2008年7月31日木曜日

戸隠地質化石博物館


 茶臼山動物園のすぐ隣に、茶臼山自然史館という施設があったこ
と、覚えていらっしゃいますか。私が長野市の教育委員をさせてい
ただいていた昭和60年に、長野市立博物館の分館として完成した
施設です。

 当時、教育委員会の議題として、完成した自然史館の入館料をい
くらにするかという案件があったことを記憶しています。私は「提
案の金額は安いように思うけれど、どうやって算定したのですか」
と質問したのですが、事務局職員からは「周辺の類似施設の入館料
を調べて決めた」という意味の答えがありました。私は「へえー、
原価計算をして決めるわけではないんだ、類似施設というのもよく
分からないなあ」と、不思議に思ったことを鮮明に覚えています。

 そして、教育委員という立場であったことから、開館後早々に見
学しました。地層や化石の展示・説明があって、長野地域の生い立
ちが分かるようになっていたと記憶していますが、その後、市長に
就任してからも含めて、残念ながらこの自然史館の展示を直接見る
機会はありませんでした。

 その茶臼山自然史館ですが、昨年11月に閉館しました。茶臼山
自然史館と類似した施設として、戸隠栃原に、旧戸隠村時代に整備
された「地質化石館」がありましたので、統合することにしたので
す。

 「地質化石館」は、昭和24年に建てられた旧柵(しがらみ)中
学校の木造校舎を利用していましたので、傷みも激しくなっていま
した。また、茶臼山自然史館も、手狭で博物館としての業務に支障
を来している状態でした。
 そこで、「地質化石館」と同じ敷地内にあり、小学校の統廃合に
より平成18年度から空き校舎となっていた旧柵小学校の校舎を活
用し、総事業費約2億円を投じて新たな博物館を整備することにし
たのです。この地域は、鬼無里方面も含めて、全国有数の化石の宝
庫といえる場所でもあります(小学校の統廃合は、旧戸隠村時代に
決定していたもので、平成18年4月に、柵小学校と戸隠小学校、
戸隠小学校宝光社分校を統合して、新戸隠小学校を開校しました)。

 新しい博物館は、それぞれ20年以上も活動を続けた博物館を統
合して整備しましたので、地質や化石を中心に約5万点もの豊富な
資料を収蔵することになりました。この資料数は、県下でも有数の
コレクションと言うことができるそうで、博物館の規模も、自然史
系博物館の中では県下最大級とのことです。

 結果的に、このような立派な博物館が誕生することになりました
が、重要なことは、この博物館の誕生により、類似施設が2館ある
ことによる不効率や、両館が抱えていた課題を発展的に解消するこ
とができたということです。
 これも、平成17年に長野市と戸隠村が合併した効果の一つと言
えるかも知れません。

 『広報ながの』7月15日号の一面に、大きな岩塊を館に運び込
んでいる写真を掲載させていただきましたが、しばらく前からボラ
の開館に向けた引っ越し作業をしてきました。
 この岩塊は、旧柵小学校の入り口に置かれていた化石の巨大な塊
で、重さは2トンもあるそうです。平成17年に裾花川の河原で発
見されたものなのだそうで、小学校の閉校式での式辞で、校長先生
が「天からの贈り物です」と形容されていたことを思い出します。
 今回、これも展示に使用させていただくことになり、写真のよう
に、大掛かりな引っ越しとなったわけです。

 そして、7月26日(土)の午前10時から、開館式が行われま
した。私も参加して、主催者としてあいさつをさせていただいた後、
館内をゆっくり見学しました。

 この博物館は、長野の大地の生い立ちを戸隠の化石から学ぶ施設
という位置付けをしており、戸隠山の生い立ちや飯綱火山・長野盆
地のでき方を中心に、長野周辺の自然に関する展示もあります。
 ちなみに、ホタテガイの化石が見つかる戸隠山は、約500万年
前の海底が隆起してできた山だということです。だからあんなにゴ
ツゴツしているのでしょうか。

 長くなりますので、展示内容の詳細については、実際にお越しい
ただき、皆さんご自分の目で確かめていただきたいと思います。た
だ、お越しいただけるとお分かりいただけると思いますが、市街地
から少し遠い、アクセスが悪いというのが、現段階での評価になる
でしょう。
 しかし、そのことを別にすれば、本当に素晴らしい施設が誕生し
たと思っています。館の周囲にも豊かな緑が広がっており、とても
よい場所です。

 この博物館の最大の特色は、「ミドルヤード」という新しい発想
のもとでつくられていることです。これまでの博物館は、来館者の
皆さんにご覧いただく展示室(フロントヤード)と研究・収蔵・管
理をする非公開の場(バックヤード)が分かれていました。そのた
め、博物館としての魅力を十分にお伝えすることができなかったの
ではないかという反省から、その中間の場となる「ミドルヤード」
という考え方を導入しました。
 これにより、これまではお見せしていなかった博物館の裏側、す
なわち、資料を保存している収蔵庫や学芸員の研究室などもご覧い
ただけるようにしました。そのほか、これまで学芸員が行っていた
資料の保存や展示に必要な作業なども、来館者が一緒に行えるよう
にするなど、従来にない体験をしていただくことも可能です。

 もともとこの地にあった「地質化石館」は、古い校舎を利用して
おり、見栄えのする建物ではなかったのですが、知る人ぞ知る博物
館だったようで、「若いころ、ここで勉強した」とおっしゃる方が
たくさんいらっしゃるようです。松田館長は、今までは「建物は古
いけれど中味は濃い」と言われてきたけれど、これからは「建物も
“濃く”て、中味も濃い」と言えるようになった、と喜んでおられ
ました。
 今回、新たな考え方も取り入れて整備し直したことにより、自然
史研究や学習の場として、日本を代表するような博物館になってい
ってほしいと願っています。

 この博物館にはもう一つ誇ることがあります。それは学芸員の存
在です。開館式の後、大勢のお客さんと一緒に館内を見学したので
すが、学芸員の語りは抜群でした。皆さん学芸員の説明に聞き入り、
感心していました。
 「地質化石館」のころからの経験により、慣れているといえばそ
の通りですが、よく勉強しており、お客さんの気持ちを察しながら、
自分の話に引き込んでいく話術はたいしたものだと感じました。

 「単なる施設、景色だけでは人を呼べない、優れた語り部(案内
人)が必要である」と、松代などの観光地でも力説してきましたが、
この館は、まさにそのような形でもお客さんを喜ばせてくれるので
はないかと感じました。
 学校関係の理科の勉強にも、有効ですから、大いに活用していた
だき、たくさんの子どもたちに来ていただいて、勉強していただけ
るとうれしいですね。

 車で、長野駅から国道406号経由で約30分、戸隠中社からは
約20分です。貝のマークが入った紺色の案内標識が主な交差点な
どに出ていますので、目印にしてください。
 市街地からバスで行く場合には、川中島バス鬼無里線で「参宮橋
入口」下車、市営バス参宮線または西部線に乗り換えていただいて
「農協前」下車、徒歩1分です。
 ただし、現段階でこの市営バスは、便数が少ないことに加え、戸
隠地区の方々が市街地方面へ行きやすいようにダイヤを編成してい
ます。市街地から博物館へ向かうルートは、逆方向になることから
バスの接続が悪く、乗り換えの待ち時間が大変長くなってしまいま
すので注意してください。
 大変残念ですが、現在のところ車でお越しいただくことが無難で
あると言わざるを得ません。

2008年7月24日木曜日

茶臼山動物園


が到着したのが既に午後3時過ぎだったせいでしょうか、お客さん
はあまり多くはありませんでした。

 最初に、昨年拡張した駐車場を視察しました。約100台分が増
えたのですが、園長いわく、大変な効果があって、5月の連休中に
お待たせした車は、以前と比べてとても少なくなったようです。車
の長さと前後の車との距離を合わせ、車1台当たり6メートルと仮
定して計算すると、この駐車場を整備したことにより、約600メ
ートルほどの渋滞が解消できたのではないかと考えています。

 もう一昨年になりますが、5月の連休中に、私は孫を連れて茶臼
山動物園に行こうとしたのですが、途中で車が詰まってしまい、1
時間近くも動くことができず、どうしようもなかったという経験を
したことがあります。動物園の駐車場が満車で、入り切れない車で
渋滞していたのです。

 連休明けに担当者を呼んで話を聞いたところ、「駐車場を拡張し
たいと考えているが、なかなかうまく進んでいない。」とのことで
した(進まない理由には、市の予算の制約もあったのかもしれませ
ん)。
 私は、「自分が経験したから言うわけではないが、動物園にはも
う二度と行きたくないという人を増やしているのではないか。そし
て、あの県道を使っている住民の皆さんの迷惑は、計り知れない・
・・何が何でも駐車場を拡張すべきだ。」と伝えておきました。

 その後、予算を確保し、地権者の方々のご了解もいただくことが
でき、駐車場を拡張することができたわけです。そして、この約
100台分が効果を発揮したようですから、地域の皆さんにご迷惑
をお掛けしている度合いも、少しは減ったのではないでしょうか。

 駐車場を視察した後、担当の公園緑地課と、指定管理者として動
物園の運営を委託している市開発公社のスタッフと一緒に園内をひ
と回りしました。
まなリフォームが必要になってきています。ライオンとトラの檻
(おり)の前では、檻の位置を変える構想について、話を聞きまし
た。その構想は、「この檻の反対側には、雄大な景色を眼下に見る
ことができる絶好の場所があるが、現在は生かしきれていない。そ
こで、この景色を背にして檻を配置し直し、ライオンやトラだけで
なく、この景色も楽しんでいただけるようにしたい」というもので
した。確かに良い考えかもしれません。

 動物の見せ方も開園時とは変わってきています。これは、日本の
動物園で最多の入園者を誇る北海道旭川市の旭山動物園の影響もあ
キリンやシマウマなどがいるアフリカ平原コーナーでは、キリンの
エサやりが体験できるようになっています。
 私は初めてだったのですが、このエサやりは楽しかった。高い台
に登ってエサになる木の枝を用意すると、キリンは知っていて、す
ぐに寄ってきて首を伸ばしてくるのです。枝から葉っぱを器用には
がしてムシャムシャ・・・。キリンの舌があんなに黒い(青っぽい)
とは知りませんでした。動物を眺めているだけでは味わえない、知
ることができない経験でした。

 そして、話題のレッサーパンダ。6月30日に、千葉市動物公園
から「風鈴(フウリン)」が来園しました。「風鈴」のお父さんは
後脚だけで立つことで有名になった「風太(フウタ)」君。お母さ
さんの故郷「茶臼山」に里帰りすることになり、来園したのです。

 レッサーパンダ舎では、もう一つ、うれしい話題があります。レ
ッサーパンダの赤ちゃんが2頭生まれたのです。まだ、公開されて
いませんし、私も見せていただけなかったのですが、飼育係の職員
の話ではとてもかわいい赤ちゃんのようです。レッサーパンダ舎の
前には、赤ちゃんの様子を見ることができるモニターがあります。
皆さん、ぜひご覧ください。

 このレッサーパンダの獣舎も、来年度、新しく造る計画がありま
す。飼育頭数も大幅に増やし、レッサーパンダをいろいろな見せ方
で展示する予定です。その第一弾として、今回、「風鈴」が里帰り
することになったもので、「風太」のように立つレッサーパンダと
して人気を集めることが期待されています(ただ、「風太」が少し
有名になりすぎたため、商業利用にもなっていることを批判してい
る論調もあるようです)。

好都市提携をしたときに、先方から贈られたのが始まりとなってい
ンダの飼育地になっているとのことです。
 今後さらに繁殖させるには、血統が近すぎるといけないというこ
とで、他の動物園と協力して計画を作り、相手を選んで、やりとり
しているのだそうです。最近では、オスの「セイタ」が、婿入りの
ために北海道札幌市の円山(まるやま)動物園へ旅立ちました。元
気で良い子をつくってほしいものです。

 この日は、これらのほか、東京都多摩動物公園からお嫁に来たチ
ンパンジーの「カコ」や、栄村で不幸にも親熊を失って保護された
2頭の小熊(近年の熊の出没被害のことを考えると複雑な気持ちで
したが、とてもやんちゃな、かわいい熊たちでした)、長野県在来
の鶏の一種で、長い鳴き声が特徴の信州唐丸(とうまる)などを、
それぞれの動物の性格や裏話などの説明を聞きながら見て回りまし
た。

 短い時間だったのですが、職員の説明を聞きながら園内を回ると、
動物たちをより一層身近に感じることができましたし、一味違った
動物園を見たようにも思いました。
 私は、以前から観光地には「語り部」が必要だということを申し
上げてきました。名所や旧跡などに行くと、名物「語り部」がいて、
おもしろおかしく、そして分かりやすく解説をしてくれることがあ
ります。この解説により、その場所の印象がより深くなったりする
ものです。動物園でも同様に、「語り部」の存在は大切だと感じま
した。
職員の説明をお聞きいただけるイベントもありますので、皆さん、
ぜひご参加ください。きっと、より深く動物園を楽しんでいただけ
ることと思います。

されることになっています。この研究会には、秋篠宮さまもおいで
契機に動物園をリフレッシュするべく、園長以下、大いに張り切っ
ています。動物園、植物園、恐竜公園、そしてマレットゴルフ場・
・・茶臼山はさらに楽しい場所になっていくでしょう。

 ただ、この辺りは、以前、大規模な地滑りがあり、長い間その復
旧工事を進めてきた場所なのです。そのため、土地を利用するには
いろいろ制約せざるを得なかったことから、動物園などを整備して
きたのです。さらに、山の中腹を利用しているということもあり、
動物園や植物園など、配置されているそれぞれの施設をつなぐ動線
は、必ずしも機能的になってはいないと感じています。しかし、逆
に考えれば、その動線を見直して、すべての施設の関連がよくなれ
ば、もっと素晴らしい場所になるとも考えています。
 今後、今ある施設を有効に活用できるようアイデアを出し合いな
がら、さらに皆さんに楽しんでいただける場所にしていきたいと思
っています。

2008年7月17日木曜日

明るい選挙について


 7月4日、長野市民会館で「長野市明るい選挙都市宣言・長野市
明るい選挙推進協議会40周年記念大会」が開催されました。開会
に当たり、私は主催者の一人として、以下のようなあいさつをさせ
ていただきました。

 長野市は、昭和43年3月に、民主政治の健全な発展を期するた
めには「選挙が明るく正しく行われなくてはならない」との理念の
もとに、「明るい選挙都市宣言」をしてから40周年を迎えました。

 選挙を明るく正しいものにしようという運動は、昭和27年に
「公明選挙運動」として始められました。この運動は、民間有志に
より始められ、その後、官民一体となって全国的に展開されたので
すが、この前年の統一地方選挙では、選挙違反が相次ぎ6万人もの
検挙者が出たり、昭和27年の衆議院議員総選挙に向けても禁止さ
れているはずの事前運動が盛んに行われていたりした、という状況
だったようです。
 名称は、その後「明るい選挙推進運動」に変わりましたが、活発
な啓発活動を行って今日に至っています。

 この間、長野市でも、国政選挙、地方選挙を含め数多くの選挙が
行われてきましたが、関係者の皆様方をはじめ、有権者のご理解と
ご協力により、大きな選挙違反もなく、また、選挙無効に発展する
ような選挙の管理執行上における大きな問題もなく経過してきたこ
とは、大変喜ばしいことです。

 しかしながら、理想選挙への道はなお遠い、いや、だんだん問題
が出てきていると言わざるを得ない状況を感じています。特に、各
種選挙における投票率の長期低落傾向は、全国的なものとはいえ、
誠に憂慮すべき現象です。
 皆さんご承知のとおり、昨年行われた長野市議会議員一般選挙で
は、初めて投票率が50%を割り、49.71%と過去最低を記録
しました。この投票率は、前回に比べ、3.11ポイント低下とい
う大変残念な結果でした。
 さらに、前回の市長選挙に至っては、約37%という状況であっ
たわけで、実に遺憾であると言わざるを得ない状況です。

 投票率の向上に関しては、選挙管理委員会の努力、白バラ友の会
の皆さんの献身的な啓発活動など、いろいろな方々にご尽力いただ
いているわけですが・・・残念ながら、低落傾向を止めるところま
での効果は上がっていないのが実態です(しかし、皆さんが活動さ
れているからこそ、現在の投票率が維持できていると言えるのかも
しれません)。

 選挙を通じて政治に参加することは、有権者の権利であり、自ら
に課せられた義務でもあります。改めて、有権者一人一人が一票の
大切さを認識し、積極的に投票に参加されるようお願いしたいと思
います。また、明るい選挙推進運動も、過去の啓発活動の枠組みに
とらわれず、時代に即した効果的な方策により推進する必要があり、
決意を新たに真剣に取り組まなくてはならないものと思っています。

 私があいさつで申し上げたのは、おおむね以上のような内容です。

 ここから先は、私の個人的な意見として聞き流していただきたい
のですが・・・日本は、選挙によって代表者を選出し、その代表者
に権力の行使を託すことで国民が政治に参加し、意思を反映させる
間接民主制の国です。真に民主的な社会を実現するためには、その
基本である選挙が正しく行われることが必須の条件であり、これは
常識です。

 ただ、この常識について、最近、私は疑問を感じています。「民
主主義」イコール「選挙」とは言えないのではないかということで
す。
 現状の投票率を見ると、半分にも満たない数の有権者によって代
表者が選ばれ、その代表者により国や地方の政治が動かされている
ことは少なくありません。果たして、これが、正しい民意を反映し
ている状況と言えるのでしょうか。日本人の経験として、独裁的な
国家体制の中で人々が血みどろの戦いを経て、選挙権を獲得してき
たという歴史がないからこのようなことになってしまったのでしょ
うか。

 権利と義務ということについても考えるところがあります。投票
は権利でしょうか、義務でしょうか、問いたい。仮に、義務だとす
れば、投票しなかった人に何らかの罰があってもよいのかもしれま
せん(事実、投票を行わないと罰金が課される国もあるようです)。

 公職選挙法という法律があります。この法律は、国会議員や都道
府県・市町村議会議員、知事、市町村長の選挙のルールを定めてい
るのですが、選挙運動でしてはいけないことが羅列されています
(してはいけないことがあまりにも多く、当初は私も驚きました)。
 金権選挙を防止し、公正な選挙を行えるようにすることは当然必
要なのですが、これでは、選挙運動も萎縮してしまうかもしれませ
ん。買収だけはいけないとして、あとは何をやってもよい、では言
い過ぎですが、現在の状況に即して、もう少し分かりやすくすると
いうのも一つの方法かもしれません。そして、インターネットも、
もう少し自由に利用できればよいと思うのですが・・・。

 立候補する側の質も問われなければいけません。選挙に、そして
政治に興味関心を引くためには、候補者としての政策はもちろんで
すが、人物も重要です。単なる人気だけでなく、周りを引き付ける
だけの求心力をもっているか、燃え上がるような熱情を生み出せる
人物かどうか・・・難しい注文ですが、このような要素も必要でし
ょう。

 公務員や選挙で選ばれている人が立候補する場合に、その職を辞
めなくてはいけないという規定もあります。
 この決まりは、ある意味、公平性を欠いているようにも思うので
す。会社の社長や従業員、自営業の人とか、作家、タレント、弁護
士や司法書士など“士”のつく職業の人も、現職のまま立候補でき
ますよね。
 同じように公務員も現職のまま立候補でき、当選したら辞めると
いうことでもいいのではないでしょうか。辞めてから立候補すると
いうのは、リスクが大き過ぎると思うのです。
 確かに、首長や議員、公務員が仕事上の立場や機会を利用して選
挙運動を実施すれば、とても有利に働いてしまいますから、理解で
きないわけではありません。ただ、この決まりをなくすことができ
れば、もう少し幅広く立候補者が出て、より関心度が高い選挙にな
るような気もしています。

 代表者を選ぶ方法として、江戸時代から続くと言われる面白い決
まりをご紹介します。
 先日、松代で設立総会が行われた善光寺回向柱(えこうばしら)
寄進建立会に出席したときにお聞きした話ですが、建立会の会長人
事は、建立会の最後の打ち上げ式で、時の会長が予告なしに次の会
長を指名するのだそうです。その人事には誰も異議を唱えない、指
名された本人も断ることができないことになっていて、指名された
人は次の御開帳まで6年間会長職を務める、これが江戸時代から続
く伝統だそうです。そして、会長としてふさわしい人がちゃんと選
ばれてきたようです。松代流でうまい方法だなあ・・・と感じまし
た(でも、思い返してみると、うまく運営されている組織の代表者
選びは、実質的にこれと同じように行われているような気がしてい
ます)。

 以上、私の勝手な意見を書かせていただきましたが、地方選挙の
低投票率を憂いての発言としてお許しください。
 最後に、40周年記念大会の大会決議文を掲げて終わりにいたし
ます。

 大会決議

 昭和25年4月、民主政治の健全な発展を願い、その根幹をなす
明るく正しい選挙の実現を期して、公職選挙法が制定されました。
 本年は、我が長野市が昭和43年に「明るい選挙都市宣言」をし
て、40周年を迎える意義ある年であります。
 私たちはこの間、政治の重要性を深く認識し、創意工夫をこらし
た啓発活動を展開し、選挙本来の意義とその重要性を訴え、投票総
参加のために鋭意努力を重ねて参りました。
 しかしながら、投票率の低落傾向には依然歯止めがかからず、と
りわけ少子高齢化が進む中、若年層の政治・選挙離れは、大変深刻
な状況にあります。
 地域のそして国の将来を正しく決定していくためには、私達有権
者一人一人が一票の大切さを認識し、積極的な、投票による政治参
加が不可欠であります。
 特に、若年層の有権者には、次代を担う社会の一員としての自覚
を求めるとともに、家庭や地域の中で積極的に、政治や選挙につい
て語り合えるような環境作りをしていくことが、今、選挙啓発関係
者のみならず全ての市民に求められています。
 明年秋には、任期満了による市長選挙の執行が予定されています。
この機会に臨み、改めて、明るい選挙啓発の趣旨並びに重要性を強
く訴え、時代に対応した啓発活動の展開と、政治に関する意識の更
なる高揚を図り、明るい選挙の実現を強力に推進します。

 平成20年7月4日

 長野市明るい選挙都市宣言40周年記念大会
 長野市明るい選挙推進協議会40周年記念大会

2008年7月10日木曜日

ものづくりへ(2)


(ROBOMEC 2008 in NAGANO)
 先日、日本機械学会ロボティクス・メカトロニクス部門主催の
「ROBOMEC(ロボメック)2008 in NAGANO(ロボ
ティクス・メカトロニクス講演会)」という珍しい、でも素晴らし
い大会が長野で開催され、その懇親会にお招きいただきました。こ
の講演会は、平成元年に第1回が開催されたそうで、今回は20年
目の節目の会とのことでした。

 この「ロボティクス・メカトロニクス」というのは、あまり聞き
慣れない名前なのですが、「ロボティクス」とはロボット工学、
「メカトロニクス」とは機械工学と電子工学を統合した分野とのこ
と。もともと、この技術分野は、なるべく人手を省き、効率的な生
産システムにしようとする自動化技術の中から誕生し、産業の発展
に貢献してきたものなのだそうです。
 そのため、今回の講演会も、今後とも産業発展に貢献できる技術
と工学を創出し続けることを意図したとのことで、「持続的な産業
発展を支えるロボティクス・メカトロニクス」というテーマが設け
られていました。

 今回は、信州大学繊維学部の先生や学生の皆さんが組織委員会の
中心となり、運営に活躍されたようです。日本中から若い技術者が
集まってきており、講演会自体には1,500人以上の参加があっ
たそうで、懇親会にも会場いっぱいの方々が出席されていました・
・・・年配のどなたかがおっしゃっていましたが、今日は日本中の
“エジソン”がすべて長野に集まっていると言っても過言ではない
そうで、日本のロボット工学やメカトロニクスに関する最先端の研
究者が交流している、若さあふれる会合でした。

 講演会の内容は、門外漢の私にはチンプンカンプンですが、セイ
コーエプソンの生産技術開発本部の福島米春氏と金沢大学医学部教
授の渡辺剛氏による特別講演、いろいろな部門の表彰、そして、さ
まざまな研究を発表する数多くの講演などが3日間にわたって繰り
広げられたようです。

 講演の題目をパンフレットから、幾つかご紹介しますと、
 「倒れ込み抑制効果を利用した受動歩行規範二足ロボットのアシ
 スト制御」
 「送り駆動系の微小変異領域での数学モデル」
 「機構的優位性を持つヒューマノイドの身体進化」
 「レスキューロボットにおけるマルチ生体情報計測システム」
 「月面探査ローバの移動機構の検討」

・・・こんな感じの題目がずらりと並んでいます。これらはほんの
一部で、全部で1,000を超える講演があったそうです。私がお
聴きしても恐らく全く分からないのでしょうが、何かすごく大切な
先端技術の研究であるということだけは、感じることができました。
 そして、そんな重要な大会を長野で開催していただいたというこ
とも、大変光栄でした。いずれ、この大会の成果が世に出てくるで
しょうから、楽しみです。

(エコマラソン2008長野)
 一昨年でしたか、篠ノ井西中学校の部活動で、箕田大輔教諭の指
導の下、エコカーをつくって大会に出場していることを、このメル
マガでも紹介させていただきました。
 箕田先生は、現在も、選択授業や部活動で「1リットルのガソリ
ンで何キロメートル走れるか」という低燃費を追求するエコカーを
製作しながら、ものづくりの楽しさ、環境との共生をテーマとする
教育活動を幅広く実践しておられる先生です。

 今までの主な活動を、記録から紹介しますと、

・平成16年に3台の車をつくり、その後5台に増やして活動を広
 げ、生徒たちの創意工夫と研究により、最高で1リットル当たり
 777キロメートルの走行距離を記録(これらの活動が評価され、
 トヨタ財団の助成を受けることになったようです)。
・そのおかげで、平成19年には、エコカー発祥の地である英国で
 の大会に出場、1リットル当たり976キロメートルの走行距離
 を達成(世界の強豪を相手に49チーム中9位の成績)。
・さらに同じ年、広島で行われた「スーパーマイレッジ・カー・チ
 ャレンジ」では、1リットル当たり1,269キロメートルの走
 行距離を記録。

 そして、現在も、さらなる燃費向上を目指して研究を続けている
とのことです。

 今後は、篠ノ井西中学校の活動をベースにして、広く全国の中学
生らがチャレンジできるイベントを持続的に開催したいと、大変意
欲的です。
 そして、今年の9月13日~14日には、エムウェーブの外周コ
ースを使って、「エコマラソン2008長野」を開催する予定との
こと(主催:エコマラソン長野実行委員会)。さらに、来年以降も
連続開催していこうと意気込んでいます。この大会が、高校野球の
甲子園のように、エコカーをつくっている全国の中学生らが、競っ
て出場を目指すあこがれの大会になっていくと、素晴らしいですね。

 箕田先生が平成17年に出版した『モーターボーイズ!』という
本を読ませていただきました。「車づくりに懸けた中学校2年間の
汗と感動の物語」という副題付きで、本の帯には、“お~動いた!
俺たちのつくったクルマが本当に動いたよ!”とあります。
 先生の子ども時代の無鉄砲な経験から、マイレッジマラソンとの
出会い、見よう見まねでの車製作、大学院時代の鈴鹿サーキットへ
の挑戦、長野県公立中学校の教員として採用、そして中学生との車
づくりの格闘・・・楽しい、そして先生の情熱の塊が胸を打つ本で
した。

 素晴らしい実績はもちろんですが、私が特に感心したのは、地域
全体が篠ノ井西中学校の活動を支持し、応援していることです。こ
れには、学校としての応援態勢や、校長先生、箕田先生の人柄もあ
るのでしょうが、鉄工所の方が古鉄をくださったり、自転車店を経
営する方のアドバイスがあったり、応援団をつくって鈴鹿まで出掛
けたり・・・それがトヨタ財団やホンダなど、地域を越えたさらに
幅広い支援につながっていったのだと思います。

 今年度から文部科学省が、「学校支援地域本部事業」という事業
を始めています。この事業では、地域住民による環境整備、学習支
援、登下校安全確保などの活動を通じて、学校支援体制を整備し、
地域の教育力の活性化を図ることを目指しているのですが、すでに
篠ノ井西中学校では実現してしまっているのではないかと私は感じ
ました。

2008年7月3日木曜日

ものづくりへ(1)


 6月24日、移動市長室ということで、長野高専(独立行政法人
国立高等専門学校機構長野工業高等専門学校)を訪問させていただ
きました。長野高専は、45年も前の昭和38年に開校し、5年間
の一貫教育という特色を生かして、主に工学・技術系の専門技術者
を養成してきた学校です。当初は、国立の学校として開校しました
が、国の行政改革の一環で、平成16年から独立行政法人になって
います。

 長野高専の個々の先生方には、市の審議会などでいろいろお世話
になっていますし、平成18年には、長野高専と長野市とが相互に
連携・協力するための協定も結ばせていただいています。しかし、
国の教育機関という性格からでしょうか、これまでは、市内にあり
ながら、市との直接的な関係はあまり深くないと感じていました。
 実は、私も、長野高専の開校以来、一度も訪問させていただいた
ことがなかったのです。

 今回は、5月に静岡県沼津市で行われた「ロボカップジャパンオ
ープン2008沼津」というロボットサッカー大会で準優勝したロ
ボットを見せていただけるということで、訪問させていただきまし
た。このロボットは、7月14日から中国で行われる世界大会に出
場することも決定しています。

 見せていただいたのは、攻めと守りを受け持つ各1台のロボット
で、2台1組になって相手チームと対戦するというものです。これ
らは、ロボットの構造に強い小市くんと、動きを制御するプログラ
ムが得意な柳川くんという、長野高専の「航空・ロボット製作部」
に所属する2人の学生が協力してつくったのだそうです。

 ロボットは、電池で動くのですが、スイッチを入れると、壁に囲
まれた四角いコートの中で、赤外線を発するボールを感知しながら、
勝手に動いて試合を進めていってしまうという優れものです。この
日は、相手になる同様のロボットがなかったことから、別の学生が
遠隔操作するロボット1台との対戦を見せていただきました。試合
では、遠隔操作していた学生が判断を迷っているほんの一瞬のうち
に、準優勝したロボットがゴールを決めてしまいました。

 もう1台、周囲に壁がないコートで、コートの床の色を識別しな
がらサッカーをするロボットも見せていただきました。まだ調整中
とのことで、十分にその性能は発揮できなかったようですが、弁当
箱程度の大きさしかないロボットの中に、いろいろな機能が詰まっ
ているのですから、すごいものです。こちらは、世界大会のデモン
ストレーションへ出場するのだそうです。

 そのほか、長野高専のさまざまな施設も案内していただきました。
旋盤や溶接機をはじめ、鋳物をつくる設備など、ものづくりの基本
となる施設のほか、「地域共同テクノセンター」という産学連携交
流施設、インクジェットの応用技術やさまざまなものを立体的にコ
ピーする技術など、最先端の技術が利用できる装置を備えた施設な
ども見せていただきました。

 立体的にコピーしたものを幾つか見せていただいたのですが、人
の顔やおもちゃをはじめ、須坂市動物園の人気者“ハッチ”も小さ
くコピーされていました。立体的なコピーと言っても、成形と同時
に着色する技術はまだないそうで、見せていただいたのはみんな白
色でした。でも、データとしては色の情報も読み取っているとのこ
とで、近い将来、本物と区別がつかないような立体コピーが、あっ
という間にできるようになるのかもしれません。

 これらの施設は、長野高専の校長先生をはじめ、先生や職員の方
にご説明いただいたのですが、最先端の技術になればなるほど私に
は難解で、理解しきれないことも多かったように思います。研究途
上ということなので無理もないのでしょうが、先端技術を施す工程
が、それぞれ別の装置になっているのです。生意気なことを言わせ
ていただくと、各装置をつなぐ技術がもっと確立されれば、私でも、
もう少し理解できるかな?とも感じました。
 案内していただいた施設では、多くの学生たちが製作に取り組ん
でいたのですが、みんな目を輝かせ、熱心に作業をしていた姿が印
象に残っています。

 最後に、数人の学生の皆さんと懇談させていただきました。懇談
の中で、学生の皆さんの出身地の話になったのですが、お聞きして
みると長野市外出身の方もかなり多いようです。また、2人いた5
年生に来春の就職先を尋ねると、2人とも長野市内に拠点のある企
業への就職が内定しているとのことでした。

 長野高専には、現在1,000人もの学生が学んでいるそうです。
市外からも大勢の学生が長野に来ています。長野で学び、身に付け
た専門技術を長野の企業で生かしてもらえる、これはありがたいこ
とです。そして、そういう若い人たちが活躍できる環境を長野にも
っと用意して、ドンドン採用してくれる、そんな企業がたくさんで
きると良いと思っています。
 ただ、現代はグローバルな時代です。長野で学んだことをもとに、
世界で活躍してほしい、そんな気持ちがあるのも事実です。

 私は、市長就任当初から、長野を元気にしていくためには、もの
づくりを大切にしていかなくてはいけないと考えてきました。しか
し、長野市内の製造業のバロメーターとも言える「製造品出荷額」
は、最近こそやや持ち直してきてはいますが、ピークだった平成9
年の約60%にまで落ち込んでしまっているのです(これは、大手
製造メーカー工場の撤退や市外への移転が続いたことが響いていま
す)。

 県内の景気は、「南高北低」とも言われ、北の長野市としては悔
しい思いをしています。ものづくり企業の不振が大きい、何とかし
なくては・・・いつも頭から離れないテーマです。市内のものづく
りを盛んにし、「元気なまち」につなげていけるように、さまざま
な学校や企業とも連携を深めていく必要があると、改めて感じたひ
とときでした。

 今回のことに関連して、皆さんにご紹介しておきたいと思ってい
ることがありますので、次回、もう少し、ものづくりについて書い
てみたいと思います。