UFO Naganoとは「University Factory
Of Nagano」の略です。
平成15年8月、長野市が国有地に市有施設を造る「ものづくり
研究開発促進特区」(注1)の申請が認められ信州大学工学部の敷
地内(国立大学法人の土地)に建設した「長野市ものづくり支援セ
ンター」が完成し、4月6日(水)オープニングセレモニーが行わ
れました。
このセンターは、産学官(注2)各方面の代表により構成された
「長野市産学官連携支援施設検討ワーキンググループ」から提出さ
れた「産学行連携試作・開発センター基本構想」を基に、「新たな
リーディング産業の創出」を目指して取り組んできた事業です。長
野市とすれば、試作・開発工場であるという位置付けに大きな魅力
を感じ、支援することを決めたものです。
完成した建物は5階建てで、UFOを連想させ、洗練された雰囲
気です。1・2階はクリーンルーム等を備えた試作工場、3・4階
は企業や信州大学イノベーション(注3)研究・支援センターが入
居するレンタルルーム、5階は交流施設になっており、また、隣の
CRC(地域共同研究センター)とも廊下でつながり、信州大学の
教授陣がいつでも指導、共同研究に当たれる環境が整えられていま
す。運営は長野市が(株)信州TLO(Technology
Licensing Organization)に委託しました。
(株)信州TLOとは、信州大学が持つ特許やノウハウを産業界が
利用して新製品等の開発をする、併せて信州大学も収益を上げて研
究費を得ようという会社です。
UFO Naganoのオープンを契機に、次の目標は、産学行
連携の拠点として、将来の地域経済を牽引するベンチャー企業を効
果的・効率的に育成することです。そこでセンターには起業を支援
するインキュベーションマネジャー(注4)が常駐し、地域経済の
活性化に努力していくことになっています。
すでに、上田市ではAREC(浅間リサーチエクステンションセ
ンター)という産学官連携支援施設が平成14年2月に開設され、
信州大学繊維学部の高機能材料を中心とした基礎・応用から事業化
に至る共同研究が行われ、有機LED(注5)など様々な研究成果
を上げているそうです。
当然ながら長野市のUFO Naganoは後発部隊ですので、
先行するARECを見習いながら頑張ることになりますが、機能的
には充分な機能を備えている、欲張った施設であることが売りです。
過日、「長野・上田地域知的クラスター創成事業」についての中
間評価が文部科学省により公表されました。それによると、長野・
上田地域は全国12地域の中でも高い評価を受けております。これ
らの取り組みは長野県テクノ財団と信州大学が中心となって行って
いる産学官連携事業で、新産業の創出を目指しているものですが、
UFO Naganoも、この知的クラスター創成事業を支援する
施設として整備したものです。
4月9日(土)、この施設のオープン記念として、「産学行連携
シンポジウム」が行われました。冒頭、私が、長野市の産業政策に
ついて、基調講演をさせていただきました。基本的には長野市の産
業の現状と税収の落ち込みを説明し、そして行政として取り組んで
いる様々な政策を説明しました。そして当面の産業政策として、も
のづくりの面でのUFO Naganoへの期待と「観光」を当面
の最大産業に育てたいという話をしました。
その後のパネルディスカッションでは、コーディネーターとして
大学院イノベーション・マネジメント専攻長の鈴木智弘氏を迎え、
パネリストとして地域共同研究センター長・工学部教授の三浦義正
氏、大学院イノベーション・マネジメント専攻教授の茂木信太郎氏、
UFO入居企業であるMEFS(株)研究員の飯生悟史氏、そして
私の4人で行いました。
教授陣からは、様々な経験から、長野市ものづくり支援センター
及び大学院イノベーション・マネジメント専攻の皆さんが果たす役
割の中で、いかに地域貢献が大切かということが強調されました。
私からは、改革を行う場合、「制度の壁」「物理的な壁」「意識の
壁」があるけれど、「意識の壁」を破るのが一番大変であること、
信大改革も市役所改革も同じということを語りました。そして、ぜ
ひ研究してほしいこととして、民間活力導入と財政問題に絡んで、
永久債と株式の話をさせてもらいました(この話はもう少し研究し
て将来メルマガに書きたいと思っています)。
終了後、大学院イノベーション・マネジメント専攻の学生さんや
そのOB、UFO Naganoに入居される企業の代表の方々も
参加して交流会が開かれました。いろいろな話を聞かせていただき
ましたが、イノベーションの意味が少し理解できました。学生さん
は、ある程度社会を経験し、もう一度勉強したいとの思いから入っ
てきた方が大勢学んでいますので、意識が高く、真剣な方が多いと
感じました。新しい産業を興す人材あるいは企業そのものが生まれ
るか、新しい提案が出てくるか・・・・楽しみな大学院です。
(注1)ものづくり研究開発促進特区
特区とは構造改革特別区域(内閣府の事業)の略で、長野市の場合
は、国有財産の使用申請の手続きが簡素化されたり、土地が廉価に
使用することが可能となるものです。
(注2)産学官(産学行)
産とは産業界、学とは大学等の研究機関、官とは国、県及び市等の
行政機関
一般的には「産学官」という形で使われていますが、長野市はあえ
て行政が絡むということで、「産学行」という名称を使用していま
す。
(注3)イノベーション
技術革新、経営革新の意です。
(注4)インキュベーションマネジャー
技術的、経営的能力があり、かつ、ビジネス経験がある者で、企業
へのアドバイス、問題解決をタイムリーに効率的に行う。また、人
とのつながりを活用し、人材の紹介や企業と研究機関(大学教官等)
との仲介役を担う者です。
(注5)有機LED
有機材料を用いて比較的低電圧で動作する有機発光素子で、次世代
ディスプレイ素子として注目されているものです。
※次週のメールマガジンは、5月6日(金)に配信予定です。
2005年4月28日木曜日
長野市ものづくり支援センター(通称UFO Nagano)がオープンしました
2005年4月21日木曜日
春!桜も満開、スポーツも満開です
4月10日(日)、本年度、JFL(日本フットボールリーグ)
昇格を目指す「長野エルザサッカークラブ」が、長野運動公園で開
催された北信越リーグ戦において石川県の古豪テイヘンズと戦い、
ホーム初戦、2対1で見事勝利し、幸先の良いスタートを切りまし
た。
テイヘンズは、石川県の伝統のあるチームだそうですが、開始早
々、エルザは主力選手がけがをして交代、そして1点先取されると
いう展開で、かなり苦戦を強いられました。しかし前半終了直前、
ロングスローからの見事なヘディングシュートが決まって同点。応
援席は狂喜し、同時にホッとした空気が流れました。
後半はかなり押し気味に試合を進めましたが、もうひとつ決定力
不足で点が取れないイライラが続きました。しかしゴール前で、プ
レッシャーをかけ続け、最後には素晴らしいヘディングシュートを
相手のプレイヤーはハンドの反則でボールを手で止めるしかありま
せんでした。それで得たペナルティーキックを冷静に決めて突き放
しました。エルザは今年新しい選手が加入して、かなり強化された
ということでしたが、そのとおりだったようです。
長野エルザには、先日「アスレながの」という応援団が結成され、
本格的な応援を目指し、第一歩を踏み出しました。アスレ会長の塚
田佐前市長や私も家族総出で応援しました。試合中、チームカラー
であるオレンジ色のシャツを着て、太鼓とのぼりで声が枯れるほど
応援している人もいました。この勝利で、初戦の緊張が解けてこれ
から勝ち進むでしょうから、応援団も増えてくることが期待されま
す。ハーフタイムのアトラクションには、キッズ・チアダンス「ミ
ッキーズ」が参加して、華やかなそして可愛い雰囲気をつくってく
れました。
エルザが好スタートを切った翌週、長野でも桜の便りが聞こえる
ようになりました。県内で一番有名な高遠町のタカトオコヒガンザ
クラは、エルザの勝利を祝うかのように、同じ日に開花宣言されま
したが、長野の開花はまだまだ・・・という感じでした。昨年は異
常に早く開花してしまい、城山の花見小屋は設置が間に合わなかっ
たり、市民も花見に行く間がなかったようです。今年は14日に開
花宣言がありましたが、充分に予告期間があったため、にぎやかな
お花見になりました。
開花宣言はどうやって行うのか、お聞きしたところによると、標
本木があって(長野の場合、箱清水にある木だそうですから多分気
象台の近くでしょうね)、その木のつぼみが5、6個開くと開花宣
言だそうです。長野市にも桜の木は多く、南の篠ノ井方面と大峰山
中腹の雲上殿の桜では開花期に随分差が出ますから、かなりの期間
楽しみが続くことになります。
その桜が咲き誇っている16日(土)、松代の山寺常山(やまで
らじょうざん)邸の整備が完了し、常山の子孫の方々をお招きして
記念式典を行いました。また一つ松代の魅力が増え「エコール・ド
・まつしろ2005」の良いスタートになったと感じています。山
寺常山については、佐久間象山、鎌原桐山(かんばらとうざん)と
ともに松代三山と称えられ、藩政に尽力し、寺社奉行・郡奉行を務
め、藩士教育にも力を発揮した人とのことですが、いずれ詳しく調
べてみたいと思っています。
話は変わって、4月17日(日)、「第7回長野オリンピック記
念長野マラソン」が開催されました。前日のホテル国際21での開
会式では、ルーマニアのリディア・シモン選手、エチオピアのデラ
ルツ・ツル選手など、国内外の有名招待選手が紹介され、盛んに拍
手を受けていました。一流選手と一緒に走るのは、一般ランナーに
とって嬉しいことなのでしょう。
日本オリンピック委員会の竹田会長、長野オリンピックムーブメ
ント推進協会の小林会長、スポンサーの(株)セブン-イレブン・
ジャパンの山口社長、ほかにも大勢の方々が出席してくださいまし
た。開会式セレモニーの中で、このマラソンの前身「信毎マラソン」
の時代から、力を入れて育ててくださった小掛照二日本陸上競技連
盟名誉副会長に、小坂健介大会長から感謝状が贈られました。小掛
さんは、昭和30年代だったと思いますが、日本のお家芸と言われ
た三段跳びで活躍された選手として、私達の記憶に残っている方で
す。また、昨年と同じく姉妹提携をしているアテネマラソン、次の
オリンピックを行う北京から代表団が視察に来ておられました。
17日朝8時35分、桜が満開の中、選手が長野運動公園をスタ
ートして、大会が始まりました。NHKが全国ネットで放送を開始。
私も仕事の合間を縫って国道406号のところで応援しました。ス
タートして30分ぐらいでしたので、みんな元気でしたが、天気が
良すぎて気温が上がると記録が出ないのではないか・・・それが唯
一の心配でした。出場登録選手は6300人だったのですが、実際
スタートを切った選手数は5388人だったそうです。
サブスリー(3時間以内のタイム)を目指す市民ランナーにとっ
て、今回力強い味方もありました。「3時間ペースセッター」とし
てドイツの名選手カトリン・ドーレ選手が、そして日本の早田俊幸
選手がいたことです。きっと良い目標になったことと思います。
男子の優勝はケニアのイサック・マチャリア選手、女子の優勝は
ロシアのアルビナ・イワノワ選手だったことは、報道でご存知だと
思います。イワノワ選手の終盤の走りは力強く、42.195キロ
メートル走ってきたとは、とても思えない迫力でした。私は表彰式
で、県内最上位女子選手ということで、福沢久美子選手に市長杯を
お渡ししました。
そして同日、「長野パラリンピック記念第1回長野車いすマラソ
ン」が行われました。長野オリンピック直後に行われた長野パラリ
ンピックも私たちの心に大きな感動を残してくれた大会でした。そ
してこの大会を契機に、障害者スポーツが盛んになってきました。
オリンピック記念があるならパラリンピック記念の車いすマラソン
もやりたいという意見は以前からお聞きしていたのですが、同時に
走る場合には道路規制の時間が延びること、車いすマラソンは選手
層が薄く参加人数が読めないこと、千曲川の堤防コースを走るので
危険ではないかといったさまざまな課題があり、なかなか実施にこ
ぎ着けず、大規模な車いすダンスをやったらどうかと考えたころも
ありました。
しかし、どうしても車いすマラソンをやりたいという声に押され、
警察も了解し、また安全対策も目途がついたということで、今回開
催することになったものです。出場登録者61人(内女性3人、県
内選手10人)、実際走った人は51人、スタートはビッグハット
西(日赤交差点)から南長野運動公園までのハーフマラソンとして
実現したものです。
こちらの開会式は、前日、長野駅のコンコースで行われました。
選手のホテルが駅前でしたので、大変便利な場所だったようです。
そして大会は無事終了し、男子優勝は久保恒造さん(北海道)、
女子優勝は川島由美さん(兵庫県)でした。
両マラソンのゴールになった南長野運動公園は、マラソン・タウ
ンということで、大変なにぎわいでした。篠ノ井商工会議所が中心
になってたくさんの出店があり、市民の皆さんで一杯でした。
ところで、皆さんご存知でしたか、6000人もの選手が走るマ
ラソンでは、スタートラインを通過するのが、先頭と最後尾では5
分以上差があることを。それでは記録が不平等ではないか、何か対
策があるのでは・・・・ということです。調べてみたら、ありまし
た。素晴らしいハイテク・システムでした。
RCチップという直径3.5センチメートル、重さ3グラムのプ
ラスチック製の小型発信機チップを各ランナーのランニングシュー
ズの靴ひもに装着しているのです。チップの中にはIDタグが埋め
込まれていて、衝撃には充分耐えられる構造で雨の影響も受けない、
完全アウトドア仕様だそうです。RCチップを装着したランナーが
カーペット状のアンテナの上を通過すると、アンテナから発射され
た電波がチップのナンバーを素早く読み取り、ネットタイム、グロ
スタイム、スプリットタイムを記録するのだそうです(順位の決定
はもちろんですが、大会終了後、事務局から個人ごとのラップタイ
ム記録が選手に送られてきて、出場者は大変参考になるとのことで
す)。
長野マラソンでは多くの方は黒いレンタルチップ(レース後に返
却)を付けて走ったそうですが、ベテランでいくつもの大会に出場
する方は、個人用のチップ(黄色のチップ)を持っているそうで、
これは世界中のRCチップ計測の大会で使用可能なのだそうです。
ちなみに、価格は3200円、年会費600円だそうです。なぜ個
人のチップを使うのかお聞きしたら、レース後にかがみ込んでチッ
プをはずすのがかなり苦しい、個人用だとそのまま帰れるのが嬉し
いとのことでした。
車いすマラソンでは、大きいサイズのRCチップを競技用車いす
の前輪フレームの中心に近い部分に装着するのだそうです。情報に
よりますと、計測システムとしてはRCチップだけでなく、トルソ
ータグ(ゼッケンに付ける)というものも公認されてきているそう
です。走ること自体が楽しみのマラソンの世界にもハイテクノロジ
ーが入ってきていることを実感しました。
マラソンが終了し、午後4時からホテル国際21で、フェアウェ
ルパーティーが開かれました。大勢のランナーが残ってくださり、
健闘を称え合い、写真を撮ったり、おしゃべりしたり・・・楽しい
パーティーでした。私は元気な走りを見せてくださった皆さんに感
謝し、「来年も開催します。また長野で会いましょう」と宣言しま
した。
2005年4月14日木曜日
上越市・長野市経済交流懇談会に参加しました
4月5日(火)、恒例となっている上越市・長野市経済交流懇談
会が上越商工会議所の主催で開催され、上越市に行ってきました。
この懇談会については前にも書いたことがあると思いますが、上越
商工会議所と長野商工会議所が一年交替で開催することになってお
り、既に約40年の歴史があります。私も市長に就任する前、長野
商工会議所の役員として、ほとんど毎年参加してきました。
今回、長野市から、仁科長野商工会議所会頭をはじめ、副会頭、
各常任委員長、滝沢市議会副議長、そして私と企画政策部長、産業
振興部長が参加しました。上越市からも田中上越商工会議所会頭、
木浦上越市長をはじめ、大勢の方々が参加し有意義な懇談会になっ
たと思います。
ちょっと残念だったのは、有名な高田公園の桜が見られなかった
ことです。主催者側では昨年の満開日に合わせ計画を立てていただ
いたようですが、本年は予想以上に開花が遅く、まだ固いつぼみの
状態でした。視察前に公園を車で通過したのですが、ぼんぼり等が
飾られ今や遅しと開花を待っていました。
最初の視察は、港に隣接した70ヘクタールの大埋立地でした。
中部電力と東北電力が火力発電所を造る予定だそうですが(以前に
お聞きした話ですと、この発電所で発電される電力は主として長野
県向けということです)大変な広さです。そして、日本海の荒波に
耐えるためか、周囲は高い防波堤に囲まれ、まるでここに飛行場を
造るのだと言われても不思議ではないような感じがしました。
次の視察は、新潟オートリサイクルセンターでした。この工場は
廃車された自動車のリサイクルを行っている工場で(同じ目的の工
場は、長野県では東御市(旧東部町)にあるそうです)、1日80
台の車を解体し、ドアパネルやエンジンなどを取り外して、使える
部品を全国に向けて販売しているとのことです。自動車リサイクル
法の施行をにらんだ施設のようです。
視察終了後、経済交流懇談会が行われました。上越・長野両商工
会議所会頭の挨拶の後、両市長がそれぞれのテーマについて説明し
ました。
木浦上越市長と私は、同じ辰年生まれ、過去に青年会議所北陸信
越地区協議会の会長を経験していること、3年前の10月28日の
選挙で、市長に初当選したことなど、全く偶然ですが、同じような
経歴であり不思議な縁を感じます。違うのは、木浦市長が私よりひ
と回り若いことと、県議会議員からの転身であることです。
木浦市長の話によると上越市は、長野市と同じ平成17年1月1日
に、近隣13町村と合併し人口約21万人、高齢化率23.4%、
面積約972平方キロメートル(長野市より広い)、そして米の農
業産出額が全国2位の農業都市(キャッチフレーズは、「農業都市」
「農村と都市が共生するまち」)、そして合併した上越市全域が過
疎地域自立促進特別措置法の適用を受けることが可能な新上越市が
誕生したということだそうです。長野市と比べて大変だろうなと思
ったのですが、視察先で拝見したガントリークレーンが活躍を始め
た直江津港の活況、工場跡地に進出してくるベンチャー企業の存在
をお聞きしましたし、新幹線・高速道路・海運(フェリーや国際航
路)・・・交通結節点としての存在感も大きくなりそうですし・・・
バブル時代ではありませんので発展は容易ではないでしょうが、大
いなる可能性を感じました。また広域観光についてもお互いの利点
を補完しあってやっていきたいとの表明もありました。木浦市長に
は14市町村の合併を実現された勢いを感じました。
私は長野市長として、主に二点について理解を求めました。
一点目は、北陸新幹線の進捗状況についてです。長野市長沼地区
と協議項目が四つあり、三つについては協議が進んでいますが、浅
川ダムに替わる長沼地区の治水対策は現段階では県知事がダム建設
の中止を決定した後、協議の目途が立っていない状況にあります。
何とか飯山以北、上越の皆さん方にも迷惑を掛けないように解決し
なければならないと考えているということです。
二点目は、新幹線開業以降に並行して走る在来線問題です。長野
以北の信越線は並行在来線ということで、JRは継続して営業をし
ないことはかなり明確だと思いますが、そのことに対して長野県が
どうするのか・・・経営的には「しなの鉄道」以上に厳しい状況が
予想されるにもかかわらず、これも県の動向が分からないため、沿
線市町村や民間は手のつけようがないということです。
そのほか、広域観光問題、子どもたちの臨海学校、長野市の合併、
行政改革と民間活力の導入、指定管理者制度等についても説明させ
ていただきました。
いずれにしましても、長野市と上越市は江戸時代から続く交流が
あり、婚姻関係、商売でも付き合いはかなり深いものがあります。
今回の合併で、長野市は妙高市、上越市は飯山市と境を接すること
になったわけですから、いろいろな協力関係が考えられます。良い
関係を築きたいものです。
2005年4月7日木曜日
平成17年度が始まりました
「退職辞令の交付」
3月31日(木)は、市役所で退職辞令を多くの方々にお渡しし
ました。この日定年で退職された皆さんは昭和19年生まれ、すな
わち昭和39年の東京オリンピック前後、そして昭和41年の長野
市大合併の頃、奉職された方が多いようです。したがって合併前の
市町村で採用され、合併で長野市職員になった方もおられるのです
が、約40年間、市民のために一生懸命尽くされ、今日の長野市の
隆盛を築き上げてくださった方々です。
その間、高度経済成長時代、オイルショック、国際化・グローバ
ル化の進展時代、そしてバブル時代とその崩壊、さらに長野オリン
ピック・パラリンピック冬季競技大会の開催、中核市への移行、地
方分権一括法が施行され地方の時代への対応、そして最近では、ス
ペシャルオリンピックス冬季世界大会の開催・・・・・・・まさに
激動の40年間だったと言っても言い過ぎではないでしょう。
私は、お一人お一人に退職辞令をお渡ししながら、心からご慰労
と感謝をさせていただきました。さまざまな舞台で活躍された方、
縁の下でしっかり支えてくださった方、それぞれが役割分担をして
いただいたからこそ、荒波を乗り切って長野は発展してきたのだと
思います。こうした皆さんの努力を大切に私達は頑張らなくてはな
らないという思いを新たにしました。
「辞令交付」
4月1日(金)は、新規採用職員や、昇任・異動する職員に対し、
辞令を交付いたしました。長野市職員だけでなく、長野市開発公社、
ながの観光コンベンションビューロー、長野地区農業共済事務組合、
長野広域連合など、いろいろな関係機関がありますので、かなり大
勢となります。以前は市民会館において全職員に市長から辞令交付
をしたようで、ずいぶん時間がかかって大変だったと聞いています。
しかし、辞令交付は平日行いますので、あまり時間をかけて市民の
皆様にご迷惑をかけることのないよう、管理職には私から、管理職
以外の職員にはそれぞれの担当課長から辞令を交付しました。職員
を長時間拘束し業務に支障がでないように、市長に就任以来、配慮
してきました。
私は新しい職場に異動した職員に対し、「行政は職員がそれぞれ
の立場で役割をきちんと果たすことによって、成り立つ。期待に応
えてほしい」と話しました。
新規に採用された職員に対しては「皆さんが職場に入った時、前
からいる人の考え方は古いと感じるかもしれない、でもその人たち
からすれば、皆さんと接して、逆に違和感を覚えるかもしれない。
お互い切磋琢磨する中から、新しいものが生まれてくる・・・」そ
のようなことを訓示しました。
「職員に望むこと」
4月4日(月)は、年度始めの部長会議で、私が思う職員として
の「7つの心構え」をあらためて申し上げました。
(1)民間の経営感覚を学び、私と理念を共有してほしい。そのた
めにどんどん議論してその中から、新しい政策を生み出してほ
しい。
(2)何事もポジティブに「先ずやる」ことを前提に考えてほしい。
(3)長野を愛してほしい。そして市民のために何ができるかを第
一に考えてほしい。
(4)もっとスピードアップして進めてほしい。特に懸案事項の先
送りをしないでほしい。
(5)Citizen Satisfaction【CS(市民満足度)】を高めてほしい。
そのために、情報公開・説明責任・説得責任を果たす努力をし
てほしい。また3月議会の施政方針でも申し上げたが、「分か
りやすい行政」を心掛けていただきたい。「政策決定の仕組み」
や「財政の仕組み」、さらに「使用する言葉」を中心に、市民
の皆様に分かりやすくしてほしい。市の配布物やホームページ
なども同様。また職員の「電話での応対」は所属・名前を名乗
るなど、だいぶ丁寧になってきたと聞いているが、関係団体で
も実践してほしい。
(6)慣習・前例主義、現状維持、横並び意識を打破し、企画力・
チャレンジ精神を高めてほしい。
(7)限られた時間の中で、より素晴らしい成果をあげられるよう
に「働き方を工夫」してほしい。
以上、「7つの心構え」を常に念頭に置いて、実践いただくこと
をお願いしたい。
さらに、昨年度は、職員の不祥事がたくさん起きた。こうした不
祥事は、市役所や職員全体の信用や信頼を損ねることになるし、市
民の皆様に対し本当に申し訳ないことであり、大変残念な思いであ
る。新年度のスタートに当たり、あらためて綱紀粛正に留意し、二
度とこういうことが起きないようにしてほしいと申し上げました。
以上、新年度のスタートに当たって、職員に伝えた話です。理念
に走りすぎて、具体性が足りないとは感じていますが、ぜひ職員に
は実行してほしい事柄です。