平成12年10月、田中知事が誕生し、11月に突然、浅川ダム
本体工事の一時中止が表明され、すでに本体工事を発注して平成
18年度末の完成を目指し着工していた浅川ダムの建設が止まって
しまいました。翌平成13年2月には「脱ダム宣言」が発せられ、
以来6年の歳月が流れました(その間県内8カ所のダム計画もすべ
て中止になり、田中前知事の目玉政策になっていました)。
代替案はあると称して出直し知事選(平成14年8月)を圧勝し
た田中前知事は、4年たってもきちんとした代替案を示さないまま
昨年8月退任し、村井知事が誕生して半年が経過しました。
その間、村井知事は、議会や記者会見で「基本高水流量450ト
ン/秒、治水安全度百分の一は堅持する。ダムを含めたすべての選
択肢を検討する。現地を視察し、多くの皆さんの意見をお聞きする。
土木工学・河川工学の最高の知見を結集する。できるだけ早い時期
に結論を出す。」と言い続けておられました。実に慎重でした。
長野市とすれば、直接の被害を受ける流域市民の安全の問題です
から、安全を値切ることは絶対にできないという立場で、村井知事
の主張しておられることに満腔(まんこう)の敬意を表し、その決
断をかたずをのんで待っていました。
平成19年2月8日(木)午前11時、村井知事が臨時記者会見
を開き、浅川河川整備計画について、大略次のように決断したこと
が発表されました。その内容を示しますと浅川治水について“減災”
は、県知事としての責務であるとした上で、
(1)外水対策は、治水専用ダム(いわゆる穴あきダム)と河川改
修(従来計画)で、治水安全度百分の一、基本高水450トン/
秒で行う。このことについて、県は昨年11月から国土交通省関
東地方整備局をはじめ、国土技術政策総合研究所、独立行政法人
土木研究所からの助言をいただく中で検討を重ね、この結論に至
ったとのこと。
(2)内水対策は「昭和58年9月と同規模の洪水に対して、床上
浸水被害を防止する」ことを目標として、当面、浅川排水機場の
増強を河川整備計画に位置付け、実施するとして、遊水地、二線
堤については引き続き検討・協議を続ける。
(3)その他、流域対策の一環として、治水対策が完了するまでの
暫定的な治水安全度の向上策として、当面20年間をめどに、大
池・猫又池のため池容量の一部を県が借用し、流出抑制を行って
いく。
市の担当も県河川課と再三打ち合わせを重ねてきており、私とし
ても技術的・経済的な面からも最善の手法による計画であると考え
ています。
村井知事の記者会見の後、長野市でも各メディアから取材の申し
入れを受けましたので、合同取材の場を設け、県の計画発表につい
て、長野市長として心から感謝し、敬意を表しました。
2月9日(金)、腰原副知事が浅川総合治水連絡協議会に出席し
て、県の治水案を説明し、協議会からは満場一致で了承を得ました。
2月11日(日)、村井知事が長沼地区北陸新幹線対策委員会に
出席し、県の今までの対応と姿勢のおわび、地区対策委員会の今ま
での善意の対応へのお礼、浅川治水対策案の説明と、浅川治水対策
だけではない要望事項の協議を今後も誠意をもって行うことを確約
し、善意の基に用地交渉に入らせていただきたいとの要請をされま
した。私(長野市長)も同席し、地区対策委員会の今までの善意と
努力に感謝しながら、私からも、用地交渉に入れる環境を整えてい
ただきたいとお願いしました。
長沼地区北陸新幹線対策委員会の深瀬委員長さんからは、概略次
のような意見が表明されました。
(1)過去、新幹線用地問題が進まなかったのは、長沼地区が原因
ではなく、有効な代替治水案を示さなかった県の責任であること
を確認してほしい。
(2)説明された治水対策は、高く評価するが、流域住民皆さんの
了解の下に対応されるべきである。長沼地区については、浅川河
川整備計画と車両基地周辺の内水対策を総合的に検案して、水害
等の被害を受けない生活を一日も早く実現してほしい。
(3)新幹線建設に至る協議は浅川治水問題がすべてではないので、
他の要望事項を含めて誠意をもって対応し履行してほしい。
(4)用地交渉に入る環境整備については、ここで即答はできない
が、今後皆さんと相談して前向きに検討する。
終了後、記者に囲まれた村井知事は、地区対策委員会の皆さんに
も説明しておりましたが、「穴あきダム」本体について、「おおむ
ね10年以内での完成が目標」とし、2010(平成22)年8月
末までの任期中に着工する考えを明らかにされたとのことで、地区
対策委員会の方々には、ぜひ村井知事を信頼してほしいと考えてい
ます。
以上が、村井知事が就任されて以降、特に2月8日の県の対策案
発表後の一連の動きです。
何度もこのメルマガで論じてきたテーマですから、少し「くどい」
と言われそうですが、浅川治水問題が一つの解決に向かったこの段
階で、私なりに総括してみたいと思います。
(1)「脱ダム宣言」は、県庁内の議論なし、国との交渉もなし、
田中前知事の独断だった。こういうテーマの場合、普通は選挙前
に打ち上げ、当選後、庁内組織を固めて意見統一をはかってから、
打ち出さなくてはまず実行は難しいし、県民合意は得にくいので
はないでしょうか。
(2)「治水・利水ダム等検討委員会」が設置されたが、委員の人
選は知事が行い、ダム反対意見の持ち主が主体だった。そしてそ
の委員会の結論は、意見の一致を見ることなく、多数を優先し
「ダム無し」が決められた。知事はその案を採用した。
(3)宣言後、「治水・利水ダム等検討委員会」の席上、ダム反対
派は「代替案」を提示する(結局はできなかった)と称したが、
県は「代替案」を出す立場にはないと拒否、結局最後まで、代替
案はできなかった。田中前知事も、不信任後の知事選において、
「代替案はある」と称して圧勝したが、4年間、流域住民の合意
できるような治水対策案は何も出せなかった。ダム反対派が代替
案を出せなかったのは仕方ないとして、浅川治水に責任がある県
が「検討委員会」に対し「(当時の県は)代替案を出す立場にな
い」と主張したことは、責任放棄であり、今日までの混乱の原因
であると考えられる。
(4)浅川は一級河川ではあるが、同じ一級河川の千曲川や犀川と
は違い、国から県に管理を委託されている河川である。すなわち、
国と十分な意見交換をし、国の認可を得なければ、補助金等が交
付されないので、県の単独資金でやらなくてはならないため不可
能だったのでしょう(脱ダム宣言後、長野市議会で、県がやらな
いなら、市でやったらどうかと言う意見を頂いたこともあります
が、これも国の認可は得られないでしょう)。
(5)田中前知事の6年間、途中、「緑のダム」、「ため池利用」、
「田んぼ利用」そして「穴あきダム」、「導水路案」、「遊水地」
、「二線提」などの提案(多分県が依頼したコンサルタントの意
見だと思います)が出されました。ただいずれも、既に学術会議
でダムの代わりにはなりえないと結論付けされているものもあり、
技術的に実施可能でも経済性等において優位性が確認できない、
また流域住民の理解を得ることが困難であるなどの理由で、整合
性のある案にはならず、国の了解を得られなかったようで、いつ
の間にかうやむやになってしまいました。
(6)そのなかで「穴あきダム」については、長野市の庁内でも検
討の価値ありと考えられており、先例などを調査していたのです
が、ダム反対派から「結局ダムだ!反対!」と言われ、田中前知
事は引っ込めてしまいました。今思えば、田中前知事としては惜
しかった(結果として)でしょうね(穴あきダムとなれば、長野
市として利水のことは、あきらめざるを得ないかなと、覚悟はし
ていました)。
(7)そして村井知事の誕生、大部分の住民が納得しそうな、そし
て国の認可をほぼ得られそうな案が発表されました。
以上、私なりの総括です。6年間を長いとみるか、短いとみるか
ですが、先日の記者会見でもその思いを聞かれました。私は「失わ
れた6年間という思いもある。でも、地域の皆さんにご心配をかけ
たという点では申し訳ないが、いろいろな意見が出て、市民の皆さ
んにも分かりやすい議論ができて“意義があった”と思いたい」と
申し上げました。
まだ、すべてが解決したわけではありませんが、今までの閉塞
(へいそく)感が打ち破られたことは事実です。この上は一日も早
く、浅川治水問題が解決され、新幹線が北へ延伸することを願って
います。