2007年10月11日木曜日

長野新幹線開業後の光と影


 前回は、長野新幹線が営業開始するまでの紆余(うよ)曲折につ
いて、私の記憶の範囲で書かせていただきましたが、今回は新幹線
開業後に長野の社会がどう変わったのか、そして平成26年度末に
は、上越を通って富山・金沢まで営業区間が延びることは決定して
いますので、その時の長野への影響、長野市としてどうしたらよい
かなどについて、考えてみたいと思います。

 まず、あえて現在の長野新幹線開業後の影の部分を考えてみます
と、東京との時間距離が短縮された結果、新幹線通勤という言葉も
無縁ではなくなるなど、行動範囲は広がりましたが、
(1)長野市内での宿泊客が減って、日帰り客が主流になってしま
 った。長野の人にとっても、東京日帰りが多くなりましたが・・・
 都市の規模が違いすぎます。
(2)(1)の結果、ホテル・旅館経営が非常に苦しくなった。観
 光収入も現段階では、目立って増えたということにはならなかっ
 た。
(3)企業経営の中で効率化が進み、中央企業の出先機関の管理権
 限機能が大都市に移ってしまった。これにより支店から営業所に
 変わり職員数が減り、オフィス需要も減少しました。
(4)JRから切り離された並行在来線については、非常に困難な
 状況の中で経営を維持していかなくてはなりませんでした。しか
 も篠ノ井駅-長野駅間が中央東線、JR貨物が同時に乗り入れさ
 れていることから、JR以外では経営が難しいだろうということ
 で、JRに残ってしまった。第三セクターとして開業した「しな
 の鉄道」の経営は苦しく、ようやく単年度黒字化を達成しました
 が、運賃値上げ、行政の援助なくしては、成り立たない状況にあ
 ります。これに長野以北まで加わったら・・・乗客は少ないです
 し、除雪経費も大きい・・・いずれにしろ難しいものがあります。
(5)新幹線の直接的影響ではないかもしれませんが、ものづくり
 の中心的存在だった富士通・三菱電機などが、工場の縮小・撤退
 を進めました。これらにより、長野市の製造品出荷額等は、最盛
 期の半分程度まで落ち込み、当時は雇用が激減しました。

 これらが影の部分と言えるのでしょうが、それを上回って長野に
とっては「良かった」と言えるかどうか、評論家的な発言で申し訳
ないのですが、なかなか難しい問題です。

 もちろん、長野市だけでなく、日本全体が人口減の社会に移行し
つつある現在、長野市は頑張っているという評価があるかもしれま
せんが、過去のバブル時代(オリンピック準備期間も含めて)の記
憶がより鮮明な長野市民にとっては、なかなか閉塞(へいそく)感
から脱出できない状況と言えるかもしれません。

 オリンピックを契機にして、長野市は大きく変わりました。特に
ハード面の変革は大きく、新幹線、高速道、幹線道路といった交通
網の整備、オリンピック競技施設の建設、都市型ホテルの林立・・・
20年前の長野しか知らない人が今の長野市を訪問されたら、その
変ぼうぶりに多分びっくりされるでしょう。長野市は20世紀最後
の公共事業による都市整備のチャンスを得て、都市としての風格が
できてきたと感じています。

 ソフト面でも、世界大会やワールドカップなどのスポーツイベン
トは地方都市とは思えないほど行われ、学術会議、講演会、セミナ
ー、展示会、業界関係の大会、あるいは商店街のイベントなど連日、
市内をにぎわしてくれていますし、プロスポーツの出現、それらを
支えるボランティア活動も盛んになったと感じています。

 しかし景気はあまり良くならない・・・昔からの名門企業・商店
が倒産・廃業、あるいは経営者の交代などによる淘汰(とうた)が
続いており、それにより雇用形態が変化したことで苦労している人
も多いと思います。国の構造改革の結果でしょうが、かつては長野
市産業の大きな部分を担ってきた建設関連産業も、往時の力を取り
戻せないままでいるし、まちの小さなお店の存立基盤が揺らいでい
ます。市域の70%を占める中山間地域も、高齢化でコミュニティ
が崩壊しつつあるとか、農業・林業で食べていくのは苦しい・・・
そんな声も大きくなってきているように思います。

 すべてが新幹線の影響だとは言えませんが、高速交通網の整備、
グローバル社会の進展、人口減少時代の到来、少子・高齢社会の現
実化、加えて国の三位一体改革による財政の不如意、これらが社会
変革に大きな影響を与えたことは事実でしょう。そして今、長野の
地域社会は、その社会変革に対応すべく、苦心惨たんしているとい
うことだと思います。

 この閉塞感を脱却するには、新しい産業秩序・新しい社会運営シ
ステムが必要だと思います。
 例えば、安心・安全なまちづくりと言いますが、単に災害等に強
いまちという意味だけでなく、市民が安心して働ける、食べていけ
る社会の実現がもっとも重要ではないでしょうか。

 企業誘致、既存企業の強化・育成、起業家の育成、新たな産業の
集積が必要になるでしょう。農業・林業も、もうかる産業への革新
が必要です。
 商店街も付加価値の高い商売の工夫、そして人が集まる魅力を持
った店づくり・・・当たり前ですが、経営が成り立つことによって、
元気も出てくると思います。また、まち並みの美しさや、まちなか
観光でお客さんを呼べるようになったら、素晴らしいなあと夢見て
います。

 長野の特産、「りんご」を含めた果物にさらに付加価値を与え、
加工品への工業化も考えられますし、「そば」「おやき」などの伝
統食品を育てることも良いのではないでしょうか。

 長野の可能性として、広い意味での観光業の育成が一番早いので
はないでしょうか。善光寺や松代、飯綱、戸隠、鬼無里といった全
国レベルの歴史・文化に富んだ資源はたくさんありますし、何より
も素晴らしい自然があります。
 農村交流、修学旅行の誘致、森林セラピー、トレッキング、観光
資源としての牧場も交流の大きな武器になりそうです。スキー(ボ
ードも含めて)も忘れてはいけません。グリーンシーズンのキャン
プや山歩き、ゴルフ、乗馬も、お客さんを呼べますし、ひところは
カヌーも盛んでした。そういえば、若穂にあるグライダー滑空場に
加えてハンググライダーというのも面白いかもしれません。

 ちょっと、雑然と書き過ぎた気もしますが、いずれも長野の可能
性が無限にあるということを、示したかったのです。でも他地域の
まねをしても成功はしないかもしれません。
 長野へおいでいただいた方々に、楽しみながら、いかに長野でお
金を使っていただくか、そのシステムが重要になるでしょう。
 結論は、現段階で、我々は新幹線をフルに活用しきれていないと
いうことが言えるのではないかと考えています。

 平成27年3月には、北陸新幹線は金沢まで延伸します。そのと
き長野市が単なる通過駅にならないように、今から努力しなくては
なりません。どうすればよいか、簡単には言えないのでしょうが、
長野の存在感をもう一段大きくする必要を感じています。

 まだわずかですが、そのために手を打ち始めました。
 上越市、金沢市とは「集客プロモーションパートナー都市協定」
を結びました。共同で関東方面からのお客さんを呼ぼうということ
はもちろん、北陸との関係を密接にして、北陸からもお客さんを引
き寄せようという戦略です。さらに拡大していきたいと考えていま
す。
 また、長野県の北信地域を中心とした市町村、交通機関、関係団
体などで、従来の枠組みを超えた観光促進の試みとして、「信州北
回廊プロジェクト」が、平成17年10月に発足しています。北信
濃の恵まれた観光資源を最大限に生かして、新たな地域ブランド
「善光寺発・信州北回廊」の確立を目指しています。
 さらに、本市に縁(ゆかり)があり、首都圏で活躍されている各
界の方々をメンバーに、その高い見識や広い人脈を基に、ふるさと
「ながの」を応援していただけるような集まりができないか検討し
てきており、ぜひ近いうちに実現したいと準備を進めています。
 海のない県ですから、山や高原の素晴らしさ、歴史・文化の素晴
らしさを売り込んでいきたいと思っています。

 北陸新幹線は、いずれ大阪まで延びるはずです。そのときはどん
な社会が生まれているか、そのとき長野市は、どんな“まち”にな
っているか・・・心配もありますが、期待も大きいですね!!