2012年7月5日木曜日

山本七平さんに学ぶ


 選挙や投票が、民主主義の代表的な制度であると思われている人
は多いと思いますが、最近、疑問を感じるようになりました。
 戦後の日本にとって、民主主義国家の象徴はアメリカであり、民
主主義の模範はアメリカでした。そのため、日本はアメリカの後を
追っているといわれた時代もあったわけです。しかし、そのアメリ
カについて、山本七平さんの「『常識』の研究」(文春文庫)の中
に「アメリカの不思議」と題してこんな一節があります。約20年
前(1987年発刊)のちょっと古い本ですが、今でも参考にさせ
てもらっています。少し長いので、多少省略してご紹介させていた
だくことをお許しください。

 「ニューヨークへ行ったところ、偶然の機会から、『戦後30年
のアメリカ』というビデオを(略)見せてもらった。トルーマンか
らアイク、ケネディ、ジョンソン、ニクソンと移り行くうちに、社
会がどのように変化し、悪化し、崩壊して行ったかを克明にたどっ
ているビデオである。少年ギャング、麻薬患者、児童虐待、街頭で
の殺人、少女売春等々が、これでもか、これでもかといった調子で
登場し、同時にベトナム反戦運動、公民権運動、徴兵令状焼却、
『人殺し』とホワイトハウスに向かって叫ぶデモ隊、警察隊の弾圧、
ケネディの暗殺、キング牧師の暗殺、ニクソン辞任等々の場面が入
ってくる。
 そしてそれを見ていると、少々不思議な気持ちになる。というの
はだれ一人、社会を悪くしようと努力しているわけでなく、人びと
の叫ぶスローガンはすべて立派であり、平和、人道、博愛、反戦、
人間の権利、差別撤廃、最低賃金制の確立、社会保証の充実が常に
口にされ、しかもある意味では確かにその一つ一つが達成されなが
ら、一方ではぐんぐんと社会は悪化していくのである。なぜであろ
うか。ビデオはそれを問いかけながら、何一つ解答は提示されてい
ない。
 15年ほど前(1970年ごろ)、全米を自転車旅行をした人の
話を聞いた。当時はすべての人が親切で、こんな良い国はないと思
い、さらに叫ばれるスローガンの内容から、もっともっと立派にな
ると思ったそうである。そこでもう一度自転車旅行をやろうとした
のだが、今ではそんなことは到底不可能だと思い知らされたという。
そしてその人は、一国がかくも短期間に、このような悪しき変化を
遂げたことの理由を何とか探りたいと思ったが、だれに聞いてもそ
れはわからなかったという。」
(なお、前述のスローガンにないのは、財政再建だけのようです。)

 つまり、民主主義国家として長い歴史を持つアメリカでさえ、国
民一人一人の高い理想や思いを正しく反映した国づくりが実現でき
ていないということです。どこに問題があるのかはよく分かりませ
んが、国が国民の思いとは別の方向に進んでいるとしたら、もはや
民主主義とは言えないのではないかという疑問を持ちます。

 また、山本さんは「人間集団における人望の研究 二人以上の部
下を持つ人のために」(祥伝社)の中で選挙についても言及してお
られます。私なりに要約すると「まさに能力があるかどうかではな
く、人望のあるなしがすべてを決める。ましてや若者が突然選挙に
出馬して、若さとその人物像の詳細が知られていないが故に、イメ
ージが先行して当選するというのは問題で、『人望』と『人気』を
混同している故であろう」ということです。

 公職選挙法にも疑問を持たざるを得ない部分があります。
 事前運動は禁止されているといいながら、何カ月も前から、極端
な例だと1年以上前から、選挙に出ようとする人のポスターが街に
あふれる。あれは事前運動ではないのでしょうか・・・。私も告示
前に室内用ポスターを掲示したことがありますから、あまり大きな
ことは言えないのですが・・・。それが許されているのは、あの大
きな顔写真ポスターの下に、「総決起大会のお知らせ」などと書か
れた細い紙が貼ってあるからだそうです。つまりは、政党あるいは
個人の『政治活動』の告知だということですが、実質は事前運動で
しょう・・・。

 そのほか、戸別訪問禁止についても、昔は住居を戸別に訪問して、
お金で票を買収する心配があったためだそうですが・・・、今どき、
お金で買収する候補者はいないと思います。文書図画の配布や掲示
などの規制についても形式だけのことと感じています。もし、イン
ターネットを利用した選挙運動が解禁された場合、インターネット
を24時間監視することは不可能ですし、第三者の「なりすまし」
や「改ざん」を防ぐことも技術的に難しいと思いますので、取り締
まりには限界があるでしょう(インターネットは選挙運動に利用で
きないので、候補者の公式ホームページは告示後変更できないそう
です)。候補者本人の知らないところで支援者が応援する、あるい
は悪口を言われることもありますしね。
 アメリカの大統領選挙でマスコミを使って展開するネガティブキ
ャンペーンもひどいですよね。自分が当選するためには相手のイメ
ージを落とす必要があるという発想なのかもしれませんが・・・。

 民主主義と選挙って何だろうと私が言いたくなるのも無理はない
でしょう。

 大阪ダブル選挙で当選した橋下徹大阪市長と松井一郎大阪府知事
の関係もよく分かりません。
 ロシアのプーチン大統領とメドベージェフ首相の関係と似ている
のかもしれませんが、法的には問題なさそうです。知事を辞任して
市長選に出馬し同日選挙に持ち込む・・・こんな戦略ありなのかな
とびっくり。例えば、大阪市や堺市が加入する広域連合のような組
織があったとしたら(なければつくるという方法もあります)、そ
こに大阪府も加入して、広域連合長に大阪市長を選任し、その広域
連合の議員を住民が直接選挙で選べば、法律を改正しなくても大阪
府と大阪市は一本化され、実質的には「大阪都」になりそうな気が
するのですが(善しあしは別にしてですが・・・)。

 選挙により人が代わる(交代する)ことは大切ですが、行政の一
貫性も必要です。また、特に今の時代、市民の皆さんに喜ばれるこ
とをするときにも、市民合意が必要であると、つくづく感じていま
す。

 「ドイツのナチス党はクーデターで権力を奪ったのではない。極
めて民主的と評されていたワイマール憲法の下で選挙に勝ち、全権
委任法を議会で制定して総統ヒトラーが誕生し、独裁者になった」
ということを本年2月9日付けのかじとり通信でも触れましたが、
なぜ全権委任法が民主的な体制の中で議決されたのかは分かりませ
ん。 
 市民意見、民意とはなんでしょうか。「声の大きい少数意見」や
「声の小さい多数意見(サイレントマジョリティー)」をどう解釈
すればよいのでしょうか。

 民主主義の歴史は、日本の長い歴史の中では、極めて短いもので
あり、異例のシステムといえるのだそうです。
 平安時代は貴族の時代、鎌倉時代以降は武士の時代、江戸時代は
政治的に武士の時代(経済的には町人の時代だったのでしょう)、
明治維新以降は中央集権国家体制の下、外国に追い付け追い越せと
いう維新の功労者(元老院)、選挙で選ばれた政治家および軍人の
時代。そして、戦後になって民主主義の時代・・・。こうして並べ
てみると、国民が一番幸せを感じるのはどの時代なのか、全く分か
らなくなってしまいました。

 しかし、いくら欠陥があり、悪い面があっても、現時点で民主主
義を超える制度はないと言われていることも事実でしょう。では、
どうすれば、この制度を維持しながら、機能不全に陥るような事態
から逃れることができるのでしょうか。このことについては、文藝
春秋2012年7月号の、作家・塩野七生(ななみ)さんと学習院
大学教授・佐々木毅(たけし)さんの対談「世界史に学ぶ 日本は
なぜ改革できないのか」に、こんな記載がありました。
 「人間が持っている基本的人権という概念に適合する政治の仕組
みは、民主政しかないのです。つまり民主政は「道義的」に圧倒的
な強みを持っています。しかし、そのことが様々な現実の問題を解
決する能力を保証するわけではありません。直面する課題を解決で
きなければ信用を失ってしまいますし、実際に歴史を見ると、ファ
シズムが台頭したり、クーデターが起きたりしています。道義的に
強みがあり、しかも諸問題の解決でも信頼できる民主政治を持つこ
とが出来れば非常に幸せなことです。
 民主政を運用するには、状況に応じて制度を変化させていかなけ
ればならないし、あるいは様々な仕組みを組み合わせて運用してい
くことも必要です。」

 少なくとも日本の民主主義は、まだまだ歴史が浅く改善すべき点
がたくさんあると感じています。今後の民主主義の在り方について
は、選挙制度も含め、私たち一人一人が、その主人公としてしっか
りと考えていかなければならない課題だと思っています。
 以上、いろいろ書いてみましたが、現実の問題を解決するには、
さらに具体的な議論が必要ですね・・・。