2011年4月21日木曜日

消防の新しい戦力と被災地支援


 東日本大震災が発生して1カ月以上がたちました。
 全国から支援の手が差し伸べられる中、長野市からは消防、水道、
保健業務などの支援のために、栄村も含めてこれまで延べ248人
の職員を派遣しました。

 まず、消防については、地震発生の直後から4月2日の総務省消
防庁からの引き揚げ命令まで、8次にわたり緊急消防援助隊を編成
し、23日間で延べ173人が被災地で活動しました。津波という
過去に経験のない災害現場での活動であり、また余震が発生するな
ど過酷で非常に危険な状況下でありましたが、その重責を全うした
ことを誇りに思います。

 実は今回の出動に当たり、導入して間もない「緊急消防援助隊後
方支援車」も出動しました。事前に十分訓練する間もなく、いきな
り深刻な被災地での“本番”任務となったわけです。
 この後方支援車は、総務省消防庁から緊急消防援助隊装備の充実
強化のため、無償で全国47都道府県にそれぞれ1台ずつ導入され
たもので、長野県では、代表消防機関である長野市消防局に配備さ
れました。県下唯一の車両ですから、当然必要に応じてどこへでも
出動することになります。  
 消火・救助活動の後方支援を目的とした車両であるため、車内は
10人もの隊員が泊まれるようになっており、ベッド、キッチン、
トイレ、シャワー室などが完備されています。会議などのために、
最大で26人が乗り込むことができます。
 当然それだけの機能が装備されているわけですから、車体は驚く
ほど大きく、写真を見て私もびっくり。真っ赤な大型バス、または
大型キャンピングカーといった感じでしょうか。
 災害が発生した場合、現場では消防業務の最前線基地となり、ま
た泊まり込みで作業に当たる隊員の生活の拠点にもなります。今回
の被災地でも大活躍しました。

 このほか、消防に関する最近の話題としてもう一つ。
 3月22日、緊急消防援助隊設備整備補助金を頂き、長野市も一
般財源4,400万円を投入して「屈折式はしご車」を購入しまし
た。これは、昭和59年に配置し27年が経過した旧型車両を更新
したもので、数年前に45メートル級の大きなはしご車も購入した
ところですが、今回はもう少し手軽に使える25メートル級を導入
したわけです。
 この車両の優れている点は、通常のはしご車のように真っすぐは
しごが伸びるだけではなく、人間の腕のように屈折させることもで
き、車両もコンパクトなため、建物に接近した狭い場所でも威力を
発揮します。
 とはいえ、できればこうした最新鋭の消防車両が出動するような
事態にならないことを願っています。
 ちなみに、この新しいはしご車は、当初4月1日から運用を開始
する予定でしたが、東日本大震災の支援活動の影響により、新車両
を使っての訓練ができない状況が続きました。支援活動終了後、集
中的な訓練を行ったことで、15日から出動可能となっています。

 消防以外の支援活動としては、上下水道局の給水活動があります。
3月14日から岩手県山田町や宮城県塩竈(しおがま)市に給水車
1台(当初は2台)を派遣しました。26日には任務を完了し、い
ったん撤収したのですが、4月7日に震度6強の余震があり、再び
宮城県内各地で断水が発生したため、再度9日に給水車1台を塩竈
市に派遣し、13日まで給水活動を行いました。また、栄村へも地
震発生直後から給水車2台を出動させ、両被災地で計20日間給水
活動を行い、生活に欠かせない水を被災者の皆さんに届けました。

 保健師の活躍も見逃せません。3月29日に被災地から帰ってき
た2人の保健師から報告を受けました。避難所の生活はかなり厳し
い状況で、物資が行き届いていた避難所もあれば、足りない所もあ
り、要請内容もかなり違っていたようです。
 避難所の巡回健康相談では、傷や打撲の手当て、血圧測定、感染
性胃腸炎への対応が主な活動内容だったようです。また、介護が必
要な高齢者や赤ちゃんがいるお宅を訪問したところ、持病の悪化や
常備薬がなくなり困っている高齢者がいたり、お風呂に入れないた
めか湿疹ができてかゆがっている乳幼児がいたりしたため、医師の
巡回診療に結び付ける活動などを行ったとのことです。
 被災された方の話に耳を傾け、その人の気持ちに寄り添う姿勢で
いろいろな悩みを聴く心のケアも大切な業務でしたが、今回の震災
の悲惨さを目の当たりにして、心のケアの難しさを痛感したようで
す。
 しかし、一番困ったことは、車の燃料が不足していたことだそう
です。保健師の避難所間の移動に支障がないよう、同行した事務職
員はとにかくガソリンを求めて地域を回ったそうです。
現在、岩手県陸前高田市で第3次隊として3人が活動しています。

 消防、給水、保健活動の後、全国市長会からの事務支援依頼で事
務職員の派遣を始めました。被災地では、市役所などに勤務する職
員の多くも被災しました。犠牲となった職員、業務に従事できない
職員が数多く、行政事務が停止、もしくは停滞している状況が続い
ています。庁舎そのものがなくなってしまった自治体もあるわけで
すから、その支援といってもどこから手を付ければよいのか・・・。
困難を極めるものと想像できますが、これも急を要する大変重要な
支援だと思います。

 この支援職員を庁内で募集したところ、早速24人が応募してく
れました。先週11日に宮城県塩竈市へまず4人を派遣。当日の朝、
市役所玄関棟前で出発式を行い、健闘を祈り見送りました。17日
からは同県名取市へも4人を派遣し、それぞれ1週間交代で支援活
動を行っています。当面3週間の予定ですが、場合によってはそれ
以降も支援を行う必要があるかもしれません。長い支援活動になり
そうな予感がします。派遣された職員も大変ですが、その間職場に
残る職員の負担も当然増えるわけです。全職員が一致団結し、協力
体制を組んで頑張ってほしいと思います。

 さらにもう一つ。今後必要になりそうな支援は、親戚や友人を頼
って「長野へ避難したい」、あるいは「長期間滞在したい」、さら
には「長野へ移住したい」という皆さんの受け入れです。
 被災地から遠く離れた場所ですから、希望者は現段階ではそれほ
ど多いとは思えませんが、今後徐々に増えてくることが予想されま
す。実際、長野市では現段階で130人の方を受け入れています。
 集団での避難を希望されるのか、家族単位なのか、単身なのか。
それぞれ事情も違うだろうと思いますが、なるべく早く希望の場所、
施設に入ってもらう必要があるでしょう。

 長期滞在、あるいは移住を希望されるとすれば、一番の問題はや
はり仕事です。生活保護などの制度もあると思いますが、この不況
下、果たしてどれだけの人が就職できるのか。県とも連絡を密にし
て対応する必要があると感じています。

 市民の皆さんからは、被災地へさまざまな支援のお申し出も頂い
ています。
 まず救援物資ですが、大震災発生直後から長野市の呼び掛けに応
えていただき、多くの皆さんから物資をお寄せいただきました。最
初は、長野運動公園陸上競技場で受け付けました。私も様子を見に
行ったのですが、物資は新品のみと限らせていただいたにもかかわ
らず、多くの物資が集まっていました。ボランティアにもお手伝い
していただき、一生懸命現地への移送に努めています。受け付けは、
長野市民会館に移して継続しています。
 ただ、時間の経過とともに現地で必要とする物資は変わってきて
おり、当初毛布やタオル、飲料水であったものが、今は洗剤や歯ブ
ラシなどの生活用品になっているようです。

 ボランティアについては、無秩序に現地に入れば危険もあるでし
ょう。現場が混乱しても困るので、長野市社会福祉協議会でいった
んボランティアの受け付けをし、要請に応じて派遣をしています。
ただ実際は市を通さずに、直接現地に出掛けている人も多いと聞い
ています。

 義援金については、いろいろな団体の皆さんがそれぞれの立場で
募金活動を行い、長野市や日本赤十字社にお寄せいただくことが多
いと感じています。
 もちろん、個人、企業、団体の皆さんの寄付もあり、多種多様な
方法で義援金が集まってきています。長野市にお届けいただいた義
援金は、全て日本赤十字社に寄託しており、現在約3,850万円
になっています。
 報道によると、被害地域が広すぎて、確実な義援金の受け皿とな
る機関が定まらない、実際に被災者に義援金が届いていないなどの
批判もあるようです。こうした問題は、時間の経過とともに徐々に
改善されるはずです。

 長野市としては、3月市議会定例会最終日に、見舞金1億円の支
出を議決していただきました。届け先と配分額については、被害の
大きかった岩手、宮城、福島の3県の各市長会に3,000万円、
盛岡、郡山、いわきの中核市3市へ各100万円、栄村に700万
円とさせていただきました。
 企業の対応も、ソフトバンクやユニクロの社長さんたちの例を持
ち出すまでもなく、各業界、市内企業からも桁違いの支援が行われ
ています。本当にすごいと感じています。利益追求だけでなく、企
業の社会貢献を考えての行動でしょう・・・。敬意を表します。

 最後に、原発の事故については、依然として先行きが見えないこ
と、漏えいする放射線の封じ込めの見通しが立っていないことが国
民に不安を与えていることは間違いないと思います。
 一日も早い終息宣言を祈っています。