2009年2月19日木曜日

構造改革のもたらしたもの(1)


 少し前になりますが、小泉内閣で、総務大臣や金融担当大臣など
を歴任された竹中平蔵氏が、産経新聞の囲み記事で次のような論理
を展開されていました。
 「かんぽの宿は“不良債権”」だというのです。

 鳩山総務大臣は、かんぽの宿をオリックスに売却することに次の
理由で反対を表明しました。
(1)資産価値が落ち込んでいる今の時期に、急いで売却するのは
  適切ではない。
(2)オリックスの宮内会長は、国の規制改革会議の議長で、郵政
  民営化による資産処分にかかわるのは「出来レース」的である。

 この鳩山大臣の論理に対し、竹中氏は次のような反論をしていま
す。
(1)確かに今の処分価格は安いけれど、経済学の初歩的な概念で
  ある「機会費用」を無視した認識である。
(2)宮内氏が、郵政民営化にかかわった事実はない。より重要な
  ことは、民間人が政策過程にかかわったからといって、その資
  産売却にかかわれないという論理そのものに重大な問題がある。
(3)かんぽの宿という不良債権の処理が遅れれば、資産はますま
  す劣化し、国民負担を一層大きくする。早期に一括売却するこ
  とこそが、資産価値を最大化する道である。

 皆さんも、新聞などでご存じの通り、かんぽの宿の売却は白紙に
戻ったわけですが、実はこの話、バブル時代のツケを精算しなくて
はならない地方自治体にとって(もちろん長野市にとっても)、考
えなくてはならないテーマでもあるのです。

 例えば、長野市の戸隠スキー場は、企業会計で運営されています
が、一般会計に対して約10億円の長期債務を抱えています。言い
換えれば約10億円の赤字を抱えているわけです。可能なら、この
資産を売却して民営化し、赤字を解消したいと考え、戸隠地域の方
々で構成された「戸隠スキー場民営化研究委員会」で検討していた
だきました。
 その結果、「売却できれば、経営の自由度も増してさらに良いス
キー場になるかもしれない。ただ、反面では、長野市や地域の意向
が運営事業者に伝わりにくくなり、経営状況が悪化した場合には転
売される恐れもある。そして、どうも思うような価格(10億円以
上)で売却できそうもないし、将来の発展を期して資本投下するよ
うな民間企業者が出てきそうもない。」ということで、資産は長野
市が所有したままで民間事業者に管理・運営を任せる、いわゆる指
定管理者制度を導入することになったのです。

 運営は、いろいろ検討した結果、社団法人長野市開発公社に任せ
ることにしました。開発公社は民間経営(行政ではないという意味)
ですから民営化にはなりますが、実質は直営とあまり変わらないと
いうことで、思い切った手を打てない可能性もあり、心配される向
きもあるかもしれません。
 しかし、市民の財産を不当に安く(?)処分せず、将来に可能性
を残すということで、許していただけるのではないかと考えていま
す。徹底した経営改善をしつつも、皆さんに満足いただけるサービ
スが提供できるよう、開発公社の頑張りに期待しています。

 次に、趣旨は違いますが、読売新聞に載った中谷巌氏の論理につ
いてです。
 中谷氏は、早くから構造改革の必要性を訴えていた経済学者で、
一橋大学教授でした。小渕内閣では、首相の諮問機関である「経済
戦略会議」の議長代理を務め、ソニーの社外取締役(国立大学の教
授が民間企業の取締役になることは異例で、当時は反響を呼びまし
た)、多摩大学長などを歴任され、現在は、三菱UFJリサーチ&
コンサルティングの理事長を務めておられる方で、私たち素人にも
分かりやすい論理で構造改革を提言されていたと記憶しています。

 その中谷氏が、“構造改革路線の罪として、格差を拡大させ社会
を分断した。それにより棄損された日本社会が持っていた温かさを
どう回復するか”ということに思いをいたし、自身が構造改革の推
進役だったことに自戒の念を込めて発言されたのです。
 中谷氏は、“グローバル資本主義により、世界経済が年率5%に
も上る急成長を遂げた。欧米流のグローバル・スタンダードに合わ
せることは、日本経済の活性化に不可欠だと信じていた。しかし、
この急成長の末に待っていたのは、とてつもない「しっぺ返し」だ
った”ということを指摘されています。

 この軌道修正が話題を呼んでいます。昨年12月に出版された
『資本主義はなぜ自壊したのか』という著書の中で、“「構造改革」
だけで人は幸せにならない。「功」よりも「罪」の方が大きくなっ
てきている”ということで、長年の主張を方向転換されたのです。

 素人の私たちにとって、竹中氏や中谷氏の説を論評する資格はな
いかもしれませんが、現在の経済不況が、社会を暗くし、やり場の
ない鬱積(うっせき)した気持ちをまん延させていることは、事実
でしょう。それが構造改革のせいかどうか・・・私には分かりませ
ん。
 ただ、いつも申し上げていることですが、グローバル・スタンダ
ードを目指した以上、日本は変わらざるを得なかった。すなわち、
構造改革は、その時点では必要だったのでしょう。

 具体的には、
(1)アメリカのレイ・オフをまねて、労働者派遣法を拡大せざる
  を得なかった。これをやらなかったら、日本企業の海外流出は
  もっと進んだはずです。
(2)金融のグローバル化が進んできて、日本は金融鎖国ができな
  かった。すなわち、国際的な投資競争のため、必然的に日本の
  銀行は不良債権の基準を大きく変えざるを得なかった。

というようなことなどです。

 そして、サブプライム問題など、楽をしてもうけようという金融
界の姿勢が問題を大きくしてしまったのではないでしょうか。モノ
づくりの代表企業と思われていたアメリカ最大の自動車メーカーゼ
ネラルモータース(GM)も、GMACという金融子会社をつくっ
て自動車版サブプライムに手を染めていました。すなわち、住宅だ
けでなく、自動車業界もサブプライムに毒されていたようです。言
い換えれば、金融工学なるものに乗ってすべてが砂上の楼閣で浮か
れていた、と言えるのではないでしょうか。

 ここで、また例の論理が思い出されます。
『どんな論理であれ、論理的に正しいからといってそれを徹底して
いくと、人間社会はほぼ必然的に破たんに至ります。言うまでもな
く、論理は重要です。しかし、論理だけではダメなのです。どの論
理が正しくて、どの論理が間違っているかということでもありませ
ん。これは日常用いられるすべての論理に共通した性質です。』

 やりすぎたのだ、と言うことは簡単です。でも、どうやってこの
事態に対処するのか、識者は誰も処方せんを提示していないのでは
ないでしょうか。麻生首相は、日本経済は全治3年と言っておられ
ますが、その程度で収まるかどうか・・・。日本を代表する経済諸
機関がいろいろな提言を発表してはいますが、いずれもマクロの話
で、地方自治体がどうすべきか、具体論では提言していないような
気がしています。

 このことについては、もう少しお伝えしたいことがありますので、
来週も、このテーマで書かせていただきます。