2004年4月28日水曜日

浅川の治水について県から提案があり、一部了解しました


 4月7日、長野県の青山出納長と小林河川課長が、浅川治水対策
について説明するため、長野市を訪れました。

 県では、浅川の治水について、国が継続扱いしている従来の全体
計画(ダムを含む)に従って再開すること、並行して、新しい整備
計画(多分、ダム無しなのでしょう)を作って、国の認可を得るよ
うにするという説明でした。

 私は、知事の脱ダム宣言以来、代替案が示されず、いたずらに事
態を先送りして市民の命と財産が危険にさらされている現状に鑑み、
ダムの問題は後で考えるとして、従来の河川計画のみでも先行して
安全度を上げて欲しいと主張してきたこともあり、長野市河川課の
考えと同じと理解し、この対応に対しては「歓迎する」と返事をし
ました。

 併せて、河川改修工事の開始は歓迎するが、8月までに浅川の基
本高水流量450t/秒について、新たな河川整備計画の骨組みを
きちんと作り、国の認可を得ること、地域の皆さんに説明責任をき
ちんと果してくださいということを県に申し入れ、県サイドもそれ
は当然と受け止めていただいたように思います。

 県の河川課長から新しい河川整備計画についても若干の説明があ
りました。まだ数値は未確定のようですが、溜池の利用と河道内遊
水地の話が主体でした。

 素人考えですが、溜池については、灌漑(かんがい)を必要とす
る農地が減少している現在、農業「利水」を目的とした溜池を、所
有者・水利権者の理解が得られるならば「治水」に転用することは
不可能ではないでしょう。古い溜池のため、堤防の強化をいずれや
らなくてはならない時期になっているのですから、一石二鳥かもし
れません。問題はどのくらいの貯水量が計算できるかです。

 また、河道内遊水地というのは、実際はダムでしょう。高さが
15mであろうが無かろうが河川をせき止める施設はダムであって、
従来ダムを計画していた場所に、高さ30mぐらいの堤を考えてい
るという話は、浅川治水については、やはり一部をダムに頼る以外
に方法が無いということなのでしょうか?まあしかし、それは知事
さんの面子を考えて、いろいろ表現方法を変えてのことでしょうか
ら言葉の遊びはどうでもいいことです。長野市民にとっては、河川
の安全が保てれば良いわけで、私もダムにこだわっているわけでは
ありませんが・・・。

 ただ、従来の高さ約59mのダム計画の中には、100年間で約
40万立方メートルの土砂が堆積する計算があったはずです。これ
をどうするのか・・・・。県の説明ではダムでは無くていわゆる
「穴明きダム」とおっしゃる。すなわち本来ダムに溜まるはずの土
砂は一番下にある穴から下流に流れていくから、ダム本体の大きさ
は小さくて済むということなのでしょう。すると次なる問題は、浅
川は近い将来、また天井川になる危険性があるわけで、毎年溜まっ
た土砂を浚渫(しゅんせつ)するとすれば、まあ大丈夫なのかも知
れませんが、家屋が連担した浅川沿岸で、浚渫をやるというのは容
易ではなく、メンテナンス費用は今後かなり大きくなると思います。
計画している穴明きダムに土砂が流れ込まないように、その上流に
砂防ダムを幾つか作れば良いかもしれませんが・・・、検証しなけ
ればならない技術的な問題をたくさん含んでいると考えられます。
古里や長沼にお住まいの方々はその土砂に悩まされ被害を受けて来
た事実があり、それをどうするのかも大切です。

 もう一つは、檀田に作ろうとする遊水地です。私も現地を見てき
ましたが、地権者の方々のご理解をいただけるかは別として、実際
には建設不可能ではないでしょうか。市街地の真ん中に深い池、あ
るいはかなり高い壁(10mぐらい)を作るようですから、景観上
はもちろん、安全性の面からも無理でしょう。

 要は30mのダムをもう少し高くすれば、全て河道内で解決でき
るのではないでしょうか?ダムの容量を小さくすればするほど、そ
の分、遊水地が大きくならざるを得ないはずで、土地の買収費等も
あって資金的にも大変でしょう。

 県の発表を受けて4月20日に開かれた浅川流域協議会では、河
川改修工事については皆さんの理解を得られたようですが、その他
の項目は異論続出(特に河道内遊水地という穴明きダムについて)
だったようです。加えてもう終わったはずの「ダムは危険」という
一部の方の議論がぶり返してきたようです。

 まだきちんとした計画ができているわけではなく、今後、地元の
意見を個々に聞いたり(土地を買収するとすれば、地権者の同意が
必要ですし、また、溜池の管理者や利用者の同意が必要です)、市
・町の意見も聞かなくてはなりません。さらに、国の指導も仰がな
ければ進まない話ですから、8月までに可能な手続きができるかど
うか・・・・・・。

 現段階では、心配してもきりがありません。何はともあれ、河川
改修が今年の渇水期には行われること、8月までには新しい治水計
画が発表されることに希望を持ちたいと思います。

2004年4月22日木曜日

「エコール・ド・まつしろ」が始まりました


 4月17日(土)好天に恵まれて、松代城の復元春まつりが開催
され、いよいよ、本番がスタートしました。当日、太鼓門前での記
念式典に際し、私は裃(かみしも)を着て皆さんに挨拶させていた
だきました。今日のメルマガは、その内容をそっくり転載させてい
ただきます。

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 春爛漫の4月、この良き日に、長野市並びに史跡松代城整備完成
記念行事実行委員会との共催により、松代城完成記念式典を開催い
たしましたところ、文化庁記念物課 本中 眞主任調査官様、真田
家14代当主 真田 幸俊様 夫人 綾子様、15代 真田 幸知
様、国会議員の先生方をはじめ、大勢のご来賓のご臨席を賜り、こ
こに盛大に開催できますことは、私の喜びでございます。

 この松代城は、開城当時、海津城と呼ばれ、上杉・武田の川中島
合戦の最中、武田信玄により築城された城でございます。元和8年
(1622年)に真田信之公の入封以後、明治維新までの約250
年間、真田氏の居城となり、10代にわたって松代藩を治めてまい
りました。

 明治の廃城以後は、崩れた本丸石垣だけの状態でございましたが
、昭和56年4月11日に国の史跡に指定され、文化庁及び長野県
のご指導・ご支援を賜り、平成7年度から本格的な復元整備事業に
着手いたしました。9年の歳月を費やし、ご覧の太鼓門をはじめ、
北不明門(きたあかずもん)や内堀、土塁など、江戸時代後期の姿
に復元をいたしまして、この4月から一般の方にご覧いただいてい
るものでございます。

 この事業を進めるに当たりましては、国、県はもちろんのこと、
史跡松代城跡附新御殿跡(つけたりしんごてんあと)整備委員の先
生方や地元の皆様ほか、大勢の皆様の暖かいご支援・ご協力がなけ
れば、成し得ない事業でございました。ここに謹んで感謝を申し上
げる次第でございます。事業着手前の松代城の姿をご存知の方は、
この変貌振りに驚かれたのではないでしょうか。

 松代城の整備はここに一段落を迎えましたが、長野市といたしま
しては、今年度から文化庁のご支援を受け、新御殿跡(真田邸)保
存整備事業に着手する予定でありますので、引き続き変わらぬご指
導・ご協力を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

 松代町は、この松代城をはじめとして、多くの武家屋敷や町屋な
ど、江戸時代からの伝統的な景観が現存する全国的にも貴重な城下
町の一つでございます。国史跡の新御殿、文武学校をはじめ、重要
文化財の横田家住宅や真田信之公の御霊屋(おたまや)、幕末の開
明的思想家、佐久間象山関係の史跡など、松代藩時代の文化財はも
ちろんのこと、古代の大室古墳群や、太平洋戦争末期の松代大本営
予定地・象山地下壕など、実に古代から現代に至るまで、さまざま
な史跡・文化財が残された町であり、正にこの松代は文化財の宝庫
でございます。

 これらの史跡・文化財は、長野市の成り立ちを理解する上で欠く
ことのできないものであり、将来の文化向上発展の基礎をなす貴重
な財産でございます。長野市といたしましては、これらの文化財を
次の世代に継承していくために、適切な保存・管理に心がけ、多く
の市民や来訪者が親しみをもてるように整備・活用してまいりたい
と考えております。

 この松代城の完成を機に、地元住民が主体となって、エコール・
ド・まつしろ2004実行委員会がつくられ、松代町内にあります
文化遺産を生涯学習や趣味に活用する「遊学城下町・信州松代」の
事業が始まりました。2004年が松代新時代の元年として、その
第一歩を踏み出そうとしておりますが、これまでの準備における地
元の皆様の並々ならぬご努力に敬意を表しますとともに、いよいよ
本番との地元からの熱気を強く感じております。エコール・ド・ま
つしろ倶楽部の会員も日増しに増え、遊学客をお世話する幾つもの
専科ができ、おもてなしの心でお迎えする準備もできているとのこ
とでございます。今後の継続的な活動に大いに期待しているところ
でございます。

 また、この完成記念式典の主催者であります、史跡松代城整備完
成記念行事実行委員会では、一年を通していろいろな事業が計画さ
れております。本日から始まります松代城復元春まつりもこの一つ
であり、本日からこの松代城を中心に松代町内至るところで開催さ
れます。また、夏まつり、秋まつり、冬まつりと、四季に適したま
つりの開催も予定されております。

 エコール・ド・まつしろの最大のテーマは、観光地としての松代
ブランドを成立させることにあります。この事業が継続され、松代
が全国的知名度を獲得するためには、一連の行事開催などを機に、
まず長野市民が改めて松代を知り、松代を愛し、松代を訪れていた
だくことが、長野県内をはじめ、全国の人々に広まっていく第一歩
だと考えております。長野市といたしましても、今まで善光寺一極
通過型観光でありましたものを、松代の魅力を全国に発信し、善光
寺さんを参拝されたお客様が、この松代にも足を運ぶよう、善光寺
・松代間のルートを確立して、交流人口の増大・定着及び滞在型観
光への転換を図るため、積極的に取り組んでまいりたいと考えてお
ります。

 終わりに当たり、本事業完成のためにご尽力いただきました、関
係者の皆様のご労苦に感謝を申し上げますとともに、本日ご臨席を
賜りましたご来賓の皆様をはじめ、お越しをいただきましたすべて
の皆様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げまして、主催者としての
ごあいさつとさせていただきます。

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 以上が、当日、万感の思いを込めて読み上げさせていただいた私
の挨拶です。約1年半、エコール・ド・まつしろのための準備に、
松代の住民の皆さんは本当に一生懸命取り組んでいただきました。
松代の町の盛り上がりは、過去最高であると皆さんがおっしゃって
います。

 天気に恵まれ、桜は残念ながら葉桜になっていましたが、素晴ら
しい復元まつりでした。長野駅から松代までのシャトルバスも満員
でしたし、信濃毎日新聞社の主催で行われた「信州・松代ウオーキ
ング」には約2千人が参加したとの話です。順調に滑り出しました。

2004年4月15日木曜日

オリンピック記念 長野マラソン 

     桜満開の長野市を舞台に行われました

 4月11日(日)、待望の第6回長野オリンピック記念長野マラ
ソンが、長野の中心街を駆け抜けました。今年から、昨年までの
コースと変わり、長野市東和田の長野運動公園をスタートし、篠ノ
井東福寺の南長野運動公園の長野オリンピックスタジアム(長野オ
リンピックの開閉会式場)をフィニッシュとする、長野市内だけを
走る新コースで実施されました。

 過去5回は、山ノ内町をスタートし、中野市、小布施町を経て南
長野運動公園をフィニッシュとして行われました。北信の自治体が
協力しあって開催し、ボランティアの皆さんも各市町の方々がそれ
ぞれの地点で、給水や太鼓を鳴らして選手を励ます等、応援をして
いただいたのですが、今回はこのコースを変更せざるを得なくなり
ました。

 いずれも国際陸上競技連盟の規則が変更されたことによるのです
が、一つはコース途中の高低差が200m以内という制限がつきま
した。もう一つはスタート地点とゴール地点が直線距離で、約21
km以内にする(即ち42.195kmの1/2)という制限です。
これに反するコースは、国際ルール上の公認コースにならないとの
ことで、やむをえない処置でありました。

 ただ、沿道の各自治体の皆さんとは、過去にオリンピック時の共
同作業も含め、共に苦労した仲ですし、住民の皆さんには一生懸命
応援していただき、協力もいただいたわけで、大変申し訳ない思い
がありましたが、国際陸上競技連盟の規則改正ということで、涙を
のんでいただいたわけです。

 長野市とすれば、素晴らしいマラソン大会に育てあげる責任が今
まで以上に重くなったということで、主催の信濃毎日新聞社とともに、
日本陸上競技連盟の指導のもと、長野県警察や道路管理者、そして
ボランティアと綿密な打ち合わせを行い、慎重にコースを設定し、
長野市を挙げて取り組んできたものです。今後、道路工事が行われて
新しい道路ができたりすると、コース変更はあるかもしれませんが、
多分、今後長くこのコースがベースになると思います。

 オリンピックという冠を付けたマラソン、そして市民ランナーと
一流選手が一緒に走るフルマラソンは、日本では長野マラソンだけ
ということは、一昨年もメルマガに書かせていただいたように記憶
しています。NHKでも中継され、日本中から注目されるマラソン
に育ちつつあるというのが現状で、コース一新を機会に新しいドラ
マが生まれることは嬉しい限りです。

 朝8時35分、約5,000人のランナーが満開の桜が咲き誇る
長野の街へ飛び出しました。私は、今回のコースの目玉、中央通り
と国道406号との交差点で選手を待ち受け、もんぜんぷら座まで
歩いて応援しました。中央通りを市民の皆さんの応援を受け
ながら多くの選手が駆け抜ける姿はとても素晴らしく、また、壮観
でした。交通規制の工夫と努力、本当にご苦労様でした。事前のP
Rが良かったのか、交通混雑にもかかわらず、市民の苦情は予想よ
り少なかったそうです。ご協力ありがとうございました。

 ゴール地点での応援も、南長野運動公園全体がマラソン・タウン
ということで、商工会議所や商工会の皆さんに出店等をしていただ
き、家族連れなど多くの皆さんで賑わっていました。スタンドにも
多くの市民が応援に来て下さいました。

 すでに報道されているとおり、男子優勝はエチオピアのモーゲス
・タイエ選手、女子優勝は同じくエチオピアのファツマ・ロバ選手
(アトランタ五輪の金メダリスト)でした。

 完走率は83%ということで、昨年より2%ほど下がったようで
すが、それでもかなり高い数字だそうです。制限時間5時間という
設定も関係ありそうですが、今回は天気が良くて気温が25度近く
まで上がったことも影響があったようです。

 「サブ・スリー」という言葉、私は今まで知りませんでしたが、
フルマラソンを3時間未満で完走することで、目標にしている市民
ランナーは数多く、マラソンに挑戦する皆さんにとっては有名な言
葉だそうです。市民ランナーの夢なのでしょうね。今回のマラソン
では暑さのためか、涙をのんだランナーが多かったようです。

 その日の夕方に行われた閉会式では、走り終えた選手の皆さんが
リラックスして会食と歓談を楽しみ、来年第7回の長野オリンピッ
ク記念長野マラソンにまた参加することを約束して、全国へ、そし
て世界へ散っていきました。

 同じ日、篠ノ井こども広場「このゆびとまれ」の開館式が行われ
ました。昨年オープンした、もんぜんぷら座こども広場「じゃん・
けん・ぽん」に続いて、市の南部にも必要という地域の方々の強い
要望に答えて開設したもので、国の施設でありますハローワーク篠
ノ井が移転した後の建物を譲り受け、整備したものです。地域の皆
様、利用されるお母さん方の意見をできるだけ取り入れ、耐震工事
と併せ、プレイルーム、活動室、おひるね室、授乳室等を整備し、
親や子供達が明るく楽しく過ごせるように、施設機能の充実に努め
たつもりです。

 また、この施設を利用して、子育てに関する相談をお受けしたり、
情報の発信や各種講習会などを充実していきたいと考えています。

 なお、「このゆびとまれ」の命名者、柴田さち恵さんに認定書と
記念品をお渡しするとともに、「じゃん・けん・ぽん」「このゆび
とまれ」の両施設に遊具のご寄付をいただいた、長野りんどうライ
オンズクラブさんに感謝状をさしあげました。市民と行政のパート
ナーシップで、少しずつ充実した施設にしていきたいと思います。

2004年4月8日木曜日

年度末、長野市の道路が大きく変わりました


 平成15年度末、長野市の道路事情が大きく変わりました。市民
の皆さんが長年、首を長くして開通を待ち望んでいた大型の道路工
事3か所が一挙に完成したのです。

 まず3月13日(土)、都市計画道路「東豊線」の開通式が行わ
れました。この道路は、長野須坂インター線から長野運動公園を経
て北の方へ延び、浅川、長野電鉄線、JR線、新幹線、そしてこの道
路が5階建てのように重なる立体交差を経て、徳間小学校の横を通
り豊野方面へ向かう道路です。

 この東豊線は、昭和44年に都市計画決定され、昭和53年の国
体や平成10年の冬季オリンピックの支援道路として整備されてき
たもので、部分的には既に使われていたのですが、今回730mの
区間が開通したことにより全線がつながりました。若槻地区から国
道18号、そして須坂・長野東インターチェンジを結ぶ幹線道路と
して、さらには、古里地区や豊野町への連絡幹線道路として重要な
役割を発揮し、市街地東部から北部にかけての経済発展にも寄与で
きると期待しています。開通式を行った5階建てのような立体交差
は、なかなかの圧巻で、長野の新しい名所になるかもしれません。

 次に3月27日(土)、都市計画道路「北部幹線」の開通式が行
われました。湯谷小学校西の県道から荒瀬原線、東豊線を横切って
東へ延び、JR線につきあたるまでの間が今回開通し、将来は国道18
号へつながって長野市北部を東西で結ぶ計画で、間もなく合併を予
定している豊野町方面への重要アクセスになる予定です。

 この道路も昭和44年に都市計画決定されたもので、今回、延長
760m、幅員22mの4車線道路が完成しました。既に商業集積
が進んでいる荒瀬原線と交差している道路ですので、大型店等の進
出は開通前から進んでいる状況で、長野市北部の一大商業地を形成
しそうな勢いです。

 2つの道路の開通式は、いずれも関係地区の区長会や施工業者協
力会が中心になって賑やかに行っていただきました。子どもさんの
交通安全宣言、そしてマーチングバンドの出演で花を添えていただ
き、テープカット、くす玉開披などが行われました。北部幹線開通
式の時には、新しく完成した北部大橋の親柱の披露や親子3代渡り
初めもありました。式典とパレードの終了後は、開通前の道路に地
元の皆さんが模擬店を出したり、いろいろなパーフォーマンスが行
われたり・・・・・多くの皆さんが開通を喜んでくださったように
思います。

 2つの道路は、都市計画の上で長野市の東部と北部の慢性的な交
通渋滞を解消する重要な道路です。ただ、いずれもその先の開通は
まだ目途が立っていませんが、豊野方面へつなげる必要性を感じて
いますので、引き続き努力してまいりたいと思います。

 続いて3月30日(火)、国道406号茂菅大橋が完成し、開通
式が行われました。国道406号というのは、大町市を起点として
鬼無里村、戸隠村、長野市、須坂市を経由し、群馬県の高崎市を終
点とする道路で、県内延長だけで80kmもあります。北信地方を
横断するこの路線は、産業や経済・観光に大きな役目を果している
と同時に、地域の生活基盤道路として、通勤や通学にも大いに利用
されており、来年の合併にも大変関係のある道路です。

 406という“3桁”の国道は県が管理することが多い国道です
が(18号とか19号のような“2桁”までの国道は、国の直轄管
理がほとんどです)、この茂菅地区は幅員が狭く屈曲部が連続し大
型車のすれ違いも困難を極める状況で、406号最大のネックにな
っていたものです。昭和62年には土砂崩落が発生し、8日間全面
通行止めとなり、歩行者は仮橋を渡り、車両は他の県道への迂回を
余儀なくされ、生活や経済に大きな影響が出た区間です。

 このような状況を受けて、沿線の市・村では、安全で機能的な交
通環境の確保を求め、早急な整備を要望してきたわけですが、長野
県は、平成10年度から、この日開通した大橋を含め、西側へのト
ンネルともう一つの橋からなる「一般国道406号茂菅バイパス事
業」(全長1.3km)に着手していただき、その1期区間が完成
したものです。県では続いて橋の設計に取り組んでいただいている
とともに、トンネル設計のための地質調査を予定しているようです
から、それほど遠くない時期には・・・・と期待しているところで
す。

 この茂菅大橋の完成は、来年1月には合併が予定されている「伝
統と史跡の里・戸隠村」「水芭蕉と伝説の里・鬼無里村」と長野市
を結ぶ生命線として重要な役割を果たすとともに、活力と魅力ある
地域づくりと市域の発展に大きな影響を与えるものと確信していま
す。

 3か所の工事の完成を祝う開通式は、いずれも素晴らしい天候に
恵まれ、明るい気持ちで新年度に入れました。

 茂菅大橋の上から覗いてみますと、真下に長商のグラウンドがあっ
て、野球部の選手が一生懸命練習していました。応援するには最高
の場所ですね。

2004年4月1日木曜日

今日から平成16年度がスタートです


 昨日3月31日は、平成15年度をもって退職される53人の市
職員に退職辞令をお渡しして、長い年月、長野市、そして長野市民
のために努力いただいたことに感謝を申し上げました。退職される
皆さんは、大体東京オリンピック前後に採用された方々で、大合併、
高度経済成長、ドルショック、第一次オイルショックとその克服、
そしてバブルが膨らんで、長野オリンピック招致成功と準備作業、
そしてバブル崩壊、オリンピック開催・・・・・約40年間、本当
に山あり谷ありの公務員生活を送ってきた方々です。
有難うございました。

 そして今日4月1日、行政は新しい年度のスタートです。私にと
っては、市長就任以来、3回目の辞令交付日です。以前は異動する
市役所職員全員に対し、市民会館で辞令交付をした時期もあるそう
ですが、あまりにも人数が多く時間がかかるということで、現在は
市役所講堂で異動した管理職のみに私から辞令の交付を行い、それ
以外の職員にはそれぞれの部署で所属長から渡していただくことに
しています。

 職員は仕事をすることが重要であり、勤務時間内に辞令交付をみ
んなで見守っていてもあまり意味がないのではないかと考え、簡略
化したものです。

 私は長いこと中小企業の社長を務めてきましたので、正直言って
辞令交付ということは、それほど大事なこととは思ってはいません
でした。ましてや退職辞令については交付した経験はありません。
しかし、役所では辞令交付は大切な儀式なのだそうです。確かに大
勢の職員がいて、大部分が3年ぐらいで職場を変わっていくわけで
すから、辞令交付は気持ちを切り替える意味でも大切なのかもしれ
ません。

 さて、先月24日、長野市議会定例会が終了しました。この議会
では平成16年度予算ならびに条例等63議案全て可決していただ
きました。いろいろなご意見、ご提言をいただきましたが、全て
前向きの話と解釈しています。県議会の混乱ぶりを見るにつけ、
長野市議会と理事者は車の両輪として切磋琢磨していることを、
誇りに思っています。

 この議会の中で一番の話題は、助役を2人制にし、前企画政策部
長の酒井登氏を登用したということでしょう。「小さな村で、助役
を置かない条例を作っている傾向の中で、何故だ!」というご意見
がありました。しかし私は、役所組織のタテ割りを少しでも是正し
たい、市町村合併と都市内分権がヤマ場を迎えたこの時期、取り組
みを強めたい、市川助役には今までのライン部門の取りまとめをお
願いし、酒井助役には市長特命事項担当ということで、主として市
町村合併と都市内分権、そして財政を中心に取りまとめていただく
予定と申し上げ、理解いただきました。

 全国35の中核市の内29市(平成15年9月1日現在)が助役
2人制をとっているということも、判断の材料であったかもしれま
せん。

 もうひとつの話題は、財政難といいながら昨年度よりわずかでは
ありますが、大型の予算を組んで積極性を表したことでしょうか。
確かに地方交付税や補助金が減っている中で、積極予算は組み難い
面はありますが、市民の皆さんがやろうという気力を出していただ
いている中で、それをできるだけ応援していくというのは大切なこ
とですし、景気も少し上向きになってきているなら、それを後押し
したいと考えたことは、間違っていないと思うのです。具体的には、
都市の再開発事業や民間の方が取り組む老人ホームの建設、あるい
は新共和小学校の建設等に取り組みながらも借金は例年並に抑え、
その分を先輩達が積み立ててきてくれた基金を取り崩し、積極予算
を組んだということです。元気なまち長野へ向けてぜひご理解いた
だきたいと思います。

 新年度に入って、桜がもうすぐ咲きそうですね。今年は昨年同様、
例年より少し早いと言われているようです。そして、4月11日は
待望の長野マラソン。今年はコースが変更されて、長野市内で熱戦
が展開されます。善光寺の表参道である中央通りを5千人を超える
ランナーが走り抜けるということで胸がわくわくします。沿道での
鈴なりの応援を期待したいものです。

 さらに、4月末から5月の連休にかけては、善光寺花回廊という
ことで市の中心部が花で美しく飾られますし(インフィオラータも
地元の熱意で何とか開催出来そうです)、エコール・ド・まつしろ
もいよいよ本番を迎えます。4月17日からの松代城復元春まつり
をスタートに、毎月いろいろな行事が目白押しに計画されています。

 新聞報道によると、日本の景気は少し持ち直してきているようで
す。まだ地方経済や中小企業ではその実感が湧きませんが、しかし、
時の経過とともに、変わってくると期待しています。本年は良い年
にしたいですね。

 雪が降ってまだまだ冬かと思っていましたら、あっという間に信
濃路はもう春爛漫ですね。春を大いに楽しみましょう。