2006年11月30日木曜日

忙しかった11月


 今日で11月が終わり、明日からはもう師走です。毎日、毎月、
忙しく過ごしていると(日程をこなしているという感じかもしれま
せんが・・・)つい自分の日程が分からなくなり、自分を見失いそ
うで、怖いものです。今回は、11月の市長日程のなかで、既に報
告したこと・通常の日程は別にして、いつもと違う事柄について報
告します。
 11月は長野の晩秋と言ってもよい季節で、月末になるともう寒
くなってきますが、それまでは何をするにも良いシーズンです。

産業フェア in 善光寺平 2006
 産業フェアは今まで長野では行われてきませんでした。この種の
イベントは県内では諏訪地方で以前から取り組んできていますが、
長野でも実施しようということで、長野法人会に音頭をとっていた
だき、千曲市、須坂市にも協力をお願いして、北信地域の企業に働
き掛け、実現しました。ものづくりを盛んにしようということが狙
いですが、企業、学術研究機関、行政等が参加し、連携を深め、お
互いの情報交換あるいは商談等が行われました。今後工夫をしなが
ら、恒例となってほしい事業です。

長野エルザサッカークラブの感謝祭
 今シーズンは残念ながら長野エルザは最終戦に破れて、北信越一
部リーグ二連覇の夢を逃しました。来年こそとバドゥ監督を中心に、
今新たな意気込みに燃えています。長野エルザは来年から名前を
AC長野パルセイロ(スペイン語でパートナーの意味)と変え、新
たな出発をします。
 その長野エルザのバドゥ監督が長野市消防局の依頼を受けて、一
日消防長を務めてくださいました。金モールのついた制服に身を固
め、格好良く火災予防の広報活動等を行っていただきました。

国宝善光寺本堂再建三百年記念事業協力推進委員会がスタート
 来年、善光寺の現在の本堂が当時の松代藩の手で再建されて
300年になります。善光寺は1400年の歴史の中で何度も火災
により焼失しているようです。その記念事業を善光寺が計画してお
られ、長野商工会議所や長野市などが応援することになりました。
期待してください。

中核市サミット2006イン岐阜
 岐阜市で開催されましたので、市長として出席しました。全国
37の中核市が団結し、地方分権の流れを定着させるために、「地
方財源の充実確保」「地方分権の推進」などの国への要望事項およ
び中核市としての都市経営の方針を示す「中核市サミット岐阜宣言」
を採択し、国へアピールしました。

県知事と市長会の懇談会
 何年かぶりですが、市長会と県知事の懇談会が開催されました。
村井知事が誕生して2カ月余、県知事と市長の対話が復活し、胸襟
を開いて協力しあえる雰囲気が生まれてきました。

全国精神障害者家族大会
 全国の精神障害者の家族の皆さんが長野に集まって大会が開かれ
ました。平成18年4月1日に障害者自立支援法が施行されました
が、障害者の皆さんにとってまだまだ問題があるように感じました。
この種の大会では異例のことですが、来賓として招待された厚生労
働省課長の祝辞に厳しい野次がとんでいました。
 障害の有無にかかわらず、誰もが互いに人格と個性を尊重し、支
えあう共生社会をつくらなければならないと感じました。

県収入役会
 来年から地方自治法がいろいろ変わります。例えば助役という役
職がなくなり、副市長に変わり、新しく位置付けられるようです。
また、経過措置はあるものの収入役(県では出納長)は制度として
無くなります。
 先日県内市の収入役が長野市に集まり、この自治法の改正を受け
て県収入役会の解散が決議されました。来賓として、県市長会の矢
崎会長(茅野市長)、那須野市長会事務局長、そして開催市の議長、
市長ということで4人が招待されました。
 
野尻湖游泳協会80周年
 この協会は昭和2年に発足した団体で、今年で80周年になると
のことで、その記念式典が行われました。戦後60年を過ぎて、こ
のところ60周年記念という会合には時々お招きいただくのですが、
任意団体で80周年というのは大変なことだと思います。毎年夏、
野尻湖一周の遠泳を主催しておられますが、80年間一度も事故が
無いということですから、その運営のノウハウは素晴らしいものが
あるのだと思います。フジヤマのトビウオとして有名な古橋廣之進
さんの記念講演をお聴きしました。

2006世界バレー男子長野大会
 バレーボールの世界選手権(男子)が長野市のホワイトリンクで
開催されました。昨年はワールドグランドチャンピオンズカップ
2005長野大会が開催されましたので、2年連続で国際大会のホ
ストを務めたことになります。2年連続というのは運営する側とし
てはかなり厳しいのですが、国際バレーボール連盟から、長野でぜ
ひ開催したいとのお話があり、お受けしたものです。(長野のホス
ピタリティー、競技運営能力を高く評価していただいているとのこ
とです)。私は、アメリカ対ブルガリア戦の始球式を務めさせてい
ただきました。間近で見る一流選手のプレーはさすがと感じました。
 日本チームの試合は長野ではありませんでしたが、24年ぶりの
ベスト8入りということで、更に盛り上がっていくと思います。

えびす講花火大会
 恒例の花火大会ですが、今年は101回目。新聞発表によると、
32万人の見物客が犀川の河川敷を埋め尽くし、5000発の花火
が上がったようです。全国的にみて、この時期の花火は珍しいとい
うことかもしれませんが、寒いにもかかわらず、今年は県外から
2000人以上の方が、来られたそうです。年々盛んになってきて、
長野の晩秋の風物詩としてすっかり定着しています。ミュージック・
スターマインという音楽とスターマインの組み合わせというのは、
私にとって初めての経験ですが、新しい試みとして大変興味深く感
じました。

以上、11月にあったことを幾つか報告しました。
 「元気なまちづくり市民会議」も例年より早く行おうと考えて頑
張ってきましたが、11月末で市内32カ所すべて終了しました。
移動市長室や団体別の市民会議などは、まだまだ続きますが、一応
一区切りと思っています。

2006年11月22日水曜日

市長就任以来、5年が経過します(その3)


 2回に分けて、就任以来5年間、一生懸命取り組んできたこと、
まだまだ至らぬ点等について報告してきましたが・・・今回はこれ
だけはどうしても皆さんに知っておいてほしいと日ごろ感じている
ことを書いてみたいと思います。それは、自治体の財政事情であり、
その中でも退職金問題です。

 市長就任以来、「入りを量りて、出ずるを為す」をモットーに長
野市政の運営、いわゆる経営をしていますが、なかなか厳しい現実
にぶつかっています。夕張市が、財政再建団体になった記事は、行
政を運営するものにとって衝撃的なニュースでした。
 どこも苦しい、トヨタ自動車の本拠地がある豊田市等は別格で財
政事情は良いとのことですが、地方都市の長野市は、県都であり、
中核市であるといいながら、まだまだ景気は上昇機運とは言えず、
税収は上がってきません。
 統計数字を見ながら、他都市との比較をしているのですが、行政
の統計は必ずしも同一の基準になっているとは言えず、よく分から
ないことが多いというのが実感です。

 市長に就任して最初にびっくりしたこと、特に民間企業との比較
でびっくりしたのは、決算書上に市職員の退職給与引当金という項
目が無かったことです。どうやっているのかと言うと、毎年予算を
組む段階で、新年度の退職者の退職金を計算して予算書に計上する
のがルールでした。私は思わず「エー!」と声をあげました。払え
なかったらどうするの?毎年退職者の人数はバラつくはずだけれど、
どうするの?疑問だらけでした。

 さらに平成17年1月に4町村と合併をしましたが、そのとき、
もっとびっくりしたのは、町村の退職金についてです。町村職員の
退職金は、県内町村等が事務委託している町村総合事務組合(地方
自治法に基づく一部事務組合)に負担金を払っていて、退職者が出
ると町村総合事務組合が直接退職者に退職金を払っているのです。
問題がないように見えますが、その負担金と退職金のバランスがと
れていないのです。
 長野市は4町村と合併したとき、町村総合事務組合から請求がき
ました。合併で町村が町村総合事務組合から抜けるときは、町村総
合事務組合は当然精算を要求することになりますから、長野市に合
併した町村の過不足を精算してくださいというわけです。

 市の場合も民間に比べたら健全とはとても言えないのですが、そ
れでも毎年3月市議会へ、4月からの新年度一年間に退職する人の
退職金を計算して、予算を組み、予算書として提案・議決をするわ
けです。町村の場合は予算書にどう載せるのか、詳細は分かりませ
んが、その年度の退職者に支払う退職金総額について、町村議会は
知らないでも過ぎてしまうのではないでしょうか?

 合併の場合は、市町村間で合併協議がありますから、もちろん事
前には分かります。それを承知で合併の承認をしたわけですから、
今さら文句を言っているわけではないのですが、実態を市民の皆さ
んに知っていただくために、あえて書かせていただきました。4町
村合併の時、町村総合事務組合の精算として長野市は約10億円を
支払いました。これは既に町村を退職された方に支払われた退職金
ですから、長野市としてはどこへも請求できないわけです。そこで、
4町村から引き継いだ財政調整基金8億6千万円を財源として充て
ましたが、不足分は長野市が負担せざるを得ませんでした。

 前述したとおり、市長就任後、退職金について民間との違いを、
どうしたらよいかいろいろ悩みました。他市の状況等を聞きました
が、どこも似たり寄ったりのようでした。
 確かに民間企業の場合は、決算期末に在籍している社員全員の退
職金を全額退職給与引当金として積み立てるか、あるいは外部に積
み立てることが原則ですが、長野市が直ちにそれをやるとすれば、
百数十億円が一挙に必要になるはずですから、それは不可能です。

 そこで私は、第一段階としてできることから行おうと決心し、次
のような手を打ちました。長野市の職員構成を調べると、当時30
代半ばの職員が男女共に多いことが分かりましたので(理由は長野
オリンピックです、オリンピック開催が決まってから仕事量が増え、
NAOCへの派遣職員も含め、人数が増加していました)、その人
数が一番多い年代の人が辞めるときスムーズに退職金を払うため
に、毎年一定の金額を退職金に計上し、その年必要な額はその中か
ら支出して、残りは積み立てることにしました。

 その一定の金額を計算してもらったら、平成14年当時で年16
億円になりました。大変な金額ですが、目をつぶって積み立てよう
・・・そうすれば約25年後の長野市の退職者最多期もあまり影響
しなくて切り抜けられるはずであるし、その後は人数がぐっと減り
ますから負担は減ってくるはずと考えました。一応平成14年度か
らその方法で実行しており、平成17年度末現在、27億円の積み
立てができています。

 他の自治体では、来年から団塊の世代の大量退職者が出るため、
退職金の支払いが大変とのことで、国は退職手当債を発行すること
を認めているようです。これも問題の先送りですが、まあ仕方ない
のでしょう。

 長野市は幸いなことに、団塊の世代の退職者はそれほど多くはあ
りません。何故だろうと考えてみたのですが、昭和41年の大合併
が影響しているようです。団塊の世代が社会に出てきたのは昭和4
2年~44年ころでしょう。そのころ長野市は大合併の余波で職員
数がかなり多くて苦しんだのではないでしょうか。それ故に、長野
市は採用抑制策をとったのではないか、そのおかげでその時代に入
った人が定年を迎える現在、あまり苦しまなくても済んでいる・・
・といえるのですが、約25年後には現在30代後半の職員が定年
を迎える時期で逆に悩むことになる、そしてその時は団塊の世代の
時とは違って、長野市独自の問題ですから、国の助成策は出てこな
いと覚悟しなくてはいけません(現段階はまさに皆で渡れば怖くな
いという状況です)。

 過去、市町村の財政状況を語るとき、一般会計について問題にす
ることが多かったと思います。しかし、長野市には一般会計だけで
なく、水道事業会計をはじめとする企業会計、国民健康保険特別会
計などの特別会計といったいろいろな会計があります。そのほか、
市役所そのものではありませんが、実質的に市役所がその仕事をや
っていると市民が思っているであろう、市と密接な関係をもってい
る開発公社や社会福祉協議会などの外郭団体もあります。

 近年、地方自治体の破綻(はたん)が問題になってきて、総務省
は一般会計の借金だけでなく、市の全ての会計について評価対象と
し、外郭団体の債務についても、「市が客観的に負担する蓋然(が
いぜん)性の高い部分」を対象とする方向で検討を進めています。
当たり前のことですが、そのときの基準、あるいはモデルをどうす
るのか・・・なるべく厳しくするべきであると思います。幾つかの
会計を作ることで故意とはいわないまでも実態を見えにくくしてい
る可能性もあると思います。将来必要となる市職員の退職手当の扱
いについても同様と考えます。

 私に対して「市長はお金のことばかり言いすぎる」と批判する方
がいらっしゃることは承知しています。でも夢が無いと言われよう
が、間違っていると言われようが、お金、すなわち長野市の財政を
きちんとしなくては、将来は無いと私は固く信じています。国・県
の動向を見ながら、そして長野市の将来をみつめながら、次の時代
に飛躍できるような状況を作り出すことが私の責務であると思って
います。

 企業でさえ、永遠の存在でありたいといつも願っている、まして
行政は永遠の存在であることが必然なのです。未来の子どもたちに
ツケを残すことは、できるだけ避けなくてはならない・・・財政に
ついて考えるとき、私はいつもそんなことを考えています。

2006年11月16日木曜日

鬼無里のランランカーニバル・ブナ林の散策


 11月3日、文化の日。紅葉が映える伝説の里・鬼無里へ出掛け
ました。第16回の「鬼無里ランランカーニバル」の開祭式に出席
し、併せて奥裾花自然園のブナ林をゆっくり体験してみようという
ことで、市の産業振興部や企画政策部の職員と一緒に出掛けました。

 ランランカーニバルは、鬼無里村時代の平成3年に始まったイベ
ントで「誰でも参加でき、誰でも楽しめるマラソン大会を開催した
い」ということで、地元の有志が中心になって立ち上げたもので、
以来毎年11月3日文化の日に開催しているのだそうです。平成3
年と言えば、イギリス・バーミンガムで長野オリンピックの開催が
決定した年ですから、あれからもう15年も経っているんですね!
今年も長野市内外から500人を超える多くの皆さんが参加されま
した。

 昨年の第15回大会は、鬼無里村と長野市の合併記念大会として、
名誉大会長である瀬古利彦氏にもご来場いただき、参加者の皆さん
と一緒に走っていただくなど盛大に開催されたそうです。今年も3
キロ、5キロ、10キロの各コースに瀬古利彦杯を設け、優勝者に
は瀬古利彦名誉大会長からご寄贈いただいたトロフィーのレプリカ
をお贈りすることになっていました。瀬古さんは昔、中距離ランナ
ーからマラソンに転向して一世を風靡(ふうび)した名ランナーで
すよね、早稲田大学の競走部時代から中村清監督との師弟コンビ・
・・私の憧れの方で、ぜひお会いしたかったのですが・・・。

 他にも「ペアペア3000」という、ペアで3キロを走るコース
や、歩くコースも設定されていまして、「パノラマ歩け歩け
4989」とか「歩け歩け3000」というコース名がついていま
した。4989は四苦八苦ですかね。私はスターターを務めさせて
いただきました。参加者の皆さんは、絶好のマラソン日和に恵まれ、
紅葉の中を走ったり歩いたり、その後は、きのこ汁を味わうなど、
大いに楽しんでいただいたようです。

 皆さんのスタート後、奥裾花自然園へ向かいました。鬼無里の素
晴らしさを満喫するだけでなく、今後「鬼無里イヤー」に取り組む
ためにも、実際に自然林の中を散策して、その魅力を確認しようと
いう意図もあり、市の職員10人ほどが同行しました。

 今年は気候のせいか、全般に紅葉はあまり綺麗(きれい)ではな
いと言われていますが、奥裾花ダムの辺まで行くと、大変美しい紅
葉を見ることができました。鬼無里の別名は「谷の都」ということ
ですが、確かに裾花川やダムの魅力は、紅葉の時期にはとても大き
くなることを実感しました。昔、上高地へ行ったとき、梓川沿いの
道で素晴らしい紅葉に出会ったことがありますが、鬼無里の紅葉も
まさに「谷の都」の名前に恥じない素晴らしい景色でした。

 自然園を案内してくださった人はガイドボランティアの宮沢さん
で、二時間半ぐらい、ブナ林の中を歩きながら、ブナの木、ミズナ
ラ、コナラ、いろいろな雑木林について知ることができました。山
の話、風倒木の話、小さな花、クマの話、雪が7メートルぐらい積
もるとのこと・・・宮沢さんの話に、私はすっかり魅せられてしま
いました。

 北側の山際で崩落が起きたため、その復旧の工事が必要で、その
ためダンプが通行可能な道路が出来ていました(舗装などはしてあ
りませんが)・・・災害を防ぐ工事のためには仕方ないことですが、
自然を壊しているみたいで、ちょっと残念な風景でした。でも上部
の崩落は、遠くから見ただけですがかなり大きく、放っておくこと
はできない規模でした。

 鬼無里の案内パンフレットによりますと、昭和43年に明治
100年記念事業の一つとして、長野県内の代表的な自然を保護し、
自然教育の場とするために「自然園」が設けられたのだそうです。
奥裾花自然園は標高1250~1280メートルで、面積
122.6ヘクタール、日本の温帯林を代表するブナの原生林の中
にあります。今池湿原のミズバショウは、周囲1000メートルの
池の範囲に密生しており、5月上旬の雪解けとともに白い花が咲く
ミズバショウの群生地としては尾瀬などより大きく、本州随一とい
われています。

 ブナ林のなかにある吉池は小さな池ですが、イモリ・クロサンシ
ョウウオ・モリアオガエルが生息しているそうです。5月下旬には
池の中にクロサンショウウオのマユ玉の卵塊がたくさんみられます。
モリアオガエルは池の上に伸びた木の枝に産卵する習性があるそう
ですが、蛙(カエル)合戦もかなり華やかに繰り広げられるのだそ
うです。鬼無里はミズバショウで有名ですが、宮沢さんの話では、
「6月、ブナ林の芽吹きの頃が一番素晴らしい」とのこと、別の方
は「いや、夏がベストだ」とおっしゃっていました。私は「秋の紅
葉の頃も良いですねえ」と申し上げましたが・・・。

 今池湿原のミズバショウの群生地まで戻ってから宮沢さんに聞い
た話ですが、ミズバショウは太陽の光を嫌うのだそうで、あたり一
面背丈ぐらいの高さにカヤが生い茂っている、そのカヤがミズバシ
ョウを守っているのだそうです。見通しが悪いからとカヤを刈った
りすると、ミズバショウはドンドン小さくなってしまうということ
でした。

 そういえば、今年はクマの出没事例が多いそうです。これも宮沢
さんいわく「クマに出会ったら、死んだふりをしても駄目、木に登
っても相手の方が木登り上手、逃げても4つ足にはかなわない」の
だそうです。じゃあどうするのですかとお聞きしたら「出会わない
ようにするしか無い」そうです。鈴を持ったり、ラジオをかけたり、
大きな声を出してみんなで騒ぎながら行くのが、コツだそうですが
・・・何だか心細い話でした。

 散策を終えて、観光センターのところで昼食をとりました。きの
こを主体にした珍しい山菜料理に舌鼓を打ちました。特別に出して
いただいたマツタケより貴重な「ツガダケ」と言う珍味もいただき
ました。
 食堂を経営しておられるご夫婦は、ここで30年前から商売をし
ており、冬になればお店を閉じるのだそうで、今年は11月5日だ
そうです。昨年は11月3日に50cmも雪が積もったそうですが、
今年は雪の兆しがない(11月3日時点の話です)ようです。

 鬼無里のミズバショウ、ブナ林は有名ですし、私も何度か訪れた
ことがありますが、今回は新しい発見が随分ありました。平成20
年度に奥裾花自然園への大切な道路、県営林道大川線の大規模改修
工事が終了する予定ですので、平成21年度を「鬼無里イヤー」に
しようと産業振興部では計画を立てています。鬼無里には自然だけ
でなく、素晴らしい文化、歴史、そして優しい人たちがいらっしゃ
います。素晴らしい年にしたいものですね。

 今回、素晴らしい経験ができたのは、ボランティアのガイドをや
っていただいた宮沢さんのおかげが大きいと思います。私がいつも
言っていることですが、観光地には「語り部」が必要ということ
を実感させていただいた案内であり、見事な語りでした。宮沢さん
ありがとうございました。

2006年11月9日木曜日

市長就任以来、5年が経過します(その2)


 先週は、5年間こんなことをやってきましたということで、主な
ものを報告しましたが、今週は、まだまだ至らぬことを中心に(そ
の2)を書かせていただきます。あまりにたくさんありすぎて(そ
の3)(その4)・・・と続くかもしれませんが、悪しからず。

(1)今後のことというより、「現在一番喫緊の課題は」といえば、
長野広域連合が計画しているごみ焼却施設の建設です。最初の施設
を長野市に建設することが決定されてから、長野市では、公募委員
や学識経験者の方にも入っていただいた検討委員会で建設候補地を
慎重に検討していただきました。答申を受けてから環境部を中心に
全庁挙げてのプロジェクトを組んでさらに検討しました。そして大
豆島松岡二丁目を候補地として選定し、大豆島地区、松岡区の皆さ
んにお願いしている段階です。

(2)長野市の新斎場の建設も、(1)と似ている部分もあります
が、松代町寺尾地区にお願いすることを決定し、生活部が中心にな
って、これもご理解をいただけるよう地域の皆さんと話し合いをし
ています。斎場は人生終焉(えん)の地、ある意味では聖地である
と考え、葬送の場にふさわしい施設建設をしたいと考え、取り組ん
でいます。現在の斎場は、大峰山、松代と鬼無里にありますが、人
生最後の別れの場としてはいずれも老朽化しており、申し訳ない状
況になっていると思っています。まだ地元の皆さんに計画をご説明
している段階ですが、ぜひご理解いただきたいと考えています。

(3)教育問題については、基本的には教育委員会の専権事項です
ので、市長としてあまり口出しをすることは、ルール上は問題があ
るのですが、しかし現在の教育環境については行政的に解決しなく
てはならないことがたくさんあると考え、全力を挙げる決意で取り
組んでいます。
 
 今取り組んでいることの一つは、学校規模の適正化ということで、
通学区の見直しを行っていることです。この問題は三つの面があり
ます。第一は、中心市街地における児童数の減少に伴って小規模校
化が進んでいることです。第二は、中山間地の学校が、極めて少人
数学校になっていることです。第三は、地域によって、子供の数が
アンバランスになって、大規模校と小規模校が混在していることで
す。
 中心市街地については、市内のどこからでも3校を選択して就学
できる「特例校制度」を導入し、今後の方向を決めていくこととし
ていますが、中山間地の場合は、隣の学校といっても距離が遠いこ
とから、教育環境と地域の活性化問題も絡んで、大変難しい問題で
もあり、悩んでいます。また、大規模校と小規模校の混在について
は、可能な地域では、大規模校に隣接する学校へも就学できる「限
定隣接学校選択制度」の導入を進めていきたいと考えています。
 いずれにしろ、私たちの意見は、学校では一定以上の人数の子供
たちが、切磋琢磨しながら、学び、そして遊ぶことが大切で、子供
の将来のためにも絶対に必要であると考えています。何とかしなく
てはならないテーマです。
 
 教育問題としてはその他たくさんあります。平成20年開校予定
の「市立長野」を県内唯一の市立高校として、立派な学校にしよう
という市民の期待にどう応えるか、難しい、でもやりがいのあるテ
ーマです。
 それと長年の悲願である大学誘致も、大学倒産の時代と言われて
おり長野市の力だけでは無理かもしれません。しかし、長野市の現
状(20歳前後の若者が少ない)を考えると、実現したいものと考
えています。
 学校の安全・安心のシステムを検討することも大切ですし、学校
の耐震問題も頭の痛い問題で、少しでも早く解決しなくてはならな
い課題です。

(4)産業としての農・林業をどうすればよいか、農・林業の再生
も長野市にとって重要な課題です。国では、農業の足腰を強くする
ため、19年産の作物から一定の条件を備えた「担い手」を対象に
支援を行う新たな仕組みを導入します。本市は市域の70%を中山
間地域が占めており、主な産業は農業ですが多くは小規模農家です。
そのため、来年(仮称)長野市農業公社を設立して現状を打破する
ための一助になれるよう本格的に取り組む予定です。農・林業の再
生が無い限り、元気なまちにならないのではないかと感じています。

(5)福祉については、複雑で法律も目まぐるしく変わってきてお
り、市町村とすれば基本的には国の方針に従っていかざるを得ない
のが実態です・・・ただ、柳町保育園、三本柳児童センター、豊野
西部児童センターなどの建設やこども広場の「じゃん・けん・ぽ
ん」、「このゆびとまれ」の開設などハード面を中心に子供の環境
整備は進めてはいるのですが・・・。

(6)入札制度の改革も難しいテーマです。専門家にお願いして、
かなり努力しているつもりですが、まだ完璧という改革はできてい
ません。今後も研究して、より良い制度にしていかなくてはなりま
せん。

 今回の(その2)についてはこのくらいにして、次回以降(その
3)をいつか書かせていただきます。特に財政再建については、ど
うしてもお知らせしなくてはならない問題と感じています。


 話は変わりますが、私が市長就任以来、5年が経過した中での大
きな変化としては、村井新県政が誕生したことです。
 先日ある場所で村井知事就任後、2カ月経った時点での感想を述
べさせていただきましたので、その要約を報告させていただきます。

(1)県職員の顔が明るく、元気になり、自分の意見を言うように
なった。トップが代わるとこんなに変わるものかとびっくりしてい
ます。

(2)私も含めて、知事への要望・陳情活動がめじろ押しと聞いて
います。
 長野市からも、20項目(本当はもっとあるのですが)出させて
いただきました(内容は第230号のメルマガに書いてありますの
で、ご参照ください)。長野市独自と思われるものは極力はずし、
県全体を考えた提言にさせていただきましたが、浅川治水問題やオ
リンピック問題を含んでいます。田中知事の6年間、たまりにたま
った(言い換えればあきらめていた)提言なので、ぜひ受け取って
ほしいと思います。

(3)財政状況が厳しい折、村井知事になったからすぐ実現できる
と思っているわけではありません。ただ対話が復活した、仮に長期
的になるとしても真に市町村の願いを聞いていただける状況が整っ
たことを、皆が喜んでいます。

(4)一つだけ、知事さんに注文したいことがあります。
 それは前知事の良かった点といえることですが、県職員が市町村
に来たとき、高姿勢でなくなったことです。田中知事登場前は、県
の職員が市町村に来た場合、市町村、特に町村の職員は、「直立不
動」だったという話をよく聞きました。田中知事になってから、県
職員の目線が、低くなっており、これは良いことだと思います。で
すから、昔に戻ってもらいたくない(目線を低くし、本当の意味で
地域の実情を理解してくれていればもっとよかったのですが)、何
人かの首長がそう言っておられます。対話を重視した上で、強いリ
ーダーシップを発揮してほしいと思います。

(5)私(長野市長)にとっての4年半、県政との付き合いは大き
なストレスでした。重石がとれて、ようやくきちんとした対話によ
って行政に取り組むことができる環境が整ったと思います。県都の
市長として県との協力関係を築く中で、一生懸命務めて行きたいと
考えています。

 以上が私の発言内容です。村井知事は9月1日に就任されて、手
堅い手法で確実に前進しておられると感じています。ぜひ頑張って
いただき、長野県を再生してほしい、そんな気持ちから話をさせて
いただきました。

2006年11月2日木曜日

市長就任以来、5年が経過します(その1)


 平成13年11月、市長に就任させていただき、自分のすべてを
かけて、この職を全うしようと決心して以来、5年が経ちました。
今回は、私の5年間を振り返ってみたいと思います。
 多少、手前みそになることはお許しいただくこととしまして、実
績が上がったかなと思うことから、まだまだ途上ということまで、
今頭の中にあることを、書かせていただきます。

(1)「中心市街地の再生」が、私の市長になろうと決心した原点
 でした。オリンピック後の経済の落ち込み、加えてバブル崩壊に
 伴う平成大不況・・・長野のまちがこのままではどうにもならな
 い、何とかしたいと考えました。幸い、センタービルのオーナー
さんたちの決心、SBCの塩沢会長(当時社長)の決断、それを
 支えた弁護士や会計士の皆さん、銀行、商店街の人々、そして長
 野商工会議所の決断・・・行政としてはやれることはすべてやっ
 たつもりです。そんないろいろな人々の努力が実って、もんぜん
 ぷら座、ぱてぃお大門、トイーゴ、トイーゴパーキング・・・少
 なくとも、街ににぎわいが戻りつつあることを実感しています。
 今後は民間の努力に期待しています。
  ただ、長野市の中心市街地は篠ノ井、松代を含め、3カ所ある
 のですが・・・特に篠ノ井については、これからと考えています。

(2)「エコール・ド・まつしろ」もまずまずの成果を挙げたプロ
 ジェクトと思っています。明治維新以来、真田十万石の城下町が
 失礼な言い方をすれば、忘れられていたと思います。それに目を
 向けさせていただいたのは、ボランティアの人々が書いた「松代
 見て歩き」という一冊の本でした。松代に埋もれている素晴らし
 い資源、これを世に出さない手はない、善光寺に頼っている長野
 の観光に厚みをつくろう・・・「松代イヤー」のスタートでした。
 地域の皆さんの思いと結束力、エコール・ド・まつしろ倶楽部に
 集まった幅広い人脈、歴史的文化財を使って学ぶ、そして遊ぶ・
 ・・携わってくださった人々の発想の豊かさ。もともと持ってい
 た松代の素晴らしさが一気に花開いたと言えるかもしれません。
 隠れたヒットは、「長野市・松代」でなくて「信州・松代」の方
 がピタリとくる感じですねと言ったことでしょうか・・・古い武
 家屋敷、文武学校、寺町などのイメージは、長野市より信州・松
 代の方でよかったと今も思っています。でも松代が本当に松代ら
 しくなるには、松代の皆さんの一層の努力が必要です。
  観光事業としては、松代だけでなく、集客プロモーションパー
 トナー都市協定、信州北回廊プロジェクト、中山間地と都市部の
 交流、多軸都市として7地域のブランド化などに取り組んでいま
 すが、これからです。

(3)周辺4町村との合併を実現しました。長野市とすれば、次の
 発展につながる素晴らしい資源を持つ地域と合併できたものと考
 えています。昭和41年に、長野市、篠ノ井市、松代町など2市
 3町3村が大合併し、その後の大発展につながりました。時代は
 違いますが、必ずや将来につながる合併だと信じています。
  信州新町、中条村にも長野市との合併へ向けての動きがありま
 す。長野市の姿勢は、それぞれの自治体が、住民総意に基づいて
 の申し入れがあれば、真摯(しんし)に検討しますとお答えして
 います。

(4)広報広聴制度を点検し、分かりやすい行政を行うことを心掛
 けました。毎年市内30地区で行う「元気なまちづくり市民会議」
 では、大きめのスクリーンとスライドを導入(当初は、庁内での
 抵抗があったのですが)して分かりやすくしたり、平日開催を土
 ・日曜日、祝日、夜間にも開催するようにして、女性や働く若い
 人たちにも参加しやすくなったと評価していただいています。ま
 た、市のホームページの充実に気を配りました。このメルマガも、
 私の考えていることを分かりやすく伝える手段として有用と考え
 ています。市民との対話だけでなく、職員との懇談、意識改革に
 も努力したつもりです。分かりやすいということは、きちんとし
 た行政につながることだと思っています。今後も努力・工夫をし
 ていきますが、一定の効果はあったと思っています。

(5)「民間活力の導入」は、私の歴史的使命であるといい続けて
 きました。たまたま小泉前首相が、「地方でできることは地方に、
 民間でできることは民間に」という政策をとってくれたのは、追
 い風でした。「行政がやらなくてはならない、行政がやれば安心」
 という言葉は神話に過ぎないと申し上げ、努力してきたつもりで
 すし、民間事業者のレベルは大変上がってきていると感じていま
 す。聖域なく行政の業務すべてを対象に考えているのですが、手
 法としては、民営化(秋葉・松ヶ丘保育園)、業務委託(斎場の
 管理業務、第二学校給食センターの調理業務、水道料金の徴収事
 務等)、指定管理者制度(約300カ所についてめどが付きまし
 た)、※PFI事業(温湯温泉施設)・・・あらゆる手段を駆使
 しているつもりです。まだ、市民の皆さんにご理解いただかなく
 てはいけない部門もありますが、いずれはやりとげるつもりです。

(6)「市民の皆さんとのパートナーシップによるまちづくり」も
 言い続けていることの一つです。行政がすべてをやる時代ではな
 い、「市民と共に」市民にも汗をかいていただきたい。戦後60
 年の経過の中で、定着してしまった市民の「お任せ民主主義」
 「悪い意味での個人主義」を何とか打破したい・・・そのことに
 よってコミュニティーの再生を図りたい、これも市長就任の大き
 な動機でした。
  一方、地域を回っているうちに、行政の縦割り組織の欠点もい
 ろいろ見えてきました。縦割り組織の良い部分もあるのですが、
 もう少し違う発想、すなわち横軸を一本通した組織、総合的に行
 えるフレキシブル(柔軟)な組織に出来ないものかと考えていま
 した。
  パートナーシップと横軸一本が一緒になって出てきたのが、
 「都市内分権」の発想です。本年を都市内分権元年と位置付け、
 地方分権が進むなかで、市の中でも分権を進めることによって、
 コミュニティーの再生が進み、市民が自分たちの地域は自分たち
 で決めるシステムをつくる・・・まだスタートしたばかりで、住
 民自治協議会の設立もこれからですが、ぜひ実現したいと考えて
 います。

(7)浅川治水を守る・・・5年間、田中前知事の攻勢をしのいで
 きましたが、ようやく村井知事が誕生しましたので、希望が持て
 る展開になってきました。これも私にとっては就任以来の大きな
 仕事でした。安全安心のまちづくりは、首長にとって大切な仕事
 であり、浅川治水は図らずもその象徴のようになってしまいまし
 た。技術屋ではない私にとって、かなり厳しい仕事でしたが、専
 門家の意見をお聞きしながら、そして長沼地区や関係地区の住民
 の皆さんの話を聞きながら、きちんと問題を整理して発言してき
 たつもりです。近いうちに良い方向が出そうだと感じていますが、
 本来なら平成18年度末には完成するはずの治水計画です。どん
 なスケジュールを作るかが焦点になりそうです。

 以上、思いつくままに、5年目の区切りとしてこんなメルマガを
書かせていただきました。長くなりましたので、今回はこのくらい
にして、次回はまだ至らぬ点について書かせていただきます。

※ プライベート・ファイナンス・イニシアチブ(Private
 Finance Initiative)の略。民間の資金、経
 営能力及び技術的能力を活用して公共施設等の設計、建設、維持
 管理、運営等を行う手法のことで、平成11年に「民間資金等の
 活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律(PFI法)」
 が成立し、国や各自治体で事業化に取り組んでいる。