2004年3月25日木曜日

平成15年人口動態結果概要がまとまりました


 長野市独自集計結果としての平成16年1月1日現在の人口動態
の結果が報告されました。

 今日はその数字を分析しながら、長野市の将来を考えてみたいと
思います。

1)まず、人口と世帯数ですが、
   人口は364,621人(前年比71人増)となり、世帯数
  は135,851世帯(前年比1,122世帯増)という結果
  となりました。

   この数字から市民の皆さんは、びっくりされるのではないで
  しょうか。人口増が71人ということは、実質ゼロに等しいこ
  とであり、人口が増えない社会が間違いなく来ている。そして、
  人口に比して世帯数が伸びているということは、核家族化の傾
  向がますます強くなる、ということでしょうか。

2)人口動態をみると、
 ア 自然動態では1年間に925人の増です。出生が3,587人、
   死亡が2,662人ということで、その差925人が増えた
   のですが、自然増が1,000人を下回ったのは平成14年
   からのようです。子どもを育てやすい環境を作ることが、大
   切であると痛感しています。

 イ 社会動態では814人の減です。転入14,146人、転出
   14,960人ということで、平成10年から転出が上回る
   社会減が続いているようです。オリンピックの前、平成7年
   ごろまでは、毎年社会増だったのですが、それ以後急激に伸
   びが減少し、平成10年からマイナスに転じたようです。オ
   リンピックの終了が一つの原因でしょうが、残念ながらそれ
   に替わる魅力、事業、高等教育機関等が不足していることは
   否めないのではないでしょうか。

3)年齢3区分別の人口とその構成比(この数字は平成15年10
  月1日のものです)をみると、

   364,301人中の年少人口(0~14歳)は54,287
  人で14.9%、生産年齢人口(15~64歳)は237,813
  人で65.3%、老年人口(65歳以上)は72,201人で
  19.8%という結果となっております。

   この老年人口の比率は、最近では1年間で0.5%ぐらい上
  がっているそうですから、来年は20%を超すことは間違いな
  いでしょう。

   すでに皆様もご存知のことと思いますが、国と同様に長野市
  においても確実に年少人口の構成比が減少し、老年人口の構成
  比が増えており、そして徐々に生産年齢人口の構成比も減少に
  転じていると言えるのでしょう。なお、老年人口の内、75歳
  以上の後期老年人口は、33,219人で9.1%だそうです。

4)もう一つ、人口増加率の推移(対前年で1年間の増加率)でみます
  と昭和50年には1.39%もあった人口増加率が平成12年には
  0.25%となり、その後も更に下がり続けており平成15年には
  0.02%の増加という厳しい状況となっています。このまま
  ですと、おそらく平成16年は人口増加率がマイナスになる年
  として記憶されることになるのではないでしょうか。

 自然動態をプラスにするためには、子どもを育てやすい社会環境
を作ること、社会動態をプラスにするためには、長野の魅力・住み
やすさをどうアピールするか、そして産業をどう育てるかといった
ことなどが大切なのでしょうが、具体的にどうするかは難しい問題
です。

 私は最近、65歳まで働ける環境の整備をしたいと話しています。
もちろん社会の仕組みを相当変えないとできないと思いますが、年
金問題等から考えても何とか実現しなくてはならないテーマです。

 さて、先日の信濃毎日新聞の夕刊に国立社会保障・人口問題研究
所長の阿藤 誠さんが、日本の人口が2050年に1億人を割り込
むという推計について「2006年に人口のピークを迎えた後、
50年間は確実に人口は減り続ける。人口はタイタニック号と同じ
で、急には曲がれない、一旦減り始めるとなかなか軌道修正ができ
ない」と書いておられます。

 人口減は国内市場の縮小で経済にマイナスの影響を与えるし、地
域社会の過疎化、超高齢化は加速します。年金、医療・介護問題が
悪化し、働き手の賃金水準や勤労意欲、貯蓄率にもマイナスの影響
を与えるとおっしゃっています。

 では、どうするか。1.男性労働力だけでは駄目。女性がもっと
働くような社会にならざるを得ない。仕事と家庭を両立させやすい
環境をよほど整備しなくては・・・・・男女の性別役割分業的な家
族観が残っていることも問題。2.次は、高齢者の活用ということ、
3.そして外国人労働者、移民という問題も避けては通れない。

 結果的に多民族国家に向かうという選択になる。労働力のニーズ
があるときに受け入れを規制すれば、外国人労働者は不法就労化し、
マフィアがはびこり、搾取などの人権問題や犯罪を起こしやすくな
る面もあります。社会の安全を第一に置くかどうか、総合的な判断
が必要になるでしょう・・・阿藤さんの主張は人口減の時代に考え
させられる内容でした。

 国全体が人口減の時代にあって、長野市が活力を維持するにはど
うすべきなのか・・・難しい時代を迎え、みんなで考えなくてはな
らないテーマなのでしょう。

長野市の人口動態の詳細については
http://www.city.nagano.nagano.jp/ikka/kikaku/toukei/dotai.htm

記者会見の資料については
http://www.city.nagano.nagano.jp/ikka/kouhou/kaiken/040311.html
をご覧ください。

2004年3月18日木曜日

メルマガが100号を迎えました


 平成14年の3月頃、メールマガジンを発刊することを広報広聴
課(当時広報課)の若手職員に上手く乗せられ(?)、小泉首相の
メールマガジンを読んでみて、この程度のことなら出来ると、始め
てしまった市長の「メールマガジン(かじとり通信)」ですが、おかげ
さまで本日の配信で100号を迎えることができました(号外も入
れるともう少し多くなります)。

 配信登録をしてくださっている読者の皆様、そして長野市のホー
ムページを開いてバックナンバーを読んでいただいている方もおら
れるようですが、本当にありがとうございます。

 気楽に始めてしまって、途中、困ったなあ、やめたい、という時
期もあったのですが、とうとう約2年。もうとてもやめられない、
こうなれば少なくとも私が市長をやらせていただく間は、読者の皆
様にはお付き合いいただくより仕方ない・・・・・現在そんな心境
です。

 このメルマガを配信する目的は、整理すると次の3点になるかと
考えております。

1.市政のそれぞれの時期において、市長がどんなことを考えてい
  るか、市民の皆様に知っていただきたい、これが主題です。行
  政が分かりにくいという意見は確かにありますし、私自身、民
  間人の時代それを感じていました。そこで市長が直接、なるべ
  く率直に事実を語ることで理解していただくことが出来ればと
  考えました。ただ、書くタイミングや情報公開の時期・限度と
  行政のあり方との関係で悩むことは多々あります。

2.長野市は広く、自然や歴史、そして文化の宝庫です。でも市民
  の皆様がそのことをどの程度知っているのか、疑問も感じてお
  ります。私も市長になっていろいろな所へお伺いして、長野市
  の広さ、奥深さにびっくりしています。私は広報マンに徹して、
  この故郷の素晴らしさを市民の皆様に伝えたい。もちろん、市
  長として市・県外に出かけることもありますので、その辺のこ
  とも報告する義務はありますが、市内に埋もれている歴史や文
  化などについても、可能な限り訪問させていただき、皆様にお
  知らせしたいと考えています。

3.私個人の考え方や判断基準、あるいは判断に至る個人の価値観
  (それは私を取り巻く環境の積み重ねでしょうが)も、市民の
  皆様に知っていただくことが必要だと思いました。行政に関係
  の無い、多少、個人的な趣味や行動についても書いているのは、
  そんな思いからです。

 メルマガを読んだ方から「市の公器を使ってけしからん」とのお
叱りもありますが、「面白かったよ」と言われるのは、実はそうい
う個人的なことを書いた時の方が多いのも事実です。市長は、行政
の責任者でありますが、政治家でもあるのだそうです。そして「1
日24時間365日、公人だ」そうですから、公人の意味は良く分
からないところもありますが、個人を知っていただくことも必要か
な、と考えております。

 今回の100号で、私の書いている「かじとり通信」は、約21万字、
400字詰め原稿用紙で520枚を超える文字量(号外を含む)と
なるそうです。バックナンバーを読んでみて、改めてそのボリューム
に驚き、また、その時々のことが思い起こされますが、市長を辞め
たら、まとめて自費出版しようか、などとも考えています。

 帰宅して夜遅くに書くことが多く、書き始めると一気に書き上げ
てしまいますが、テーマを決定するまでがなかなか大変で悪戦苦闘
しております。

 今、長野市は平成の大合併という大きなうねりの中にあり、一方で、
「地方分権の理論が先行する一方で地方には税源や権限がないこと」
「市民ニーズが多様化・高度化する一方で財政は厳しいこと」
「効率的な行財政改革を目指す一方で理解が得にくいこと」
など、様々な「矛盾するテーマ」を解決していかなければならない
状況にあります。

 本市の将来をきちんと見据えて、「市民全員参画のまちづくり」
を目指し、市長としての理念、考え方について、これからもメルマ
ガなどを使って発信してまいります。

2004年3月11日木曜日

長野を冬季スポーツのメッカに!

  (中高年のスキーは素晴らしい)

 市長就任前、私は(株)エムウェーブの副会長としてスケートを
もっと盛んにしたい、長野をスケートのメッカにしようと各方面に
声をかけ、私自身も長野市スケート協会の会長に就任して、お手伝
いをさせていただいてきました。まだ成果というほどではありませ
んが、スケートの科学研究の第一人者である信州大学の結城助教授
の存在、スピード・スケートの新谷選手の出現、そしてスピード・
スケートやフィギュア・スケートの青少年のクラブ、あるいは沢山
のアイスホッケー・チーム等が生まれてきたことなど、オリンピッ
クの時点では全く無かったに等しい「長野市のスケート文化」が、
かなり育ってきているように思います。また、長野でのスケート環
境にあこがれて「長野へ行きたい」と言う学生さんも増えているよ
うです。現在の就職難時代の産物かもしれませんが、将来的には大
いに期待をもてる態勢が生まれてきているように思います。

 話は変わって、スキーです。今シーズンになって、私は約10年
ぶりにスキーを始めました。昔からの友達から「時間を作って滑ろ
うよ、面白いぞ!」と勧められたことがきっかけです。

 何も運動しないのは良くない、運動して身体を鍛えるべきだとも
言われ、それなら昔、楽しんだゴルフかスキーにしようと考え、ス
キーを選びました。スキーを選んだ理由の一つは、今、予定されて
いる市町村合併が実現すると、長野市には飯綱高原スキー場のほか
に大岡村の聖山パノラマスキー場、戸隠村の戸隠スキー場と3つの
スキー場が存在することになります。長野市はスキー、スケートな
ど冬季スポーツのメッカとなるかもしれないから、少し勉強してお
こう、そんな気持ちもありました。

 昨年暮れから今日までに、飯綱、戸隠、大岡村など、市町村合併
に伴うスキー場は一通り行きましたし、野沢温泉、飯綱リゾート、
そして白馬へも行ってきました。スペシャルオリンピックスの長野
大会が開催された2月28日には競技の観戦を兼ねて飯綱高原、飯
綱リゾート、戸隠と3つのゲレンデを渡り歩きました。野沢温泉以
外は、1日ゆっくりスキーを楽しむことは難しかったので、土・日
の午前中に公務をこなし、昼から出かけました。シーズンの初め、
戸隠村の村長さんからお誘いを受け、加えて友達(中高年者)が熱
心に誘ってくれただけでなく、一緒に滑ってくれたこともよかった
のだと思います。時に「そり」で孫の相手をしたり、また、友達と
山の頂上まで登って快適な滑走を楽しむことができました。

 天気が良い時、リフトの上から見る冬山の美しさ、私の表現力で
はとても分かっていただけないでしょうが、本当に綺麗です。戸隠
連山、高妻、火打、妙高、黒姫・・・雪を被った山々の美しさは、
見た人でなければ味わえない素晴らしさです。ただ、天気が悪く吹
雪かれると、我々シニア層は無理ですね。景色なんて全く見えない
し、寒いし、雪面の凹凸が分からないし、本当に泣きたくなります。
早く帰って一杯飲みたいという思いが先に立ってしまいます。

 リフトは2人~4人乗りでスピードは速いし、ゴンドラリフトも
増えて、スキー場の近代化は急速に進んでおり、休日でもリフトを
待つ行列にはあまりお目にかからなくなりました。輸送力が向上し
たのにお客さんが減ってしまったということは、なんとも皮肉な現
象であり、温暖化による雪不足とあいまって、スキー場経営の根幹
を揺るがす事態になっているわけです。

 ところで、カービングスキーの存在は知ってはいたのですが、実
際に使ってみてびっくりしました。同時に、これは中高年層にスキ
ーを普及させる素晴らしい手段だと思いました。本当に楽です。昔、
ボーゲン、シュテム・クリスチャニア、パラレル・クリスチャニア、
そしてウェーデルンと段階を追って習ったことが、なんと馬鹿バカ
しいことだったか。逆にこんなにスキーを簡単にしてしまって良い
のか!と言いたくなるほどで、上手・下手の差を一挙に解消してし
まったように感じました。ゲレンデを見回しても、私みたいな長い
スキー板を使っている人にはまずお目にかかりませんでした。慌て
て新しい板を購入しましたが、これは絶対にシニア層にお勧めです。
「なんだ、そんなことやっと知ったのか?お前は時代遅れだな」と
言われそうですが、でも私にはその素晴らしさが伝わっていなかっ
たのですから、スキー関係者の方が宣伝不足だったと思うのです。

 そこで提案です。スキー場の営業政策としては、過去、スキーを
やっていて現在は遠ざかっている50歳から80歳ぐらいの方をタ
ーゲットにしたらどうでしょうか。彼らがカービングスキーを使え
ば、必ずはまります。私で実証済みです。

 ゲレンデは休日のせいでしょうか、場所によっては予想より混ん
でいました。やはりボーダーが多く、小さな子どもたちまでスノー
ボードを楽しんでいる姿は、時代の変化を痛感させられました。た
だ、集団で雪の上にベタッと腰を下ろしている姿は、私達からみる
と異様です。そんなことを言うのは、私が年をとったせいかもしれ
ませんが・・・・・。

 スキー人口が減っていることは、長野県にとって(もちろん長野
市にとっても)大変苦しい状況です。ですから、ボーダーの増加は
スキー場経営にとって有り難いことなのです。ただ、スキーヤーと
ボーダーを何らかの方法で分離する努力をしないと、スキーヤーは
逃げ出したくなるのではないでしょうか。でも、スキーヤーとボー
ダーが一緒に来てくださる場合もあるでしょうから、難しい問題で
しょうね。

 もう一つは、ゲレンデの途中に喫茶室(ちゃんとした建物でなく
て、雪の上に椅子の代わりにビールケースのようなものを置いて、
雪でジュースを冷やす、あるいは魔法瓶に入れたコーヒーがある程
度)があれば、いちいちスキーを脱がないで一休みできて有り難い
ですね。中高年にとっては長いコースを滑ると疲れて座り込みたく
なる、あるいは若いボーダーも雪の上に座り込まなくても・・・・
そんな風にお客さんが気楽に楽しめれば・・・・スキーはもっと楽
しくなるのではないでしょうか・・・・・自分の趣味ばかりで言っ
て申し訳ありませんが、一つの提案としてお聞きください。

 飯綱高原スキー場は北信のスキー場が軒並みお客さんが減少して
いる中で、唯一健闘しています。まだシーズンが終わったわけでは
ありませんが、対前年比120%の収入増だそうで、嬉しいかぎり
です。今年は「なんちゃってスノーパーク」を新設したり、雪合戦
大会を開催するなど、現場が工夫して民間の協力をいただいている
効果が生まれているのかもしれません。飯綱は市街地から車で30
分という全国的にも珍しい地理的有利性をもっているスキー場だと
思います。南斜面のため雪質が悪いことは欠点ですが、工夫次第で
何とか生き残れる可能性があるように感じています。

 どうしたらスキーヤーが増えるか、みんなで知恵を絞りたいもの
です。一つの提案として、シニア層への働きかけ、それも昔スキー
を経験したことがある人への勧誘、それと簡易喫茶コーナー、加え
て差別化・・・今年の経験から得た私の提案です。

 スケート、スキーなど、長野は冬季スポーツのメッカになれそう
です。

2004年3月4日木曜日

SO日本冬季ナショナルゲーム・長野


 スペシャルオリンピックス(SO)冬季世界大会が来年(2005年)
長野で開催されることは、皆さんご存知かと思います。そのプレ大
会という位置付けで、「第3回スペシャルオリンピックス日本冬季
ナショナルゲーム・長野」(国内大会)が2月27日(金)~29日(日)
の3日間にわたり、長野市、山ノ内町、白馬村および牟礼村で開催
されました。

 この大会には、国内27都道府県から920名、そして海外から
も11の国と地域から131名のアスリート、コーチが参加。それ
を支えるボランティアは約4,800名であったそうです。

 今大会の結果については、新聞・テレビ等で大きく報道されてい
るとおり、評価は概ね「大成功」ということです。特に運営を支え
たボランティアの皆さんの努力、そして観客の温かいホスピタリティ
については、さすがに長野オリンピック・パラリンピックを開催した
地域であるとのことで、オリンピックが私たちに残してくれた無形
の資産は、いまだ健在なり、と誇りに感じました。また、今回の特
色として、アスリートを支える家族の皆さんの行動も印象的であった
と思っています。

 SOは、日本での歴史はまだ浅いのですが、海外、特にアメリカ
では大きな大会で、知的発達障害のある方たちの、スポーツトレー
ニングと、その成果の発表のための競技会です。日本では細川佳代
子さん(細川元首相夫人)がこの活動と出会い、以来ご自分の本拠
地熊本で活動を始められました。そして「NPO法人スペシャルオ
リンピックス日本」を設立、その理事長として10年間、一生懸命
育て上げ、続けてこられた活動が少しずつ実を結び始めたと言える
のでしょう。

 細川さんが長野オリンピック終了後、長野市を訪問され、「ぜひ
長野でSOの世界大会をやりたい、オリンピックを開催したこの地
で、その施設を使ってやりたい」と当時の塚田市長に申し入れをさ
れ、基本的に了解されました。その後、SO国際本部の場で、長野
開催が決まったのだそうです。

 そして、細川さんから国際的な活動をしておられる盛田英夫氏に
対し、世界大会開催へ向けての協力依頼がなされ、盛田さんが「N
PO法人2005年スペシャルオリンピックス冬季世界大会実行委
員会」(GOC)を設立、自らCEO(委員長)に就任、SO国際本部
との長野開催についての正式契約をして、スタートしたわけです。

 今回の長野大会は、SO日本が主催する国内大会の位置付けです
が、世界大会のプレ大会とも位置付けられておりましたので、海外
からの参加と同時に、SO創始者のユニス・ケネディ・シュライバー
さん(ケネディ元アメリカ大統領の妹さん)、そしてSO国際本部
のティモシー・シュライバー総裁(ユニスさんのご子息)も参加さ
れ、精力的にSOの意義、そして理解と協力を市民に訴えておられ
ました。

 先月26日(木)のトーチラン(聖火リレー)集火式が終わって、
いよいよ27日(金)の開会式が長野市のホワイトリングで開催さ
れました。高円宮妃殿下をお迎えして、満員の観客が待ち受ける中、
各県・各国のアスリートが入場、長野県選手団は150名という最
大選手団でした。
 KONISHIKI(元大関・小錦)さん、細川理事長等の素晴らしい
挨拶や、妃殿下のお言葉があって、アスリートによるSO旗の入場、
そしてトーチが入場しトーチ・セレモニーが行われました(聖火台
の火にはびっくりしました。いかにも火は燃えているように見える
のですが、舞台装置の応用だそうです)。選手宣誓、開会宣言が行
われ、人気歌手Kiroroが歌い始めると場内の興奮が一層高まった
ように思いました。その夜、高円宮妃殿下を迎えての夕食会が開催
されました。

 28日(土)の午前中、牟礼村へスノーボードの競技を観戦に行
きました。当日は素晴らしい天候に恵まれ、スキー場の人に聞くと、
今年一番のスキー日和とのことでした。公式出場するアスリートは
7名と聞いていましたので、寂しい大会かなと思ったのですが、当日
はマラソンの有森裕子さん、スキーの荻原次晴さん、岡部哲也さん
らがボランティアで参加し、スノーシューイングなどの講習が行わ
れ、子供達で賑わっていました。
 アスリートの方もボランティアに支えられて、みんな一生懸命頑
張り、観客も一生懸命応援していました。知的発達障害のある方の
努力する姿、それを支えるボランティアの姿には大きな感動を受け
ました。遠山牟礼村長と話しながら観戦し、良い経験をさせていた
だきました。

 その日の夜、大本願の明照殿で夕食会が開催されました。SOの
創始者ユニス・シュライバーさんが出席され、82歳ということで
したが、お元気な挨拶でびっくりしました。古い建物ですが、大本
願の明照殿でやったことは、良かったと思います。司会はアスリート
が行い、プロのアナウンサーが司会補助という位置付けで参加。こ
れも、なかなかの演出でした。

 最終日の29日(日)、ホワイトリングでフロアホッケーを観戦。
凄い迫力でした。そしてビッグハットへ移って、スピードスケート
を観戦。これもレベルはいろいろあるようですが、それぞれのアス
リートが自分の力を十分に発揮して、素晴らしい滑りでした。終了
後、表彰式でプレゼンターを務めさせていただきました。競技に出
場したアスリートは全員が決勝に進み、全員が表彰を受けます。
そしてみんな平等に拍手をもらっていました。

 ホワイトリングに戻って閉会式。ボランティアに支えられ、観客
の拍手に支えられて、素晴らしい3日間でした。来年の世界大会に
つなげるのはまだまだ大変ですが、大いに期待できると思いました。
来年の世界大会は、約80ヶ国から2,500人を超えるアスリー
トが参加するということですし、日数も8日間と長く、言葉の問題
もあり、ちょっと心配です。ちなみに長野オリンピックの時の選手
数は約2,000人と聞いています。それよりはるかに多いアスリ
ートと家族です。ボランティアも今回の大会の2倍以上は必要でし
ょう。それだけに今回のプレ大会で経験したことを来年につなげる
ことは、大切なことだと思います。

 細川理事長さんは「知的発達障害者の素晴らしさを皆さんに知っ
て欲しい、そのためにSOはある、可哀相ということではない、私
達は彼らから勇気をもらっているのです」という意味を強調してお
られました。素晴らしい言葉だと思います。私も知的発達障害のあ
る方たちが競技会場で一生懸命に自己表現をし、みんなの注目を浴
びることが、自立への素晴らしい一歩になる、ノーマライゼーショ
ン(注)の社会を作っていく上で大切なことではないか、と感じま
した。

 日本での知名度はまだありませんが、世界では企業が争ってスポ
ンサーになってくれる、有名なタレントがSOにみんなボランティア
で参加したがっている、という話・・・・そんな流れを呼び寄せて、
来年の世界大会をぜひ成功させ、SOが日本に定着するきっかけに
なってくれれば・・・・と考えています。

(注)ノーマライゼーション=障害や病気が重くても、高齢でも、
   死が迫っていても、人間には普通の生活(ノーマルライフ)を
   送る権利があり、社会にはそれを支える責任があるという
   思想。