2007年3月15日木曜日

住民合意とは


 浅川治水に関する一連の議論を聞いていて、色々考えさせられま
した。

 県の「治水専用ダム(いわゆる穴あきのダム)」「河川改修」
「浅川排水機場の増強」「ため池の治水利用」等々の説明は、少な
くとも浅川治水のためにはダムが必要という意見の方々からみれば、
国の認可が得られそうですし、安全性、確実性、経済性、効率性、
環境などを重視し、利水は断念したとしても、納得のいくものであ
り、一日も早い完成を望んでいるのが、実情でしょう。

 しかし、脱ダム派の人たちからみれば、「ダム予定地区には地滑
り地帯、断層があり、地附山地すべりの素因の一つとみられている
スメクタイト(注)がある・・・などで危険性がある」、「流域が
小さいからダムには水がたまらない、ダムを造っても下流の水害は
無くならない・・・根本は千曲川問題だということ」、「450ト
ン/秒、1/100は過大である・・・などで、納得がいかない」、
「説明責任を果たしていない」、「住民参加の流域協議会に断りな
く県が決定したことは、けしからん」・・・。大別すれば、こんな
ご意見ではないでしょうか?

 これらの意見をお聞きして、私が考えたことを申し上げます。
(1)脱ダム派の人たちの話していることはいつも同じで、端的に
 言えば6年間同じことを話していると私は感じています。目新し
 い議論は無い中でもその都度県は答えています。
(2)断層、地層、土質などで危険という話は、その分野を専門と
 する権威のある方々が「ダムを造るのに支障となる第四紀断層は
 存在しない」と結論付けているのですから、専門外の人たちが感
 覚で口を出すことはいかがなものか。しかも日本のダムの歴史は
 100年以上ありますが、過去崩壊したダムは無く、近くに小さ
 な断層がある場所、あるいはスメクタイトを含む地盤でも十分な
 対策をしてダムを造れば心配はない・・ということは国土交通省
 の方々からお聞きしました。県の担当も十分把握していることと
 思います。
(3)安全度が過大であるという話は、地域の方々をないがしろに
 した意見です。過去、実際にあった洪水を検証して、ごく普通の
 やり方で導き出した数値を、過大だから反対というのは、全く理
 解できない理論です。できるのであれば安全度を無限大に大きく
 したい、でもそれは不可能だから通常全国の地域で採用されてい
 る安全基準を根拠としていくというのが、ごく普通の住民の感覚
 だと思います。繰り返しますと、浅川の治水安全度は、特に高い
 わけではなく、ごく普通の計算式で導き出された数字であるとい
 うことは、ダム反対派の学者さんですら、認めているのです。
(4)流域協議会に諮る前に県が決めたことに批判があったという
 話ですが、そもそも流域協議会は、県が案を示した上でご意見を
 お聞きする場と認識しています。「治水専用ダム」に関しては、
 過去の協議会で十分意見は出されていますから、これまでの議論
 を踏まえ、県は河川管理者として責任ある判断を行った上で説明
 し、流域協議会のご意見をお聞きしたものです。
  流域協議会の位置付けについて、村井知事の言葉を借りれば、
 「誰でもお入りになれるということで、一種の住民懇談会と同じ」
 ということですから、住民懇談会に、まず諮らなかったからけし
 からんと話されるのは筋違いと感じます。まして、県は「原案を
 作った上で、いろいろな形で住民の意見を聞いていく」とも話し
 ていますから、批判するのはおかしいのではないでしょうか。
(5)理論で相手を説得できれば一番望ましいと思われますが、浅
 川治水対策については、脱ダムを主張している方は何を言われて
 も多分説得されないでしょうし、ダムが必要だという方は安全度
 の切り下げは認めない、6年経過して代替案はなかったのだから、
 ダム無しでは駄目、これも説得は難しい・・・こんな場合、住民
 合意はどうするのでしょうか?
  民主主義ではこういう場合、選挙か、住民投票か、世論調査か、
 いずれにしても多数決で決めるのが一つの方法でしょう。そして、
 多数決をどの場で取るか、議会制民主主義ですから県議会で決め
 るのが一つの方法論かなと思います・・・多数決で決めるべき問
 題かどうかの批判はあるでしょうが。また、昨年夏の県知事選挙
 の結果が、方向性を決めたのではないかというのも、また一つの
 意見であろうと思います。

 以上、2月末、浅川流域で行われた一連の県の説明に関し、ダム
に反対する方からの意見について対論を述べさせていただきました
(賛成する方々の意見は省略させていただきました)。

 私は、この一連の説明会での賛成・反対の意見を聞いていて、住
民合意とは何だろうと考えさせられました。
 対立した意見があった場合、そしてどちらにも理屈があると思わ
れる場合、合意を得ることは極めて困難でしょう。声が大きいか、
たくさん主張するか・・・いずれにしても双方合意はできないでし
ょう。

 結局、どうするかですが、執行権者(この場合、河川管理者であ
る県)が大局的見地から決め、河川法に基づく手続きをきちんと経
て、粛粛と行っていく以外に方法はありません。もう6年間も議論
してきたのですから。
 その場合には、治水安全度をきっちり守った上で経済性、効率性
なども重視した適切な判断が必要であると私は思います。それが
「穴あきダム」ということになるのではないでしょうか。

 私は本が好きで、日ごろできるだけ多くの本を読もうと努めてい
ます。ただ、どんな本を読んだ場合に納得するかというと、自分自
身が「その通り!」と納得できる中身の場合、あるいは全く知らな
かった新しい発見があって勉強になった場合(小説の面白さも含め
て)、この二つでしょう。興味を引かれ、勉強になるのです。これ
が普通の感覚でしょう。

 同じこと、脱ダム派の人たちにとって、治水専用ダムの建設を前
提とした河川整備計画について、何を言っても理解しようとしてい
ただけないのでしたら、これ以上の議論は新たな発展には至らない
のではと私は思います。
 県では、いろいろな形で住民の皆さんの意見を聞いていくという
ことですから、流域協議会や住民説明会では、今までの主張をただ
繰り返すのではなく、県の示した治水案について建設的な姿勢で議
論する場であってほしいと思います。

(注)スメクタイト・・・粘土鉱物の一つ