10月15日、長野市の北東部浅川地区の坂中地区にお伺いしま
した。
平成18年度「豊かなむらづくり優良集団表彰『関東農政局長
賞』」の受賞祝賀会でした。
坂中地区は、浅川の市街地から県道を北へ登っていくと、飯綱町
へ通じるトンネルがありますが、その手前を右に曲がってちょっと
上がったところにある山あいの30軒あまりの集落です。
この集落が、このたび農林水産省主催の「豊かなむらづくり優良
集団表彰」の「関東農政局長賞」を受賞したのです。農林水産省も
味なことをやるなと思いながら、訪問しました。本当はもう一つ上
の大臣賞を狙っていたらしいのですが・・・でも局長賞というのも
素晴らしいことです。何しろ長野県では唯一だということです(こ
の賞の最高は天皇賞まであるとのこと、挑戦はまだまだ続くのでし
ょう)。
地域のお話を聞く中で、なるほどと思いました。
平成12年度から、中山間地域等直接支払制度の協定締結を機に、
共同取組活動を通して、荒廃農地の利活用に着手し、その活動の中
で直売所の開設や、地元浅川小学校とジャガイモ、大豆栽培を通じ
た交流活動などを行ってきたことが、高く評価されての受賞とのこ
とでした。
予定では、直売所の盛況ぶりを見たいと出掛けたのですが、着い
たのがお昼過ぎでしたので、既に売り切れ、直売所は片付いていま
した。常連客がいて、かなり遠くからも来てくださるそうで、一週
間に一回の店開きらしいのですが、すぐ売り切れてしまうとのこと
です。商売をやったことのある立場からは、うらやましい状況にび
っくり、もっと商品を集めて、たくさん売れば良いのに・・・と思
いました。JA(農協)さんが集荷するには、小規模すぎるのだそ
うです。
今回の坂中地区一連の活動については、地域の皆さんが信頼を寄
せる代表の齊藤義信さんというリーダーがいたこと、中山間地域等
直接支払制度の交付金を農業に投資できたこと、そして、なにより
坂中地区のまとまり、チームワークの良さを発揮して、さまざまな
取り組みを実践してきたことが原動力となっていると感じました。
また、市としても放牧豚による遊休農地の解消、電気柵の支援な
どもさせていただきましたが、この放牧豚の取り組みは、そのアイ
デアと採算を考えた取り組みで、感心しました。齊藤代表がその道
の大家らしいのですが、一石三鳥ぐらいの効果を狙った事業と拝見
しました。
今後も地域が主体となってJA(農協)や県、市ほか関係機関と
の連帯を深め、中山間地域活性化のモデル的ケースとして、さらに
発展されることを願い、市としてもできるだけの応援をしていくつ
もりです。欲を言えば、今後は集落全体で営農体制を整え、集落営
農につながるよう期待しています。市では、これまで、各地区の遊
休農地活性化委員会を通じて、地元農業者グループなどが実施する
直売所の設置や遊休荒廃農地の復元などの事業を支援してきている
のですが、この集落ではそれを見事に生かしていると感じました。
マーケティングをもう少しやれば、きっと発展するのでは・・・と
思いました。
市としては遊休農地の解消、地産地消の推進、さらには地域コミ
ュニティーの醸成につながる活動を通して、地域の活性化が進むよ
う引き続き支援していこうと考えておりますが、まだまだ決定的な
支援策とはなっていません。来年4月に農業公社(仮称)を発足さ
せて、とにかく農業を活性化しようと努力しているのですが・・・。
日本中が困っているテーマ、なかなか決め手が見つかりません。
話は変わるのですが、今まで中山間地域問題、農業再生について
各地を訪問し、いろいろな経験をさせていただきました。農作業に
はあまり縁の無い生活をしてきた私にとっては、とても新鮮な経験
でした。前にも報告したことがあるかもしれませんが、感想を報告
させていただきます。
信更地区「遊休農地を活かす会」のそば収穫祭
平成16年11月に、信更地域の農業振興・地域活性化のため、
遊休農地の復元とそば栽培の活動を展開されてきた「遊休農地を活
かす会」のそば収穫祭にお伺いしました。
この会は、遊休農地の増加を憂慮した地元有志が自ら出資金を出
し合い、活かす会を立ち上げ、16年度、遊休農地の復元2.9ヘ
クタールを含む5ヘクタールでそば栽培を行った(18年度には、
さらに遊休農地を復元して約10ヘクタールでそば栽培を行った)
とお聞きしています。この収穫祭でいただいた「そばがき」が大変
おいしかったことを今でも覚えています。
この会の活動は、地域の活性化を地域の皆さんが自ら考え、動く
ことで切り開いて実践したという意味で、他の中山間地域のモデル
となるものです。今後も地域が主体となり、行政、関係機関との協
働のもと、中山間地域の活性化に向けた取り組みが各地域で展開し
ていくよう願っています。
芋井地区の影山地区を訪問
平成17年4月に、みどりの移動市長室で中山間地域等直接支払
制度を活用した農地を拝見させていただきました。
復元された水田は、約1ヘクタールが耕作放棄地となっていたと
いうことですが、それを感じさせないほど立派な水田となっており、
大変な努力と、また、地域を活性化させようという思いが感じられ
ました。
この他にも、300本のひまわりを植栽したり、ホタルのすむ環
境づくりのための水路を造ったりと、誰もが親しめるような場をつ
くっていらっしゃいました。機会があれば、こういった時期にも訪
れてみたいと思いました。
「ファーム更北」の小麦(ユメセイキ)収穫祭
平成17年9月に、本市の農業重点施策の1つである「地域奨励
作物支援事業」で奨励作物に指定している「小麦」の生産に取り組
まれてきたファーム更北にお伺いしました。遊休荒廃農地であった
ところを復元して3ヘクタールに小麦を作付けし、17年春に初め
て収穫ができ、収穫祭を迎えられたときのことです。
現在市内では、ファーム更北をはじめ、「そば」の生産組織が1
地区、「大豆」の生産組織が2地区に設立されるなど、徐々に生産
拡大に結び付いてきています。
ファーム更北の皆さんは、17年秋の麦の作付けも、昨年の2倍
の6ヘクタールに拡大を計画(18年秋の麦の作付けは、12ヘク
タールに拡大を計画)しているとお聞きしました。今後も遊休農地
の解消と、地域奨励作物の生産拡大、地産地消に向けた取り組みが
ますます拡大していくことを願っています。
七二会東部大豆生産組合の大豆収穫祭
平成18年1月には、七二会地区の農業振興・地域活性化のため、
遊休農地の復元を含めた大豆栽培の活動を展開されてきた「七二会
東部大豆生産組合」の大豆収穫祭にお伺いしました。
遊休農地の増加を憂慮した五十平・倉並・坪根区の地元有志が、
中山間地域等直接支払制度の協定更新に伴い、かつてこの地で盛ん
だった大豆生産を復活させようと「七二会東部大豆生産組合」を立
ち上げられました。設立1年目の17年度は、遊休農地の活用
1.7ヘクタールを含む6.4ヘクタールで大豆を栽培し、出荷さ
せたとのこと。その大豆から作った淡い青色の「豆腐」は、味覚だ
けでなく目も楽しませてくれたと印象に残っています。
地域の農業振興を地域の皆さんが自ら考え、実践したという意味
で、他の中山間地域のモデルでありました。今後の活躍を大いに期
待したいと思います。
私の友達
私の友達のなかに、素晴らしい、私にはとても真似のできないこ
とに取り組んでいる人もいます。彼は、JA(農協)関連の組織に
勤めて、定年で退職したのですが、「自分は長いこと農業の世界で
世話になった、恩返しがしたい」と仲間を募って、やめようとして
いるリンゴ畑を借りてリンゴ栽培に取り組んでいます。まだ持ち出
しばかり、苦労多くして実入りは無いようですが、でも一生懸命努
力して頑張っています。応援したい、そして彼の取り組みの中から、
行政としていかにしたら良いか、アイデアを聞きたい・・・そんな
思いで期待しています。
各地域を訪問してみて、遊休農地の解消や地産地消の推進などの
実績を上げている地域では、リーダーの存在が大きいと感じました。
その信頼できるリーダーが、地域の活性化には必要なのだと改めて
感じました。
中山間地域で生活する人たちは、厳しい条件の中で、頑張ってい
ます。後継者も多くは地元から離れてしまって、一人暮らしの高齢
者が多くなっているのが実情です。でもそういう地域が長野市域の
70%なのです。何とかしたい、市全体を考えるとき、周辺部が元
気になり、そこに生活基盤ができる・・・私の友人の中には「それ
は無理だ!」という人もいます、私の心の片隅にはそんな思いも無
いわけではありません。
でもそれでは困るのです。国土は荒れ、きれいな水、きれいな空
気、素晴らしい景色、癒やしの場・・・そんなものが失われていく、
農業だけでなく森林資源も駄目になっていくでしょう。本当の意味
での地産地消こそ地域を活性化する源なのかもしれません。
2006年10月26日木曜日
中山間地域の再生に向けて
2006年10月19日木曜日
天高く、馬肥ゆる秋
政府の発表した10月の月例報告では、景気の基調判断を8カ月
連続して「回復している」との表現を据え置くとのことで、
2002年2月に始まった現在の景気拡大局面は4年9カ月に達し、
高度成長期の「いざなぎ景気(1965年から70年)」に並ぶこ
とになり、来月には戦後最長の拡大となることが、ほぼ確実な情勢
となったとのことです。
長野市とすれば、税収がまだ上がってこない状況から実感に乏し
い(社会全体で格差が拡大していることへの懸念もありますが)の
が正直なところですが・・・でもマクロ経済から一歩遅れて必ず良
くなってくると思いますので、嬉しいニュースととらえたいです。
小泉前首相の構造改革路線が、一定の成果を上げたと評価しても良
いのかもしれません。ただし、地方経済に波及してくるということ
が、前提ではありますが・・・。今回は、そんな長野地域の経済復
活を祈って、長野市の元気な姿を報告します。
(1)先月22日にトイーゴ、トイーゴパーキングがオープンした
ことは231号のメルマガで既に報告しました。
(2)10月1日、トイーゴ ウエスト3~4階に生涯学習センタ
ーがオープン、「野外彫刻ながのミュージアム33年の軌跡展」
が開催されました。先日トイーゴ広場に設置した作品も含め市内
には134点の野外彫刻があり、彫刻と出会うまちとしての軌跡
を感じとれる展覧会は大変好評のうちに15日に閉幕しました。
会場を訪れた作家からは、これだけの企画を長野だけではもった
いない、全国へ展開すべきというお話をいただきました。
(3)トイーゴの広場に、明治の初めから伝わる約130年前の屋
台がお目見えしました。高さ4.5メートルの総漆塗りでけやき
造り、天井には金箔が張られた鳳凰(ほうおう)や竜など鮮やか
な彫刻が施されています。この屋台で日本舞踊などが披露されま
した。この屋台や神輿(みこし)の再生には、専門職人だけでな
く学生やボランティアなどがプロジェクトチームを作り、IT技
術などを取り入れながら技術の取得と応援団の結成を図るという
ことです。
(4)7日、2006長野市農業フェアがエムウェーブ前の広場で
開催され、朝の雨にもかかわらず、大勢のお客さんでにぎわいま
した。今回は「安心・安全!!NAGANOの地産地消」をテー
マに、来場されたお客さんと生産者の皆さんが交流を図り、信頼
感を深めていただけたと思います。
(5)7日、若穂地区で、太郎山トレッキングコースの開設式が行
われました。太郎山は、若穂の皆さんにとっては、昔から心のよ
りどころといってもよい山だそうです。太郎山トレッキングコー
スは、七二会の陣場平、若槻の三登山に続く、3つ目のトレッキ
ングコースとして設定され、私の夢である長野市を一回りするこ
とができるコースの実現に、また一歩近づいたのではないかと思
います。
(6)8日、NAGANO飯綱高原健康マラソン大会でしたが、前
日からの風雨で残念ながら中止。前から行われていたのはもちろ
ん知っていましたが、伺ったことはありませんでした。一度見た
いと思っていたのですが・・・次の機会へのお楽しみでしょうか。
(7)7・8日、「松代藩真田十万石まつり」が開催されました。
恒例の真田十万石行列では、新たに、武田信玄をはじめ、山本勘
助、由布(ゆう)姫など来年のNHK大河ドラマ「風林火山」ゆか
りの人物が行列に加わり、総勢250名の武者行列がにぎやかに繰
り広げられました。アテネオリンピック女子柔道金メダリストの上
野雅恵さんと銀メダリストの横澤由貴さん、さらに、本市とカチュ
ーシャの歌「知音都市交流」をしている中野市・新潟県糸魚川市・
島根県浜田市金城町の皆さんも参加してくださいました。「風林火
山」の放映を控え、観光誘客に向けた格好のデモンストレーション
になったと思います。
(8)中心市街地の千才町通りの拡幅完成、相互交通が可能になり
ました。上千歳町、南千歳町の皆さん方も長年の懸案が実現して、
喜んでおられました。長野駅から、トイーゴ、権堂、さらには善
光寺方面への素晴らしい散策道路になると思います。
(9)トイーゴ ウエストの3階、生涯学習センターで、東日本で
ははじめてのお披露目という「青いバラ」の特別展示を見学し、
開発したサントリーの技術者の話を聞きました。過去800年の
品種改良の歴史の中で、多くの育種家が挑み続けたほど青い色は
難しいのだそうです。
(10)その後、トイーゴ1~2階の店舗を見て回り、中央通りへ
出て、善光寺表参道秋まつりを楽しみながら、善光寺の近くまで
町を歩きました。千曲市や飯田市の獅子も来てくださり、長野の
新田町の神輿や権堂町の獅子・屋台等も出て、大変にぎやかな祭
りでした。誰かが言っていました「中央通りにこんなに人出があ
ったのは、長野オリンピック以来だ」と・・・それはちょっと大
げさかもしれませんが、このにぎわいは本当に嬉しいことです。
(11)スポーツの秋もたけなわです。各地区の運動会ではスポー
ツを通じて親睦を深められており、大変素晴らしいことだと思い
ます。今年は9日に行われた豊野地区運動会にお伺いしました。
(12)11日、県調理師会主催の料理コンクールが開催されまし
た。地産地消を合言葉に、食の大切さを強調して、調理師さんた
ちが、中華料理、和食、フランス料理、すし、等々に腕をふるっ
ていました。
(13)ながの・コナモン・フェスティバルが11月5日まで開催
されています。そばやおやき、うどん、ラーメン、すいとん、お
好み焼き、餃子(ぎょうざ)、パスタなど主に小麦粉やそば粉と
いった「粉」を使った料理を総称して「コナモン」と呼ぶのだそ
うです。長野市周辺では古くから粉食が愛され、そばやおやきな
どの「コナモン」メニューが食文化の中心を担っています。そん
な長野のコナモン文化を楽しく盛り上げようと、長野駅から善光
寺までの中心市街地の飲食店・販売店が協力して、フェスティバ
ルを開催しているものです。参加124店のコナモンメニューで
のスタンプラリーや、携帯電話を使ったコナモンメニューの人気
投票も実施されるなど、コナモン文化を楽しめるイベントが行わ
れています。この「食文化」をテーマにした長野市中心市街地の
活性化を支援するキャンペーンに大いに期待しています。
(14)13日に豊野地区の北陸新幹線長野浅野高架橋工事の安全
祈願が行われ、長野市で初めての北陸新幹線の工事が着工しまし
た。長野以北の皆さんの期待と大きな夢をもたらすプロジェクト
が着々と進んでいます。ただ、長沼地区でないことは残念ですが
・・・長沼地区についても、県の浅川治水の整備計画がきちんと
示され、早期に着工できることを期待しています。
(15)14・15日、2006信州ふるさと自慢大集合が開催さ
れ、大勢の皆さんにお越しいただきました。この2006信州ふ
るさと自慢大集合は、開催から20年が経過し、市町村を中心と
した出展者の減少が続き、実行委員会において一定の役割を終え
たとの判断から今回で中止することになりました。今後も引き続
き地場産業の振興策を展開していきますが、これまでのご愛顧と
ご協力に感謝いたします。
まだまだ、私の所まで報告がきていないイベントがたくさんあり
そうです。いずれにしろ、長野市が元気だぞという動きが多くなっ
て、大変嬉しいことです。
2006年10月12日木曜日
第2回JOCスポーツと環境・地域セミナー
9月22日、県民文化会館で、JOC(日本オリンピック委員会)
と長野市の共催により、第2回「JOCスポーツと環境・地域セミ
ナー」が開催されました。
このセミナーは、長野冬季オリンピック競技大会開催当時から、
スポーツを行う上で環境への配慮が大変重要であるという認識が急
速に高まったことが契機となり、IOC(国際オリンピック委員会)
が中心になって、スポーツと環境問題について研究する、あるいは
スポーツ界から環境保全についてアピールしていこうという意図で
行われている国際的なセミナーです。長野オリンピックの時も開催
されましたし、2001年には長野市で第4回IOCスポーツと環
境世界会議が開催されました。その後、イタリアのトリノで開催さ
れた世界会議の折には、長野から塚田前市長さんが参加され、長野
オリンピックでの取り組みについて、演説されたこともありました。
今回の長野での開催は、その国内版ということで、JOCが第1
回を昨年大阪市、第2回を本年長野市で開催したものです。この二
つの都市は、JOCとパートナー都市協定を結んでいる都市である
ことから、選ばれたということです。
当日はJOCから竹田会長、水野環境委員長のほか、スキーノル
ディック複合競技の荻原兄弟(お兄さんは参議院議員です)、バレ
ーボールの大林素子さん等、有名なオリンピック選手の皆さんが出
席されました。また、県内外のスポーツ団体の方々も出席されて、
それぞれ現場で環境保全に取り組んでいること、苦労していること、
感じていることを語られました。以下、それぞれの方の発言の要約
を記します。
竹田JOC会長
「2001年長野市で「この星にスポーツを」というテーマで
「IOCスポーツと環境世界会議」を開催して以来、JOCはスポ
ーツ界の環境保全に積極的に取り組んでいます。その一環として毎
年地域セミナーを開催することになり、今年はJOCパートナー都
市第2号の長野市で開催することとなりました。
呼吸のための空気、泳ぐための水、観戦時に出るごみなど環境と
スポーツは密接な関係があります。各団体が環境保全に統率力を発
揮して欲しい。」
荻原健司・荻原次晴さんの基調講演
「現役時代、ヨーロッパアルプスで毎年練習をしていたが、行く
度にアルプスの氷河が少なくなっていくのを感じていた。地球温暖
化を考えると、千年後にスキー競技が存在しているか心配です。」
大林素子JOC環境アンバサダー
「現役時代は、練習の時、体育館に冷房をかけて、管理された温
度の中で練習をしていたが、最近では、経費の削減と環境の事を考
えて冷房はかけず、照明も最低の明るさとするなど、現場での変化
を感じる。選手のユニホームの再利用や応援品のリサイクルも年々
進んでいます。」
水野正人IOCスポーツと環境委員
「基調講演で荻原さんから地球温暖化による雪不足のお話があっ
たが、昨年は例年にない豪雪で、矛盾したお話のように思われる方
もおられると思う。しかし、昨年の豪雪も地球温暖化に関係してい
る。それは、北極付近にある寒気が、地球温暖化により暖められた
空気によって大量に大陸側に押し出された結果、豪雪となったもの。
今は危機的状況という認識が薄いかもしれませんが、今ならまだ
間に合います。誰かではなく、私たち一人一人の問題として次世代
への責任を果たす役目があるのです。」
各競技団体の環境保全への取り組みについても発表がありました。
丸山仁也 国際スキー連盟技術代表
長野オリンピック時の滑降競技における環境への配慮について話
されました。
黒岩敏幸 日本スケート連盟スピードスケート強化スタッフ
「私も現役時代、浅間温泉スケート場での大会で気温が下がらず、
大会の当日に会場をエムウェーブに変更して、選手・役員みんなで
移動したという経験をした。我々、一人一人が、生活して快適な環
境、スポーツができる環境を守っていかなければならない。」
百瀬公基 日本近代5種・バイアスロン連合理事
「バイアスロン競技においては、発射される弾の鉛が大きな問題
となっている。競技会場地に鉛を残さないため、弾の回収に取り組
んでいる。」
中村慎 日本アイスホッケー連盟理事
「競技運営の中でエネルギー対策、資源対策として、両面コピー
の徹底、事務連絡はメールで行う等の取り組みを行っている。実際
に推進していくためには、成果や目標が明確になるようにデータを
取ることが大事である。また、成長の早いジュニア選手用に、小さ
くなってしまった靴をリユースする等の取り組みを行っている。」
そして、私からはセミナーの冒頭で、遠路長野にお出でいただき、
セミナーを盛り上げていただいた方々に感謝した後、次のような話
をさせていただきました。
「自然との共存、平和と友好」を基本理念とした長野オリンピッ
クの開催から本年で8年がたちます。「愛と参加の長野オリンピッ
ク」の実現を目指し、「子どもたちの参加促進」「美しく豊かな自
然との共存」「平和と友好の祭典の実現」と3つのテーマがありま
したが、この中で「自然との共存」は長野オリンピックの大きな目
標であり、課題でした。
雪と氷の上を競技の舞台とする冬季競技は、多かれ少なかれ自然
への影響は避けられないものですが、この影響を最小限にとどめる
ことが「美しく豊かな自然との共存」の前提です。ボブスレー・リ
ュージュ競技会場「スパイラル」では、自然の地形をできるだけ変
えないようにするため、世界で初めて上り勾配のあるレイアウトを
採用しました。また、コースの冷却には地球環境を破壊するフロン
ガスの採用を避け、世界で初めてアンモニア間接冷却方式を採用し
ました。また、オリンピック村やメーンプレスセンターなどの食堂
では「りんごの食器」が使われ、使用後は固形燃料や段ボール、た
い肥に利用するといった試みも行われました。このような環境に配
慮したスポーツ大会の運営という経験は、昨年の3月に開催された
スペシャルオリンピックス長野大会においても引き継がれ、選手団
ホテルの食器や大会運営要員の弁当容器には、リサイクル可能な素
材のトレーが、大会中の全ての食事に使用されました。
21世紀は「地球環境時代」と言われています。スポーツだけで
はなく、私たち人間の日常生活は、資源やエネルギーを大量に消費
し、廃棄物を大量に発生させるなど、環境に大きな影響を与えてい
ます。
人類が「持続可能な発展」を遂げていくためには、環境に配慮し、
従来の意識とライフスタイル、そして社会のシステムをも変えてい
かなければなりません。
長野市では、2004年2月に「長野市地域省エネルギービジョ
ン」を策定し、2010年のエネルギー消費量を各部門で1990
年レベルに戻す事を目標に、市民・事業者・市のそれぞれにおいて、
省エネルギーへの取り組みが行われています。
本年度、長野市では、省エネルギービジョンの重点施策のひとつ
である「ESCO(エスコ)事業」を、長野オリンピックのアイス
ホッケー競技会場「アクアウイング」のある「長野運動公園総合運
動場」に導入しました。
ESCO事業は、民間のノウハウや資金を活用し、省エネルギー
化を実現しようとする取り組みであり、長野運動公園総合運動場の
場合は、これまでに比べ、年間の消費エネルギーは約2割、二酸化
炭素の排出量は約3割、光熱水費も年間3千万円余り削減されるこ
とが見込まれています。
今後、体育施設など公共施設への導入を順次拡大していきますが、
これらの体育施設をご利用いただくスポーツ関係者の皆さまに、省
エネルギーと環境に配慮したスポーツ活動を実践いただくことで、
その効果も倍増するものと思います。ぜひ、ご協力をお願いします。
2006年10月5日木曜日
二度目の石家庄市訪問
9月市議会定例会が9月21日に終了後、22日は待ちに待った
トイーゴのしゅん工を祝って、同じ日、JOC(日本オリンピック
委員会)と長野市の共催で開催した、スポーツと環境・地域セミナ
ーに参加して、9月24日(日)には成田空港から中国へ慌ただし
く出発しました。
本年は、石家庄市との友好都市を締結してから25周年という節
目の年ということで、市議会議員、長野市日中友好協会関係者、公
募でご参加いただいた市民の皆さん、市職員等、総勢31人の市民
訪中団を結成し、訪問したものです。私にとっては、一昨年に続い
て二度目の訪問でした。
さらに現地では、敦煌等を回って、石家庄市へ来られた長野県東
洋医学研究会の方々も合流され、25周年記念式典では、50人を
超す大勢の方が参加してくださり、式典を大いに盛り上げていただ
きました。
2年前の訪中と比べて、街並みは、随分良くなりましたが、朝夕
のラッシュは相変わらずでした。北京から石家庄市へ移動するには
高速道路を走って約4時間ですが、北京の街を数キロメートル抜け
るのに、1時間近くかかってしまう・・・自転車はかなり減って
(でもまだ多いですが)その分、車が増えたのでしょうが、道路整
備が追いつかないのでしょう。空港からホテルまで行くのに、信号
はホテルの近くの一つだけ、ほとんど立体交差だったのですが、時
間はかかるというのが印象で、車が多すぎて、道路の合流点(ジャ
ンクション)で、詰まってしまうようでした。
北京から石家庄市へ移動中、休憩所(パーキングエリア)があり
ますが、前回の時は汚くて、トイレに入るのもためらったのですが、
今回は日本並みとはいきませんが、小奇麗で売店なども整備され、
特産品などを売っていました。前回の訪中と比べ大きな変化がここ
でも感じ取れました。
高速道路を降り石家庄市に入るとすぐに、パトカーが我々のバス
を先導してくれること(石家庄市に滞在中ずっとパトカーが先導し
てくれました)、ホテルに到着時、あるいは視察先の学校、病院、
芸術院等では常に熱烈歓迎をしてくださることは、前回同様で嬉し
いのですが、かえって恐縮してしまう面もあります。もっと自然で
も良いのではないかと感じるのですが・・・。それと、長い国営企
業時代の名残でしょうか、丁寧にはなっていますが、細かい点では、
お客の目線に立ってのサービスという面で、まだこれからと思いま
すし、中国人組織での上下関係では、いろんな疑問を感じました。
2年前の訪問時の市長は臧勝業(ぞう しょうぎょう)氏でした
が、今回は呉顕国(ご けんこく)氏でした。呉市長は市共産党委
員書記も兼ねており、若く才気溢れる方という印象を持ちました。
残念ながら、我々の訪問時、共産党の大きな大会が石家庄市で行わ
れているとのことで、呉市長はそちらの会合、準備等で忙しく、お
会いしたのは表敬訪問の1回だけでしたが、心から歓迎していただ
き、朱(しゅ)副市長に後の対応を託していただきました(共産党
大会は大きな大会だったようで、翌日の新聞一面に大きく報道され
ていました。もちろん呉市長の写真が大きく載っていました)。
25周年の記念事業としては、石家庄市テレビ塔の1階で日中少
年児童絵画展が開かれました。中国の少年の絵や書は見事でしたが、
長野市の小学生の絵画も素晴らしいものでした。一緒に行った市民
団の皆さんも、それぞれの地元の学校の名前を見つけて喜んでおら
れました。
記念式典は、石家庄市の芸術院で行われ、朱副市長と私のあいさ
つの後、芸術院の生徒さんたちの素晴らしい踊りと歌が演じられ、
訪中団の皆さんは大変楽しんでおられました。私のあいさつは、こ
の25年間、さまざまなレベルで交流が行われ、62団737名の
市民が石家庄市を訪れたこと、毎年訪問させていただいている中学
生たちが中国の歴史・文化の偉大さに触れて感激していること、石
家庄市の中学生の学習に対する真剣さ、集中力に驚きと感銘を受
け、帰国後その感動を多くの生徒、市民に伝えていることを話しま
した。
また、石家庄市から農業・経済・教育等の視察団の訪問、そして
研修生も訪れていただき、帰国後さまざまな分野で優れた指導者と
して活躍していることが嬉しいと思っていること、両市の友好関係
は太い絆で結ばれており、幾世紀も絶えることなく受け継がれてい
くものと確信していると話しました。
今回の訪問で初めて開発区を視察させていただきました。開発区
という名前から想像していたのは、企業団地であろうと思っていた
のですが、ちょっと違いました。一つの行政区なのです。すなわち
企業集団のことだけやっているのではなく、ひとつの行政区として、
市の指導のもとで、住宅や道路、福祉や教育まで行っている行政区
なのです。国のシステムが異なりますから一概に比較はできないと
は思いますが、長野市が取り組んでいる都市内分権の究極の姿かも
しれません。広大で平坦な土地があるからできることでしょうが・
・・なかなか見事な工場群でした。インフラの整備もかなり進んで
いると拝見しました。
石家庄市では、趙州橋(ちょうしゅうきょう)、柏林寺(はくり
んじ)、大仏寺、植物園、石家庄市第一中学校、石家庄市第一病院
を視察し、また市人民代表大会の王(おう)主任、石家庄市外事弁
公室の楊(よう)主任の招待会等もあって、カンペイ!カンペイ!
の連続で、かなり酔ったことは事実です。
公式行事が終わって、北京に移動し、天安門広場や万里の長城を
訪れたほか、建設中の2008年北京オリンピック会場を目にする
ことができました。中国最後の夜はレストランでお別れパーティー
を行いましたが、皆さん気持ちよくアルコール度数50度の酒を酌
み交わし、食べて話して、楽しい一夜を過ごしました。ただどこへ
行くにも時間がかかりすぎて・・・レストランからホテルへ戻るわ
ずかな距離に、一時間半近くかかる、どうも不合理というのが皆さ
んの感想でした。
「政低経高」といわれる現在の中国と日本の関係ですが、今回の
訪中ではそんな雰囲気は全く感じませんでした。外交に関すること
に地方自治体としては嘴(くちばし)を入れるつもりはありません。
民間外交に徹し、両国の人民レベルの交流を増やし、友好親善に努
めることが、我々の責務と改めて思いました。
思えば25年前、故柳原市長さんが蒔(ま)いた中国石家庄市と
の友好提携の芽が、絶えることなく続いてきたこと、そして私もそ
の伝統を次の世代に引き継ぐことができたことを、嬉しく思ってい
ます。