2004年10月21日木曜日

全国史跡整備市町村協議会・長野大会が開かれました


 10月6日(水)、北は北海道から南は沖縄県まで、全国で史跡
等を持っている市町村から、史跡・文化財担当職員(主としては学
芸員)が長野市に集結し、全国史跡整備市町村協議会長野大会が開
かれました。この大会は昨年度、函館市で開かれ、その時の報告は
メルマガでさせていただきましたが、今年は昨年の決定に基づき、
長野市で開催されたものです。

 開催日の前日、文化庁の河合隼雄長官、辰野裕一文化財部長、村
田善則記念物課長、県の瀬良教育長、そして全史協の市町村役員が
集まり、翌日からの大会の打ち合わせをさせていただきました。長
官は大変気さくな方で、フルートの名手ということでした。毎年1
回、戸隠でフルートの演奏をされるということで、長野のこともよ
くご存知でした。この会では、大川奈良市長さんが勇退されて空席
になっていた全国の会長の後任として、小澤小田原市長さんを内定
し、大会のスケジュールが承認され、終了しました。

 政府の三位一体改革で財政状況が厳しい中、文化財関係の補助金
を廃止して税源移譲する案は一応撤回されたとのことで、皆さん
ホッとしていました。私は個人的には、政府の補助金を廃止して、
その分を税源移譲するというのは、個々には問題がありますが、総
論としては地方の財政の自由度を上げるという意味で、地方分権の
実現のためには大変重要なことと思っています。ですが、この文化
財関係補助金だけは、現在の制度を維持してほしい。なぜならば、
文化財の保護は地方にとって重要ではありますが、緊急度という点
からは、生活に直結していないがゆえに優先度は低い。さらに、地
方財政は苦しいので、税源移譲されても他の緊急度の高い分野に回
ってしまう可能性はかなり高い。市民もそのことにあまり意見を言
わない・・・。そうなるとどうしても文化財保護が後回しになり、
結果として大切な文化財が失われたり崩壊し、国家の大切な遺産が
失われていく確率が高い。常々私はそう思っていました。

 補助金の中で何が大切かという議論は、おかしな話です。全て大
切であるがゆえに、過去、国は補助金として出していたのでしょう。
軽重ではない、補助を止めた場合、社会にどういう影響があるか、
そのことを基準に考えるべきでしょう。その意味では、文化財の保
存・修復の補助金が、補助金削減リストからはずされたということ
は、正解だと思います。だからといって予算が安泰だとは言えませ
んが・・・・。

 翌日、午前中は役員会、午後から総会が開かれました。挨拶のあ
と、開催市の市長として議長役を務めさせていただき、平成15年
度事業報告・決算、平成16年度補正予算、平成17年度事業計画・
予算、そして来年度の第40回記念大会の開催地については山口県
萩市に決定、また、役員選出も予定どおり議決されました。大会決
議については「史跡等公有化助成の充実」「史跡等整備活用事業の
推進」「埋蔵文化財発掘調査等の充実」を要望するということが全
会一致で決まりました。

 そのあとの講演会では、静岡大学教授で文学博士の小和田哲男先
生に「松代城の歴史と城跡の復元整備」と題して、約1時間の講演
をいただきました。先生は昭和37年、初めて松代城址を訪れて以
来、この城と付き合ってきたとのことで、現在、松代城の整備委員
をお務めいただいており、今後も、真田邸の整備にお力を貸してい
ただくことになっています。

 先生の話では、城の歴史は、最初は近くの尼飾山にあった尼飾城
の出城として海津城が造られ、だんだん平地の城が主流になったこ
と、山本勘助や川中島合戦、高坂弾正のこと、そして武田家滅亡後、
真田家が入城するまでの歴史などが語られ、大変興味深い話でした。

 城跡の発掘調査と整備事業については、昭和56年に国史跡に指
定されて以後の太鼓門・北不明門・本丸等の発掘作業、文献資料の
調査、絵図面の発見、そして土塁の復元、太鼓門・北不明門の復元
工事に着手したということが順を追って話されました。特に土塁の
高さへのこだわり、すなわち当時槍の長さは3間(約5.4m)な
ので、その槍を立てた時、外から見えない高さにこだわったという
話は面白かったです。

 講演の中では、松代は武家屋敷、商家など、幕末の建物がコンパ
クトによく残っているため、歴史を生かした街づくりが大切である、
城下町の雰囲気は一度消えたら戻らない、行政・歴史愛好家・ボラ
ンティアの存在が大切である、今、エコール・ド・まつしろで市民
が燃えている、城好きな人達が集まってくれば・・・といったお話
もあり、今、長野市が取り組んでいることが間違っていないという
ことをお話しいただいたように感じました。

 続いて、記念公演として、長野市の無形民俗文化財になっている
善光寺木遣りと風間神社太々神楽獅子舞の披露がありました。

 2日目、3日目は史跡・文化財が沢山ある長野県ですので、松本
市・塩尻市・茅野市・上田市・千曲市そして長野市がそれぞれコー
スを設定して、参加者に史跡・文化財の視察を行っていただきまし
た。長野市はもちろん松代が主体でした。

 ちょっと前の話ですが、今年の8月5日、長野市長が代表を務め
る全史協北信越地区協議会が富山県氷見市で開催されました(昨年
は石川県加賀市で開催されました)。ここでの視察研修は「国史跡 
柳田布尾山古墳(やないだぬのおやま こふん)」、県建造物「道
(みち)神社拝殿」「国史跡 大境洞窟住居跡」でした。

 7月中旬の集中豪雨によって、新潟県そして福井県、富山県内で
大きな被害が出ましたが、史跡にも被害があり、福井市の「一乗谷
朝倉氏遺跡」が土石流により埋まり大きな被害を受けたとの報告が
ありました。大勢のボランティアにより土砂は取り除かれたという
ことですが、あとの復元整備が大変です。心よりお見舞いを申し上
げます。

 その後、北信越地区内ではありませんが、有名な厳島神社も大き
な被害を受けたとの報道もありました。台風、大雨という自然現象
が原因とはいえ、日本の歴史を伝える史跡や文化財が失われるとし
たら残念です。一度失った歴史的遺産を取り戻すことは至難の業か
もしれませんが、一日も早い復元を願っています。