5月9日に大豆島公園のしゅん工式が行われました。
この公園は、平成15年度から事業化し、平成22年度までの8
年間で整備する予定だったのですが、地権者の方々や建設委員会を
はじめとする地元の方々のご協力により、計画より2年前倒しをし
て、本年3月に完成させることができました。
この公園の大きな特徴は、計画案を地元の皆さんが作られたこと
です。
大豆島地区では、建設委員会をつくり、地区の皆さんや小学生を
対象としたアンケートを実施したほか、ワークショップ形式で計画
づくりを行ってきました。そして、ワークショップなどに参加でき
ない地区の皆さんへは「大豆島公園ニュース」として情報を伝え、
工事完了まで6号ほど発行するという、今後の公園づくりの手本と
なるような活動であったとお聞きしています。
この間、市はサポート役で参加してきました。このような方法で
公園をつくるのは、市内では初めてのことです。
そのほかの特徴としては、災害発生時に備えた機能の充実が挙げ
られます。
広いスペースが確保されている交流広場は、一時的な避難地にす
ることが可能で、地下には容量60トンの耐震性防火水槽が設置さ
れています。
防災トイレも4基設置しました。このトイレは、地震により水道
管や下水道管が破断してしまった際に使用することを想定したもの
で、いわゆるくみ取り式です。平時はマンホールのふたが見えてい
るだけですが、この下に埋設されているタンクの中には、テントが
収納されており、これを地上に出して設置するとトイレとして使用
できるようになります。
東側の入り口付近には、非常食や毛布などを備蓄した防災倉庫も
設置しました。
さらに、公園整備に併せ、大豆島小学校に連絡する道路を拡幅改
良して、学校からの利用をしやすくしたほか、外周道路を整備して
利便性や防災機能の向上を図りました。地区の皆さんが集まりやす
いという面でも適地であり、より良い公園になったと思っています。
また、大豆島小学校では、これから校舎の増築工事が始まります。
そうしますと、校庭が一時的に狭くなってしまうことから、補助的
にこの公園の広場を利用することも考えています。
公園は、地域のスポーツ、レクリエーション、コミュニケーショ
ン活動の場だけではなく、地震などの災害時には避難地としての役
割を持っていることから、安全でゆとりのある市民生活には欠かせ
ない施設です。このたびの開園を機に、大豆島公園が地域の皆さん
に愛され親しまれる公園になることを願っています。
以上は、しゅん工式の当日、私が大豆島地区の皆さんへ申し上げ
たあいさつの概要です。
この日、完成した公園を一回りしてみましたが、この地域の以前
の姿を知っている私にとって、見違えるほど、本当に奇麗になって
びっくりでした。
大豆島公園しゅん工のことを考えていたところ、以前、朝日新聞
夕刊の「窓~論説委員室から」という囲み記事を読んだことを思い
出しました。保存していたこの記事のメモをパソコンから引っ張り
出してみましたので、以下にご紹介します。
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米国テネシー州のチャタヌーガ市を取材で訪れた。アメリカ一住
みやすい、と全米市長会が折り紙をつけたところだ。
人口は16万人ほど。市会議員は女性2人を含むたった9人だ。
ほぼ同じ人口をもつ佐賀市、津市、北海道小樽市などの4分の1し
かいない。
議員が少ない理由のひとつは、市の計画策定や問題の解決に、最
初の段階から住民が直接かかわっていることである。
市内のあちこちで、毎日のように小さな集会が開かれている。市
議会議長の案内で、ある地区の住民集会を見に行った。
午後7時、教会に20人あまりの人々がやってきた。テーマは、
新しくできる地域の公園をどうするか。
「ローラースケートの若者を追い出さない方がいい」
「歩道は舗装しないで、立ち話ができるようにしよう」
公園専門のコンサルタント会社社員と市の職員が、住民の意見を
まとめて図面にし、次の集会で見せる。それをもとに、さらにみん
なで計画を練る。
公園ができるのは2008年のことだという。「たしかに時間は
かかる。でも、自分たちの公園という意識は確実に高まります」と
議長は言った。自分たちの公園だから、大切にもされるにちがいな
い。
効率が優先される国で、こんな愚直な手法がとられていることは
驚きだった。しかし、このやり方で、もっとも公害がひどかった町
を再生させることができたのだ。
市議会は毎週火曜の夜に開かれる。だれでも傍聴できる。
市長も毎月一回、住民との対話集会を開いている。子どもがとき
どき参加する。
市長室と市議会議場はどちらも市役所の一階、玄関を入ったすぐ
右手と左手にある。訪れる市民にとって、これ以上の場所はない。
**********
この文章を読まれて、どう思われますか?
この記事によれば、全米市長会は、この小さな市「チャタヌーガ」
をアメリカ一住みやすい町だと折り紙を付けたということですが、
今回の大豆島公園の建設経過と比べてどうでしょうか。
確かにチャタヌーガが素晴らしいことは認めますし、おそらく、
全米一と評価した基準は、このほかにもいろいろあるはずでしょう。
しかし、大豆島公園については長野市だって決して負けてはいない、
大豆島地区での経過は決して劣るものではない・・・と、私は誇ら
しく思っています。
ただ、これまでも、公共事業を行う際には、関係する地域の皆さ
んにはご相談させていただいてきました。しかし、それは、行政側
が提示した案についてご意見を頂くことが中心で、必ずしも大豆島
公園のように、市民の皆さんが主役という姿ではありませんでした。
これからの長野市が行う公共事業では、今回のようなシーンが数
多く見られるようになるのではないでしょうか。また、平成22年
度からは住民自治協議会が本格稼働しますので、地区全体にまたが
る大きな課題を解決するために、各地区でこのような方式が展開さ
れるかもしれません。
しかし、このような過程を経る中では、さまざまな考え方が出さ
れると思いますし、反対意見を持つ方もいらっしゃいます。合意を
頂くまでには、なかなか難しいこともあるでしょうし、それなりに
時間を要することは事実でしょう。
ですが、行政として何かをしようとする場合、初期の段階から市
民の皆さんにかかわっていただき、完成までの過程を市と共有して
いただくことができれば、市民の皆さんにとってより満足度の高い
事業になると思いますし、市政に参加していただく良い機会にもな
ると考えています。そして、何よりも、市民の皆さんに喜んでいた
だけると思っています。
2009年5月28日木曜日
大豆島公園がしゅん工しました
2009年5月21日木曜日
第8回環境首都コンテスト
このコンテストで長野市は、総合第2位の表彰を受けました。長
野市の参加は、第2回、第6回に続き、今回3度目でしたが、部門
別、都市規模別の第1位を含め、総合第2位という成績は、大変う
れしい結果です。
これまでの応募時に比べ、長野市として特に目新しい施策が加わ
ったわけではありませんので、本市における継続的な環境への取り
組みが総合的に評価されたものと受け止めています。これにより、
これまで進めてきた本市の環境施策の方向性について、今年1月の
「ISO14001自己適合宣言」も含め、自信を持って取り組ん
でいける基盤ができたと思っています。
「環境首都コンテスト」について、若干説明させていただきます。
このコンテストは、平成4年の地球サミット以来の「持続可能な
社会」という国際社会のキーワードに対して、それを推進する主役
である自治体の取り組みを支持・支援するとともに、取り組みをさ
らに加速させる仕組みとして、国内の複数のNPO・NGOが共同
でつくり上げたとのこと。コンテスト形式ですから、自治体間で切
磋琢磨(せっさたくま)することや、NGOと自治体、自治体間相
互で、環境問題に関する情報交換の場にしようという意味合いもあ
るようです。
コンテストは、平成13年から始まり、年1回、全10回の計画
で実施されており、これまでに、延べ581自治体が参加。今回の
第8回には、全国67の自治体から応募があったそうです。
環境首都とは何かというと、「環境保全とともに経済活動が安定
して発展し、福祉や人権などの社会的公正が増進する、持続可能な
地域社会と呼ぶにふさわしいまち」と定義されています。若干、面
はゆい思いもありますが、長野市の総合力が評価されたということ
で、素直に喜びたいと思います。
なお、このコンテストを主催している「環境首都コンテスト全国
ネットワーク」は、全国の環境NPO・NGO12団体の集合体で、
幹事団体は、特定非営利活動法人環境市民ということです。つまり、
このコンテストは、国やその外郭団体など、いわゆる“公的組織”
によるものではなく、民間、非営利の市民組織が担う“公的活動”
として実施されているのです(ただ、このコンテストを実施するた
めの資金については、国の外郭団体の助成も受けているようです)。
そして、主催が“公的組織”でないということからも、このコン
テストで主に評価されるのは、法律に基づいた仕事ではなく、自治
体が独自に取り組む環境施策やそれに対する自治体の姿勢というこ
となのでしょう。
コンテストでは、まず、主催者が作成した質問票に対し、自治体
が資料を付けて回答します。主催者は、その回答内容を精査するた
めに、自治体に電話およびメールでの確認、訪問ヒアリングを行い、
回答を修正、確定した上で、専門知識、経験を有したネットワーク
メンバーが独自の基準で採点するそうです。
今回、長野市では、以下の17項目の質問に対して回答しました
(正直に申し上げて、採点基準やネットワークの皆さんの目の付け
どころなど、少し分からない点もあります。NGOの皆さんが考え
ている環境に関する関心がどんな点にあるか、市民の皆さんにも知
っていただく意味で、全質問を書かせていただきました)。
A ローカルアジェンダ21・環境基本条例・環境基本計画
B 環境マネジメントシステム
C 住民とともにチェックする仕組み・情報公開
D 自治体内部における環境基本行動
E 自治体との交流
F 職員の資質・政策能力の向上、総合的な行政推進と予算編成
G 住民のエンパワーメントとパートナーシップ
H 環境学習
I 自然環境の保全と回復
J 健全な水循環
K 風土を活(い)かした風景づくり
L 持続可能なまちづくりと一体化した交通政策
M 地球温暖化防止・エネルギー政策
N ごみの減量化
O 環境に配慮した産業の推進
自由記述
先進事例
長野市の評価が高かった分野は、以下の項目です(カッコ内は長
野市の取り組み)。
D 自治体内部における環境基本行動(ごみの管理、紙・事務用
品の購入における環境への配慮など)
I 自然環境の保全と回復(飯綱高原の自然環境保全地域の指定、
実験林の設定など)
K 風土を活かした風景づくり(景観条例の制定、善光寺地区・
松代地区における街並み環境整備の実施など)
O 環境に配慮した産業の推進(産業振興ビジョンにおける環境
への配慮、地産地消やエコツーリズムの実施など)
一方、評価の低かった分野は、以下のとおりです。
C 住民とともにチェックする仕組み・情報公開
E 自治体との交流
F 職員の資質・政策能力の向上、総合的な行政推進と予算編成
H 環境学習
表彰式では、次のような賞状を頂きました。
・総合・・・第2位
・規模別・分野別表彰「第5群(政令指定都市を除く人口30万
人以上)」
地球温暖化防止部門・・・第1位
住民参画部門・・・第1位
人口規模別・・・第1位
・質問分野別表彰
「風土を活かした風景づくり」・・・第1位
環境分野は、極めて幅が広く、考え方もいろいろです。また、技
術革新も行われていることから変化が激しく、行政としての対応は
なかなか難しい面があります。しかしながら長野市では、今年1月
の「ISO14001自己適合宣言」に続いて、4月からは新たに
地球温暖化対策室を設置するなど、より焦点を絞り、積極的な取り
組みを開始しています。
さらに、環境分野以外にも中山間地域の活性化や新たな産業振興、
雇用創出など、長野市にはさまざまな課題があります。環境政策は、
これらを貫く軸という意味でも重要性が増していると考えており、
今回の受賞は、そういった方向性を確認する上でも大変良い機会に
なりました。
今後は、受賞者に課せられた使命として、先に申し上げた課題の
解決を含め、より具体的な取り組みをしていくことが重要であると
感じています。
2009年5月14日木曜日
地域活性化アドバイザーの皆さんへ
本年度、中山間地域を抱える住民自治協議会に対して市の嘱託職
員を派遣する、地域活性化アドバイザー制度を創設したことは、3
月末のメルマガでもお知らせしたとおりです。
先月、3日間の日程で、この地域活性化アドバイザーの研修会を
開催し、市長として私も講師を務めました。
地域活性化アドバイザー制度の創設は、都市内分権を掲げて進ん
できた私にとって、極めて重要な一歩と考えていますので、研修会
では、アドバイザーの皆さんにぜひ頑張ってほしいと考え、私の思
いを語らせていただきました。
以下は、そのときの話を若干整理したものです。
都市内分権は、長野市長としての私の最大テーマであり、市民の
皆さんが市政に参加する新しい仕組みだと考えています。
国が主張する地方分権は、建前としては戦後一貫して唱えられ続
けており、本来ならば大切なテーマだったはずです。しかし、実際
には、国の方針は一貫して中央集権社会を目指していたと思わざる
を得ません。地方分権は、口先だけだったのではないか、結果論で
はありますが私はそう感じています。ただ、貧しい時代において、
中央集権社会の方が効率がよいということもあったことは事実でし
ょう。
県議会議員、長野市長を経験され、地方行政で活躍された故夏目
忠雄さんが、参議院選挙に出馬した昭和49年夏、その公約は「地
方の時代」でした。それを公約しなければならなかったということ
は、まだ地方の時代ではなかったことの証明でしょう。
当時、すでに戦後約30年たっていましたが、「地方の時代」と
いう言葉は単なる掛け声で、実現するための工程表もなく、選挙の
ために使われる空論だったと思うのです(ただ、私は夏目さんを批
判しているわけではありません。彼は、地方を大切にされた、私が
心から尊敬する市長さんです)。
ようやく制度が整ったのは、平成12年、「地方分権一括法」が
施行されてからです。国の機関委任事務が廃止され、すべてが地方
事務になりました。不十分なことは多々あるのですが、形式的には
地方の時代が始まったといえる大きな出来事だったと思います。
それまでの地方には、国からの委任を受け、国が決めたことを正
確に行うことが必要とされており、自主性は必ずしも求められては
いませんでした。従って、市の職員には、決まっていることを誤り
なく実行することのみが求められていたのだと思います。
そこへいくと県職員の場合は少し違っていて、政策的思考を求め
られていたように感じています。長野オリンピックの準備段階に、
当時、私が外部のボランティアとして、NAOC(長野オリンピッ
ク組織委員会)に派遣されていた市職員と県職員、そして民間会社
の社員に接した際に、それぞれの違いにびっくりしたことを思い出
しています。
平成12年から7年、少しずつ地方の時代になりつつあることは
事実ですが、なかなか一気には進んではいません。地方分権一括法
ができても、個別法がそのままのものも多く、そちらが優先してし
まうためか、すべてが地方事務にはなっていないのです。
税源も国から譲られてきてはいますが、全部ではありません。要
は、地方の自由度を上げるための財政が伴っていないのです。国と
地方の仕事量が4対6なのに、税源は6対4になっている。これを
せめて5対5にしてほしいというのが、全国市長会などの要望です。
究極の地方分権体制とは何でしょうか。私が尊敬する童門冬二先
生の説ですと、それは、江戸時代の幕藩体制だろうということです。
藩外との交流が制限されていたこと、藩札が存在していたこと、藩
単位で経済が完結していたこと等々、良い悪いは別として究極の分
権体制ということは、童門先生のおっしゃるとおりかもしれません。
*********************
このような分権の流れの中で、市町村は地方分権をどのように考
えていくべきなのか、ということが私のテーマになりました。分権
なんて言わずに国の言うとおりにしている方が地方にとっては楽な
のです。ただ、それでは、自主性が発揮できない、地方の特色が出
せない、ほかの都市に比べて長野市は素晴らしいと言うことができ
ない。これでは努力のしがいがないではありませんか。苦労してで
も長野市を日本一素晴らしいまちにしたい、市民の夢を実現したい、
と私は考えました。
以前、このメルマガにも書かせていただいたことですが、地方自
治体が自主性を発揮するためには、権限・財源を国から地方へ大幅
に移すことが必要であるというのは当然で、地方としても、移され
た権限・財源を受けて、きちんとした地方経営ができるだけの実力
を持たなくてはならないと思っています。国の指示通りにしていた
方が楽ではありますが、それでは、分権の受け皿にはなり得ません。
同じことが地方自治体の中でも言えるのではないでしょうか。行
政のシステムとしては市民にできるだけ近いところに意思決定の場
を作っていく、すなわち都市内分権を進め、住民が参加しやすい制
度にすることが必要なのではないか、ということです。
確かに地域の負担は増えるかもしれませんが、市民が市政に参加
する手段として、地域の課題を迅速かつ効果的に解決するための仕
組みとして、都市内分権が必要だということなのです。特に長野市
のような中核市は、地方自治のモデルとして、率先して都市内分権
を採用すべきだと思っています。さらに、市町村合併によって大き
くなってきた都市にとっては、“行政が遠くなった”という市民の
声に対して、これ以外の方法は考えにくいという事情もあると考え
ました。
都市内分権、すなわち長野市版の地方分権です。
都市内分権を推し進めるために必要なのが、人と資金であること
は、ほかの事業と同じです。資金のことは何とかするとしても、地
域の運営をしていく上で、人の問題は重要です。本来的には、地域
の皆さんが自ら頑張っていただくということであり、地域によって
は自ら事務局を設けて、準備をしていただいているところもありま
す。
ただ、残念ながら、中山間地域は著しい人口減少や高齢化が進ん
でいるということで、住民自治協議会を運営していくことにかなり
の支障があるのではないかと感じました。
そこで、第一段階の支援策として、地域活性化アドバイザー制度
の創設に踏み込んだのです。
アドバイザーの身分ですが、本来は市の嘱託職員ではなく、住民
自治協議会が雇用すべき職員だと考えています。ただ、現段階では
住民自治協議会の準備ができていないので、やむを得ず市の嘱託採
用としたものです。そのため、考え方としては、市長(支所長)の
指示を受けるのではなく、基本的な軸足は住民自治協議会に置いて、
協議会の会長・役員の皆さんとともに地域のための仕事をしていた
だきたいと考えています。
アドバイザーの仕事の唯一の目的は、「地域の活性化」です。必
要なお金については、市や県にさまざまな制度がありますから、勉
強してください。そして、それらを踏まえた上で、地域の皆さんと
相談しながら、あるいは農業公社などと提携して、何としても元気
な地域をつくってもらいたいと思っています。マニュアルはありま
せん。皆さんが中山間地域に住む方々と相談して、必要な仕事をつ
くり実行してください。
このようなことも、研修会では申し上げました。
都市内分権の本格稼働まであと1年です。“地域の中で生計が立
てられなくては、活性化はあり得ない”そんな気構えで取り組んで
ほしいと思っています。
この人事は、私にとって今年最大の目玉です。アドバイザーの皆
さんが頑張ってくだされば次につながり、新しい職場が生まれると
いう意味もあります。皆さんからの提言で、“中山間地域にこんな
事業を起こしたいから人を雇用する”というスキームも生まれるか
もしれません。必要な資金は、皆さんからの提案を受けて、農業公
社などと協力して何とかしたいと考えています。
数年前、私は、塩野七生さんの著書『ローマ人の物語』からヒン
トを得て“屯田兵に似た制度をつくりたい”と庁内で主張したこと
があります。また、“開拓時代のアメリカ西部には、あちこちに農
場があって、中心地には、酒場、ホテル、グローサリー(食品雑貨
店)があった・・・それが集落の原型だったのだろうと感じている”
なんて発言をしたこともあります。
いずれにしろ、数年後、地域の人から、アドバイザーに来てもら
って本当に良かったと言ってもらえるかどうか・・・アドバイザー
の皆さんに期待しています。
2009年5月7日木曜日
鬼無里イヤーと国道406号
善光寺御開帳で市内はにぎわっています。長野商店会連合会が知
恵を絞って企画した「善光寺御開帳記念小判」の売り上げも上々の
ようで、不況の中ではありますが、善光寺さんのご利益は今のとこ
ろあらたかのようです。
一方、今年は“善光寺イヤー”とともに、“鬼無里イヤー”も展
開しています。長野市では、年度ごとに地域を決めて集中的な観光
キャンペーンを行っており、今年は「善光寺界隈(かいわい)」と
「鬼無里」がキャンペーンのエリアです。
このようなキャンペーンを行うことにより、地域の素材を生かし
た体験型観光や、グリーンツーリズムといった新たな視点から交流
人口の拡大を図り、地域ブランド化を推進することで「多軸型観光
都市ながの」の形成を目指したいと考えています。
善光寺に来られた参拝客に足を延ばしていただき、鬼無里を訪問
していただきたい、さらに、戸隠神社の式年大祭も行われています
から、たくさんのお客さまをお迎えできれば幸いです。
鬼無里イヤーのキャンペーンタイトルは「おでやれ鬼無里」です。
「おでやれ」とは、「どうぞおいでくださいませ」という意味の鬼
無里の方言だと聞いていますが、観光事業者だけでなく、約30も
の住民グループも担い手になるという体制で、まさに「住民総参加
で心を込めてもてなしたい」という意気込みで取り組んでいただい
ています。
実行委員会では、昨年から一年間かけて精力的に事業企画の検討
を行い、本年を迎えたとのことで、先日、私も参加させていただい
た開祭式のフォーラムでも、いろいろな計画が発表されています。
水芭蕉、ブナ原生林、精巧な彫刻が施された屋台、おやき、えご
ま・・・そして、鬼無里には伝説がたくさんあります。もう一つ、
私は、鬼無里へ行っていつも感じることですが、“鬼無里びと”の
優しさも格別です。どうぞ、皆さんも鬼無里へお出掛けください。
鬼無里に関係する道路が一つ完成しました。
長野市街地と鬼無里・戸隠地区を結ぶ重要道路は、一般国道
406号です。この道路は、大町市を起点に長野市を東西に横断し、
須坂市、菅平などを経由して、群馬県の高崎市を終点とする、県内
延長約80キロメートルの路線です。まだまだ、整備しなくてはな
らない個所が多くある路線なのですが、そのうちの1カ所、百瀬~
茂菅バイパスが4月26日に完成しました。
このバイパスのうち、茂菅大橋は平成15年度に完成していまし
た。その後、県当局には、頼朝山トンネルと裾花川に架かる松島橋
の工事を連続的に実施していただきましたので、短期間で完成に至
ったものです。これにより、乗用車のすれ違いにも困難があった茂
菅地区などの交通事情が解決できたことは、とてもありがたいこと
で、安全性も高まったと思っています。
何年後になるかはわかりませんが、この国道406号の改良が完
成すると、県境を越えた広域的な産業や経済、観光に多大な効果を
もたらすはずです。そして、何よりも地域においては、生活基盤と
して通勤・通学で有効利用されることになる大切な道路です。
特に、鬼無里地区にとっては長野市の中心部につながる唯一の道
路で、その必要性、重要性にはとても大きなものがあります。これ
からも国・県に改良をお願いしなくてはなりませんが、ひとまず、
今回の完成が鬼無里イヤーに間に合ったことは、大変良かったと思
っています。
そういえば、同じ国道406号ですが、須坂市と長野市を結ぶ村
山橋の第2期工事が完成して、昨年12月22日に開通式が行われ
ました。長野電鉄が走る鉄道橋も、本年度中には完成する予定との
ことです。改良が必要な場所は、まだ多いのですが、国道406号
は便利になりつつあります。
公共事業の話題をもう一つ。長い名前ですが、県営広域営農団地
農道整備事業上水内北部地区の豊野幹線の工事が進み始めました。
2月6日、この工事の「再開」起工式が行われました。本当の起
工式は、かなり前に行われていたのですが、前知事が中止してしま
ったため、地元が困って陳情を繰り返し、村井知事が登場されて、
このたび、ようやく「再開」されることになったのです。
この広域農道整備事業は、平成4年に事業採択され、以降、平成
16年12月までに、県営ふるさと農道三水地区を含めた信濃幹線
全線と、豊野幹線のうち国道117号立ヶ花交差点から国道18号
まで、総延長約12キロメートルが無事完成していました。工事期
間12年、蟹沢トンネル、戸草大橋など大型構造物などがあって、
難工事だったとのことです。
これに続いて、豊野幹線の未完成区間の工事が当然行われるもの
と思っていたのですが、平成15年12月の県議会で、前知事が突
然、豊野幹線の整備を実質的にやめる発言をされ、事業が休止して
しまいました。
豊野幹線は、沿線にリンゴ団地など有益な資源が存在しますので、
地域経済の活性化、農業振興につながる道路になりますし、上信越
道の信州中野インターチェンジから長野市の北の玄関口である豊野
地区を通って長野市街地へ向かいますので、善光寺と志賀高原方面
を結ぶ重要な幹線になります。
用地買収はほぼ終了し、橋台が建設されたまま放置される状況に、
地元は大変困惑し、心を痛めていました。
その後、あらためて本事業について1,000名を超える地域の
皆さんのアンケートによる意見集約があり、村井知事誕生直後から、
信濃町長、飯綱町長、長野市長の3名で、一刻も早い事業再開のお
願いもしてきたのです。
今回、ようやく願いがかない、豊野幹線の工事が「再開」される
ことになりました。
この豊野幹線と同じように一時中断し、「再開」が決まった浅川
ダムについても、先日、県の建設部からダムの形状や大きさなどの
説明がありました。昨年から進めていた詳細設計がまとまったとい
うことで、県では今後、地域の皆さんへ説明会を開催し、本年度中
にはダム本体工事に着手したいとのことです。私からは、下流域の
内水対策についても検討を進めてほしいと申し上げておきました。
いずれにしても、停滞していた浅川の治水対策が大きく進むこと
になり、良かったと思っています。
振り返ってみると、豊野幹線も浅川ダムも、これまで随分無駄な
時間を費やしたものです。