平成13年11月、市長に就任させていただき、自分のすべてを
かけて、この職を全うしようと決心して以来、5年が経ちました。
今回は、私の5年間を振り返ってみたいと思います。
多少、手前みそになることはお許しいただくこととしまして、実
績が上がったかなと思うことから、まだまだ途上ということまで、
今頭の中にあることを、書かせていただきます。
(1)「中心市街地の再生」が、私の市長になろうと決心した原点
でした。オリンピック後の経済の落ち込み、加えてバブル崩壊に
伴う平成大不況・・・長野のまちがこのままではどうにもならな
い、何とかしたいと考えました。幸い、センタービルのオーナー
さんたちの決心、SBCの塩沢会長(当時社長)の決断、それを
支えた弁護士や会計士の皆さん、銀行、商店街の人々、そして長
野商工会議所の決断・・・行政としてはやれることはすべてやっ
たつもりです。そんないろいろな人々の努力が実って、もんぜん
ぷら座、ぱてぃお大門、トイーゴ、トイーゴパーキング・・・少
なくとも、街ににぎわいが戻りつつあることを実感しています。
今後は民間の努力に期待しています。
ただ、長野市の中心市街地は篠ノ井、松代を含め、3カ所ある
のですが・・・特に篠ノ井については、これからと考えています。
(2)「エコール・ド・まつしろ」もまずまずの成果を挙げたプロ
ジェクトと思っています。明治維新以来、真田十万石の城下町が
失礼な言い方をすれば、忘れられていたと思います。それに目を
向けさせていただいたのは、ボランティアの人々が書いた「松代
見て歩き」という一冊の本でした。松代に埋もれている素晴らし
い資源、これを世に出さない手はない、善光寺に頼っている長野
の観光に厚みをつくろう・・・「松代イヤー」のスタートでした。
地域の皆さんの思いと結束力、エコール・ド・まつしろ倶楽部に
集まった幅広い人脈、歴史的文化財を使って学ぶ、そして遊ぶ・
・・携わってくださった人々の発想の豊かさ。もともと持ってい
た松代の素晴らしさが一気に花開いたと言えるかもしれません。
隠れたヒットは、「長野市・松代」でなくて「信州・松代」の方
がピタリとくる感じですねと言ったことでしょうか・・・古い武
家屋敷、文武学校、寺町などのイメージは、長野市より信州・松
代の方でよかったと今も思っています。でも松代が本当に松代ら
しくなるには、松代の皆さんの一層の努力が必要です。
観光事業としては、松代だけでなく、集客プロモーションパー
トナー都市協定、信州北回廊プロジェクト、中山間地と都市部の
交流、多軸都市として7地域のブランド化などに取り組んでいま
すが、これからです。
(3)周辺4町村との合併を実現しました。長野市とすれば、次の
発展につながる素晴らしい資源を持つ地域と合併できたものと考
えています。昭和41年に、長野市、篠ノ井市、松代町など2市
3町3村が大合併し、その後の大発展につながりました。時代は
違いますが、必ずや将来につながる合併だと信じています。
信州新町、中条村にも長野市との合併へ向けての動きがありま
す。長野市の姿勢は、それぞれの自治体が、住民総意に基づいて
の申し入れがあれば、真摯(しんし)に検討しますとお答えして
います。
(4)広報広聴制度を点検し、分かりやすい行政を行うことを心掛
けました。毎年市内30地区で行う「元気なまちづくり市民会議」
では、大きめのスクリーンとスライドを導入(当初は、庁内での
抵抗があったのですが)して分かりやすくしたり、平日開催を土
・日曜日、祝日、夜間にも開催するようにして、女性や働く若い
人たちにも参加しやすくなったと評価していただいています。ま
た、市のホームページの充実に気を配りました。このメルマガも、
私の考えていることを分かりやすく伝える手段として有用と考え
ています。市民との対話だけでなく、職員との懇談、意識改革に
も努力したつもりです。分かりやすいということは、きちんとし
た行政につながることだと思っています。今後も努力・工夫をし
ていきますが、一定の効果はあったと思っています。
(5)「民間活力の導入」は、私の歴史的使命であるといい続けて
きました。たまたま小泉前首相が、「地方でできることは地方に、
民間でできることは民間に」という政策をとってくれたのは、追
い風でした。「行政がやらなくてはならない、行政がやれば安心」
という言葉は神話に過ぎないと申し上げ、努力してきたつもりで
すし、民間事業者のレベルは大変上がってきていると感じていま
す。聖域なく行政の業務すべてを対象に考えているのですが、手
法としては、民営化(秋葉・松ヶ丘保育園)、業務委託(斎場の
管理業務、第二学校給食センターの調理業務、水道料金の徴収事
務等)、指定管理者制度(約300カ所についてめどが付きまし
た)、※PFI事業(温湯温泉施設)・・・あらゆる手段を駆使
しているつもりです。まだ、市民の皆さんにご理解いただかなく
てはいけない部門もありますが、いずれはやりとげるつもりです。
(6)「市民の皆さんとのパートナーシップによるまちづくり」も
言い続けていることの一つです。行政がすべてをやる時代ではな
い、「市民と共に」市民にも汗をかいていただきたい。戦後60
年の経過の中で、定着してしまった市民の「お任せ民主主義」
「悪い意味での個人主義」を何とか打破したい・・・そのことに
よってコミュニティーの再生を図りたい、これも市長就任の大き
な動機でした。
一方、地域を回っているうちに、行政の縦割り組織の欠点もい
ろいろ見えてきました。縦割り組織の良い部分もあるのですが、
もう少し違う発想、すなわち横軸を一本通した組織、総合的に行
えるフレキシブル(柔軟)な組織に出来ないものかと考えていま
した。
パートナーシップと横軸一本が一緒になって出てきたのが、
「都市内分権」の発想です。本年を都市内分権元年と位置付け、
地方分権が進むなかで、市の中でも分権を進めることによって、
コミュニティーの再生が進み、市民が自分たちの地域は自分たち
で決めるシステムをつくる・・・まだスタートしたばかりで、住
民自治協議会の設立もこれからですが、ぜひ実現したいと考えて
います。
(7)浅川治水を守る・・・5年間、田中前知事の攻勢をしのいで
きましたが、ようやく村井知事が誕生しましたので、希望が持て
る展開になってきました。これも私にとっては就任以来の大きな
仕事でした。安全安心のまちづくりは、首長にとって大切な仕事
であり、浅川治水は図らずもその象徴のようになってしまいまし
た。技術屋ではない私にとって、かなり厳しい仕事でしたが、専
門家の意見をお聞きしながら、そして長沼地区や関係地区の住民
の皆さんの話を聞きながら、きちんと問題を整理して発言してき
たつもりです。近いうちに良い方向が出そうだと感じていますが、
本来なら平成18年度末には完成するはずの治水計画です。どん
なスケジュールを作るかが焦点になりそうです。
以上、思いつくままに、5年目の区切りとしてこんなメルマガを
書かせていただきました。長くなりましたので、今回はこのくらい
にして、次回はまだ至らぬ点について書かせていただきます。
※ プライベート・ファイナンス・イニシアチブ(Private
Finance Initiative)の略。民間の資金、経
営能力及び技術的能力を活用して公共施設等の設計、建設、維持
管理、運営等を行う手法のことで、平成11年に「民間資金等の
活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律(PFI法)」
が成立し、国や各自治体で事業化に取り組んでいる。