障害者の「支援費制度」をご存知ですか?今まで障害者支援は
「措置」ということで、基準に基づいたサービスを受けていたので
すが、平成15年度から支援費制度が始まり、制度の根幹が変わっ
たわけです。すなわち障害者は自分にとって何が必要なのか、どん
なサービスがどれぐらい必要なのかを自ら判断し、その意思を伝え
ていく制度になったのです。
この制度が始まって1年が経過しました。障害者が自分で事業者
を選び、契約することによってサービスの提供を受けているわけで
す。始まったばかりの制度ですから、いろいろ問題もあるとは思い
ますが、新しい時代のシステムとして議論しながら、より良い制度
にしていくのが我々の責務と思います。
今年の3月25日、ノルテながののホールで「長野市障害ふくし
ネット・当事者部会」主催の「市長となんでも話そう」というフォ
ーラムが開催されました。出席者は約70人ぐらいだったでしょう
か。障害者とそのご家族、そしてボランティアの方々が参加され、
日ごろの生活ぶりや考えを知って欲しい、そして今後の市政に反映
させて欲しい、そんな趣旨の懇談会であったように感じました。
懇談会の進行は、当事者部会の羽入田部会長さんの司会で始まり、
「こんなふうに生きたい(わたしの暮らし・可能性)」ということ
で、会場の方も含め10人ぐらいの方の意見発表がありました。全
てをご紹介することはできませんけれど、皆さん、将来の夢や期待、
日ごろ生活する中で感じていること、そして行政への要望を語って
くださいました。
アパートに住んでいてテレビを見たり音楽を聴いたりして楽しん
でいる、読書が趣味で書店の店員になりたい、養鶏場で鶏の世話を
したい、福祉工場で30年勤務できたこと、アメリカ西海岸での経
験、30年余り精神の病と付き合ってきたこと・・・、等々いろい
ろな経験談をお聴きしました。
行政や企業への要望もいろいろありましたが、大別すると
(1)働きたいけれど仕事が無い
(2)バリアフリー、ユニバーサルデザインにもっと力を入れて
ほしい
(3)障害者を特別視しない啓発教育に力を入れてほしい
ということでしょうか。
確かに経済状況が厳しい現在、一般の就職もなかなか厳しい状況
にあるということは認識していますが、障害者の就労を専門に担当
する職員を任命するなど、努力する必要性を感じました。また新し
い施設はバリアフリーが当たり前ですが、古い建物などの場合は改
造が難しいしお金もかかることから、なかなかバリアフリー化が進
まないという悩みがあって、行政としてはさらに努力しなくてはな
らないテーマです。
そして障害者への理解の促進など、市民の意識を変える努力がま
だまだ足りないことも痛感しました。障害者週間など機会を捉えて
啓発に努めることが大切でしょう。
「ヒューマンネットながの」の島崎さんが「移・職・住・遊・学」
という話をされていました。「移」とは移動手段だそうです。「職」
「住」はすぐ分かりますよね。「遊」は街の中での交流や遊び、
「学」が学校のユニバーサルデザインのこと。障害者が人間として
尊重される社会をつくっていくための要素であると教えていただい
た感じがします。
最後に部会長の羽入田さんが、この懇談会の趣旨を次のとおり述
べられました。
『自分の意思でサービスを決めて契約すると言っても、いろいろ
な事情からそれは難しい場合もあるでしょう。また、決めたとして
も、その中で様々な問題が発生してくる場合もあるでしょうし、そ
の中には人間関係についてなどの複雑な問題も起きてくるかも知れ
ません。生活の中で起きてくるそんな困難な問題に対して関係機関
の力を集め、幅広い観点から問題を抱えた当事者や家族の支援をし
ていくことを目的として、昨年9月に「長野市障害ふくしネット」
が設立されました。』とのことです。
この当事者部会を含む「長野市障害ふくしネット」は、長野市を
中心とした身体障害・知的発達障害・精神障害のそれぞれの施設や
事業所など関係機関が手をつなぎ、互いの情報を交換し合い協力し
合って、当事者の生活を支援していこうという福祉の大きなネット
ワークです。行政としては大いに連携していかなくてはならない組
織と認識しています。
もう一つ、啓発活動という意味では大変大きな意味があると思う
のは、2005年2月26日(土)~3月5日(土)に行われる
「2005年スペシャルオリンピックス冬季世界大会」です。これ
は知的発達障害のあるアスリートが世界中から集まって開かれるも
うひとつのオリンピックとでも言うものでしょうか。本年2月に行
われた国内大会では約1,000人のアスリートと5,000人の
ボランティアが長野に集い、感動的な場面を演出してくれました。
来年は世界大会です。オリンピック、パラリンピック以来の大き
なイベントと言えるかもしれません。そこで行われる冬季競技は、
きっと観客に感動の姿を見せてくれるに違いありません。
2004年5月27日木曜日
「長野市障害ふくしネット」について
2004年5月20日木曜日
九度山町で開催された真田サミット
今年の真田サミットは、和歌山県の九度山町で開催されました。
大変珍しい所へ行かせていただきましたので、今日はその報告をさ
せていただきます。
九度山町が真田サミットのメンバーである理由は、関ヶ原合戦の
後、敗れた豊臣方の真田昌幸・幸村・大助の3代が、14年間蟄居
(ちっきょ)していた縁によるものです。昌幸は蟄居中に死去、幸
村・大助父子は大阪冬の陣が始まると、九度山を脱出して豊臣方に
はせ参じて大活躍し、夏の陣で討ち死にしたことで知られています。
5月3日(月)に大阪経由で、南海電鉄で高野山へ行き、蓮華定
院という宿坊に宿泊しました。電車が橋本市を過ぎると、険しい山
道が続きます。単線なので交互待ち合わせ通行を繰り返しながら、
時間をかけて終点の極楽橋駅に到着し、そこからかなり長いケーブ
ルカーで高野山へ登りました。標高約900mということですが、
山の上はかなり広い盆地のようで、弘法大師が修行の場所として開
いた霊場です。
蓮華定院は真田と縁が深い宿坊で、住職のお話だと約500年前
から、信濃の豪族と宿泊の契約をしていた記録があるそうで、豪族
の方からそんな契約を申し出るはずがありませんから、多分「高野
聖」(注)が諸国を回って、現在なら営業マンあるいは宣伝マンと
して契約書を交換してきたものであろうというお話でした。宿泊し
た翌朝6時、善光寺で言えばお朝事でしょうか、自坊の本堂でお経
と法話で約1時間半、修行をしました。
(注)高野山の修行僧で、高野山の法灯を守るために諸国を回り、
集金して高野へ送る仕事をしていた
朝食後、弘法大師をお祭りしてある奥の院をお参りし、バスで九
度山町へと山を下りました。この道がまた大変。狭く、そして急傾
斜で、危険な道と感じました。来月にも、高野山と熊野がユネスコ
の世界遺産に登録されることが確実だそうですが、そうなった場合、
観光客が押し寄せたらどうなるか・・・・ちょっと気になることで
した。
九度山町の役場でサミット首長会議が開催され、来年の開催場所
は群馬県の月夜野町、そして再来年は群馬県の3町村で検討すると
いうことが決まり、共同宣言を決定しました。私のかじとり通信も
お配りしましたが、和歌山大学の教授に誉めていただきました。
午後は、まず記念講演で作家の藤本義一さんの話。そしてコーデ
ィネーターに和歌山大学の堀内助教授をお迎えして、参加11人の
首長・助役等のパネル・ディスカッションが行われました。でも
11人のパネラーというのはどうみても無理がありますね。私はもっ
ぱら「エコール・ド・まつしろ」の宣伝に徹しました。ただ長野市
と他との違い、それは他市町村の場合、真田というのは真田幸村の
ことであり、戦国時代のことなのです。それに比べ松代は、江戸期
250年間の平和な時代の統治なのです。しゃべっていて若干の違
和感があったことは事実です。
最後に堀内助教授のまとめがあり、1.真田のロマンを共有する
市町村が過去を振り返り、それを現在にどう生かすか、戦略を共有
する必要がある。2.所有価値より利用価値・使用価値を高める戦
略。3.コンセプトとして安全・安心。心豊かに人間らしく。子供
達へ、未来を託していく視点。4.地域主権、即ち住民のもってい
るポテンシャルを最大限に活かす・・・・という4点を強調されて
いました。
その夜は、九度山町から車で1時間ぐらいの岩出町のホテルで宿
泊、交流会が開かれました。皆さんは九度山という地名の由来を、
ご存知でしたか?私も不思議に感じていたのですが、次のとおりだ
そうです。弘法大師が高野山を開かれた折、周囲7里(約28km)
を女人禁制としたため、四国善通寺からはるばる訪ねてきたお母さ
んが山に上ることができないため、弘法大師は麓に庵を建立しまし
た。そして、大師は母に会うために20数kmの山道を、月に9度
通ったという伝説があり、九度山の名称もそのことからきていると
のことです。大師が親孝行であったことの伝承なのでしょう。
翌日は九度山町に戻り、真田庵で真田3代の法要を営みました。
昼食後、町民体育館でボランティアの皆さんにより、武者行列の
準備が始まりました。私たち首長は、真田親子や真田十勇士の鎧兜
の衣装を着せられ、さらに、化粧をして立派な格好に変身(この鎧
兜は全て九度山町の備品だそうで、大変立派なものでした。竹下首
相のころ実施された、ふるさと創生基金事業のお金を使って購入し
たものだそうです)。重くて、暑くて困りましたが、何とか1時間
半の馬上パレードを無事済ませました(ちなみに私は十勇士の一人、
穴山小助役でした)。
いずれにしろ、真田昌幸・幸村に対する尊敬の念はかなり高いも
のがあります。真田庵で毎年法要を営むということは、真田の行っ
た善政が、今日もこの町に息づいている証拠ではないでしょうか。
もうひとつ、毎年5月5日は高野山大学の学生さんが山を降り、九
度山町で托鉢の修行をしているということで、ちょうどその場面に
出会いました。100名ぐらいでしょうか、坊主頭の、真新しい袈
裟をまとった人が10班に分かれて、あちこちの門口でお経を唱え
ている姿、すがすがしさを感じると同時に、信仰に厚い町なのだな
あと感じました。
話は変わりますが、5月3日には私は行けませんでしたが、横浜
開港150年祭ということで、松代の方々が「エコール・ド・まつ
しろ」の宣伝として、槍振り隊を中心に100名を越す大人数でパ
レードに参加してくださいました。市川助役、春原松代商工会議所
会頭を中心に、皆さん本当にお疲れさまでした。佐久間象山先生が
あっての横浜開港ということで、横浜市からも参加を要請されたこ
とに応えたものです。大変な人出で、松代隊は大いに面目を果した
との報告を得ています。
2004年5月13日木曜日
県の住所認定に関する審査委員会に出席しました
長野市が、県に対し「田中康夫さんの住所について、泰阜村と長
野市で話し合いましたが、不調に終わりましたので、住民基本台帳
法に基づき決定を求めます」と申し出たことは、ご存知のことと思
います。
それに対し、県知事は「知事と田中個人が同一人なので、審査委
員会を設置して検討してもらう」ということで、突然3人の委員を
選任され、発表されました。このことについて、皆さんはどうお考
えになりますか?
そして5月2日(日)に第1回審査委員会が開かれ、県の説明が
あったあと、委員から「次回の5月8日には、県知事、長野市長、
泰阜村長の出席を求める」との発言があったようです。私は出張先
でその話を聞き、「出席する必要は無い。でも一応庁内で検討して
おいて欲しい」と、その時は伝えました。
私が出席する必要は無いと考えた理由は、三つあります。
一つ目は、審査委員会を設置する理由は無い。知事は自分で引き
起こした問題ですから、自分で判断すればよいことで、税金を使っ
て(開催費用は、委員さんに払うお金だけで1回約10万円かかる
そうで、土曜日ですから県職員の手当や電気料金等の経費まで入れ
たらいくらかかっているのでしょうか?)第三者に判断の責任を押
し付けることでは無いと考えているからです。
二つ目として、今回選任された委員さんについては知りませんが、
県の設置する委員会の人選は、いつも片寄っており(条例上では
県知事の専管事項で仕方ないのだそうですが)、しかも曖昧な理由
しか示さないで多数決で決めた結論が多いと私は感じています。多
数決で決めるということならば、委員会設置時点で結論は決まって
いるのではないかと考えました。
三つ目は、私が出席することで、そういう問題のある審査委員会
に正当性を与えてしまうのではないか?それならば出席しないほう
が良いと考えたからです。
ただ連休明け、出張から帰って庁内の打ち合わせをしましたら、
庁内での意見は真っ二つに分かれました。出席すべき意見としては、
「欠席することでマスコミや市民の受け止めが心配、出席すること
は不本意でも、言うべきことはきちんと言った方が良い」というも
のでした。考えた末、出席するがなるべく事務的に済ませたいので、
私の発言は冒頭のみとし、質疑応答は同行する長野市職員が答える
という役割分担を決めて出席しました。何故なら私がしゃべると、
どうしても感情的になってしまったり、政治的な思惑を抱かれる危
険性があると思ったからです。
審査委員会の内容は、テレビや新聞の報道でご存知の方も多いと
思いますが、知事擁護的な質問が多かったようですし、私の受け止
めも、まあ知事が選んだ委員さんですから仕方ないかなあという感
想です。でもどんな結論を出されても最終的な決定権は知事にある
のですから、あまり意味は無いと感じています。
ある委員さんから「住所を二つ以上持っても良いという学説があ
る」という発言がありましたが、それは机上の理論であり、実務を
執っている私ども自治体にとっては、はなはだ迷惑な話です。長野
市は可能な限りの調査を行い、資料を集め、そして法的な根拠も示
した中で「昨年9月26日から本年3月26日までの知事の生活の
本拠は長野市にある」ということを申し出ているわけで、そのこと
に対し、知事がどう決定するかだけです。
私は委員さんの質問と同席した市職員の回答を聞きながら、本当
にむなしくなりました。少なくとも全く非現実的な話です。こんな
問題、私とすれば放っておきたい、どうでも良いと思いたいのです。
田中知事は、「自分が好きな自治体へ税金を払う」と言っていま
すが、そのようなことが許されるなら、どこの自治体でも必死にな
って住民登録を増やそうとするでしょう。でも、それは極めて非現
実的な話であり、そのようなことがもし是認された場合、地方自治
体はそこに住む市民のためのサービスができるのでしょうか?おそ
らく地方自治というものが壊れてしまうでしょう。
住民基本台帳法に基づく住所というものは、税金だけではありま
せん。選挙権、国民健康保険、教育、福祉、環境など、全ての地方
自治に関する事務と関係しているのです。小さい自治体ほど危険に
さらされるでしょう。
国の合併方針に反して「小さくても合併しないで頑張っている自
治体を応援したい」という個人的な理念は別として、それなら何故
泰阜村なのですか?小さいながらも頑張っている自治体、先人たち
の残した資産を大切に守りつづけている自治体など、どこの自治体
も精一杯頑張っているのが現実ではないでしょうか。
審査委員会での委員さんの質問で気になったことが一つあります。
長野市の提出した知事の生活根拠に関する調査がかなり精密であっ
たが故でしょうか、「一般的にこんな詳細な調査をするのか、それ
とも知事だから特別やったのか?」との質問です。当たり前すぎて
つい私も口を出しましたが、知事がこのようなパフォーマンスを大
っぴらにやっているから、長野市も知事の行動が違法であることを
立証せねばならず、苦労して調査したのです。
今回の住所認定問題について、大げさかも知れませんが、市民社
会を守るための論争であると考えています。法を守るということは
最低限の必要なルールです。でも確かに、法は必ずしも全てを決め
てあるわけではありませんから、曖昧な部分、穴みたいな部分はあ
るのです。でもそれは社会の常識が補っているのだと私は思います。
仮に今回の知事の行動が許されたとすれば、そのために社会が払う
費用は気が遠くなるほどでしょう。行政に携わる公人たるもの、法
が想定していないことを敢えてやり、社会を混乱させることは絶対
に許されないことです。
2004年5月6日木曜日
善光寺花回廊が行われました
4月25日の日曜日、長野駅前広場で「ながの花フェスタ2004
善光寺花回廊」の開会式が行われました。このイベントは、長野
商店会連合会・長野市中央通り活性化連絡協議会等で組織する実行
委員会が、中央通り、権堂アーケード通り、錦町通り、千歳公園周
辺、長野駅前広場、セントラル・スクゥエア、権堂広場等々で、花
を色とりどりに飾って街を訪れた人たちの目を楽しませてくださっ
たもので、連休最終日の5月5日まで11日間、続きました。
このイベントには長野市民の協力だけでなく、飯山市、上田市、
伊那市をはじめ7市3村からも出展いただき、特に鬼無里村からは
見事な「水ばしょう園」を出展いただきました。さらに、市街地の
小学校6校と中学校2校、更級農業高校や須坂園芸高校の皆さんに
もご協力いただきました。
また花壇は、地元商店街の皆さんが、昨年夏ごろより丹精込めて
栽培されたとお聞きしております。周辺市町村の皆さんのご協力を
いただき、文字通り市民の皆さんの手作りイベントでした。
中央通りに並んだプランターは約1700鉢。乳母車や代八車を
使って立体的に花を植えた大型花壇や、ミズバショウ、ニリンソウ
など、信州の山野草を集めた花壇もありました。新聞報道によると、
立ち止まって一つ一つ観察したり、花壇の前で記念撮影をする人も
おられたようで、街も賑わっていましたし、概ね好評だったようで
す。
そして4月24日(土)・25日(日)は花回廊の一連の事業と位置
付けられている「インフィオラータ・イン・NAGANO」も大門町で開
催されました。このイベントは、資金難から昨年実行委員会から中
止の発表があり、開催が危ぶまれていたのですが、地元商店街やボ
ランティア団体の皆さんの熱意で、規模は小さくなりましたが、開
催にこぎつけることができたもので、感謝に耐えません。
ボランティアの皆さんは、千曲市や新潟市にまで花摘みに行って
いただき、その花びらが石畳の車道に敷き詰められました。樹皮や
木曽のヒノキの葉、小石などの自然の素材で参道が埋め尽くされ、
まちを彩る花の絨毯ができ上がりました。製作は過去2回と同じ、
イタリアの専門家とプロデューサーの今岡さんの指導で行われまし
た。長野市の職員も花摘みや警備のお手伝いをさせていただきまし
た。
雨が降って気温が下がり、ちょっと心配した面もありましたが、
見事な出来栄えであったと感じていますし、15万人の見物客の皆
さんも満足されたのではないでしょうか。
今年は、銀座A-1地区の再開発事業が本格着工する予定となっ
ておりますし、大門町地区では、古い蔵や商家を活用した商業施設
「ぱてぃお大門」を整備することになっております。来年の今ごろ
には、新たな街づくりの核として、大勢の観光客や市民の皆さんに
ご利用いただける施設になると期待しています。また、皆さんのご
協力をいただいて、今年から長野マラソンのコースが変更となり、
選手の皆さんに中央通りを走っていただきました。このように、市
といたしましても、中心市街地の活性化に向けていろいろな施策を
展開してきておりまして、少しずつではありますが、街に賑わいが
戻ってきたのではないかと思っております。
いずれにしても、インフィオラータを含む善光寺花回廊が長野の
春のイベントとして定着し、発展してほしいと期待しています。皆
さん、ぜひ、ご協力を・・・・・。