公共交通に関連するいくつかの事業が、昨年度末から新年度にか
けて大きく進展しました。最近は公共事業費が削減される傾向では
ありますが、市内の景気回復のためにも必要な事業は確実に実施す
べきであると考えています。
まず、県都長野市の交通拠点であるJR長野駅のバリアフリー化
を図るため、2つのエレベーターがこの3月新たに完成しました。
平成21年度から工事が行われ、在来線の3・4・5番線と6・7
番線のホームにそれぞれ設置されたもので、4月25日には完成式
典が行われました。さらに、同ホームには、それぞれエスカレータ
ーも新設され、この日に合わせ供用開始となっています。2階のコ
ンコースも拡幅され、中央改札口付近は、とても開放感がある空間
に生まれ変わりました。駅を利用する多くの皆さんもそう感じてい
るのではないでしょうか。
今回の工事は、平成18年に制定された「高齢者、障害者等の移
動等の円滑化の促進に関する法律(バリアフリー新法)」によるも
のです。本格的な高齢社会を迎え、高齢者の自立と社会参加の実現、
また障害のある人もない人も共に生活し活動する社会の実現を目指
すノーマライゼーションの理念の下、「どこでも、だれでも、自由
に、使いやすく」というユニバーサルデザインの考え方に基づいて
実施されており、長野市としても公共施設のバリアフリー化に一生
懸命取り組んでいるところです。
1日平均利用者数が5,000人以上の駅には、平成22年を目
標にエレベーターまたはエスカレーターを設置することなどが同法
に基づく政府の基本方針で決められていました。JR長野駅の1日
平均利用者数は約4万4,000人ですから、今回の工事実施とな
ったわけです。
長野市の玄関口であるJR長野駅のバリアフリー化は、利用者の
安全性・利便性を向上させるために有効なものであるため、長野市
としても国・県と協調し補助をさせていただきました。
最近の基本方針の改正で、1日平均利用者数が3,000人以上
の駅についてもバリアフリー化を促進することになり、市内では、
長野電鉄も含めていくつかの駅で工事が必要であるとのことです。
当然事業者にとってはかなり厳しい方針で負担も大きくなりますの
で、行政も支援する必要があると考えています。
JR川中島駅は1日平均利用者数が3,000人弱で、バリアフ
リー化の対象にはなっていないのですが、地域の皆さんは、「ぜひ、
エレベーターを設置してほしい」とJRに要望を出しているそうで
す。
また、現在、JR長野駅善光寺口の整備について、地域の皆さん、
JRなどと協議を行いながら詳細な計画作成を進めています。長野
オリンピックから13年余りが経過し、また、新幹線が金沢まで延
伸することに合わせ、ロータリーを含めた駅前広場そして駅ビル本
体を総合的に整備すべきとの声が大きくなったためです。駅前広場
が若干狭いと感じますが、使いやすく、そして長野市の顔として将
来に誇れるものにしたいと考えています。
次に、幹線道路2路線の開通についてです。
3月30日、都市計画道路返目浅川線の「檀田中央橋」が完成し、
渡り初め式が行われました。地権者、地域の皆さんのご協力のたま
ものと感じています。
今回開通した区間は、北部幹線から檀田土地区画整理事業で拡幅
が完了している箇所までの約90メートルで、平成12年度の事業
着手から完成までに約11年かかってしまいました。
理由は、「『脱ダム』宣言」のために、浅川の堤防高の変更や河
床の掘削計画などが決定しないまま、平成13年から3年間、県と
の河川協議が中断したことなどです。本来は土地区画整理事業の完
成と時期を合わせたかったのですが、それができず皆さんに大変ご
迷惑を掛けてしまいました。
この地域には、北側に浅川団地、神楽橋団地があります。檀田中
央橋が開通したことで、直接北部幹線に通じることになった返目浅
川線は、この地域の南北を結ぶ幹線道路として重要な役割を担うこ
とになるわけです。
もう1路線、都市計画道路山王栗田線の北石堂交差点から西の区
間も整備が完了しました。この道路は、中央通りと国道19号を東
西に結ぶ環状線内側の補助幹線という位置付けです。両側に家屋が
連なっていたため、完成までに約13年間、事業費も11億
2,000万円余り掛かり、その多くが用地費でした。
以前は、この通り沿いに長野赤十字病院(現在のJA長野県ビル
の場所)があって、子どもの頃母に連れられて通った懐かしい道路
です。現在は、幅員15メートルの立派な道路になりました。
「公共交通は都市のインフラである」というのは、私の年来の主
張です。
インフラである以上理想を言えば、電気・水道・ガスなどと同じ
ように、必要な場所・必要な時にはなくてはならないものだと思っ
ています。もちろんすぐできることではありませんし、少子化で人
口減少時代を迎えた今では、困難なテーマでもあります・・・。
公共交通の充実については、道路整備をしながらも、一歩一歩理
想に向かって、地域事情・財政状況を考慮しながらインフラ整備に
向け努力していくことが、必要だと思っています。
公共交通の一つであるバスについても昨年度に引き続き実証運行
を始めました。
長野市公共交通活性化・再生協議会では、「長野市地域公共交通
総合連携計画」に基づき、平成22年度から3年間、バス交通の活
性化と再生を目指し、乗合タクシーの実証運行も含めて、さまざま
な取り組みを行っています。本年度は2年目で、最終年度を前に交
通不便地域の解消を目的に、市内の8路線(見直し7路線、新規1
路線)で地域循環バスや乗合タクシーの実証運行を行うものです。
このうち、篠ノ井ぐるりん号、安茂里線、西長野・上松線の3路
線は、昨年度の実績を踏まえ本年度から本格運行(通年運行)とし、
そのほかの5路線については、本年度の利用状況を見て来年度の本
格運行へ移行できるかを検討していきます。
本格運行に移行できるかどうかは、どれだけ多くの皆さんがバス
や乗合タクシーに乗っていただけるかにかかっています。行政が全
てに対し支援や補助をすることは不可能ですから、皆さんに乗って
いただいて運賃をお支払いいただき、不足分を市が補助していこう
という発想です。しかし、その補助も無制限になってしまっては行
政が成り立たないことは自明の理です。まさに正念場とも言える年
でありますので、ぜひ、多くの皆さんに乗っていただき、本格運行
へのハードルを突破していただくようにお願いします。
バスあるいは乗合タクシーの利便性が、自家用車の利便性を上回
ることは難しいとは思います。しかし、地域によっては、自動車を
運転できない高齢者や子どもは、買い物や移動が困難な状況となっ
ています。また、公共交通の利用促進は、環境保護のために温室効
果ガスの排出をなるべく減らそうという目的もありますし、地域の
活性化にバスなどを利用して、交流を促進するという目的もありま
す。私は、こうしたことを大切にしたいと考えています。そして、
さらなる利便性向上のため、現在、路線バスにICカードシステム
の導入準備を進めているところです。
路線やダイヤの詳細は、市のホームページを参照していただきた
いと思います。
そのうち篠ノ井地区の地域循環バス「篠ノ井ぐるりん号」とジャ
ンボタクシーで運行する乗合タクシーの篠ノ井共和線、そして今回
新たに運行を始める茶臼山動物園線については、4月15日に多く
の関係者の皆さんにお集まりいただき出発式を行いました。篠ノ井
ぐるりん号および篠ノ井共和線は、川中島地区も含めた運行ルート
となっているため、出発式には川中島地区の皆さんも出席され、共
和地区の皆さんも、路線存続のチャンスだと張り切っていました。
バス再生に懸ける地域の皆さんの期待がとても大きいことを感じま
した。
長野市としても、利便性が高く、地域の身近な乗り物として、地
域循環バスや乗合タクシーを今後も増やしたいと考えていますので、
大勢の皆さんにご利用いただければと期待しています。
なお、新規路線の茶臼山動物園線は、動物園の駐車場が狭いこと、
そしてそれに伴う渋滞の解消を狙っての導入です。動物園にちなん
で「ZOO(ズー)ぐる」と名付けました。平日運行する篠ノ井ぐ
るりん号の車両を活用し、篠ノ井駅西口の無料駐車場と動物園の間
を土・日曜日、祝日のみ運行します。運行開始最初の4月16日と
17日は、満席となる便もあるほどの盛況ぶりだったそうです。
昨年に引き続き運行している松代の観光線「松代ぐるりん号」と
似た運行形態で、生活路線とは少し目的が違いますが、ぜひ、これ
らの二つのぐるりん号にも新しい需要を開拓してほしいものです。
なお、長野電鉄屋代線の廃止に伴う平成24年4月の代替交通の
運行に向けた検討については、沿線住民の代表者、長野電鉄、関係
機関、長野市を含めた沿線3市などで構成する長野電鉄活性化協議
会を中心に、「沿線交通の現状の再整理」「地域ニーズの把握」
「代替交通路線網編成方針の検討」「代替交通網の具体的検討」
「サービス水準及び事業性の検討」などを実施する予定です。
当然のことながら、その中では、沿線地域の活性化問題も大きな
比重を持つものと考えています。
2011年4月28日木曜日
昨年度末から新年度にかけての公共交通関連事業
2011年4月21日木曜日
消防の新しい戦力と被災地支援
東日本大震災が発生して1カ月以上がたちました。
全国から支援の手が差し伸べられる中、長野市からは消防、水道、
保健業務などの支援のために、栄村も含めてこれまで延べ248人
の職員を派遣しました。
まず、消防については、地震発生の直後から4月2日の総務省消
防庁からの引き揚げ命令まで、8次にわたり緊急消防援助隊を編成
し、23日間で延べ173人が被災地で活動しました。津波という
過去に経験のない災害現場での活動であり、また余震が発生するな
ど過酷で非常に危険な状況下でありましたが、その重責を全うした
ことを誇りに思います。
実は今回の出動に当たり、導入して間もない「緊急消防援助隊後
方支援車」も出動しました。事前に十分訓練する間もなく、いきな
り深刻な被災地での“本番”任務となったわけです。
この後方支援車は、総務省消防庁から緊急消防援助隊装備の充実
強化のため、無償で全国47都道府県にそれぞれ1台ずつ導入され
たもので、長野県では、代表消防機関である長野市消防局に配備さ
れました。県下唯一の車両ですから、当然必要に応じてどこへでも
出動することになります。
消火・救助活動の後方支援を目的とした車両であるため、車内は
10人もの隊員が泊まれるようになっており、ベッド、キッチン、
トイレ、シャワー室などが完備されています。会議などのために、
最大で26人が乗り込むことができます。
当然それだけの機能が装備されているわけですから、車体は驚く
ほど大きく、写真を見て私もびっくり。真っ赤な大型バス、または
大型キャンピングカーといった感じでしょうか。
災害が発生した場合、現場では消防業務の最前線基地となり、ま
た泊まり込みで作業に当たる隊員の生活の拠点にもなります。今回
の被災地でも大活躍しました。
このほか、消防に関する最近の話題としてもう一つ。
3月22日、緊急消防援助隊設備整備補助金を頂き、長野市も一
般財源4,400万円を投入して「屈折式はしご車」を購入しまし
た。これは、昭和59年に配置し27年が経過した旧型車両を更新
したもので、数年前に45メートル級の大きなはしご車も購入した
ところですが、今回はもう少し手軽に使える25メートル級を導入
したわけです。
この車両の優れている点は、通常のはしご車のように真っすぐは
しごが伸びるだけではなく、人間の腕のように屈折させることもで
き、車両もコンパクトなため、建物に接近した狭い場所でも威力を
発揮します。
とはいえ、できればこうした最新鋭の消防車両が出動するような
事態にならないことを願っています。
ちなみに、この新しいはしご車は、当初4月1日から運用を開始
する予定でしたが、東日本大震災の支援活動の影響により、新車両
を使っての訓練ができない状況が続きました。支援活動終了後、集
中的な訓練を行ったことで、15日から出動可能となっています。
消防以外の支援活動としては、上下水道局の給水活動があります。
3月14日から岩手県山田町や宮城県塩竈(しおがま)市に給水車
1台(当初は2台)を派遣しました。26日には任務を完了し、い
ったん撤収したのですが、4月7日に震度6強の余震があり、再び
宮城県内各地で断水が発生したため、再度9日に給水車1台を塩竈
市に派遣し、13日まで給水活動を行いました。また、栄村へも地
震発生直後から給水車2台を出動させ、両被災地で計20日間給水
活動を行い、生活に欠かせない水を被災者の皆さんに届けました。
保健師の活躍も見逃せません。3月29日に被災地から帰ってき
た2人の保健師から報告を受けました。避難所の生活はかなり厳し
い状況で、物資が行き届いていた避難所もあれば、足りない所もあ
り、要請内容もかなり違っていたようです。
避難所の巡回健康相談では、傷や打撲の手当て、血圧測定、感染
性胃腸炎への対応が主な活動内容だったようです。また、介護が必
要な高齢者や赤ちゃんがいるお宅を訪問したところ、持病の悪化や
常備薬がなくなり困っている高齢者がいたり、お風呂に入れないた
めか湿疹ができてかゆがっている乳幼児がいたりしたため、医師の
巡回診療に結び付ける活動などを行ったとのことです。
被災された方の話に耳を傾け、その人の気持ちに寄り添う姿勢で
いろいろな悩みを聴く心のケアも大切な業務でしたが、今回の震災
の悲惨さを目の当たりにして、心のケアの難しさを痛感したようで
す。
しかし、一番困ったことは、車の燃料が不足していたことだそう
です。保健師の避難所間の移動に支障がないよう、同行した事務職
員はとにかくガソリンを求めて地域を回ったそうです。
現在、岩手県陸前高田市で第3次隊として3人が活動しています。
消防、給水、保健活動の後、全国市長会からの事務支援依頼で事
務職員の派遣を始めました。被災地では、市役所などに勤務する職
員の多くも被災しました。犠牲となった職員、業務に従事できない
職員が数多く、行政事務が停止、もしくは停滞している状況が続い
ています。庁舎そのものがなくなってしまった自治体もあるわけで
すから、その支援といってもどこから手を付ければよいのか・・・。
困難を極めるものと想像できますが、これも急を要する大変重要な
支援だと思います。
この支援職員を庁内で募集したところ、早速24人が応募してく
れました。先週11日に宮城県塩竈市へまず4人を派遣。当日の朝、
市役所玄関棟前で出発式を行い、健闘を祈り見送りました。17日
からは同県名取市へも4人を派遣し、それぞれ1週間交代で支援活
動を行っています。当面3週間の予定ですが、場合によってはそれ
以降も支援を行う必要があるかもしれません。長い支援活動になり
そうな予感がします。派遣された職員も大変ですが、その間職場に
残る職員の負担も当然増えるわけです。全職員が一致団結し、協力
体制を組んで頑張ってほしいと思います。
さらにもう一つ。今後必要になりそうな支援は、親戚や友人を頼
って「長野へ避難したい」、あるいは「長期間滞在したい」、さら
には「長野へ移住したい」という皆さんの受け入れです。
被災地から遠く離れた場所ですから、希望者は現段階ではそれほ
ど多いとは思えませんが、今後徐々に増えてくることが予想されま
す。実際、長野市では現段階で130人の方を受け入れています。
集団での避難を希望されるのか、家族単位なのか、単身なのか。
それぞれ事情も違うだろうと思いますが、なるべく早く希望の場所、
施設に入ってもらう必要があるでしょう。
長期滞在、あるいは移住を希望されるとすれば、一番の問題はや
はり仕事です。生活保護などの制度もあると思いますが、この不況
下、果たしてどれだけの人が就職できるのか。県とも連絡を密にし
て対応する必要があると感じています。
市民の皆さんからは、被災地へさまざまな支援のお申し出も頂い
ています。
まず救援物資ですが、大震災発生直後から長野市の呼び掛けに応
えていただき、多くの皆さんから物資をお寄せいただきました。最
初は、長野運動公園陸上競技場で受け付けました。私も様子を見に
行ったのですが、物資は新品のみと限らせていただいたにもかかわ
らず、多くの物資が集まっていました。ボランティアにもお手伝い
していただき、一生懸命現地への移送に努めています。受け付けは、
長野市民会館に移して継続しています。
ただ、時間の経過とともに現地で必要とする物資は変わってきて
おり、当初毛布やタオル、飲料水であったものが、今は洗剤や歯ブ
ラシなどの生活用品になっているようです。
ボランティアについては、無秩序に現地に入れば危険もあるでし
ょう。現場が混乱しても困るので、長野市社会福祉協議会でいった
んボランティアの受け付けをし、要請に応じて派遣をしています。
ただ実際は市を通さずに、直接現地に出掛けている人も多いと聞い
ています。
義援金については、いろいろな団体の皆さんがそれぞれの立場で
募金活動を行い、長野市や日本赤十字社にお寄せいただくことが多
いと感じています。
もちろん、個人、企業、団体の皆さんの寄付もあり、多種多様な
方法で義援金が集まってきています。長野市にお届けいただいた義
援金は、全て日本赤十字社に寄託しており、現在約3,850万円
になっています。
報道によると、被害地域が広すぎて、確実な義援金の受け皿とな
る機関が定まらない、実際に被災者に義援金が届いていないなどの
批判もあるようです。こうした問題は、時間の経過とともに徐々に
改善されるはずです。
長野市としては、3月市議会定例会最終日に、見舞金1億円の支
出を議決していただきました。届け先と配分額については、被害の
大きかった岩手、宮城、福島の3県の各市長会に3,000万円、
盛岡、郡山、いわきの中核市3市へ各100万円、栄村に700万
円とさせていただきました。
企業の対応も、ソフトバンクやユニクロの社長さんたちの例を持
ち出すまでもなく、各業界、市内企業からも桁違いの支援が行われ
ています。本当にすごいと感じています。利益追求だけでなく、企
業の社会貢献を考えての行動でしょう・・・。敬意を表します。
最後に、原発の事故については、依然として先行きが見えないこ
と、漏えいする放射線の封じ込めの見通しが立っていないことが国
民に不安を与えていることは間違いないと思います。
一日も早い終息宣言を祈っています。
2011年4月14日木曜日
保育園の開園と閉園
急速な少子化、核家族化の進行やその背景にあるライフスタイル
や価値観の変化など、子どもたちや家族を取り巻く環境は大きく変
化してきていることから、本市では、今後の少子化対策、子育ち・
子育て支援施策を総合的に推進するための指針「ながの子ども未来
プラン」を昨年4月に策定しています。このプランに沿って、将来
を担う子どもたちが、健やかに生まれ育つことができる社会の実現
を目指して、さまざまな施策や事業を積極的に進めているところで
す。
これにより保育園については、安心・安全な保育環境づくり、さ
らなる保育サービスの向上と充実を図るとともに、市立保育園の民
営化や、保育需要に応じた規模と配置の適正化を進めてきたところ
であり、こうした取り組みの結果、今月3つの保育園が新たにスタ
ートしました。
まず、保育園の民営化として、4月1日から「市立城東保育園」
を、隣接する「済生会(さいせいかい)長野保育園」へ移管・統合
しました。
城東保育園は、昭和28年に市立横山保育園として開園し、昭和
31年に地域のご要望により城東保育園と改称しました。以来地域
の保育需要に応えてきましたが、58年の歴史に幕を閉じ、3月
31日に閉園式を行いました。
半世紀を超える長い間、園の運営にご理解、ご協力を頂いた多く
の皆さんに心から感謝申し上げます。
城東保育園と済生会長野保育園では、統合前の1年間交流保育を
行い、園児が自然と新しい環境になじむようにしてきました。当初
は、緊張気味で自分の園の保育士から離れない園児もいたとのこと
ですが、1年間の交流を経て、園児同士や、両保育園の保育士の名
前を覚えるようになり、今ではお互いの園児が一体感を持って過ご
すことができていると聞いています。
これまで城東保育園に通園し、4月から済生会長野保育園に通い
始めた園児の保護者の中には、しばらく戸惑う方もいらっしゃるか
もしれませんが、ぜひ済生会長野保育園の園長さん、そして保育士
・職員の皆さんとの信頼関係の下、園児たちを温かく見守っていた
だきたいと思います。
城東保育園は閉園しましたが、公立、私立の区別なく保育実施の
責務は長野市にありますので、しっかり対応したいと思います。
なお、済生会長野保育園では、園児たちの保育環境の向上を図る
ために、本年度園舎の改築工事を予定しています。市としても事業
費の一部を補助し支援することにしています。
二つ目として、信更地区の「信田保育園」と「更府保育園」を統
合し、新たに「信更保育園」がスタートしました。
4月2日には、年度初めの大変お忙しい中ではありましたが、地
元の区長さん、民生・児童委員さん、保育園統合に当たって大変お
世話になった「信更地区保育園問題検討委員会」の皆さんをはじめ、
大勢の皆さんにお集まりいただき、開所式を行いました。
これまで信田保育園と更府保育園の2園については、園児数の減
少や園舎の老朽化などから、集団活動の維持と園の運営が課題とな
っていました。
こうした背景の中、平成18年から保護者の皆さんをはじめ、地
域の皆さんと一緒に、2園の統合について検討を行ってきた結果、
関係者のご理解とご協力により2園を統合し、信田保育園の園舎を
統合園として利用することを決定したものです。
この決定を受け、平成21年度からは園舎の耐震補強と改修工事
を行い、この日を迎えたわけです。
なお、この統合により更府保育園に通園していた園児や保護者の
皆さんには、園が遠くなるなどご不便をお掛けすることになります
が、通園バスを運行するなど、統合による影響を最小限にとどめた
いと考えていますので、ご理解をお願いしたいと思います。
三つ目は、「戸隠中央保育園」、「東ノ原保育園」および「宝光
社保育園」の3園を統合して旧長野吉田高校戸隠分校跡地に新たに
「とがくし保育園」を建設・開園し、しゅん工式を信更保育園の開
所式と同じ2日に行いました。私は他の公務がありましたので酒井
副市長に出席してもらいましたが、市議会議員さんはじめ、建設検
討委員会の皆さん、地元の区長さん、民生・児童委員さんなど、大
勢の皆さんにお集まりいただいたと報告を受けています。
戸隠中央保育園と東ノ原保育園は昭和43年度に、宝光社保育園
は昭和45年度にそれぞれ建設されたものですが、こちらも信更地
区の2園と同様に、園舎が老朽化するとともに、園児数も減少し子
どもたちの良好な集団活動が難しくなってきたことから、3園を統
合したものです。
平成20年度に戸隠地区保育園統合検討委員会において、建設場
所を旧長野吉田高校戸隠分校跡地に決定し、平成21年度に地盤調
査、詳細設計、旧戸隠分校校舎の解体工事などを実施し、平成22
年度に新園舎の建設工事を行い、先月完成しました。
施設は、敷地を有効活用した「L字型」の園舎で、できる限り自
然光を取り入れるなど、園児たちが安全で快適に、そして楽しく過
ごせるようにしました。特に、保育室や遊戯室、廊下などの腰板に
は、長野県産のカラマツ材を使い、木のぬくもりを感じられる優し
い空間に仕上げています。
また、太陽光発電システムを取り入れることで、温室効果ガスの
排出削減を図るとともに、園児たちの環境学習にも活用できるよう
にしています。
冬期の雪対策としては、屋根に強固な部材を使用することで雪を
屋根にとどめ、園児出入り口のある園庭側に雪を落とさない構造と
しました。これにより、除雪にかかる労力の省力化、落雪による事
故の防止などの効果が期待できます。
安全面、そして環境面に配慮した素晴らしい保育園ができたなあ
と思っています。
なお、こちらも統合による影響を最小限にとどめるため、これま
で東ノ原保育園で運行していた通園バスに加え、宝光社方面用の通
園バスを導入しました。
また、新たな保育サービスの充実として、新園舎の整備に併せて
0歳児の受け入れが可能となりました。地域に住む子育て世代の負
担軽減につながるものと考えています。
この春、新たにスタートした3園が、多くの皆さんに愛される保
育園になることを期待しています。
2011年4月7日木曜日
本年度のイヤー・キャンペーン始まる
長野市では、平成18年3月に策定した『1200万人観光交流
推進プラン』に基づき、地域資源を生かした体験型観光やグリーン
ツーリズムといった新たな視点から交流人口の増大を図り、「地域
ブランド化」を推進することで「多軸型観光都市」の形成を目指し
ています。
その一環として、年度ごと地域ごとに集中的な観光キャンペーン
を展開してきているところですが、本年度は「篠ノ井」「信州新町」
の2地区で実施させていただきます。
4月2日、「2011信州新町イヤー」と「ろうかく梅園花まつ
り」の開会式が、大勢の皆さんのご参加の下、盛大に開催されまし
た。
地区の皆さんは、昨年から精力的に観光キャンペーンの事業計画
を検討されてこの日を迎えたわけです。2011信州新町イヤー実
行委員会の中村一雄委員長さん、ろうかく梅園花まつり実行委員会
の桐山紘一委員長さんをはじめ、信州新町の皆さんのご尽力に深く
感謝しているところです。
東日本大震災があったため、この花まつりを中止しようかと悩ん
だこともあったようですが、「信州新町から日本中に元気を送ろう
!」と開催を決断されたそうです。
ろうかく梅園は、信州新町の中心街から犀川を隔てた南側の川岸
にあって、このイヤーと花まつりに備えて、区民総出で周辺整備や
草取り、そして梅の木の植樹を大々的に行ってきました。その中心
的役割を果たしておられる桐山さんのあいさつをお聞きすると、
「このイベントをきっかけに、将来“梅”を町の一大産業に育てた
い。梅を加工する工場も造りたい・・・。」そんな構想を持ってお
られるとのことでした。
当日は前日までの寒さがうそのように暖かくなり、梅の花もチラ
ホラ咲き始めており、絶好の日和になりました。大勢の地域の皆さ
んが見守る中、私も梅の木の植樹をさせていただき、帰りには、
『梅のある里』という地元の方々が制作された本を頂きました。
信州新町の皆さんは、長野市に合併する前の“町”時代から、積
極的に観光振興に取り組んできています。その成果として琅鶴(ろ
うかく)湖畔に映える竹房(たけぶさ)地区の梅園、町のシンボル
信州新町美術館、町の名物ジンギスカンなど、観光客を引き付ける
魅力的な観光資源を生み出してきました。「アート&グルメ」をキ
ャッチフレーズに精力的に取り組みをされてきたわけです。
「こころ・はずむ こころ・やすらぐ こころ・つなぐ 信州新
町」のコンセプトのとおり、信州新町スタイルのおもてなしで温か
く観光客をお迎えし、「新町ファン」を増やすことで、観光と交流
を軸とした地域の活性化につなげていただきたいと思っています。
以前から何度も訪れている土地ですが、今回あらためて、琅鶴湖
の水と周りの山々の織りなす景色、古くから文人墨客が愛した場所
として名高いということを、実感いたしました。
また、ろうかく梅園花まつりの前に、酒蔵を活用した街角アート
ギャラリー、「ミュゼ蔵」を視察しました。1階では、小泉癸巳男
(きしお)画伯の「聖峰富士三十六景展」が開かれ、また、2階で
は、この信州新町イヤーに合わせて、JIDA(社団法人日本イン
ダストリアルデザイナー協会)が主催する「JIDAデザインミュ
ージアムセレクションVol.12」が開かれていて、家電を中心
に斬新なデザインの各種製品が展示されていました。こちらもまち
の宝の一つです。
翌日4月3日には、「2011篠ノ井イヤー」のオープニングセ
レモニーが、篠ノ井市民会館で、こちらも盛大に開催されました。
篠ノ井地区でも、昨年度地域の皆さんが準備委員会を立ち上げ、
事業計画の検討、セレモニー準備など、多くの皆さんがこの日のた
めに取り組んでこられました。
篠ノ井地区には、南長野運動公園や茶臼山動物園などの大型集客
施設のほか、天才書家 川村驥山(きざん)先生の作品を常設展示
する驥山館など、文化・レクリエーションをはじめ、トレッキング
コースや地域に根差した祭りなどの観光資源が豊富にあります。
篠ノ井イヤーのコンセプトは、「信州しののい 人・モノ・交流
文化のまち」ということですが、地区の潜在的な魅力を掘り起こし、
磨き上げ、全国に発信することで交流文化のまちとして交流人口の
増大を図り、再び篠ノ井に活気を取り戻すことができればと思いま
す。
セレモニーでは、かつて地域で親しまれた「篠ノ井音頭」に合わ
せて、着物姿の大勢の皆さんが会場いっぱいに踊り、当時を懐かし
む方もいれば、私もそうでしたが初めて見る方もいたりで、会場は
華やかなムードに包まれました。
また、イヤーに合わせ、「かわいらしい女の子」と茶臼山動物園
の「レッサーパンダ」をモチーフにした2つのイメージキャラクタ
ーが決定しており、その作者の表彰を行いました。このイメージキ
ャラクターは、昨年の暮れから今年の正月にかけて広く公募したと
ころ、市内外の18の個人・団体から応募があり、選考の結果、
「篠ノ井の応援団『篠』~しなやか」という団体から応募があった
作品に決定したそうです。
女の子は「おしのちゃん」と命名されましたが、レッサーパンダ
の方は、まだ名前がありません。かわいらしい、親しみやすい名前
を募集中とのことですので、ぜひご応募ください。ちなみに、生息
地の一つ中国ではレッサーパンダを「小熊猫」と書くそうです。
また、現在整備中の篠ノ井中央公園は、長野市の緑育(*)の拠
点とする計画が進んでいます。また、JFLに昇格した「AC長野
パルセイロ」のホームグラウンドは南長野運動公園総合球技場です
ので、多くの市民にパルセイロの応援にお越しいただき、篠ノ井、
そして長野市全体が元気になってほしいと思っています。
このたびの大震災は、各地に甚大な被害をもたらし、国を挙げて
の被災者救援が実施されています。オープニングセレモニーにお集
まりの皆さんも心を痛めておられましたが、このような中で実施す
る「2011篠ノ井イヤー」「2011信州新町イヤー」だからこ
そ、地域の素晴らしさと住民の皆さんがつくるまちの元気パワーを
日本中に発信していただきたいと願っています。
いずれにしても、この1年間のキャンペーンを通して、独自の観
光資源のブランド化とホスピタリティーあふれる地域づくりが一層
進み、お客さまに「来て良かった」「また来たい」、そして「住ん
でみたい」という気持ちを抱いていただけるような篠ノ井地区、そ
して信州新町地区になっていくことを期待しています。
*「緑を育てる」という共通の取り組みを通じて、市民相互のつな
がりが生まれ、花や緑を大切にする文化や人間性が育まれていくこ
と。