2006年12月28日木曜日

平成18年最終のメルマガです


 平成18年の仕事納めの日になりました。民間に居るとき、大晦
日(おおみそか)31日が休めるようになったのは、20年ぐらい
前からでしょうか。それより以前は、大晦日まで仕事をして、家に
帰ったら除夜の鐘という生活だったのですから、役所の勤務はあり
がたいものです。その代わり、普段は土・日曜日、祝日のない生活
をしていますので、年末年始ぐらいはお許しいただきたいと感じて
いるのも、事実ですが・・・。

 年末、あまりふさわしい話ではないと思いますが、最近感じてい
ることを、思い付くままに、アトランダムに書いてみたいと思いま
す。

 日本全体の中で公務員(公的な仕事をしているという意味では広
い概念で考えています)のプライドは、どこへ行ってしまったのか?
飲酒運転の事故、官製談合・天の声、汚職事件、裏金問題などの不
適切な行動・・・全国で起こる公務員の不祥事は一体どうしたので
しょうか・・・確かにそれは、ほんの一部の不届き者の仕業である
とは思います。しかし、その一部の不届き者のせいとはいえ、公務
員全体が批判されるのは、社会全体の奉仕者であることや、全体的
に公務員は恵まれているという社会認識からすると、ある意味で当
然だと思います。また、刑事罰にはならないとしても、もっと不適
切なあるいは不合理なこともあります。それは、政策の失敗により
後年度に大きな負担を国民にかけ、本人たちはのうのうとしている
ことです。これも極端な言い方をすればまさに犯罪と言ってもよい
でしょう。

 塩野七生さんの「ローマ人の物語」第15巻。まさに滅びようと
しているローマ帝国の最後の一世紀、問題山積みの中での言葉。
 「4世紀後半から5世紀のローマ帝国にとって真の問題は、生産
者数の減少と生産性の低下に反比例するかのように増加していた、
非生産者の数にあったのだ。軍人と官僚が二大非生産者だが、それ
に加えてキリスト教会関係者という、数でも力でも前二者に優ると
も劣らない人々を、国家ローマは養っていかねばならなかった。」

 さしずめ日本なら、江戸時代の武士階級でしょうし、現在の公務
員は現代の非生産者といえるかもしれません・・・ただこの非生産
者というのは、現代においてはローマ時代のように単純に分類する
わけにはいかないと思います。効率を上げるために企画をきちんと
作ることも、福祉の現場で苦労していることも、生産的な仕事でし
ょうから。しかし、この塩野さんの指摘は、行政改革に一層努力し
なくてはならない現在の行政の立場に、警告を発していると私は思
います。

 人口減の社会について、いろいろな議論がなされています。長野
市の人口も減少に転じたことは、先日のメルマガで報告したとおり
です。

 (社)地方行財政調査会が発行した「人口減少社会に直面して」
という出版物を読んでいましたら、国立社会保障・人口問題研究所
副所長の高橋重郷さんの文章が目にとまりました。難しい議論は別
にして、気になる点を書いてみますと、
(1)現在の出生率(合計特殊出生率)1.29を固定して推計す
 ると、2005年の日本の人口約1億2777万人が2100年
 には約4,100万人、さらに3300年になると一人になる。
(2)現実の日本社会は、もう既に35年間にわたって出生率が低
 い水準にある。1973年の石油ショックの翌年から持続的に出
 生規模が減少している。出生率が2.07以上ないと、人口は維
 持できない。
(3)低い出生率が目に見えて人口として現れるには30数年かか
 る、なぜかというと、親と子の平均世代間隔が34、5年あるた
 めです。
(4)もし日本の出生率が突然2.1に上昇したとしても、人口減
 少が止まるのはその後の30数年となる。すなわち2050年あ
 たりまでの人口減少は既に約束されており、避けることはできな
 い。突然の出生率2.1への上昇はありえない話ですから、実際
 にはもっと長く人口減少は続くということでしょう。
(5)平均寿命は女性85年、男性78年ということで女性が長生
 きしている。1910年前後には差がなかったのに、現在は7年
 も差がついてしまった。このことは、女性高齢者社会につながっ
 ていく。

 その他、65歳以上人口の推移、人口ボーナス社会、中国やイン
ドの出生率・・・大変、幅広に考察されています。

 これら推計結果から言える点や、超低出生率の社会経済的背景、
そして超少子化社会をどう乗り越えてゆくのか、さまざまな角度か
ら述べられていました。
 改めて人口減少社会について、頭の整理をさせていただいた気分
です。

 来年のNHK大河ドラマ「風林火山」にちなんで、井上靖さんの
小説を読んだことは、既に報告させていただきましたが、11月に
なって、童門冬二さんから「戦国一孤独な男 山本勘助」という本
を頂き、読ませていただきました。井上靖さんの本とはまた趣きが
違って、面白く読みました。
 また、池波正太郎さんの「真田太平記」全12巻も、人から薦め
られ読んでみました。歴史小説の常として、どこまでが史実で、ど
こがフィクションか、よく分かりませんが、山本勘助の生きた時代
と同じころから、江戸時代初期まで(真田信之侯が松代に移封され
るまで)のことで、とても面白かったです。

 安倍首相の「美しい国へ」も読ませていただきました。その他手
元にいろいろな本がありますが、忙しい日々の合間に読もうとして
もなかなか時間が取れずに困っています。

 待望の塩野七生さんの「ローマ人の物語」第15巻(最終)も休
み中、じっくり読みたいと思っています。私にとっては年末年始、
恒例の読み物です。

 さて平成18年も後わずかとなりました。今年もこのメルマガに、
いろいろな事柄を書かせていただきました。私の思いをうまく伝え
られたかどうか・・・お付き合いいただいた方々に感謝しています。
 まとまった雪が降ることを期待し、来年も良い年でありますよう
に願いつつ、そして良いお年をお迎えください。

※次回のメールマガジンは、平成19年1月5日金曜日に配信予定
です。

2006年12月21日木曜日

スポーツのイベントが満開です


 このところ、長野市は世界的なスポーツイベントが花盛りです。
 11月下旬、バレーボールの世界選手権(男子)がホワイトリン
グで行われたことは、既に報告しました。
 11月30日から12月3日までビッグハットでNHK杯国際フ
ィギュアスケート競技大会が行われ、男女シングルスで日本選手が
表彰台を独占するという、夢のような場面に出会いました。

 次週の9・10日は、エムウェーブでスピードスケートのワール
ドカップが開催されました。9日の男子500mでは、長嶋選手が
リンク・レコードで優勝しました。
 日本スケート連盟の会長・橋本聖子参議院議員が生まれたばかり
のお子さんを連れてお出でになりました。橋本さんが長野オリンピ
ックの直前、エムウェーブの完成式で模範滑走をしてくださったこ
とを覚えています。このたびの会長就任は、日本スケート連盟の改
革・立て直しを期待されて、就任されたものです。

 橋本会長、林副会長と懇談しました。私からはエムウェーブを国
(文部科学省)のナショナルトレーニングセンターに指定してほし
いので、日本スケート連盟からもぜひ応援してほしい旨、お願いし
ました。橋本会長からは、平成20年3月の世界距離別スピードス
ケート選手権大会をエムウェーブで開催することへの協力を、また
平成19年12月初旬にもワールドカップを長野で開催する可能性
があるのでそのときはよろしくと依頼されました。
 国内で最大の室内リンク(世界最大級)を持っている長野市です
から、協力することは当然です。特にナショナルトレーニングセン
ター指定となれば・・・でも資金的には長野市からの持ち出しがあ
るわけで、運営面で頭を悩ます問題です。

 続いてスパイラルで、11日から17日までリュージュワールド
カップ長野大会が開催されました。私も16日に観戦し、表彰式で
はメダリストの皆さんに記念品をお渡しする名誉な役目をさせてい
ただきました。日本ではまだまだ競技人口が少ない競技ですが、地
元長野市の選手もナショナルチームの一員として一生懸命頑張りま
した。
 15日、FIL(国際リュージュ連盟)のヨセフ・フェント会長
が市役所に表敬訪問されました。ドイツ人でオリンピックで銀メダ
ルをとったそうですが、大変気さくな方でした。日本ボブスレー・
リュージュ連盟の高波副会長、塚田専務理事も一緒でした。私から、
スパイラルをナショナルトレーニングセンターに国が指定してくれ
るように、頼んでいることをお話ししました。
 来年1月13日には、このコースでスケルトンのワールドカップ
も開催されます。

 14日から16日にはビッグハットで、長野オリンピック記念国
際アイスホッケー大会「長野カップ2007」が3日間の日程で開
催されました。日本、ノルウェー、フランス、デンマークの4カ国
が総当りのリーグ戦方式で戦うのですが、昨年日本が優勝して喜ん
だことが記憶に鮮明です。
 16日の夕方、日本対デンマーク戦を観戦させていただきました。
前日の勝利で本年の優勝は日本と決定していたのですが、それとは
関係なく、熱戦が展開されました。特筆すべきことは、長野市出身
の上野選手と酒井選手の2人が、日本のナショナルチームに入って
活躍していたことです。調べてみたら、ナショナルチームは22名
だそうですが、そのうち20名は北海道出身・・・ということは残
りの2名が長野市出身ということで、そのほかの県の出身者はいな
いということになります。長野オリンピック前後、たくさんのアイ
スホッケーチームが生まれ、その世代の子供たちが今、ナショナル
チームで活躍し始めたということです。嬉しいですね!また一つ長
野オリンピックの資産が生まれたと感じています。

 今年は、世界的にはトリノの冬季オリンピック、ドイツのサッカ
ーのワールドカップ、そして12月にカタールでアジア大会と大き
なスポーツイベントがめじろ押しでした。ワールドカップ日本代表
戦の時は、NHKの協力をいただいて、若里市民文化ホールでPV
(パブリック・ビューイング)を行いましたが、3試合とも満員の
盛況でした。

 長野市は「スポーツを軸にしたまちづくり」を掲げていますが、
長野オリンピック・パラリンピック大会の開催以来、長野のホスピ
タリティーが多くの競技連盟の方々に認められたこと、両大会の遺
産として競技施設が充実していること、そしてスペシャルオリンピ
ックスも含め3大会の開催都市として知名度が高まっていること、
等々で、他の都市では考えられないくらいの世界的なスポーツイベ
ントが開催されています。嬉しいことです・・・スポーツの存在感
が一段と大きくなったと感じています。
 また、選手や競技役員、観戦客など多くの皆さんが長野に来られ、
宿泊されるのですから、その経済効果もかなりのものがあると感じ
ています。

 ただ、ぜいたくな注文といわれそうですが、長野市民が「自らす
るスポーツ」をもっと育てたい、長野市民が世界で活躍してくれれ
ば、もっと盛り上がる・・・そんな気持ちで色々な大会を観戦して
います。そんな意味からすれば、アイスホッケーの上野選手や酒井
選手がナショナルチームの一員としてこの長野カップにも出場して
くれたこと、スパイラルでリュージュを始めた長野市出身の4選手
が日本代表としてワールドカップに出場したことは、素晴らしいこ
とでした。ほかのスポーツでも期待したい、スターが生まれること
で地域全体が盛り上がると思います。

 話は変わって、16日、戸隠スキー場でスキー場開きが行われま
した。23日は飯綱高原スキー場、聖山パノラマスキー場が今年の
営業を開始します。三つのスキー場をいかに運営していくか、現在
いろいろな提言を受けて、最善の方法を探して努力している最中で
す。今後、より良い経営形態を模索しながら、それぞれの特徴を生
かしたスキー場にするべく、検討しています。

 18日には少しだけ雪が降りましたが、今シーズンは、暖冬気味
ということでスキー場開きには残念ながら、十分な積雪はありませ
んでした。私もぜひ出席して滑りたいと思っていたのですが・・・
残念ながら他の予定があり、あきらめました。
 昨シーズンはたくさんの雪があって、その面での心配は無かった
のですが、今年は困っています。年内に降雪があって正月に滑れる
かどうかが、その年のスキー場の命運を決めるともいわれています
ので、年内にまとまった雪が降ってくれるのを祈るばかりです。自
然相手のスキー産業ですから、どうしても気候に左右されてしまい
ます。われわれは、たまに雪が無くても、お客さんが来てくださる
ようなスキー場にしなくては・・・と考えているのですが。

 この原稿を書いている最中、エムウェーブ・スパイラルがナショ
ナルトレーニングセンターの指定を前提として、政府の予算原案に
入ったとの連絡がありました。

2006年12月14日木曜日

元気なまちづくり市民会議が終わりました


 7月15日に始まった「元気なまちづくり市民会議」が11月
26日で、全30地区32回開催し、終了しました。それぞれの地
区では年間の大切な行事として、準備していただいている事業です
が、関係者の皆さまいろいろありがとうございました。

 この市民会議は各行政区の区長さんにお願いして、以前から行っ
ている市民と行政をつなぐ大切な会議です。私が市長に就任した5
年前、この会議は平日の午後2時ごろから開始し、夕方まで開かれ
ていました。私は何度か出席した結果、この時間帯では、若い人が
出席することは無理だと思い、平成14年度から開催日・時間は
「土・日曜日・祝日、夜間でもいいですよ」と申し上げ、何とか若
い人にも出席してほしい・・・そんなお願いをしてまいりました。

 以来5年目、ようやく土日開催が多くなって、出席される人数も
かなり多くなってきたように思います。これは大変嬉しいことです。
でも正直な話をすれば、私自身は休みが無くなってしまって疲れて
きていることは仕方ないのですが、会議に出るテーマを担当する部
局長と、私と一緒にすべての会議の準備等を担当する広報広聴課を
中心とした企画政策部の職員にも頑張ってもらっています。

 会議終了後の懇談会(酒席)についても、前からできたらやめて
ほしいとお願いしてきたのですが、地域の皆さんの意向もあり、な
かなか思うようにはなりませんでした。
 ただ今年は事情が違ってきたように思います。先日ある地区の市
民会議、出席者はいつものように200人以上でしたが、懇談会に
なったら4分の1ぐらいに出席者が減ってしまったのです。どうも
飲酒運転の取り締まりが厳しくなったことが影響しているらしいと
のこと。確かに地域の方々と年一回、お酒を飲んで意見交換するこ
とは悪いことではないのですが・・・飲酒運転だけは絶対に許され
ません。ましてや市長との市民会議の後の懇談会でお酒を飲んで、
帰りに運転して事故を起こしたなんてことになったら・・・そろそ
ろ考えなければいけない時期に来ているのかもしれません。

 なお、市民会議の内容は、私が本年度の市政重点課題7項目の説
明を行い、そのあと地域で話し合って決めた課題について、市民サ
イドの意見発表・提言・質問があり、市の担当部長が答え、さらに
自由討議でもいろいろな要望・質問が出され、答弁する・・・最後
に私が全体を通しての総括コメントを申し上げて、会議終了という
ことになります。
 自由討議は、始めたばかりのころは、ぎこちなく、なかなか質問
も出ないこともありましたが、最近は結構活発に意見が飛び出すよ
うになってきました。予測していない質問は担当部長が出席してい
ないため、後日お答えを区長さんを通して地域に伝えることもあり
ますが・・・。

 今年の市民会議で出された地域の要望の主なものを、報告しますと
(1)「道路関係の要望」
 この要望はほとんどの地域で出されました。道路特定財源の一般
財源化が話題になっているこの時期、心配ではありますが、長野市
としては皆さんの要望を受けて、必要性を検証しながら、できる限
りお応えしたいと答えています。
(2)「都市内分権に関する質問」
 本年は都市内分権元年と考え「地域のことは地域で決める」そん
な新しいルールを作るつもりで、一生懸命に説明させていただき、
既に立ち上がった地域のお話等をさせていただきました。手応えは
感じています。
(3)「支所・連絡所・公民館の建物が古くて狭い、建て替えてほ
 しいという要望」
 この要望は厳しい財政事情の中、大変苦しい状況にあるとの答弁
に終始しました。またあらかじめ決めた順番に基づいて、整備して
いきますということで、ご理解願いたいと申し上げてきました。
(4)「児童館・児童センターが狭く、子どもたちがあふれている。
 改革を」
 この問題は早い時期から整備された館ほど深刻です。子どもたち
のことですから何とかしたいと以前から頑張ってきたのですが、財
政、土地などどうしようもない事情で皆さんにご不便を掛けてきて
しまった次第です。ただ来年は、国の文部科学省と厚生労働省が連
携して「放課後子どもプラン」を始めることになりましたので、少
しは良い方向に進むきっかけとなりそうです。すなわち学校施設を
使うことで、解決しようということです。これは私が市長就任以来、
主張してきたテーマです。

 そのほか、過疎対策、遊休荒廃地対策、安全安心のまちづくり、
防犯灯、水害対策、公共交通網、全戸水洗化、大型商業施設、公園、
図書館、ケーブルテレビや防災無線、高速通信網・・・等々あらゆ
る行政課題が話題になりました。全部はとても書ききれませんが、
いずれも皆さんの意見として、今後検討していくことになります。
 いずれにしても、市民と行政をつなぐ大切な会議です。開催時期、
会議の内容、懇談会のことなど、いろいろ検討する課題があると思
っています。

 話は変わりますが、10月31日に、平成17年国勢調査の第一
次基本集計結果の概要が総務省統計局より発表になりました。平成
17年12月に速報値が発表されていますが今回の数値は確定値と
いうことです(調査から一年も経って発表されるというのは、ちょ
っと不思議、もっと早く分かるはず・・・と考えてしまうのですが
・・・行政は慎重を期しているということでしょうか・・・)。

 発表された数字によって長野市の現況を概観してみますと長野市
の人口は378,512人です。この数字を見て長野市はいつも
38万人と言っているけれど、変ではないかという疑問をお持ちか
と思います。これは国勢調査は、実態を正確に表すことが目標にな
っており、悉皆(しっかい)調査といって世帯を一軒一軒調べて実
際に住んでいる人すべてを対象に調査しているからです。

 この国勢調査人口に対し、住民基本台帳登録人口は
383,298人であり、ここに4,786人の差が生じています。
住民基本台帳法では、生活の実態のある居住地で住民登録をするこ
とになっています。実際には、全国の市町村において、このように
国勢調査と登録人口が合致しないことが多い状況となっており、要
因としては、学生や社会人が住民登録を長野市に置いたまま市外に
転出、赴任されている実態が推測されます。転出入届けをきちんと
していただくように指導しているところですが、大都市では国勢調
査人口が登録人口を上回り、地方都市では下回るという傾向を見る
ことができます。

 この国勢調査人口が登録人口を下回るという傾向はどんな意味が
あるのか、私なりに考えてみました。これは推測ですが、長野市に
大学が少ない、企業が少ない・・・言い換えると地域の拠点都市と
しての性格が弱い・・・残念ながらそんな構図が浮かび上がってき
ます。

 他都市の数字と比較してみますと、一目瞭然(りょうぜん)なの
です。北信越の中核市を調べてみますと、富山市は2,676人、
金沢市は8,581人、国勢調査の数字が登録人口より多くなって
いるのです。大部分の中核市は長野市と同様の傾向にあり、仕方な
いのかもしれませんが、北陸の拠点都市としての金沢市、富山市の
元気さは際立っているのではないか・・・考えてみる必要があると
私は感じています。

 もうひとつ、国勢調査では、前回調査(平成12年)に比べて、
長野市の人口は420人減りました。内訳は旧長野市は545人の
プラスでしたが、旧合併4町村が965人減少したので、トータル
で420人の減になったものです(合併4町村の中では豊野だけが
プラスです)。過去一貫して増勢にあったのですが、今回初めて減
少に転じたということです。

 年齢別人口では、年少人口(15歳未満)が2,416人、生産
年齢人口(15歳から64歳)が7,679人、それぞれ減少し、
老年人口(65歳以上)が9,695人増加したということで、こ
の少子高齢化の傾向は当分進むと考えられます。

 一方、長野市の世帯数は141,030世帯で、前回調査より
4,922世帯増えており、世帯規模の縮小化は進行しているよう
です。当然のことながら、一世帯当たりの人数は減っています。

 いよいよ高齢社会が現実のものとなり、少子化の傾向を考えると、
当分この流れは変わらない・・・行政はどんな施策に取り組むべき
なのか、考えています。

2006年12月7日木曜日

映画の話題


 大林宣彦監督の映画「転校生」のリメーク版のロケが長野市内で
行われました。大林監督は日本を代表する映画監督であることは、
皆さんご存じだと思いますが、その大林監督の出世作が、監督の故
郷・尾道を舞台にした尾道三部作と言われています。そのなかでも
やはり一番有名なのが「転校生」ではないでしょうか。
 監督が長野を訪れ、素晴らしい長野の風景に触れ、ぜひ映画を撮
りたい、転校生をリメークしようと決め、先日来、長野市内でロケ
が行われていましたが、11月一杯で終了、来年夏の封切りになる
ようです。素晴らしい映画が出来ることを期待しましょう。
 なお、報道によると大林監督は、さらに次の作品も長野を舞台に
考えておられるようで、ありがたいことです。

 12月2日、映画「硫黄島からの手紙」の試写会にご招待いただ
き、妻と二人で鑑賞しました。会場は先日オープンした権堂の長野
グランドシネマズ、昔の映画館と違って、階段状の座席は、いすも
ゆったりとでき、前の人の頭が邪魔にならないとても快適な環境で
した。上映前に主役の渡辺謙さんのあいさつ、そして栗林中将のご
遺族から渡辺さんへ花束贈呈があって厳粛な気持ちになりました。

 映画の内容は、日本軍硫黄島守備隊の総指揮官を務めた松代出身
の栗林中将を、そして日本人の誇りを描いたものと感じていますが、
大変重いものでした。私などが論評すべきものではありませんが、
ただ戦争の残虐さは、見終わっていろいろ考えさせられました。一
つ言えることは、クリント・イーストウッド監督はこの映画を日本
批判するために作ったのではない、大変公平な映画だったという印
象を持ったことです。

 私的な話で恐縮ですが、私が子供のころ父から聞いた話を思い出
しました。
 私の父は戦争中、トラック島へ出征していたのですが、その戦地
へ赴く輸送船が硫黄島のそばを通過したとき「この辺に居させてく
れればいいのに!」と船内で話していたことがあるそうです。そし
てその後、輸送船はアメリカ軍の飛行機に爆撃され沈没、海へ飛び
込んで泳いでいるうちに、日本の駆逐艦に拾われてトラック島へ行
ったのだそうです(母に聞いた話ですが、そのとき父はサーベルを
失くしてしまい、家に送って欲しいと連絡してきたそうで、そうい
えば白い袋に入ったサーベルを見たような記憶があります)。
 その後、物資もあまりないトラック島で戦争をし、島を守ってい
ましたが、終戦間際、アメリカの艦隊が大挙して向かっているとの
情報を受け、全員塹壕(ざんごう)に入り、敵を待ち受けたそうで
す。父は病院勤務だったそうですが、負傷兵にも全て自決用の手り
ゅう弾を渡されたとのことです。今回の映画を見て、その意味、様
相がようやく理解できました。

 結果は、アメリカ艦隊が戦力のほとんど残っていないトラック島
を無視して、沖合いを通過、サイパン方面へ向かったので、父たち
は命拾いをしたとのことです。
 運命ですね、歯車がひとつ違っていたら、父は生きては帰れなか
った、そうすれば今の私の人生も全く違っていただろう・・・。そ
んなことを想っていました。

 二十年ぐらい前のことですが、私は九州・鹿児島県の知覧(ちら
ん)町へ行ったことがあります。知覧は日本の神風特別攻撃隊の出
撃基地だったことは、皆さんご存じだと思います。私は知覧特攻平
和会館を見学し、出撃した若い飛行士の遺書を読ませていただいた
とき、涙が止まりませんでした。
 なぜ彼らが死ななくてはならなかったのか・・・遺書の日付はほ
とんど終戦の年の昭和20年5月以降だったと記憶しています。硫
黄島の戦いは同じ20年の2月に始まったそうですから、特攻隊が
飛び立ったのはその後でしょう。そして8月に終戦です。

 5月以降ならほとんどの軍幹部は、日本の敗戦は分かっていたの
ではないでしょうか。若い、そして飛行士に選ばれるくらいですか
ら、優秀な若者でしょう、彼らを死に追いやった軍部の非情さ、時
代の流れを全く分かっていない無能さ・・・私は心の底から怒りを
感じました。戦後復興の礎となったと言われる彼らの尊い犠牲を否
定するつもりはありませんが、大局的に見ればどれくらいの効果が
あったのでしょうか・・・彼等が生きて、戦後日本の再建に力を尽
くしてくれたら・・・きっと素晴らしい活躍をしてくれたと思うの
は、私だけではないでしょう。

 映画でも大本営からの情報が入って、援軍は行かない、ベストを
尽くせ・・・硬直した日本軍の上層部の判断、命令、言い換えれば
大局を見失った軍政治家の無能さが、栗林中将以下の、そして神風
特別攻撃隊の犠牲を、強いる結果になったのだと思います。

 映画試写会の翌日、12月3日、ビッグハットで行われたNHK
杯国際フィギュアスケート競技大会のエキシビションにご招待いた
だきました。全ての種目の優勝者、2位、3位の選手が一堂に会し、
競技とは違う自由な演技を披露してくれました。しかも男子シング
ル、女子シングルの両種目で、1位から3位までを日本選手が独占
するというNHK杯史上初めての快挙のおまけ付きでした。
 素晴らしい夢のような一時を過ごさせていただきました。
 前日の重い気持ち、考えさせられる試写会を見た後でしたので、
改めて平和のありがたさを実感しました。