この定例会に関連した内容について、幾つか報告させていただきま
す。
(1)市議会での質問に「一問一答方式」が導入されました。
「一問一答方式」は、現段階ではまだ試行ということですが、市
議会の議論の活性化と分かりやすい議会運営を目指し、従来の「一
括質問・一括答弁方式」に加えて、新たに導入されました。どちら
の方式で質問するかは、質問する議員さんが選択することになって
います。
「一括質問・一括答弁方式」というのは、従来から行ってきた方
式で、はじめに議員さんが質問項目すべてをまとめて質問し、その
後、市長や各部局長などの執行部局側が質問項目について順次回答
する方式です。「一問一答方式」が加わった今回の議会でも、質問
議員18人のうち、7人の議員さんがこの方式を選択されました。
今回から導入された「一問一答方式」は、文字どおり1つの質問
項目ごとに執行部局側が回答するもので、これを制限時間の中で繰
り返しながら議論していく方式です。
この方式を選択されたのは、11人の議員さんでした。今回は、
議員さん・執行部局側ともに、まだこの方式に慣れていないという
こともあるのでしょう、それほど議論が活性化したということはな
かったように思いました。
ただ、質問に対してすぐに回答があるので、議場で傍聴されたり、
ケーブルテレビや市のホームページで議会の様子をご覧になったり
していた皆さんにとっては、分かりやすい部分もあったのではない
かと思います。
逆に、今回はそのような例はなかったのですが、執行部局側の当
意即妙の回答が増える可能性もあります。質問事項を十分検討して、
責任を持ってきちんとお答えするというのがこれまでの趣旨だった
のですが、今後、場合によっては、本来回答すべき内容から遠い回
答をしてしまう可能性もありそうです。執行部局としての資質もこ
れまで以上に問われることになります。
また、議員さんの質問数が多すぎて、時間内で収まらない場面が
多かったように思います。これには、執行部局側の回答が長すぎる
ことも要因の一つでしょう・・・しかし、長くなるのは、小泉元首
相のようなワンフレーズ・ポリティクスだと、質問者に納得してい
ただくのが難しいのではと考えてのことでもあるのですが・・・。
時間内に収めるためには、質問時間だけを制限して、回答時間は
フリーにするという方式の検討にも余地がありそうです(私は、執
行部局側には反問権があっても良いのではないかと思っています。
ただし、その反問に対する議員さんの回答時間の制限をどうするか
という問題もありますが・・・)。
「一問一答方式」の試行は12月市議会でも行うということです
ので、いろいろな場面を想定して研究していく必要があると思って
います。
(2)市議会議員の政務調査費を減額することになりました。
政務調査費は、議員さん個人に支給されている報酬とは別に、市
議会の各会派に対して交付している議員さんの調査・研究費であり、
議員一人当たり月額9万7千円が認められています。
この金額はそれぞれの市町村によって違っており、長野市の金額
は、同規模の中核市と比較すると中ぐらいなのですが、長野県内の
市で比較すると、圧倒的に高いことは事実です(中核市の平均は約
10万7千円。最高が東大阪市と熊本市の20万円、最低が豊田市
の3万1千円余。県内19市の平均は約1万4千円、長野市に次い
で高い松本市は2万円余です)。
長野市では、年2回、各会派に半年分の政務調査費をまとめて交
付し、年度末に精算することになっています。
昨年度の下半期に、各会派が実際に使った金額は、議員一人当た
りの月額に換算すると新友会5万3千円、共産党市議団8万4千円、
公明党市議団9万6千円、政信会8万3千円、市民ネット4万6千
円であり、予算額である一人当たり月額9万7千円と比較して、か
なり余らせていることは事実です。そして、余った分は市に返還さ
れており、翌年に繰り越すことはできないことになっています。
政務調査費の減額については、昨年の12月に市議会の中に「政
務調査費等検討委員会」が設けられ、検討されてきました。委員会
の中では熱心な議論があったようですが、市議会の各会派が主張す
る金額にはかなりの差があり、残念ながら意見は一致せず、その差
は埋まらなかったようです(ちなみに、最終的に各会派が主張され
ていた金額は、新友会6万円、共産党市議団8万5千円、公明党市
議団・政信会7万7千円、市民ネット8万2千円ということだった
ようです)。
議論は、今回の定例会の間も続けられ、最終的には、正副議長さ
んと議会運営委員会の正副委員長さんがまとめた「議員一人当たり
月額8万5千円」の案が全会一致で了承されたようです。また、附
帯事項として、今後も適時に金額を見直すことや、政務調査費の透
明性の向上、議員としての調査・研究活動の充実についても盛り込
まれたそうです。
政務調査費の金額を正式に変更するためには、市が設けている特
別職報酬等審議会の意見をお聴きし、その後、条例を改正するとい
う手続きを踏むことになるのですが、私としては、できることであ
れば、まず、議員さんの議論の中で金額や方向性を示していただく
ことが一番良いと思っていました。その意味で、今回、議会として
結論を出されたことは、とても良かったと思っており、附帯事項と
して盛り込まれたということで透明性の向上や調査・研究活動の充
実にも大いに期待したいと思っています。
(3)長野市・信州新町・中条村の合併協議会を設置することが議
決されました。
今回の合併については、今年1月に信州新町と中条村で住民意向
調査が行われて以降、2月には、両町村から長野市に対しての合併
協議の申し入れ、3月には3市町村での合同研究会の設置、という
経過で進んできました。
合同研究会は、合併するかどうかの判断材料を事務レベルで作る
ために設けた研究会です。研究会は、3月から8月までの間に常に
公開で9回開催し、約1,300項目の調整・協議を行ってきまし
た。
その間、市民の皆さん、市議会へもあらゆる情報を提供してきま
した。合同研究会での協議内容は、ホームページや広報ながのなど
でお知らせするとともに、「元気なまちづくり市民会議」や5会場
で開催した「市町村合併に関する市民会議」において、今回の合併
について説明させていただき、ご意見をお聴きしてきました。
市民会議では、私から直接ご説明させていただき、質問などにも
お答えしてきているのですが、ご質問やご意見の内容・趣旨などか
らすると、今回の合併を進めていくことについては、おおむねご理
解いただけたのではないかと思っています。
9月5日(金)には、信州新町の中村町長、中条村の久保田村長
にお越しいただき、合併協議会設置に向けた市町村長会議を開催し
ました。この会議は、これまでの合同研究会の協議結果を踏まえ、
今後さらに合併に向けての手続きを進めるか否かについて意見を交
わすために開催したものです。両町村長さんからは、「今後さらに
合併協議を進める」、「9月議会に合併協議会設置の議案を提出す
る」との意向が示されたことから、長野市としても同様の対応をと
ることをお伝えしました。
そして、今回の定例会に、追加議案として「合併協議会設置」と
「それに伴う補正予算」について提案し、議決いただきました。
信州新町・中条村の両町村議会でも合併協議会設置議案が可決さ
れたとのことですから、今後、3市町村の合併協議会を設置し、合
併するか否かの議論を始めることになります。
(4)市議会初の女性副議長が誕生しました。
今回の定例会の最終日、祢津栄喜議員が副議長を辞職されたこと
に伴い、議員さんによる副議長選挙が行われ、小林紀美子議員が第
53代副議長に当選されました。明治30年の長野市議会発足以来、
初めての女性副議長の誕生です。
さまざまな分野で女性が活躍されている現代社会の中にあって、
初めて女性副議長が誕生したというのは、少し遅いような気がしな
くもありません。しかし、今回それが実現したのですから、喜ばし
いことだと思っています。
小林副議長には、さまざまな形で市議会に新たな風を吹き込んで
いただけることを期待しています。
このほか、議員さんからいただいたご質問とそれに対する執行部
局としての回答など、今回の定例会に関しては、まだ、お知らせし
たいと思うことはあるのですが、今回は、以上の4点について報告
させていただきました。
2008年9月25日木曜日
9月市議会定例会
2008年9月18日木曜日
中山間地域の物語
先日、鬼無里地区の地域審議会の皆さんが来られ、いろいろ話を
した際に、『谷の京物語 伝説の鬼無里』と『秘境の谷 鬼無里の
自然』という2冊の本をいただきました。早速読ませていただいた
のですが、面白い。そして、科学が発達した現代の感覚からすると
少々荒唐無稽(こうとうむけい)な(失礼)・・・と感じるところ
もあるのですが、しかし、何か信じたくなるロマンを感じさせる本
でした。
『谷の京物語 伝説の鬼無里』の内容を少しご紹介します。
日本最古の歴史書『日本書紀』には、飛鳥から都を遷(うつ)す
場所を探すため、天皇が信濃の国に使者を派遣したという記事があ
るそうです。それは、天武天皇13年(684年)のことで、二人
の使者が信濃の国へやって来て、検分して帰ってから、天武天皇に
信濃の国の地図を奉り、そして翌年も三人の使者が来て、束間(つ
かま)の湯(筑摩郡山辺)に行宮(あんぐう)を造らせたのだそう
です。
束間の湯とは、松本市の浅間温泉のことでしょうから、信憑(ぴ
ょう)性はありますよね(天武天皇は壬申(じんしん)の乱で、兄
の天智天皇の後継をめぐって戦い、勝利した天皇だったと思います。
戦いで荒れた近畿地方に嫌気が差して、遷都を考えた・・・なんて、
私は愚考をしているのですが・・・)。そしてその時、鬼無里にも
調査があったらしいのです。
この『日本書紀』の記事と呼応するように鬼無里には、天皇の使
者が水無瀬(みなせ)の里(のちの鬼無里)へ来て、ここを都にし
ようとしたという伝説があるのだそうです。実際に遷都した藤原京
が大和三山の真ん中にあるように、戸隠・新倉(あらくら)・虫倉
の三山に囲まれた谷あいの水無瀬の里は、水がきれいで、地形の占
いでも都城を造営するにふさわしい場所だということで、天皇にこ
この地図を差し上げたというのです。
ところが、ここに住んでいた鬼どもが、われわれのすみかへ都を
遷されてたまるものかと、皆で相談して、一夜のうちに山を運んで
きて、谷の真ん中に据え、用地をふさいでしまったというのです。
これが一夜山です。
惜しいことをしたと思いませんか。もしかすれば、天武天皇が造
ろうとした都は、鬼無里にあったかもしれない、そしてその後も都
が続いて今の京都みたいになっていた可能性もある・・・。
戸隠、新倉、虫倉の三山の中央にある一夜山を取り除いてみると、
この盆地は、藤原京はもちろん平城京に匹敵する広さがあって、遷
都の話があってもまんざらおかしくないそうですし、現在の鬼無里
にある西京(にしきょう)・東京(ひがしきょう)といった地名、
白髯(しらひげ)神社や加茂社・春日社の存在・・・。
真偽の程は私には分かりませんし、この本にあるような伝説を正
確に話してくださる鬼無里の方に、お会いしたこともありません。
でも、ロマンを感じます。鬼無里の魅力を高めるために、この伝説
を、鬼無里の物語の中心に据えて、もっと広めてみませんか?
そのほか鬼無里には、時代は下りますが鬼女紅葉物語、木曾殿ア
ブキなどの伝説もあり、こちらも惹(ひ)かれるものがあります。
とにかく鬼無里は、伝説の宝庫であることを教えられました。
もう1冊の『秘境の谷 鬼無里の自然』もなかなか読み応えのあ
る本です。詳しくは述べませんが、白馬方面から鬼無里に入る三本
の道の記述が一番面白かった・・・。
実は戸隠にもたくさん伝説があるようです。長野市との合併前に、
当時の横川村長さんが私を訪ねて来られた際に、戸隠に関する本を
何冊かいただきました。そして村長さんいわく「戸隠はいろんな方
が書いてくれた本が山ほどあります」と言っておられました。
いただいた本、そのときは興味深く読ませていただいた記憶があ
るのですが、今回、あらためてメルマガに書かせていただけるほど
は覚えていません。確か、戸隠支所の元村長室にいろいろな本があ
ったように思います。時間があればゆっくり読ませてもらおうと思
っています。
話は変わって、8月23日(土)、戸隠の迎え火・送り火の会に
お招きをいただき、戸隠を愛する若い皆さんと移動市長室を開催さ
せていただきました。
この会の目的は、地域の大切な文化である民俗行事、伝統行事に
加えて新しい戸隠の魅力をつくることによって、地域住民はもとよ
り、地域を離れた人々にも故郷を敬愛する思いを抱いていただき、
「また戸隠で暮らしたい」という気持ちになってもらいたい。その
ために、戸隠の魅力に気付いてほしい、という願いを込めて設立さ
れた会とのことです。
具体的な活動としては、地蔵盆祭に合わせて、宝光社区の地蔵堂
(お寺)から戸隠神社“宝光社”の鳥居前までの参道に住民参加に
よる手作りの灯籠(とうろう)を並べ、灯籠の明かりの演出による
魅力づくりをしているのだそうです(約100から120基、小学
生にも手伝ってもらって作るのだそうで、平成19・20年度の市
の「ながのまちづくり活動支援事業補助金」を獲得して活動してい
るとのことです)。
また、戸隠神社“奥社”の二年参りの際にも、参道に手作り灯籠
を設置、点灯しているとのことです(これは約200基設置予定と
のこと)。
懇談が終わった後、宝光社の階段の上から順々に灯籠に灯をつけ
ながら、地蔵堂まで下っていき、堂の中を見せていただきました。
堂の前の広場は大勢の方が集まって来ており、お聞きすると、間
もなく神社の神主さんと地蔵堂の住職さんが来られて、お二人でお
祭りをされるとのことでした。まさに神仏混交ですよね。そして皆
で盆踊りをするのだそうです。
また話は変わりますが、中山間地域の道路についてです。中山間
地域にも市道は多くあるのですが、幹線道路のほとんどは県道で、
整備が遅れている路線も目立っています。そこで、私(長野市長)
が会長になって、それぞれの道路の改良促進期成同盟会を組織し、
県に早期整備をお願いしています。その中の一つ、一般県道小川長
野線の期成同盟会が先日開かれました。
この県道は、小川村の日本記(にほぎ)を起点に、中条村、長野
市七二会・小田切の両地区を通り、小鍋の国道406号に至る総延
長34キロメートルの道路です。この地域にお住まいの方以外(私
も含めて)は、この道路を通る機会がなかなかないのではないでし
ょうか。
私は、小田切支所や青少年錬成センターなどへ向かう時などにこ
の道路を使いますから、長野市内分の様子はある程度知っているつ
もりでした。しかし、全線を通る機会はなかったものですから、私
が会長をやっている以上、きちんと実態を見ておきたいと思い、先
日の土曜日、運良く空いた時間を利用して視察に出掛けました。
小川村の起点からこの県道に入ったのですが、国道406号と合
流する終点まで、全線にわたり山の中をうねうねと曲がり、上った
り下ったりする道路で、全線を一気に踏破するには、ちょっと大変
な道路でした。ただ、景色は良いですし、車は少ないですし、快適
な部分もあって楽しかったのですが、七二会や小田切地区の見覚え
のある道路に来たときに、ホッとしたことは事実です。
長野市街地から大町や白馬方面に行く車の多くは、県道長野大町
線、あるいはオリンピック道路を通るのだと思います。この県道は、
それに並行して北側の山の中を横断していく道路です。現実には、
この道路を通過する車はそれほど多くはありませんが、周辺に住ん
でおられる方々にとっては、重要な生活路線です。決して大きな集
落ではありませんでしたが、この県道が幾つもの集落をつないでい
ることを、私は今回の視察で実感してきました。
このように県道でもまだまだ整備不足ですが、市道には整備が必
要な道路がもっとたくさんあることを認識しています。そして、中
山間地域の活性化には、基盤となる道路整備が大切な事業であるこ
とをあらためて痛感させられた日でした。
2008年9月11日木曜日
勝った!優勝だ
サッカーの北信越フットボールリーグ1部(北信越1部リーグ)
の今期最終節、昨年優勝の「松本山雅FC」と昨年2位だった
「AC長野パルセイロ」の試合が、9月7日(日)南長野運動公園
の総合球技場で行われました。
ここまで、パルセイロは、勝ち点差1でトップを維持しており、
勝てば文句無く北信越1部リーグで、3年ぶり3回目の優勝。しか
し、2位のJAPANサッカーカレッジ(新潟県聖籠町)が最終節
で勝利し、勝ち点を伸ばすことを考えると、どうしても勝たなくて
はならない試合でした(JAPANサッカーカレッジは、同日金沢
市でツエーゲン金沢と対戦して2-3で負けましたので、結果とし
ては、この試合を落としてもパルセイロの優勝だったのですが・・
・)。
長野市民の皆さんもそれが分かっておられたのでしょう、球技場
は3,000人を超える観客で埋まりました。どうやらこの日は、
この球技場始まって以来最高の観客数だったようです。
山雅は今シーズン前半の不調がたたり、優勝の望みはなくなって
いるのですが、徐々に調子を上げ、伝統の一戦、信州ダービーを勝
ちたいと意欲満々でした。
ゴール裏に陣取った山雅のサポーター。グリーンのシャツを着て、
見事に統制のとれた応援を繰り広げていました。あの規模、休むこ
とを知らない応援の声、敵ながらあっぱれで、残念ながらパルセイ
ロより上ではないかと思いました。長野でのホームゲームですから、
球技場全体では、パルセイロのオレンジ色のシャツが圧倒的に多か
ったのですが・・・。
戦いは、一進一退、とても厳しいものでした。ヒヤッとする場面
もありましたが、パルセイロにも、貞富選手のクロスバー直撃のシ
ュートなどがあって、少し押し気味だったように感じていました。
そして、前半43分、藤田選手が得たPKをエース要田選手が落
ち着いてゴール右上に決めて先制。山雅をリードして前半を終了し
ました。
最近のパルセイロの試合ぶりは、前半リードされていて、後半に
ひっくり返すパターンが多く、いつも途中まではヒヤヒヤしていた
のですが、今回は落ち着いてハーフタイムを過ごすことができまし
た。
私の目から見た感想ですが、得点こそ奪うことができないながら
も、後半も押し気味に試合を進め、あまり危ない場面は無く、前半
の1点を守り、逃げ切ったというところでしょうか。でも、最後の
15分間が本当に長かった。そして、ロスタイムの3分間も「時間
よ早く過ぎろ」と、祈りながらの観戦でした。
しかし、勝ったことで、すべてOKです。試合終了の瞬間、パル
セイロのサポーターは大喜び、選手も抱き合って喜びを爆発。信濃
毎日新聞の号外も出され、祝勝ムードがさらに盛り上がりました
(最近の号外はすごいですね。球技場の脇にとめてあった新聞社の
車の中で、あっという間に刷ってしまうのです。びっくりでした)。
私もグラウンドに降りて、バドゥ監督と抱き合って喜び、そして
お礼を言いました。監督がインタビューの中で、「長野に来て
790日になる。この日が来るのを待ち望んでいた。」そして、ス
タンドで観戦されていた奥さんに向かって「今夜は帰らないよ!」
と言っておられたのは、とても印象的でした。
今期のパルセイロの成績は11勝1敗2分け、勝ち点35(得失
点差は圧倒的にトップだったようです)。選手の力量はもちろん大
切ですが、何と言っても監督の手腕により今日を迎えることができ
たのだと、心底感謝しています。
山雅とパルセイロの公式戦はここ1カ月で、3試合もあったので
す。まさに因縁の対決といっても良い、両雄相打つ勝負でした。
まず8月17日(日)、福井県坂井市で行われた、全国社会人サ
ッカー選手権北信越大会の決勝戦です。ここでは、パルセイロが勝
ちました(ただ、この大会は、2位までが全国大会に出場できます
ので、お互い準決勝を勝った時点で目的は達成していました)。
2回目は、先週、松本市のアルウィンで開催された、長野県サッ
カー選手権大会の決勝戦(天皇杯予選長野県代表決定戦)。ここで
は山雅が勝ちました。山雅は天皇杯全日本サッカー選手権大会に進
出です。
しかし、この大会は全国地域リーグ決勝大会にはつながってはい
ません。そして、ここで勝ち上がっていくと、大会に出場している
J1、J2のチームと対戦することになりますので、優勝するのは
かなり厳しい大会です。
そんなこともあり、負け惜しみではありませんが、パルセイロと
すれば、翌週に控えた今回の試合を第一目標に据えて臨んでいたの
だと思います。
そして3回目、今回の試合です。このリーグで優勝して全国地域
リーグ決勝大会への出場権を得ることは、パルセイロの今シーズン
最大の目標でした。それは、その後、JFL、J2、J1へと昇格
していく道が開けるからです。
全国地域リーグ決勝大会へは、全国社会人サッカー選手権から勝
ち上がっていく道もあり、パルセイロも山雅もその可能性はあるの
ですが、強豪との厳しい試合が待っているので簡単ではありません。
今回、北信越1部リーグで優勝したということは、パルセイロがそ
こへの切符を一歩先に手にすることができたということです。
全国地域リーグ決勝大会は、地域リーグ9地区の優勝チームを含
む16チームで争うのだそうです。16チームですから優勝の9チ
ームだけでなく、ほかに参加資格を得た7チームが加わるというこ
とです(どうやって選ばれるのかは、事務局に説明を受けたのです
が、かなり複雑です。全国社会人サッカー選手権の勝者や、大学連
盟の推薦チームも・・・)。
この大会は11月に開かれる予定ですから、それまでしっかり鍛
えて、最高のコンディションに持って行ってほしいものです。
今年の大会の1次ラウンドは、西日本が舞台ということで、大変
遠い場所で開催されることになります。最終決戦となる決勝ラウン
ドは、なんと沖縄県の石垣島とのこと。でも、そこで優勝か準優勝
できれば、JFLへの昇格が確定します。
昇格までには、まだまだ、長い、そして高いハードルが残ってい
ます。今回の勝利により、ようやくそのスタートラインにつくこと
ができたということです。でも三度目の正直です。頑張ってほしい
ものです。皆さん応援をお願いします。
2008年9月4日木曜日
長野市選出の県議会議員さんと長野市との懇談会
先日、表記の会合を持たせていただきました。
長野市選出の県議会議員さんは10人いらっしゃいます。県議会
全体では57人ですので、人数からするとかなりの割合を占めてい
ることになりますから、長野市の考えをご理解いただくことが大切
だということで、昨年から定期的に開催させていただくことにした
会合です。
当日は、残念ながらお二人が公務のためにご欠席でしたが、8人
の議員さんにご出席いただきました。市側からは、市議会議長、副
議長、市長、副市長のほか、関係部局課長が出席し、意見交換をさ
せていただきました。
今回は、その懇談でのテーマと市側の見解を中心に、報告させて
いただきます。
まず、県議会議員さん側から、「長野県短期大学(県短)の4年
制大学への移行について」提案がありました。
このテーマは、村井県知事誕生以来お願いしている・・・という
より、何十年も前からの長野市の“悲願”というべきものであり、
県議会議員さんから提案していただいたことは、大変ありがたいこ
とでした。
以下、この問題について長野市の見解をまとめて記します。
・県短の4年制大学移行に対する長野市としての見解について
道州制についての議論などもいよいよ本格化し、大きな流れとし
て地方分権が進むなか、長野市は地方の中核都市として、文字通り
その「拠点性」をこれまで以上に向上させていく必要があります。
そのための方策の一つとして、大学などの高等教育機関立地による
都市機能の充実という点が挙げられると考えています。
地方中核都市の拠点性という面では、金沢市、熊本市などが、そ
の好例として挙げられます。金沢市は8大学(短期大学含む)・学
生数約19,000人、熊本市は9大学(短期大学含む)・学生数
約26,000人となっており、こうした大学の存在が地域のにぎ
わいという面だけでなく、都市としての活力維持に寄与していると
ころは大きいと考えています。
長野市は、6大学(短期大学含む)・学生数約5,000人。多
くの若い学生が市外・県外へ流出しているのが現状です。
また、長野市には、信州大学工学部、長野工業高等専門学校(長
野高専)などの技術系学部や、信州大学教育学部、清泉女学院大学・
短大、県短などの教育系学部などが存在していますが、政治・経済・
経営系学部が少ないということが指摘できます(県内には信州大学
経済学部などもありますが、長野県全体としてもこの分野はもっと
必要だと思います。特色を求めるならスポーツや観光分野も欲しい
ところです)。
長野市では現在、産学行連携を進めるために、県短をはじめ、信
州大学や長野高専と包括連携協定を締結し、各大学とのつながりを
強めていますが、政治・経済・経営系の分野が弱いということは日
ごろから感じている点です。
一方で、少子化の影響から、私立大学などで入学者の定員割れと
いった事態が散見される「大学冬の時代」のなか、新たに4年制大
学を誘致することは、非常に難しいと判断していることも事実です。
現状では、県短のこれまでの実績と評価に根ざした伝統の力「県
短ブランド」を生かし、加えて4年制に移行(併設というべきかも
しれません)していくことがもっとも現実的であり、大学としての
発展も期待できる考え方・進め方であると考えています。
ただ、現在は「県立」として立派に運営されており、評価も高い
短大ですから、現段階で長野市あるいは外部からいろいろ申し上げ
ることは礼を失することであると承知しています。今後、持続可能
で、魅力ある大学としてのデザイン設計は、こうした長野市として
の主張を理解していただき、県短の将来性を考えた上で、まずは県
において検討していただく必要があると考えています。
その際に、求められれば長野市は、県短が所在している自治体と
して、そうした調査・研究に参画させていただき、場合によっては
財政面も含め側面から支援させていただく立場であると考えていま
す。
ただ、県立である以上、長野市が直接的にお手伝いするわけには
いかないことも事実です。結局、長野市がお手伝いさせていただく
ためには、資本や運営などに市の参加が可能になる「独立行政法人
化」が必要であると思っています。
財政面の話とすれば、「ぜひ大学を誘致したい」という悲願実現
のため、市議会の議決を経て、故柳原元市長の時代から数年間にわ
たって基金を積み立ててきました。
これは、大学を誘致するには、おそらく100億円ぐらい用意し
なくてはいけないだろうという話から積み立ててきたのですが、誘
致できる可能性が低くなったことから、現在は追加の積み立てを停
止しています。この基金からは、清泉女学院大学ができる時に1億
5千万円を拠出しただけですから、現在は、おそらく13億5千万
円ぐらい残っているはずです。
議会の議決を経なくては、はっきりとは言えませんが、県短の4
年制移行に向けた支援の一環として使うことは、目的に合致してい
ると考えています。
以上のことのほか、県の包括外部監査や県短の同窓会の動向など
も含めてまとめますと、
(1)長野市としては、拠点性を高め、活性化を求め、県民の学習
熱に応える必要性から、また、大学生の県外流出が多いという
状況から、4年制大学を熱望している。ただ長野市単独では不
可能である。
(2)県の包括外部監査の意見にあるとおり、短大は長期的に考え
た場合には衰退の可能性がある。そこで清泉女学院短大が清泉
女学院大学を併設した前例は、大変参考になる。
(3)県の責任で移行ができればありがたいが、現在は財政的に厳
しく、難しいと思われる。長野市としては、できる範囲でお手
伝いをしてでも実現したい。
(4)六鈴会(県短同窓会)も、過去熱心に陳情を繰り返している。
(5)県の動きを注視し、期待している。
以上が長野市の見解であり、議員さん方にもおおむねご理解いた
だけたと思っています。
懇談会では、県短の問題に続いて、長野市側の提出議題を一括し
て説明させていただきました。
(1)テレビ難視聴地域解消事業補助金の交付について
(2)持続可能な地域公共交通の再構築について
(3)中山間地域活性化のための取り組みについて
(4)地球温暖化対策の推進について
(5)商工団体の統合について
(6)東環状線の4車線化および五輪大橋の無料化について
(7)県道塩崎バイパス全線供用開始について
(8)市営水道と県営水道との統合について
(9)善光寺御開帳について
(10)「ながの御穀膳」について
項目が多くて恐縮ですが、読んでいただければ、ご理解いただけ
ると思いますので、詳細は省かせていただきます。
いずれも県と長野市の関係において、市としてぜひお願いしたい
こと、あるいは検討していただきたいことをお話させていただきま
した。もちろんこのほかにも、例えば並行在来線や県道の問題など、
大きな問題もあるのですが、十分お分かりいただいていることです
ので、今回は上記の10項目に絞って話題にさせていただきました。
県都である長野市は、長野県との協力関係が欠かせません。また、
長野市だけのエゴと思われることは、遠慮しなくてはならないと自
戒しながらも、県議会議員さん方と協力して、素晴らしい長野市、
そして、素晴らしい長野県をつくるために努力する決意です。
なお、9月1日に県議会文教企業委員会の議員さん方が県短を現
地視察されました。これに合わせて私も県短にお伺いして、県短の
4年制大学移行に関する陳情書をお渡しし、前述の趣旨を委員会の
議員さんに説明させていただきました。
当日は、県短の同窓会である六鈴会の会長さん方もお越しになっ
ており、県外への学生の流出を防ぎたいといった主旨で、同じく県
短の4年制大学移行について陳情していらっしゃいました。
長野市や同窓会の思いをぜひご理解いただき、悲願の実現に向け
て、一歩でも二歩でも前進させていただきたいと願っています。