9月26日(日)
朝早く起きて、ホテルのそばの人民広場を散歩する。石家庄市が
21世紀の幕開けを記念して造った広場とのことだが、広大な敷地
に毛沢東の銅像をはじめ、噴水や樹木もきれいだし、花園も造って
あってなかなか立派なもので、地下にもいろいろな施設があるよう
だ。人民大会堂もあって、10月1日の国慶節の準備が盛んに行わ
れていた。そういえば、建国55年を祝う国慶節の準備がいたると
ころで行われており、花が飾られ、スローガンが掲げられ、そして
踊りの練習が行われている等、国中で祝う祭りとして定着している
ことがよく分かった。この朝は大勢の市民が太極拳や社交ダンスな
どを楽しんでいた。
朝食後、市内視察に出かける。最初は地表水工場、すなわち水道
局の浄水場へ。工場長の説明によると、石家庄市には浄水場が8つ
あり、その内7つは地下水を汲み上げている(井戸の深さは40m
ぐらい。意外に浅い井戸と感じた)。ここだけは、50kmほど西
の山岳地にある2つのダムから取水している工場とのこと(地表水
という意味がようやく分かった)。市内の水の必要量は1日70万
立方メートルだが、この工場ではその内30万立方メートルを受け
持っているとのこと、大きなモーター6台で供給していた。かつて、
石家庄市としては飲料水が不足していたので、1994年に着工、
総工費12億元(現在、1元は約14円)を費やして96年に完成、
供給を開始し、水不足を解消したそうだ。浄水場の仕組みは長野市
とあまり変わりはないように感じた。
続いて石家庄市植物園へ。これは凄い規模の植物園だった。
163haという広大なもので、ゴルフ場1つより大きいぐらいか。
1998年に着工して現在も建設中であり、植物園というより遊園
地も含む一大公園という方が正確かもしれない。平成13年に友好
都市提携20周年で石家庄市を訪れた長野の訪中団(当時の塚田長
野市長、伊藤市議会議長、日中友好議員連盟会長の藤沢市議会議員
と同連盟副会長の松木市議会議員)がまだ完成前にここを訪れた時
の記念植樹と石碑も見つけることができた。植物園にはいろいろな
花、野菜、樹木があったが、中でも盆栽園はなかなかしゃれたもの
で、造園に携わった人の中には、長野の園芸会社へ研修に来た職員
もいて頑張っているとのこと。ここで働いている職員は正規70人、
臨時雇用の方も含めて300人とのことだが、学校のような施設も
あって研修に来ている人も相当いるようだった。ほかにも遊園地や
遊覧車、遊覧船、レストランなどの施設が整っており、よく考えら
れた公園だった。
現段階の必要経費は年800万元だが、収入は入園料で500万
元(入園料は1人20元、年間35万人、数字が合いませんが多分
子どもの料金が違うのでしょう)で、足りない分は行政から補填し
てもらっているとのこと。でも今後の施設建設によっては、自力で
の経営も夢ではなさそうに感じた。
一番凄かったのは、池というより大きな人工の湖(38.7ha)
があり、遊覧船で回ることができるようになっていて、途中には橋
が32、人工島、噴水、劇場、蓮を鑑賞する場所、魚を見る場所も
あって、ボートで楽しんでいる市民も大勢いた。
この場所は元レンガ工場の跡地だったそうで、その掘った土で築
山を築いて、滝を造っている最中だった。いずれ見事な庭園になり
そうで、石家庄市の重要な観光資源になりそうな気がした。
昼食は植物園のレストランで、園長さんの話を聞きながらご馳走
になった。訪れた人も食べているのだろうが、従業員や研修生もこ
こで食事をとる食堂といった感じだった。
続いて、正定県の「隆興寺」、そして臨済宗発祥の地「臨済禅寺」
を見学した。どちらも創建以来1400年~1500年ぐらい(随
や宋の時代)の、日本でいえば国宝級のお寺。毛沢東の文化大革命
の頃、荒れてしまったのを修復しているとのことだったが、大きな
伽藍、そして大きな仏像が沢山ある立派なお寺だった。また、臨済
禅寺には、日本に臨済宗を伝えた栄西禅師の胸像があった。
ホテルで休息。強行軍で少し疲れた。
迎賓館ホテルで、政治協商石家庄市委員会 李宏英主席の招待夕
食会。彼の肩書きは大学兼職教授、国家優秀・発明専利・発明人と
なっているが、長野市との友好協定提携時の市の秘書長、その後約
10年間副市長を経験し、柳原、塚田両市長と交流があったとのこ
と。
話題は若干経済に関することが多かった。でも中国式カンペイ
(乾杯)!は相変わらず・・・。今まで、長野市へ行ったことがな
いということだが、今年の11月に長野市を訪問するとのこと。歓
迎しなくてはならないと思う。中華料理を満喫してホテルへ戻る。
9月27日(月)
連日の早朝からの日程による疲労や北京周辺の渋滞状況などを考
え、本日の日程は午前中をキャンセルさせていただき、ゆっくり北
京へ移動しようということになり、石家庄市を離れることになった。
朝食後、ホテルロビーで、石家庄市外事辯公室主任の楊さんが見
送りに来てくれて、お別れの挨拶。こちらに来てから撮っていただ
いた写真のアルバムを頂く。出発。石家庄市の出口のインターチェ
ンジで、滞在中付き合ってくれたパトカーと手を振って別れ、高速
道路を使って一路北京へ向かう。途中、2回ほどトイレ休憩を挟む
が、中国旅行(特に女性の)で困ることの一つがこのトイレの問題。
以前よりは整備が進んだとはいえ、まだまだ旅行者には大きな障害
になりそう。でも、あと10年もすればきっと・・・、と期待をし
ている。
約4時間後、北京に着いて遅い昼食。予定外の行動だったので、
大衆食堂を探してラーメンを食べたが、日本のものとは全然違う味
と麺。どちらかというと“うどん”に近い。でも美味しかった。申
し訳ないが、こういう食事の方が体質には合う。
天安門広場へ。北京に来るたびに、何度か訪れたことがあるが、
ここも国慶節を前に準備に忙しい。花が主体の飾り付けが行われて
いたが、異色は「中国航天」という中国自慢の有人宇宙船を花でか
たどった大きな塔、正に国威発揚の場なのだろう。天安門の毛沢東
の肖像も変わりはなかった。
故宮博物館に入る。残念ながら修理中の建物が多かったが、いつ
ものことながら、大きな構造物に圧倒される。台湾の故宮に比べ、
文物は見劣りすることは中国人も認めているが建物は立派。明、清
の時代の中心地として栄え、辛亥革命で清が倒されるまで、都だっ
た場所。故宮を出て、近くの王府井(北京の銀座)を散策。広い道
路が500mぐらい歩行者天国になっていて賑やか。広い道路は商
売には向かないという常識(?)に反し、確かに北京の銀座と言わ
れるだけのことはある。でも買い物はする気にはなれなかった。
着いた時と同様、車のラッシュは凄まじい。のろのろ運転という
より全然動かない状態が1時間以上続く。これでは仕事にも差し支
えるのではないか・・・・。予定は全く狂ってしまうのも仕方ない
感じ。
9月28日(火)
朝食後、ホテルを出発。万里の長城へ向かう。高速道路が出来て
いて約1時間。私は今回3度目の訪問だが、1度目は列車で八達嶺
の駅まで来て、そこから雪のぱらつく中を歩いた記憶がある。2度
目は確かバスで来たが、こんなに立派な高速道路はなかった。
何度来ても、万里の長城は凄いと感じる。ユネスコの世界遺産に
も登録されているが、とにかく道具や機械の無い時代、山々の峰を
結んで6000kmに及ぶ壁を造るなんて発想は、大陸でなければ
ないし、中国でなければ出てこないだろう。歴史上では春秋戦国時
代から建設が始まり、秦の始皇帝の時代にほぼ完成したようだが、
その労苦、特に壁の建設に駆りだされた人民のそれは、想像を絶す
るものがあるし、全国から連れてこられた防人(さきもり)の嘆き
の唄、そして故郷を思う唄は、昔習ったことがあるけれど、悲惨だっ
たであろうことは十分に理解できる。
万里の長城は、随分整備されていて石の階段も歩きやすくなって
いた(最初に訪れた頃はまだ未整備で、所々崩れていたりして自由
には歩けなかった)。フーフー言いながら一生懸命かなりの位置ま
で登ってみたら、リフトや公園のお猿の電車みたいな乗り物があっ
て、下から簡単に登れるらしい、正直ガックリ。ちょっと興趣を削
がれた感じ。また、長城入り口付近も大変整備され、一大観光地化
しているのには、びっくり。お土産屋さんやホテルもあって、まっ
たく様子は一新していた。博物館には360度のパノラマスクリー
ンがあって、長城の説明をしていた。長城の入場料は大人1人45
元。随分大きな収入だろうなあと余計な詮索をしてしまう。
次の視察会場への移動の途中、レストラン(どちらかというと、
観光客用のドライブイン)で昼食。「日本食を用意しました」との
ことだったが、お弁当箱を開けてみると、おかずはやはり中華料理。
でも、久しぶりに味噌汁を飲むことができた。
バスで「明の十三陵」に移動。ここへも何度か来ているが、その
壮大さ、豪華さにはいつも驚かされる。この陵は地下深くにあるこ
と、陵自体は比較的新しいこともあってか、盗掘されていなかった
とのこと、明の皇帝の権威を示す威容を誇っている。
今夜は「中秋の名月」とのことで、中国では家族がみんな集まっ
て、月餅(げっぺい)を食べて祝う日だそうだ。10月1日から国
慶節の連休になるそうで、中国の人達にとって今が一番良い季節な
のかもしれない。ホテルのテラスで滞在中ガイドをしてくれた王さ
ん、耿さんとバイキング式の最後の晩餐を楽しむ。
9月29日(水)
5時起床。仕度して荷物をパッケージして、ホテルを出発。北京
空港へ。
昨夜、台風21号が日本に上陸しそうだというニュースを見て
(北京ではNHKの衛星放送は視聴可能だった)ちょっと心配した
が、それほど揺れることもなく、無事帰国。
東京を経由して長野新幹線で夕方5時半、長野着。
さて、今回の訪中は、北京空港到着から空港を出発するまで、石
家庄市のご配慮により訪問先や日程の調整等をしていただき、さら
に、両市の申し合わせにより滞在期間中の費用負担は、石家庄市の
負担で行われたものでした。
私も石家庄市の訪問は初めてということもあり、多少の不安もあ
りましたが、今回の視察を通じ、文化や社会のシステムが違う両市
がお互いに理解し合い、さらなる友好関係を築くことができたと思っ
ています。
最後に中国で感じたこと(私見)を書かせていただきます。
1.北京は2008年のオリンピックを前に、ここはニューヨーク
ではないかと錯覚するほど摩天楼の街になっている。北京ほどで
はないけれど、石家庄市の発展ぶりも凄まじく、過去長野市の訪
中団に同行して、今回も通訳をしてくれた宮下さんの比較話を聞
いても、目覚しいものがあるようだ。
2.しかし、一歩市街地から離れると、まだまだ貧しく、遅れてい
る地域が多いようだ。この二極分化を克服するのは、難しいと思
う。通訳氏の話でも農民の所得は低いということで、かなり不満
があるようだ。日本でも農村の再建は重い課題だが、中国の方が
もっと大変だろう。
3.公権力とか平等というものの概念が日本と少し違うのかもしれ
ない。石家庄市滞在中はパトカー先導で優先的に通行していく。
我々は申し訳ないと感じるのだが、中国では当たり前の行為なの
かもしれないし、そのくらいにしなくては、現在のところ行政が
成り立たないのかもしれない。でも、国際化の流れの中で批判的
な意見があるようだ。反面、個が解放されて自由に主張できるよ
うになると、莫大な人口を抱える社会が動かなくなることも懸念
される。
4.都市の交通マヒは、言語に絶する。部分的に所得が増えて自家
用車の時代に突入したけれど、道路整備が追いつかない、バラン
スが悪いのでしょう。
5.北京に関しては、オリンピックまでは勢いがあるけれど、その
後は心配と言う人が多かった。私たちが泊まったホテルはマレー
シア資本とのことだが、昨年のSARS騒ぎで予定通りの収益を
上げていないとのこと。必ずしも一直線では進まない例だろう。
6.故宮・万里の長城・明の十三陵等を視察して、つくづく感じる
ことだが、今観光資源といわれているのは、昔の皇帝の遺産だろ
う。民衆の文化は資源になりにくい、独裁者の存在・横暴が現代
の重要資源になっている・・・。これは日本でも程度の差はあれ、
同じことだろうが、歴史の皮肉を感じる。
7.北京や石家庄市を見るかぎり、右肩上がりの発想をしている社
会だと思う。
8.徹底的なエリート教育をしている姿が、日本にとっては最大の
脅威かもしれない。中学生の交流で、帰国した中学生が一様に彼
らの学ぶ姿勢、集中力にびっくりしている。このことを我々は考
えなくてはならない。訪問した学校は幼稚園から高校までの一貫
教育だが、高校生は全寮制で、7時始業でクラブ活動が終わるの
は夜10時、凄いエリート教育をやっているとのことだった。
以上、2週にわたって中国石家庄市訪問の模様を、私の日記をも
とにお伝えしてまいりました。若干、従来のメルマガとは様子が違
っているかもしれませんし、私見を交えてお伝えした関係で、読み
にくい点もあったかもしれませんがご容赦ください。
今回の訪問にあたり、大変お世話になりました石家庄市の皆様に
改めて感謝を申し上げるとともに、両市の友好関係を築き上げるう
えで大変意義のある訪問となったと自負しております。