9月市議会定例会が9月21日に終了後、22日は待ちに待った
トイーゴのしゅん工を祝って、同じ日、JOC(日本オリンピック
委員会)と長野市の共催で開催した、スポーツと環境・地域セミナ
ーに参加して、9月24日(日)には成田空港から中国へ慌ただし
く出発しました。
本年は、石家庄市との友好都市を締結してから25周年という節
目の年ということで、市議会議員、長野市日中友好協会関係者、公
募でご参加いただいた市民の皆さん、市職員等、総勢31人の市民
訪中団を結成し、訪問したものです。私にとっては、一昨年に続い
て二度目の訪問でした。
さらに現地では、敦煌等を回って、石家庄市へ来られた長野県東
洋医学研究会の方々も合流され、25周年記念式典では、50人を
超す大勢の方が参加してくださり、式典を大いに盛り上げていただ
きました。
2年前の訪中と比べて、街並みは、随分良くなりましたが、朝夕
のラッシュは相変わらずでした。北京から石家庄市へ移動するには
高速道路を走って約4時間ですが、北京の街を数キロメートル抜け
るのに、1時間近くかかってしまう・・・自転車はかなり減って
(でもまだ多いですが)その分、車が増えたのでしょうが、道路整
備が追いつかないのでしょう。空港からホテルまで行くのに、信号
はホテルの近くの一つだけ、ほとんど立体交差だったのですが、時
間はかかるというのが印象で、車が多すぎて、道路の合流点(ジャ
ンクション)で、詰まってしまうようでした。
北京から石家庄市へ移動中、休憩所(パーキングエリア)があり
ますが、前回の時は汚くて、トイレに入るのもためらったのですが、
今回は日本並みとはいきませんが、小奇麗で売店なども整備され、
特産品などを売っていました。前回の訪中と比べ大きな変化がここ
でも感じ取れました。
高速道路を降り石家庄市に入るとすぐに、パトカーが我々のバス
を先導してくれること(石家庄市に滞在中ずっとパトカーが先導し
てくれました)、ホテルに到着時、あるいは視察先の学校、病院、
芸術院等では常に熱烈歓迎をしてくださることは、前回同様で嬉し
いのですが、かえって恐縮してしまう面もあります。もっと自然で
も良いのではないかと感じるのですが・・・。それと、長い国営企
業時代の名残でしょうか、丁寧にはなっていますが、細かい点では、
お客の目線に立ってのサービスという面で、まだこれからと思いま
すし、中国人組織での上下関係では、いろんな疑問を感じました。
2年前の訪問時の市長は臧勝業(ぞう しょうぎょう)氏でした
が、今回は呉顕国(ご けんこく)氏でした。呉市長は市共産党委
員書記も兼ねており、若く才気溢れる方という印象を持ちました。
残念ながら、我々の訪問時、共産党の大きな大会が石家庄市で行わ
れているとのことで、呉市長はそちらの会合、準備等で忙しく、お
会いしたのは表敬訪問の1回だけでしたが、心から歓迎していただ
き、朱(しゅ)副市長に後の対応を託していただきました(共産党
大会は大きな大会だったようで、翌日の新聞一面に大きく報道され
ていました。もちろん呉市長の写真が大きく載っていました)。
25周年の記念事業としては、石家庄市テレビ塔の1階で日中少
年児童絵画展が開かれました。中国の少年の絵や書は見事でしたが、
長野市の小学生の絵画も素晴らしいものでした。一緒に行った市民
団の皆さんも、それぞれの地元の学校の名前を見つけて喜んでおら
れました。
記念式典は、石家庄市の芸術院で行われ、朱副市長と私のあいさ
つの後、芸術院の生徒さんたちの素晴らしい踊りと歌が演じられ、
訪中団の皆さんは大変楽しんでおられました。私のあいさつは、こ
の25年間、さまざまなレベルで交流が行われ、62団737名の
市民が石家庄市を訪れたこと、毎年訪問させていただいている中学
生たちが中国の歴史・文化の偉大さに触れて感激していること、石
家庄市の中学生の学習に対する真剣さ、集中力に驚きと感銘を受
け、帰国後その感動を多くの生徒、市民に伝えていることを話しま
した。
また、石家庄市から農業・経済・教育等の視察団の訪問、そして
研修生も訪れていただき、帰国後さまざまな分野で優れた指導者と
して活躍していることが嬉しいと思っていること、両市の友好関係
は太い絆で結ばれており、幾世紀も絶えることなく受け継がれてい
くものと確信していると話しました。
今回の訪問で初めて開発区を視察させていただきました。開発区
という名前から想像していたのは、企業団地であろうと思っていた
のですが、ちょっと違いました。一つの行政区なのです。すなわち
企業集団のことだけやっているのではなく、ひとつの行政区として、
市の指導のもとで、住宅や道路、福祉や教育まで行っている行政区
なのです。国のシステムが異なりますから一概に比較はできないと
は思いますが、長野市が取り組んでいる都市内分権の究極の姿かも
しれません。広大で平坦な土地があるからできることでしょうが・
・・なかなか見事な工場群でした。インフラの整備もかなり進んで
いると拝見しました。
石家庄市では、趙州橋(ちょうしゅうきょう)、柏林寺(はくり
んじ)、大仏寺、植物園、石家庄市第一中学校、石家庄市第一病院
を視察し、また市人民代表大会の王(おう)主任、石家庄市外事弁
公室の楊(よう)主任の招待会等もあって、カンペイ!カンペイ!
の連続で、かなり酔ったことは事実です。
公式行事が終わって、北京に移動し、天安門広場や万里の長城を
訪れたほか、建設中の2008年北京オリンピック会場を目にする
ことができました。中国最後の夜はレストランでお別れパーティー
を行いましたが、皆さん気持ちよくアルコール度数50度の酒を酌
み交わし、食べて話して、楽しい一夜を過ごしました。ただどこへ
行くにも時間がかかりすぎて・・・レストランからホテルへ戻るわ
ずかな距離に、一時間半近くかかる、どうも不合理というのが皆さ
んの感想でした。
「政低経高」といわれる現在の中国と日本の関係ですが、今回の
訪中ではそんな雰囲気は全く感じませんでした。外交に関すること
に地方自治体としては嘴(くちばし)を入れるつもりはありません。
民間外交に徹し、両国の人民レベルの交流を増やし、友好親善に努
めることが、我々の責務と改めて思いました。
思えば25年前、故柳原市長さんが蒔(ま)いた中国石家庄市と
の友好提携の芽が、絶えることなく続いてきたこと、そして私もそ
の伝統を次の世代に引き継ぐことができたことを、嬉しく思ってい
ます。