茶臼山動物園のすぐ隣に、茶臼山自然史館という施設があったこ
と、覚えていらっしゃいますか。私が長野市の教育委員をさせてい
ただいていた昭和60年に、長野市立博物館の分館として完成した
施設です。
当時、教育委員会の議題として、完成した自然史館の入館料をい
くらにするかという案件があったことを記憶しています。私は「提
案の金額は安いように思うけれど、どうやって算定したのですか」
と質問したのですが、事務局職員からは「周辺の類似施設の入館料
を調べて決めた」という意味の答えがありました。私は「へえー、
原価計算をして決めるわけではないんだ、類似施設というのもよく
分からないなあ」と、不思議に思ったことを鮮明に覚えています。
そして、教育委員という立場であったことから、開館後早々に見
学しました。地層や化石の展示・説明があって、長野地域の生い立
ちが分かるようになっていたと記憶していますが、その後、市長に
就任してからも含めて、残念ながらこの自然史館の展示を直接見る
機会はありませんでした。
その茶臼山自然史館ですが、昨年11月に閉館しました。茶臼山
自然史館と類似した施設として、戸隠栃原に、旧戸隠村時代に整備
された「地質化石館」がありましたので、統合することにしたので
す。
「地質化石館」は、昭和24年に建てられた旧柵(しがらみ)中
学校の木造校舎を利用していましたので、傷みも激しくなっていま
した。また、茶臼山自然史館も、手狭で博物館としての業務に支障
を来している状態でした。
そこで、「地質化石館」と同じ敷地内にあり、小学校の統廃合に
より平成18年度から空き校舎となっていた旧柵小学校の校舎を活
用し、総事業費約2億円を投じて新たな博物館を整備することにし
たのです。この地域は、鬼無里方面も含めて、全国有数の化石の宝
庫といえる場所でもあります(小学校の統廃合は、旧戸隠村時代に
決定していたもので、平成18年4月に、柵小学校と戸隠小学校、
戸隠小学校宝光社分校を統合して、新戸隠小学校を開校しました)。
新しい博物館は、それぞれ20年以上も活動を続けた博物館を統
合して整備しましたので、地質や化石を中心に約5万点もの豊富な
資料を収蔵することになりました。この資料数は、県下でも有数の
コレクションと言うことができるそうで、博物館の規模も、自然史
系博物館の中では県下最大級とのことです。
結果的に、このような立派な博物館が誕生することになりました
が、重要なことは、この博物館の誕生により、類似施設が2館ある
ことによる不効率や、両館が抱えていた課題を発展的に解消するこ
とができたということです。
これも、平成17年に長野市と戸隠村が合併した効果の一つと言
えるかも知れません。
『広報ながの』7月15日号の一面に、大きな岩塊を館に運び込
んでいる写真を掲載させていただきましたが、しばらく前からボラ
の開館に向けた引っ越し作業をしてきました。
この岩塊は、旧柵小学校の入り口に置かれていた化石の巨大な塊
で、重さは2トンもあるそうです。平成17年に裾花川の河原で発
見されたものなのだそうで、小学校の閉校式での式辞で、校長先生
が「天からの贈り物です」と形容されていたことを思い出します。
今回、これも展示に使用させていただくことになり、写真のよう
に、大掛かりな引っ越しとなったわけです。
そして、7月26日(土)の午前10時から、開館式が行われま
した。私も参加して、主催者としてあいさつをさせていただいた後、
館内をゆっくり見学しました。
この博物館は、長野の大地の生い立ちを戸隠の化石から学ぶ施設
という位置付けをしており、戸隠山の生い立ちや飯綱火山・長野盆
地のでき方を中心に、長野周辺の自然に関する展示もあります。
ちなみに、ホタテガイの化石が見つかる戸隠山は、約500万年
前の海底が隆起してできた山だということです。だからあんなにゴ
ツゴツしているのでしょうか。
長くなりますので、展示内容の詳細については、実際にお越しい
ただき、皆さんご自分の目で確かめていただきたいと思います。た
だ、お越しいただけるとお分かりいただけると思いますが、市街地
から少し遠い、アクセスが悪いというのが、現段階での評価になる
でしょう。
しかし、そのことを別にすれば、本当に素晴らしい施設が誕生し
たと思っています。館の周囲にも豊かな緑が広がっており、とても
よい場所です。
この博物館の最大の特色は、「ミドルヤード」という新しい発想
のもとでつくられていることです。これまでの博物館は、来館者の
皆さんにご覧いただく展示室(フロントヤード)と研究・収蔵・管
理をする非公開の場(バックヤード)が分かれていました。そのた
め、博物館としての魅力を十分にお伝えすることができなかったの
ではないかという反省から、その中間の場となる「ミドルヤード」
という考え方を導入しました。
これにより、これまではお見せしていなかった博物館の裏側、す
なわち、資料を保存している収蔵庫や学芸員の研究室などもご覧い
ただけるようにしました。そのほか、これまで学芸員が行っていた
資料の保存や展示に必要な作業なども、来館者が一緒に行えるよう
にするなど、従来にない体験をしていただくことも可能です。
もともとこの地にあった「地質化石館」は、古い校舎を利用して
おり、見栄えのする建物ではなかったのですが、知る人ぞ知る博物
館だったようで、「若いころ、ここで勉強した」とおっしゃる方が
たくさんいらっしゃるようです。松田館長は、今までは「建物は古
いけれど中味は濃い」と言われてきたけれど、これからは「建物も
“濃く”て、中味も濃い」と言えるようになった、と喜んでおられ
ました。
今回、新たな考え方も取り入れて整備し直したことにより、自然
史研究や学習の場として、日本を代表するような博物館になってい
ってほしいと願っています。
この博物館にはもう一つ誇ることがあります。それは学芸員の存
在です。開館式の後、大勢のお客さんと一緒に館内を見学したので
すが、学芸員の語りは抜群でした。皆さん学芸員の説明に聞き入り、
感心していました。
「地質化石館」のころからの経験により、慣れているといえばそ
の通りですが、よく勉強しており、お客さんの気持ちを察しながら、
自分の話に引き込んでいく話術はたいしたものだと感じました。
「単なる施設、景色だけでは人を呼べない、優れた語り部(案内
人)が必要である」と、松代などの観光地でも力説してきましたが、
この館は、まさにそのような形でもお客さんを喜ばせてくれるので
はないかと感じました。
学校関係の理科の勉強にも、有効ですから、大いに活用していた
だき、たくさんの子どもたちに来ていただいて、勉強していただけ
るとうれしいですね。
車で、長野駅から国道406号経由で約30分、戸隠中社からは
約20分です。貝のマークが入った紺色の案内標識が主な交差点な
どに出ていますので、目印にしてください。
市街地からバスで行く場合には、川中島バス鬼無里線で「参宮橋
入口」下車、市営バス参宮線または西部線に乗り換えていただいて
「農協前」下車、徒歩1分です。
ただし、現段階でこの市営バスは、便数が少ないことに加え、戸
隠地区の方々が市街地方面へ行きやすいようにダイヤを編成してい
ます。市街地から博物館へ向かうルートは、逆方向になることから
バスの接続が悪く、乗り換えの待ち時間が大変長くなってしまいま
すので注意してください。
大変残念ですが、現在のところ車でお越しいただくことが無難で
あると言わざるを得ません。