要なものと判断しました。もんぜんぷら座の取得や長
野銀座A-1地区の道を挟んで南側に位置する長野銀座D-1地区
再開発事業と相まって、善光寺と長野駅、県庁と長野市役所の結節
点として、市民が集うにぎわいの場ができることを心から念じてい
ます。そして、これらが起爆剤となって中心市街地の皆さんがさら
に元気を出していただいて、まちづくりに力を入れていただきたい
と期待しています。
長野市では、諸施策推進の参考とさせていただくため、毎年市民
アンケートを実施しています。今年度は5000人の市民を対象に
調査を実施した結果、特に力を入れてほしい施策として1位は高齢
者福祉、これは予想の範囲でしたが、2位は中心市街地の活性化と
なりました。また、施策の満足度をお聞きしたところ「やや不満」
と「不満」を合わせた割合が1番高かった項目が「中心市街地の活
性化」でした。この調査結果で市民の皆さんが街の空洞化を心配し、
長野の中心市街地の活性化に思いを寄せておられるのだな・・・
ある意味では市の施策として中心市街地に投資をすることにご理解
いただけそうだなと感じました。
長野銀座A-1再開発事業は、敷地面積約6640平方メートル、
建物は地上4階建ての銀座棟と地下1階地上10階建てのSBC棟
が造られ、どちらも1・2階部分は商業フロア、銀座棟の上階は長
野市の公共施設として、生涯学習センターの設置が決まり、SBC
棟の上階は本社機能と放送施設が入ることになりました。また、交
差点部分については、広場を配し、象徴的な野外彫刻を設置して、
市民憩いの場にしたいと考えています。
完成は平成18年秋口の予定ですが、これはSBCのデジタル放
送の開始に合わせた計画であり、その意味では遅れることはないと
思います。しばらくは工事で皆さんにご不便をおかけしますが、完
成時には、もんぜんぷら座やD-1再開発事業、そして周辺の皆様
の努力により、長野の新しい魅力が生まれるものと期待しています。