2004年6月25日金曜日

知事の住所決定に対する対応について


 6月市議会定例会冒頭の議案説明で、私はこの度の知事の住所決
定に対する対応について「知事の住民基本台帳法に基づく住所の決
定を取り消す」ことと、「平成15年9月26日から平成16年3月26日
までの田中康夫氏の住所は、長野市にあると認める」ことを求めて
提訴する考えを示し、そして長野市議会の議決を経て、6月23日、
長野地方裁判所に提訴しました。市議会の審議では多くの議員の皆
様のご理解をいただき、万全の態勢ができたと思っています。

 5月25日の知事の決定(住所は泰阜村であること)を受けて、
その後の対応については、議会開会の前日まで、悩みに悩みました。
正直言って、こんなことで訴訟を起こすことは避けたい、というの
が本心でした。県都の市長が県知事を訴えるというのは、異常事態
であり、好ましいことではないことは当然です。放置すべきか、最後
まで戦うか、その選択に最後まで迷ったということです。

 しかし、結局このまま放置したなら、すなわち公認されてしまっ
たら、全国の自治体が困る、地方自治の原点が崩れてしまうと判断
し、提訴に踏み切ったわけで、まさに「義を見てせざるは勇無きなり」
の心境でした。「勇気」とは正しい事を行うことであります。
社会の混乱を防ぐ「正義」と、混乱を防ぐために敢然と戦う「勇気」。
この「正義」と「勇気」の二つの言葉を私の励みにして、今後、裁判
に臨んでまいりたいと思っております。

 「単身赴任の方のように住民票が現実と一致していない人はたく
さんいるではないか」「知事は5月に市内のマンションを引き払った
のだから、もういいではないか」というご意見がありました。しかし、
知事のこの住所決定を受け入れると、生活実態が伴わない場所でも、
意図的に本人の意思で、住所地となり得ることになり、市町村は、
公平・公正な住民サービスを行うことができなくなってしまいます。
この懸念は、先の長野県市長会においても各市の市長全員一致で、
知事の決定に抗議したことからも明らかです。

 また、税金の無駄遣いではないかというご意見もありました。確
かに、訴訟を起こすには多額の費用がかかります。この訴訟に貴重
な財源を使わなければならないことにも「ためらい」がありました。

 しかし、私は、公人である知事が、「好きなまちに住民税を納め
たい」と法律を無視し、意図的に住民票だけを移したことに一番の
原因があり、知事の決定をこのまま放置することはできないと考え、
熟慮の結果、提訴するという意思を固め、皆様のご理解を求めたわ
けです。

 今回、皆様にご理解いただくために長野市の考え方をホームペー
ジに掲載いたしました。問題点や、問題を放置した場合に起こりう
る社会的混乱、司法の判断を仰ぐ理由、そしてこれまでの経過も掲
載いたしましたので、ご覧いただければ幸いです。

 ☆ホームページ☆
 http://www.city.nagano.nagano.jp/topics/index.html

 なお、この件については①できるだけ事務的に、粛々と進めてい
くことが必要であること、②提訴となった以上、問題は司法の場に
移るため、重大な変化がない限り、私からコメントは差し控えたい
と思っています。

 また、長野市の提訴とは別に、知事が長野市と泰阜村の選挙人名
簿に二重登録されている問題で、「泰阜村選挙管理委員会が知事を
選挙人名簿に登録しているのは誤りだ」として、長野市内の有権者
5人が同村選挙管理委員会に登録取り消しを求めた訴訟の判決が
24日、長野地裁でありました。

 この中で裁判長は、選挙人名簿の二重登録の原因となった知事の
住所について、知事の昨年9月26日から今年3月1日までの長野市、
泰阜村の滞在日数等の生活実態を基に「生活の中心が泰阜村に移った
とは認められない」と指摘した上で、「(知事は)名簿への登録資格
を充足していない」「名簿に誤載があったと言わざるを得ない」との
判断を行いました。

 このことは、知事の住民基本台帳法に基づく住所の決定を、否定
する形になったことを意味しており、長野市としては、今後の裁判
の行方が大変明るくなってきた思いであります。

 訴訟を起こすという勇気ある行動を起こしていただいた5人の市
民の方々に、心から感謝します。

 なお、今回のメールマガジンの配信が一日遅れたことは、誠に申
し訳なく思っています。理由は24日(木)に前記の判決が出るこ
とが予定されていましたので、その結果をきちんと入れたかったた
めに配信を遅らせたものです。

2004年6月17日木曜日

松代藩文武学校旗争奪全国中学校選抜剣道大会


 エコール・ド・まつしろ事業の一環として、松代藩文武学校の槍
術所で、中学生の剣道大会が開催されました。雨が降る天気の悪い
日でしたが、近代的な体育館での大会ではなく、古式ゆかしい江戸
時代の藩校での大会が、素晴らしい雰囲気の中で行われました。

 今回の大会は、関東・北信越を中心に遠くは三重県など、県外か
ら640人をお迎えし、総勢約1,000人の中学生剣士の参加に
よる記念すべき第1回大会でした。

 松代は剣道が盛んな土地柄だそうですが、特に昨今、松代中学校
剣道部は、監督の加瀬先生が教士七段の方で熱心に指導し、鍛えて
いただいているため、全国でも有数の強豪校ということです。

 文武学校の槍術所は、残念ながらあまり広い場所ではないので、
予選等は松代小学校・中学校の体育館で行い、文武学校では、男女
団体の決勝戦のみが行われました。雨にもかかわらず、会場には入
りきれないほどの観客が押しかけ、元気の良い対戦を観戦していま
した。

 江戸時代の藩校を使っての大会ということで、私も観戦しました
が、その雰囲気は上々でした。

 板張りの道場は、足が少し滑るということですが、これは、藩校
時代にわざと床を滑りやすくしたようで、基本に忠実であれば滑り
やすくても影響がないという鍛錬上の配慮だそうです。ただ、道場
の広さは、大勢の観客を入れるには無理がありますし、会場の明る
さも天気が悪いこともあって充分とはいえず、急きょ仮設のライト
を付けるというようなこともありました。しかし、若干の不都合が
あったとしても、この場所で剣道をやる雰囲気は、それらの欠点を
補って余りあると感じました。

 試合は、5人ずつの団体戦でした。最初は女子団体の決勝戦、松
代中学校と新潟県の燕中学校の対戦が行われました。4人目までが
引き分けで、最後の大将戦で松代中学校が勝って、1-0で優勝し
ました。女性剣士が凄い気合で戦う様は素晴らしいし、その素早さ
は傍で見ていても気持ちの良いものでした。

 次は男子団体の決勝戦。松代中学校は残念ながら準決勝で敗れ、
この文武学校の晴れ舞台には出場できませんでした。でも3位は立
派です。松代中学校を破った千葉県の逆井中学校が、決勝戦では新
潟県の刈谷田中学校を圧倒的大差で破って優勝しましたので、松代
中学校の実力も証明されたものと思いました。

 私は表彰式で、優勝校に優勝旗を渡す名誉な役割をさせていただ
きましたが、本当に礼儀正しく、気持ちの良い生徒さん達でした。
ただ私には勝負のつき方が、早すぎるせいか、どちらが勝ったのか、
よく分からないことが多かったという印象があります。私と松代商
工会議所会頭の春原さんが座った間に、大会の役員さんがいて、説
明してくださったのですが、私の目で見れば、相手を打っていると
思っても、不十分といった判定があって、どうもよく分からないと
いうのが実感でした。

 いずれにしろ、第1回の大会は、関係者の皆様のご努力、そして
中学生諸君の健闘で、素晴らしい成果を上げていただいたと思いま
す。

 「エコール・ド・まつしろ」の理念は、生涯学習や趣味の遊学客
を誘致し松代を舞台に全国の同好の士との好縁を広げること、また
文化財は使って護るという新しい発想をもつ事業であり、文化的資
産を生かしたイベントを今後も継続してまいります。その一つとし
て、多くの有能な人材を近代日本に輩出した歴史の舞台で開催され
るこの剣道大会が、現代においても多くの若手剣士の鍛錬の場に活
用されますよう来年以降もぜひ続け、権威ある大会にしたいもので
す。

※来週のメールマガジンは25日(金)午後に配信します。

2004年6月10日木曜日

姉妹都市クリアウォーター市から親善訪長団がこられました


 長野市は、姉妹都市クリアウォーター市及び友好都市石家庄市と
教育、文化、経済等さまざまな分野における交流活動を行っていま
す。今年は、米国フロリダ州のクリアウォーター市との姉妹都市提
携が、45周年を迎えるということから、ブライアン・アングスト
市長をはじめ、コミッショナー(議員)、職員、そして市民等50
名を超す皆さんが、長野市を訪問されました。

 この姉妹都市提携は昭和34年(1959年)、当時の倉島市長
の主導で提携されたようです。アングスト市長にお聞きしますと、
倉島市長が国際親善に大変熱心で意欲をもっておられたこと、海と
山の違いはあるけれど、観光を大切にしている都市ということ、
そして当時両市とも人口が年々増えつつある発展的な街であると
いうことで提携が決まったようです。

 当時日本では、まだ高度経済成長が始まる前で「戦後は終わった
か?」といった議論が盛んに行われていました。私たちの世代に
とっては、今になれば思い出とも言える「1960年・安保の年」
の前年です。また、長野市は、いわゆる大合併(昭和41年)の前
で、人口も現在の半分以下の15万7,000人ぐらいでした。

 そんな時代に国際親善を考え、姉妹都市提携をした倉島市長の決
断と、その後、お互いにその提携を尊重して45年間交流を続けて
きた両市の努力、それは大変なものだったと思います。私も2002年
に、冬季オリンピック開催地であるソルトレークシティーを訪問し、
両市の間でオリンピック開催都市として友好関係を築いていく確認
をいたしましたが、クリアウォーター市とは違い、その後は必ずし
も交流を継続しているとは言えません。いつの日か、この関係を生
かす時機もあるかもしれませんが・・・。

 今までに本市からクリアウォーター市を訪問した使節団は、親善
訪問団をはじめとする交換英語教師や交換学生など延べ71団
559人に及び、ホームステイを体験させていただく中で、生活習
慣や文化の違いを肌で感じるとともに、国際人としての資質を高め
ることができました。
 
 一方、クリアウォーター市からは54団323人の皆様をお迎え
していますが、中でも外国語英語指導助手としてお迎えする英語教
師の方々には、英語の指導にとどまらず、子供達の国際理解教育や
市民の国際感覚の醸成に大きな貢献を果たしていただいております。
 
 私が平成14年(2002年)2月にクリアウォーター市を訪問
した際は、短期間ではありましたが、アングスト市長はじめ、
クリアウォーター市民の心温まる歓迎を受け、これまでの40年余
にわたる友好親善の輪が、着実に育まれてきた成果であることを確
信いたしました。

 今回訪長したのは、市長はじめ、City―Group18人、Citizens-Group
23人、School-Group12人の合計53名の皆さんでした。長野へ
来る前に東京・京都・大阪等を視察して来た方もいらっしゃいまし
た。長野での宿泊はホテルを利用した方、ホームステイを楽しんだ
方、両方を併用された方、いろいろでした。ホームステイにご協力
いただいた皆さん、本当に有難うございました。我が家でも、アン
グスト市長に2日間泊まっていただきました。短い時間でしたが、
大変楽しく、有意義な時間を過ごせたと思います。

 個人的には、水野美術館の横山大観展、川中島古戦場の博物館で
の川中島合戦展や常設展、そして南長野運動公園の聖火台やオリン
ピック・スタジアム(野球場)をご案内しました。

 「エコール・ド・まつしろ」が行われている松代での市民交流会
では、合唱、おりがみ、着物の着付け、弓道、剣道等の実演、講習
や施設見学が行われ、大いに楽しんでいただきました。

 5月31日からは公式行事となり、市役所玄関棟での歓迎式典で
は、博愛保育園の皆さんの可愛い歌声でお迎えしました。市長部局、
教育委員会で対応した交流についての懇談会では、従来の交流を継
続すること、今年から中学生の受け入れを行うことなどが話し合わ
れました。また、答礼の意味もあって来年4~5月頃長野市側が訪問
することを伝え、クリアウォーター市側からは、経済交流や文化交流
の可能性についての話がありました。観光には特に重点を置いてお
られることを感じました。

 びっくりしたのは、来年、長野市側が訪問する頃には、アングスト
市長は既に市長を退任しているそうで、新しい市長が私たちを迎
えるという話でした。クリアウォーター市では市長の任期は3年で
2期までと決まっていて、来年の早い時期に2期目が終わるそうです。

 長野商工会議所の仁科会頭、長野県経営者協会の塚田長野支部長、
そして長野青年会議所の倉石理事長にもご出席いただいた経済・観
光懇談会では、長野市の産業振興部長がプロジェクターを使って長
野市の状況を説明したあと、中心市街地(ダウンタウン)の活性化策
について活発な意見交換がありました。クリアウォーター市でもダウン
タウンの衰退は問題になっているようです。

 その夜開催された「姉妹都市提携45周年記念パーティー」は、
国際親善クラブ、ホストファミリー、市議会議員等々が参加しての
大変賑やかなパーティーでした。また、茶道や琴、太々神楽の皆さん
にもご出演いただき、華やかな雰囲気を演出していただきました。
アメリカ人のパーティー好きはいつも感じることですが、彼らは本当
に楽しむのが上手です。

 その他、グループごとに市内いろいろな場所で交流事業が行われ
ました。柳町中学校や七二会中学校の訪問、市内施設見学、善光寺
参拝、戸隠森林学習館等の見学、さらには松本・白馬方面を視察さ
れた方もいらっしゃったようです。

 6月1日は、長野市議会の全員協議会が開催されました。三井副
議長の先導でアングスト市長はじめ6名の代表が入場し、町田議長、
私(長野市長)、アングスト市長がそれぞれ挨拶をした後、議会と
クリアウォーター市の記念品を交換し、友好を深めました。

 以上が姉妹都市クリアウォーター市との一連の親善行事の経過で
す。国際親善は息の長い取り組み、相互の努力、そして双方がメリ
ットを認め合うことが大切だと思います。

2004年6月3日木曜日

まつしろ遊食プロジェクト


 「エコール・ド・まつしろ」は、まずまず順調に滑り出しました。
「松代城復元春まつり」が始まった4月17日から連休最終日の5
月5日までの間は、約20万人のお客様が松代を訪れていただいた
とのことで、年間80万人の訪問客誘致の目標に向けてまずまずの
成果です。

 さて、この「エコール」という言葉(フランス語で学校の意)が、
分かりにくいというご批判が若干あるようですが、なかなか良いで
はないかとのご意見もたくさんあり、私も気に入っています。そし
て「学校」という意味にはいろいろな思いが込められており、私は
段々に進歩する、すなわち1年きりの事業ではなく、2年、3年・・・
と長く続いていくことは当然ですが、その間いろいろな工夫がなさ
れ、松代自体が変化していく、大人になっていく・・・・そんな願
いを込めています。

 そのためにも、「城下町・松代の食」は、これから進化してほしい
分野のひとつです。

 その松代で、長野青年会議所(長野JC)の皆さんが中心となっ
て、エコール・ド・まつしろ2004実行委員会と共催で「遊食プ
ロジェクト」に取り組んでいます。4月29日(みどりの日)、松
代のサンホール・マツシロで公開シンポジウムが開催され、
約250名の皆さんが参加されました。

 第一部は有名な料理研究家の山本麗子氏の基調講演で、名物料理
と観光都市の関係、具体的な各都市の取り組み、そして新しい食の
創造と住民意識の変化などについての大変有意義なお話でした。

 第二部の遊食目安箱アンケートの発表では、長野JCメンバーと
松代料飲組合有志の皆さんから、善光寺周辺と松代で行ったアンケ
ートの内容・結果が報告されました。結論は、

1.観光客は観光地での名産物・名物料理を楽しみにしている 
2.その地でしか味わえない食・食材が重要! 
3.松代の名産である長芋を生かし、ブランドイメージを確立する 
4.観光地での昼食予算は高めの設定でも満足してもらえる。ただ
  し、良し悪しによって満足度への影響が大きい! 
5.全国に発信できる「長芋」に続く「松代でしか味わえない食・
  食材」が必要なのではないか。

 第三部はプロジェクトからの構想提案ということで、新たな食材
として「地鶏」の生産をしたらどうか、との提言がなされました。
松代から地鶏生産者を発掘し、地鶏生産のノウハウを提供し、その
生産物を商店をとおして消費者に提供する。そして生ゴミ・肥料は
農家へ堆肥として提供し、また地鶏生産者も使うという循環型コミ
ュニティ・サイクルを構築し、ゼロエミッション(汚染物の排出を
ゼロにする試み)、そして地産地消のコミュニティ・ビジネスとし
て、魅力ある食材「遊学城下町・松代」の地鶏として全国に発信し
ようという提言でした。生産があまり難しくないという話は魅力的
でした。

 第四部のパネル・ディスカッションは、放送作家の加瀬清志氏が
コーディネーターを務められ、基調講演をされた山本麗子氏、松代
料飲組合の金子敏之組合長、そして私がパネリストとして、長野
JCの提言を基にそれぞれの立場から議論しました。

 私は、料理に関しては全くの素人ですので、どんなメニューが必
要かというような点は他の方々にお任せし、次のような意見を申し
上げました。

1.松代の食は、大切な要素。時間がかかっても素晴らしい名物料
  理を開発してほしい。
2.ただ、名物料理は、お土産と同様、地元に支持されないもので
  は成り立たない。
3.長野JCの提案、すなわち地鶏を食材にしようということに
  ついては、単なる理念だけでなく、具体的な提案で素晴らしい。
  実際に生産してみようという人も居るようだし、売値やコスト
  の見通しや競合関係の調査もしてあるようで、大変面白いし、
  実現性が高いと思う。
4.ぜひ儲かる商売を考えてください。格好良く、お洒落な雰囲気、
  そして顔が見える商売が必要ではないか。
5.松代は城下町、本来素晴らしい食文化があるはず、それを掘り
  起こしましょう。
6.ひとつの提案ですが、地鶏生産と福祉工場(授産所)との組み
  合わせが可能かどうか検討してほしい。そうすれば行政もお手
  伝いしやすくなる。

 私はこんなお話をさせていただきましたが、長野JCの計画では
この夏には生産を開始し、松代城の秋祭りには地鶏弁当を提供する
ということで、大変な張り切りようです。大いに期待しましょう。
そして松代が、食通の町として有名になることを期待したいもので
す。