2004年3月4日木曜日

SO日本冬季ナショナルゲーム・長野


 スペシャルオリンピックス(SO)冬季世界大会が来年(2005年)
長野で開催されることは、皆さんご存知かと思います。そのプレ大
会という位置付けで、「第3回スペシャルオリンピックス日本冬季
ナショナルゲーム・長野」(国内大会)が2月27日(金)~29日(日)
の3日間にわたり、長野市、山ノ内町、白馬村および牟礼村で開催
されました。

 この大会には、国内27都道府県から920名、そして海外から
も11の国と地域から131名のアスリート、コーチが参加。それ
を支えるボランティアは約4,800名であったそうです。

 今大会の結果については、新聞・テレビ等で大きく報道されてい
るとおり、評価は概ね「大成功」ということです。特に運営を支え
たボランティアの皆さんの努力、そして観客の温かいホスピタリティ
については、さすがに長野オリンピック・パラリンピックを開催した
地域であるとのことで、オリンピックが私たちに残してくれた無形
の資産は、いまだ健在なり、と誇りに感じました。また、今回の特
色として、アスリートを支える家族の皆さんの行動も印象的であった
と思っています。

 SOは、日本での歴史はまだ浅いのですが、海外、特にアメリカ
では大きな大会で、知的発達障害のある方たちの、スポーツトレー
ニングと、その成果の発表のための競技会です。日本では細川佳代
子さん(細川元首相夫人)がこの活動と出会い、以来ご自分の本拠
地熊本で活動を始められました。そして「NPO法人スペシャルオ
リンピックス日本」を設立、その理事長として10年間、一生懸命
育て上げ、続けてこられた活動が少しずつ実を結び始めたと言える
のでしょう。

 細川さんが長野オリンピック終了後、長野市を訪問され、「ぜひ
長野でSOの世界大会をやりたい、オリンピックを開催したこの地
で、その施設を使ってやりたい」と当時の塚田市長に申し入れをさ
れ、基本的に了解されました。その後、SO国際本部の場で、長野
開催が決まったのだそうです。

 そして、細川さんから国際的な活動をしておられる盛田英夫氏に
対し、世界大会開催へ向けての協力依頼がなされ、盛田さんが「N
PO法人2005年スペシャルオリンピックス冬季世界大会実行委
員会」(GOC)を設立、自らCEO(委員長)に就任、SO国際本部
との長野開催についての正式契約をして、スタートしたわけです。

 今回の長野大会は、SO日本が主催する国内大会の位置付けです
が、世界大会のプレ大会とも位置付けられておりましたので、海外
からの参加と同時に、SO創始者のユニス・ケネディ・シュライバー
さん(ケネディ元アメリカ大統領の妹さん)、そしてSO国際本部
のティモシー・シュライバー総裁(ユニスさんのご子息)も参加さ
れ、精力的にSOの意義、そして理解と協力を市民に訴えておられ
ました。

 先月26日(木)のトーチラン(聖火リレー)集火式が終わって、
いよいよ27日(金)の開会式が長野市のホワイトリングで開催さ
れました。高円宮妃殿下をお迎えして、満員の観客が待ち受ける中、
各県・各国のアスリートが入場、長野県選手団は150名という最
大選手団でした。
 KONISHIKI(元大関・小錦)さん、細川理事長等の素晴らしい
挨拶や、妃殿下のお言葉があって、アスリートによるSO旗の入場、
そしてトーチが入場しトーチ・セレモニーが行われました(聖火台
の火にはびっくりしました。いかにも火は燃えているように見える
のですが、舞台装置の応用だそうです)。選手宣誓、開会宣言が行
われ、人気歌手Kiroroが歌い始めると場内の興奮が一層高まった
ように思いました。その夜、高円宮妃殿下を迎えての夕食会が開催
されました。

 28日(土)の午前中、牟礼村へスノーボードの競技を観戦に行
きました。当日は素晴らしい天候に恵まれ、スキー場の人に聞くと、
今年一番のスキー日和とのことでした。公式出場するアスリートは
7名と聞いていましたので、寂しい大会かなと思ったのですが、当日
はマラソンの有森裕子さん、スキーの荻原次晴さん、岡部哲也さん
らがボランティアで参加し、スノーシューイングなどの講習が行わ
れ、子供達で賑わっていました。
 アスリートの方もボランティアに支えられて、みんな一生懸命頑
張り、観客も一生懸命応援していました。知的発達障害のある方の
努力する姿、それを支えるボランティアの姿には大きな感動を受け
ました。遠山牟礼村長と話しながら観戦し、良い経験をさせていた
だきました。

 その日の夜、大本願の明照殿で夕食会が開催されました。SOの
創始者ユニス・シュライバーさんが出席され、82歳ということで
したが、お元気な挨拶でびっくりしました。古い建物ですが、大本
願の明照殿でやったことは、良かったと思います。司会はアスリート
が行い、プロのアナウンサーが司会補助という位置付けで参加。こ
れも、なかなかの演出でした。

 最終日の29日(日)、ホワイトリングでフロアホッケーを観戦。
凄い迫力でした。そしてビッグハットへ移って、スピードスケート
を観戦。これもレベルはいろいろあるようですが、それぞれのアス
リートが自分の力を十分に発揮して、素晴らしい滑りでした。終了
後、表彰式でプレゼンターを務めさせていただきました。競技に出
場したアスリートは全員が決勝に進み、全員が表彰を受けます。
そしてみんな平等に拍手をもらっていました。

 ホワイトリングに戻って閉会式。ボランティアに支えられ、観客
の拍手に支えられて、素晴らしい3日間でした。来年の世界大会に
つなげるのはまだまだ大変ですが、大いに期待できると思いました。
来年の世界大会は、約80ヶ国から2,500人を超えるアスリー
トが参加するということですし、日数も8日間と長く、言葉の問題
もあり、ちょっと心配です。ちなみに長野オリンピックの時の選手
数は約2,000人と聞いています。それよりはるかに多いアスリ
ートと家族です。ボランティアも今回の大会の2倍以上は必要でし
ょう。それだけに今回のプレ大会で経験したことを来年につなげる
ことは、大切なことだと思います。

 細川理事長さんは「知的発達障害者の素晴らしさを皆さんに知っ
て欲しい、そのためにSOはある、可哀相ということではない、私
達は彼らから勇気をもらっているのです」という意味を強調してお
られました。素晴らしい言葉だと思います。私も知的発達障害のあ
る方たちが競技会場で一生懸命に自己表現をし、みんなの注目を浴
びることが、自立への素晴らしい一歩になる、ノーマライゼーショ
ン(注)の社会を作っていく上で大切なことではないか、と感じま
した。

 日本での知名度はまだありませんが、世界では企業が争ってスポ
ンサーになってくれる、有名なタレントがSOにみんなボランティア
で参加したがっている、という話・・・・そんな流れを呼び寄せて、
来年の世界大会をぜひ成功させ、SOが日本に定着するきっかけに
なってくれれば・・・・と考えています。

(注)ノーマライゼーション=障害や病気が重くても、高齢でも、
   死が迫っていても、人間には普通の生活(ノーマルライフ)を
   送る権利があり、社会にはそれを支える責任があるという
   思想。