2014年10月24日金曜日

徒然の記 №39 12年間書き続けた「舵取り通信」


市長退任後、約9カ月(ブログ執筆時)。私の所属する長野東ロータリークラブで、「市長退任後について」というテーマで卓話をさせて頂きました。卓話は通常30分間ですから、市長在任中は、話題はいくらでもあって、市政の話を少しお話して理解してもらうだけで・・・、あまり気を使うようなことはなかったのですが・・・。今回は、久しぶりに結構緊張しました・・・。市長を止めたら、だらしない男になったと思われるのが嫌で、俺はまだまだ頑張っているんだぞと感じてもらえるかどうか、社会復帰が順調に進んでいるかどうか・・・、今回はその時喋ったことを中心に、このメルマガを書いています。

話はデカンショ節からはじめました。私たちの高校時代、“デカンショ・デカンショで半年暮らし、後の半年は寝てくらす、ヨーイ・ヨーイ・デッカンショ・それデッカンショ”とコンパ(今なら居酒屋での飲み会みたいなものでしょう)等で、みんなで放吟したこと、懐かしい思い出です。そして私は今でも感心するのは、当時未成年ですから当然ですが、席上アルコールが無かったことです。古い高校の体育館で、車座になって、何をしていたかは覚えがないのですが、歌を唄ったり、弁論彷彿だったような気がしますが、“酒”と“タバコ”は無かったことは事実です。我ながら真面目だったんだなあ・・・今になって感心しています。

デカンショの意味は、デカルト、カント、ショーペン・ハウエルという三人の高名な哲学者で、先の二名については、誰でも知っている有名な哲学者ですが、三人目のショーペン・ハウエルという人については、恥ずかしながら私は知りませんでした、”デカンショ“という調子の良さに釣られて、大きな声を出して唄っていたに過ぎません。

 「本なんて読むな、本から得られる知識なんて、人から考えを押し付けられているだけで、何にもならない。自分で考えて、自分の意見を確立すべきである」・・・大意こんな文章でした。

(今回のメルマガのきっかけは、著名な評論家の池上彰さんの評論に刺激されて、あわてて文庫本を買いました)

これにはびっくり、私の知識なんて、本やラジオ・テレビ、他人の話し、今ならばパソコン・スマホから得ている知識も沢山ありますが、自分で考えたことは何だと言われると、お恥ずかしい限り・・・、ショーペン・ハウエルさんに言わせるなら、そんなのは何にもならない、全て他人の意見の受け売りに過ぎないということでしょう。

その後、私は自分の意見を大切にしよう、自分のアイデイアを大切にしよう、それが出来なければ黙っていよう・・・そんな心境です・・・。でも多分出来っこないですから、三日坊主で終わるのでしょうが・・・。

私の市長現役時代12年間、何をやったか、自分でも考えてみますが・・・正直よくわかりません。いろいろやったようにも思いますし、何もやらなかったようにも思います。

唯一、これは俺がやったと感じていることは、週一回発信の「舵取り通信」を約12年間、一回もサボることなく書き続け、市政報告会で、毎年本を作って出版したことでしょう。

(ただこれとて、経験したことを書いただけともいえるわけで、自分の考えたことなど、ほんのわずかだと思います。)

最初のうち、ゴースト・ライターは誰だ?と言われたり、いつまでやるつもりだ?なんてことも言われました。もともと、当時の小泉純一郎首相がメルマガをはじめて大変な評判になっている、それを読んだ長野市の広報の連中が、あれは難しいですよね、無理ですよね・・・。と言ったものですから、私はその言葉を、挑戦と感じ、「あの程度のこと、俺だってやってみせる」と受けてしまったことが、苦労の始まりでした。

正直最初は簡単でしたが・・・、段々苦痛を伴うようになったことは事実です。毎週月曜日の朝までに広報課に原稿を渡すということでスタートしたのですから、前週の土曜日あたり、「まだ原稿が来ていませんが・・・。」と催促したそうな秘書課や広報課の職員の顔を想像しながら・・・ようし、夜中かけてもちゃんと書いて、原稿を送ってやる・・・といつも思っていました。

数を勘定してみたら、

1年365日ですから、約52周・・・週1回発信ですから年間52回。
任期4年間ですから、一期で208回。三期務めましたので、624回・・・、まあ臨時・号外もありましたし、公職選挙法上の自主規制分もありましたから・・・回数は、嘘800として・・・ぐらいにしておきますか・・・。でも印刷は、後援会名義で、年度ごとに作っていただき、12冊になりました。


メルマガと選挙絡みのことで、困ったことがありました。選挙戦術のこともプロにはかなわないなあと感じたこともありました。

    選挙運動は、告示から投票日前日まで、HPは動かしてはいけない(変えてはいけない)。

    候補者の写真、主張は選挙管理委員会が作成するチラシのみ・・・。

まあそのほかいろいろあるようですが、私は良く知りませんが、私がびっくりして選挙プロの手口を書かして頂きますと

    候補者のHPは、確かに一つですが、他人が作るHPは無制限なのです(これは、私の私的意見です)。候補者名を入れても構わないようですから、「この人に投票して下さい」とさえ書かなければ良いそうです。

候補者のホームページに関する規制なんて、有名無実ですよね。

    動画もOKらしいです。

    一番びっくりしたのは、告示になって、選管の管理のもとで街に張り出すポスターのことですが・・・

3名の立候補者がいる場合、告示日の朝、代理人が来てくじを引いて、順番を決め、上が1番、その下に2番、次の上に3番となります。当然1番が一番目につく位置ですし、それが駄目でも3番が上にきますから、出来れば低い場所の2番はひきたくない・・・。

びっくりしたのは、告示の朝の抽選に(多分わざと)遅れてくる候補がいたことです。わざと遅れて3番になる戦術です。そうすれば上になりますよね。

考えてみたら、昔から、告示日に抽選で何番を引くか、選挙事務所では重大関心事でした。少しでも早く順番を知って、ポスターを張りだしたい、選挙運動を開始したい・・・ワザと遅刻して順番を下げるなんて、素人には思いつかない戦術でした。

でも、これもアイデイアかもしれませんね。

知らないということは困ったもので、もうひとつ私はあとになって知ったことですが、公共放送であるNHKは、選挙に出る噂の人の映像を、告示前3カ月から映像を出さない、という規制があったようです。

私は3回、選挙をやりましたから、1回目はそんなことは関係なかったのですが、2回目、3回目は、現職ですから、この規制にひっかかると思い、ホームページではない私のメルマガも、市役所のサーバーから発信することは遠慮すべきと考え、従来のメルマガは休止し、別に契約したサーバーから、計6カ月(二回の選挙分)、選挙に関係ない内容のメルマガを書き続けました。でも考えてみたら、あれはNHKの自主規制に過ぎない、公職選挙法には何の関係もないはず・・・、ですから選挙に関係ない従来から書いているメルマガは、そのままでも良かったはずなのです。選挙管理委員会に問い合わせればよかった、余計な気を使わずに済んだのに・・・、後の祭りでした。

IT時代の選挙戦略、規制することは多分出来ない・・・全てフリーにするのがよいのでしょう・・

市の職員から良く言われたことは、「市長さんは、タフですね・・・何時書いて、おられるのですか・・・?」「一番多いのは日曜日の夜中だなあ!」


 
 



2014年10月20日月曜日

徒然の記 №38 無駄も必要・・・

 モータリーゼーションの発達は、社会構造を大きく変えました。人口増加時代、土地価格の安い郊外に住宅団地を作ったら、郊外店が増えて、車が増えて、道路が広くなって、とても便利な社会にはなってきました・・・。私も善光寺さんのそばで、先祖伝来の土地に住んで商売をしていましたが、車の騒音を何とかして、日当たりのよい場所へ移して、目が見えない親父が住みやすくしてやりたい、私も便利に暮らしたい・・・。そんな気持ちから、新開地の上松に住居を移転、古い自宅を壊して、お寺が駐車場にほしいということでしたので、私の欲しい土地と交換しました。今になればもったいなかったなあと若干後悔していますが、その時点ではやむを得ない選択だったと思っています。

 いまになって、街づくりを一生懸命やっても、街中は、シャッター通りは増える一方で、これも随分無駄をやっているような気がしています。(私は昭和40年代、日本の都市計画で工業団地を作ったのは正解だが、住宅団地を、街から分離して造成したことは、間違っている。都市は、本来「混在した町並」が必要なのだ、と随分主張したことがあります。確かに日照権問題とか騒音問題はあったと思いますし、どちらが良かったのかは、わかりませんが、無味乾燥な町並は避けられたのかもしれません。いずれにしろ大きな意味での国家戦略に抵抗することは、個人の場面では難しいと思います。)

 統合することによって、効率がよくなることは多いと思います。

日本も市町村合併が、平成の大合併ということでしょうか、かなりの市町村で合併がすすみました。私も市長としてその片棒を担いだ一員ではありますが、長い目で見た場合、それでよかったかどうかわかりません。当初私は合併ではなくて「連邦都市」という発想を打ち出しましたが、中途半端で実現はしませんでした。(実際の合併は、豊野町、戸隠村、鬼無里村、大岡村、信州新町、中条村と長野市の7市町村でした)国家の流れが合併に向かって流れていましたから、私の主張は犬の遠吠えにすぎなかったわけですが、その後、広域連合の中に、市町村だけでなく、県の地方事務所をいれるべきだという主張を繰り返しました。これは法的には可能なはずで、全体の分離・統合への一里塚になると思っていました。)

 全体を統合しながら、それぞれの地域が独自性を発揮する・・・、矛盾したテーマではありますが、これをどう実現するか、地方自治の最大のテーマだと思っています。大いなる政治力が必要でしょう・・・。前向きな主張、そして自由な言論を担保するシステム、それには一定の価値観の共有が必要です。格差是正も行きすぎてはなりませんが、重要な要素です。

 社会の進歩はどうなるか・・・、社会は幸福に向かって歩いているのか。

 信じられない犯罪が起きている、その流れかどうかわかりませんが、道州制の議論がはじまってきています。一方小さな町村は人口減少で、どんどん消えていく運命にある。

 談合問題、大手ゼネコンの出鱈目は許せませんが・・・、ただ談合はいけない、と言うだけでは、問題は解決しないように思います。話し合いと談合はどこが違うのか、下請け企業は、商売上、案外伸び代があって良かったということも言われていますし、社員教育もやれたし、倒産しないように救ってくれるゼネコンもあった・・・。あまりにも建設関係をいじめすぎた為に、東北大震災や東京オリンピックの決定で、人手不足、資材不足、が顕著になってきている。

 口減時代、グローバル社会の進展・・・、中小企業の倒産問題、社会は合理的になってはいるのでしょうが・・・、無駄を省くことは正義なのでしょうが、社会は幸せになっているのでしょうか。ゆとり、余裕がほしいなあ・・・。

 銀行の対応も昔とは随分違うなあと感じています。冷たいと感じるのは、私だけではないでしょう・・・。昔は、借金を申し込む場合。営業部で相談し、審査部で油を絞られ、また営業部門で詳細な話をする・・・。銀行の部門の中で一番力があったのは、審査部だった、今は格付け会社が一番のパワーなんでしょう。その分審査部門は、手を抜いて、格付け会社の判断になっているのではないか・・・、一番楽でしょうね・・・。

 無駄をなくす・・・中央通りがシャッター通りになる。
 道州制の論議が出てくる・・・。

 現在の社会が経験した最大の統合は、EUではないでしょうか。二度の世界大戦を経験したヨーロッパ社会が二度と戦争をしない為に、EECヨーロッパ経済統合に踏み出し、ECに、EUと発展統合がすすみ、いずれは一つの国家にしようとしておられるのか。

 ギリシア問題とかイタリア、スペイン、ポルトガルというラテン系の国々は紆余曲折がありますが、世界を統合して、戦争の無い社会を目指そうという潮流は、かなり有効な施策だったように思いますが、民族に違い、経済力の違い、気質の違い、常識の違い、宗教の違いなどで、一本道には進まないようですよね。

 でも問題は逆の方向へ動いているようにも見えてしまうこともありますよね・・・。

  全て程度モンなのでしょう・・・。

 無駄が必要な社会もありそうです。

2014年10月10日金曜日

徒然の記 №37 合理性


私たちの社会では、合理性というのは、凄く大切です。

ただこの合理性という言葉の意味が、必ずしも同じではないなあ・・・年をとったせいか、最近痛感しています。一面からみれば合理的で、当然と思われることも、もう片方からみれば、不合理だと思われること、沢山ありますよね。

 国営賭博である宝くじを考えてみても、国民から等しく搾取しているだけですから、国家の富は増えていないことは事実でしょう。運の良い何人かの人は儲かっているけれど、多くの国民は無駄をやっている・・・・でもその無駄を楽しんでいる、夢をみている・・・でも合理的とはどうみても考えられない・・・(大いに儲けている人が税金を払わされているという話、最近知ってびっくりですが、ぜひそんな身分になってみたいことも事実です。)

 無駄な努力といっても、宝くじで何億円も獲得しようという努力も、ルーレットで大金を稼ごうという努力、麻雀で稼ごう・・・博打の相手が、国家なのか、仲間なのか、胴元なのか、といった違いはありますが、まあ国家を相手にするのが、安全でしょうし、良心の痛みをかんじないことが、大切です。

 博打とは、結局、確率の問題でしょう・・・必勝法なるものは、不正をしない限り、ありっこない。でもやりたい!! あのスリルは何物にも代え難いと昔外国の賭博場で感じたことがあります。ヨーロッパだけでなく、アメリカ、アジア、世界中にある、日本だって、宝くじ、競輪。競馬、競艇、パチンコ、スマートボール、日本は世界一のギャンブル大国なんだそうです。オリンピック招致でイギリスのバーミンガムに行った時も、友人に誘われて賭博場に行った思い出があります。

 政治家を志し、選挙に打って出るのも、合理的でしょうか????これは不謹慎といわれそうだから、一言で止めます。

 私の会社の東京の社員で、昭和40年代に宝くじで、500万円以上の大口の賞金があたった人がいました。彼はそのお金を頭金にして、ワンルームマンションを購入、それを他人に貸して家賃稼ぎをし、本人は会社の寮にはいって、つましく生活をしていました。順調に返済が進んでいたのでしょう、彼はもう一室、ローンを組んで購入しました。

ところが昭和48年、第一次オイルショックが発生・・・借家人は二人とも出てしまい、空き室になってしまいました。結末は申し上げませんが、気の毒な話でした。ただあぶく銭が入らなかったら、手堅く、合理的な、生活設計をしていたのかもしれませんね・・・

 博打は私も大好きですが、あくまで楽しみです。勝てないことを基本において、100回に一回ぐらいは、勝つかもしれないことを、楽しむだけにしておきましょう。

勿論、賭博場で、儲かっている人を、何人もみています。が、私みたいに長く楽しんでは駄目ですね

 博打は論外ですが・・・アイデイアを求めて、生産的と思われる努力を、することは、必要なことです。言葉を変えれば損をする可能性があっても、可能性を信じて頑張る・工夫をすることは大切な時代なのです。

繰り返しになりますが、個人も社会も、アイデイアを生かして頑張ることが、何となく閉そく感の漂う社会では、重要になってきているように思います。

 でも合理性の追求だけで、人間社会が幸せになるでしょうか。人間社会は全て良いこともあれば、まずいこともある。裏腹です。