2009年11月26日木曜日

松山市と「坂の上の雲」


 11月5日、中核市サミットが愛媛県松山市で開催されました。
選挙が終わった直後でしたが、政権交代後の国と地方の関係を知る
上で重要と考え、私も出席してきました。

 サミットに先立って行われた、中核市財政基盤確立検討、中核市
制度研究、地域活性化施策検討、地域公共交通(生活バス交通)活
性化の各中核市市長会プロジェクト会議では、国への提言、プロジ
ェクトの今後の活動について議論がされました。政権交代がなされ
てから時間の経過が少ないためか、総じて今後の国の動向を見極め
ていく必要があるという趣旨の意見が多かったように感じています。

 サミット開会式の後、「中核市から日本を変える」というキャッ
チフレーズの下で、四つの分科会に分かれて討議しました。各分科
会のテーマは、第1分科会「健全な財政運営に向けた取り組み」、
第2分科会「住民主体のまちづくり」、第3分科会「地球温暖化対
策への取り組み」、第4分科会「スポーツを通じたまちづくり」で
す。
 私は第4分科会に出席し、オリンピックを開催した都市としての
責務について持論を述べさせていただきました。景気の影響もあっ
て企業チームが撤退し、クラブチームに移行している現状を考える
と、資金問題がスポーツの在り方を大きく変えていく時代なのだと
感じています。

 そして、各分科会での議論も踏まえ、最後に、次のような「中核
市サミット松山宣言」を採択して終了しました。

**********
 これまで中核市は、制度発足以来、地方分権の進展を目指し、そ
の先導者として大きな役割を果たすとともに、自らの行政改革にも
積極果敢に取り組んでまいりました。
 現在、国においては、歴史的な政権交代を機に、国と地方の役割
分担や国の関与のあり方について、抜本的な見直しが行われようと
しており、地方分権は、新たなステージへ進みつつあります。

 一方、地方では、世界同時不況による景気の低迷、少子化による
労働力人口の減少、地球温暖化による異常気象などの厳しい状況の
下、複雑・多様化する住民ニーズに対応しつつも将来に亘(わた)
って持続可能な行政運営を目標に更(さら)なる改革を進めていま
す。
 こうした中、中核市は市民に最も身近な基礎自治体として、また、
地域の拠点都市として、中核市特有の課題にも積極的に取り組み、
市民満足度の向上を目指したクオリティの高い行政サービスを展開
することにより活力に満ちた地域社会づくりに邁(まい)進してお
ります。

 私たちは、将来世代が夢や希望を共感し、安全・安心で快適に暮
らせる社会を構築するため結束し、地方分権の流れを更に大きなう
ねりとし、地域主権の確立を目指し全力で取り組むことを全国にア
ピールするため次のとおり宣言します。

1 中核市は、今後も行財政改革を推進することで健全な財政運営
 に努めるとともに、国と地方の役割の見直しを通じて市民に最も
 身近な自治体として地域主権の確立を目指します。

2 中核市は、地域住民の主体的で自立したまちづくりを推進する
 ため、住民を対等なパートナーとし、協働のまちづくりを推進し
 ていきます。

3 中核市は、市民・事業者・行政の協働の下、地域の特性を活
 (い)かした温暖化対策に積極的に取り組み、誰もが安心と豊か
 さを実感できる低炭素社会の実現を目指します。

4 中核市は、スポーツを「する」「みる」「支える」すべての人
 たちを応援し、スポーツの振興を通じ、「ひと」と「ひと」をつ
 なぎ、「まち」の元気と活力を創出します。

平成21年11月5日
中核市市長一同
**********

 松山市には以前にも行ったことがあったのですが、あらためて素
晴らしい都市だと感じました。人口は51万人強だそうですから、
長野市より一回り規模が大きな都市です。松山空港、松山城、道後
温泉・・・前に訪れたときの記憶はあまり鮮明ではないのですが、
とても落ち着いた街、というのが今回あらためて感じた印象です。
早朝、市内電車に乗って道後温泉にも行くことができました。

 私が松山市に好感を持つようになったのは、小説の影響、特に夏
目漱石の「坊っちゃん」と司馬遼太郎の「坂の上の雲」の影響が大
きいように思います。
 「坊っちゃん」は、中学生のころ「吾輩は猫である」などと一緒
に読んだことがあり、主人公の同僚の先生である赤シャツが痛烈に
やっつけられる場面を楽しく読んだことを思い出します。

 「坂の上の雲」は私の愛読書の一つです。秋山好古・真之兄弟と
正岡子規の物語、そして日清戦争、日露戦争・・・明治の時代、新
しい日本が右肩上がりで上っていく時代を司馬さんは素晴らしいタ
ッチで描いておられますよね。日露戦争で日本はどうして勝利でき
たのか・・・大山巌・児玉源太郎の中国での戦い、そして日本海海
戦、その背景にあるマダガスカル島でのバルチック艦隊滞留、日英
同盟の意義、対馬での決断・・・。日本は、この成功体験が仇(あ
だ)となり、昭和の時代に入って軍部が台頭し、太平洋戦争に突入
してしまった・・・司馬さんの「明治という時代」への思いがよく
表れていると私は思っています。戦争が題材ですから、ただ楽しい
小説だと言ってしまうには抵抗がありますが、この小説は日本の誇
りと言えるのではないでしょうか、私はそう思うのです。

 今月29日からNHKのスペシャルドラマで「坂の上の雲」が放
映されます。存命中、司馬さんはドラマ化を断っていたのだそうで
すが・・・でも期待は大きいですね。ここ最近、毎回欠かさずに見
るようなテレビドラマは無かったのですが、このドラマは、ぜひ全
部見たいと思っています。

 サミット翌日は、朝から会議が行われたり、夕方までに長野に着
かなければならなかったりで、少し忙しかったのですが、サミット
会場のすぐ近くの「坂の上の雲ミュージアム」を視察できました。
 この施設は、建築家・安藤忠雄氏の設計なのだそうですが、建物
の平面が三角形で、とてもユニークな形です。内部の展示は、「坂
の上の雲」の主人公である秋山兄弟と正岡子規の3人の生涯を中心
に構成されています。そして、そこからは「明治」という時代を生
きた人々の高い志や気概が伝わり、近代国家として成長した「明治
の日本」の空気を強く感じることができました。
 短い時間でしたが、松山市の魅力を知る、とても有意義なひとと
きでした。

2009年11月19日木曜日

11月、元気な長野のイベント


 11月の上旬、市内で開催されたいろいろなイベントや式典に参
加しましたので、幾つかご紹介します。

 11月6日~8日、ビッグハットでISUグランプリシリーズの
第4戦「2009NHK杯国際フィギュアスケート競技大会」が開
催されました。来年のバンクーバーオリンピックに向け、グランプ
リシリーズで優秀な成績を残そうと、各選手、力の入った熱戦を繰
り広げていました。
 結果は、女子のシングルで、安藤美姫選手が優勝、男子シングル
では高橋大輔選手が4位となりました。バンクーバーオリンピック
のフィギュアスケートシングルの日本の出場枠は、男女共3人だそ
うですから、オリンピック出場を懸け、これから熾烈(しれつ)な
競争が行われるのでしょう。アイスダンスやペアも、昔に比べ、と
てもレベルアップしていると感じました。日本スケート連盟の橋本
聖子会長、林泰章副会長も長野入りされ、力の入れ方は大変なもの
でした。

 11月7日、「市立高等学校創立90周年記念式典」が行われま
した。県内唯一の「市立高校」が、数回の変遷を経ながらも90周
年を迎えたことは、とても感慨深いことです。
 市立高校は、大正8年、市立長野実科高等女学校として開校、そ
の後、長野市立高等女学校、長野市立高等学校、市立皐月高等学校
を経て、昨年度から男女共学・総合学科の「市立長野高等学校」に
生まれ変わりました。
 これまでの卒業生は2万人を超え、地域を支える有為な人材を輩
出し続けています。この式典に臨み、市立高校は、同窓生、教員、
地域、市民の皆さんの力で支えてきていただいたのだと、あらため
て感じました。

 市立高校は、「市立長野(いちりつながの)」としての開校を機
に、平成22年度までの工期で校舎などの全面改築を行っています。
本年度は複合体育館と弓道場が完成し、この90周年のお祝いの機
会に皆さんに披露できたことは喜ばしいことでした。
 特に式典の会場となった複合体育館は、とても素晴らしい施設で
す。学校数が多い県立高校では、ちょっとまねすることが難しいか
もしれません。今後も「市立」であることを常に意識して、素晴ら
しい、そして特色ある学校に育てていきたいと思っています。

 11月7、8日、「篠ノ井まつり恵比寿講」が行われました。日
程の都合で残念ながら私は参加できず、酒井副市長が出席させてい
ただいたのですが、「しののいソーラン」、花火、移動動物園、篠
ノ井西中学校の生徒さんたちによる吹奏楽の演奏等々、楽しいイベ
ントがたくさんあり、七福神が沿道に御供(ごく)をまく「宝船」
も出て、篠ノ井駅前通りは大変な人出だったとのことでした。
 篠ノ井地区が元気であることはうれしいことです。ただ、このイ
ベント、長野市全体から見ると、まだあまり知られていないのでは
ないかとも感じています。もっと宣伝して、知名度を上げていきた
いですね。来年は、ぜひ私も宝船に乗ってみたいものです。

 同じく11月7、8日、戸隠スキー場のゲレンデをスタート・ゴ
ールとした「第1回信州戸隠トレイルランレース&アウトドアフェ
スタ」というイベントが開催されました。私は名誉大会長というこ
とで、レースのスターターを務めさせていただきました。早朝の高
原ですから、かなり寒かったのですが、スタートの合図とともに皆
さん元気に坂を登っていかれました。
 レースは、45キロメートル、25キロメートル、5キロメート
ルのコースに分かれていましたが、スキー場の坂に代表されるごと
く、どれも山あり谷ありの道路ではないところが多いコースです。
しかも、それをマラソンより長く走るのですから、大変な耐久レー
スだと言えます。

 役員さんにお聞きしたところ、参加申込者は約800人、宿泊は
約400人ということで、戸隠地区の宿泊施設にも大変な経済効果
をもたらしていることが分かりました。ありがたいことです。飯綱
高原や、信濃町方面へもコースが伸びているようですから、今回の
第1回を契機として、これから工夫を加えて第2回、第3回と回数
を重ねることによって、名物イベントになる可能性を秘めていると
感じています。
 エンデュランスという馬術競技もこのトレイルランレースと似た
ようなコース取りをする競技です。いずれはこちらも開催してみた
いと考えています。

 11月8日、長野シルバー人材センター設立30周年を記念した
「シルバーまつり」が、長野市民会館集会室で開催されました。長
野シルバー人材センターは、昭和54年に県下で初めて設立されて
以来、大いに頑張っていますから、売り上げも上がってきており、
お祭りを実施するだけの実力が備わってきたということです。
 日ごろの互助会活動の成果である作品の展示やステージでの発表、
独自事業として門松・しめ飾りの展示実演、農産物の即売など、元
気な、そして十分に商売になる実力を見せていただきました。

 11月8日には、「AC長野パルセイロ・サポーター感謝デー」
も開催されました。2009年シーズン終了に当たり、AC長野パ
ルセイロの選手がサポーターの皆さんに感謝し、来年の活躍を誓う、
そんなイベントでした。南長野運動公園でのキッズサッカースクー
ルやザスパ草津U-23との特別試合、その後、懇親会もあり、選
手とサポーターの皆さんが一体になって、にぎやかなイベントにな
りました。
 今シーズンのパルセイロは、残念ながら北信越1部リーグで2位
に終わり、全国地域リーグ決勝大会への出場はかないませんでした。
でも、この階級では全国屈指の実力があると認められていますので、
来年こそ勝ってJFL(日本フットボールリーグ)への昇格を果た
してほしいものです。

 なお、本年度、女子の「なでしこリーグ」に所属していた大原学
園JaSRA女子サッカークラブが、AC長野パルセイロ・レディ
ースとして移管され、来シーズンは男女そろってリーグへ臨むこと
になりました。11月1日にその移行式があったのですが、女子リ
ーグへの参入により、長野の地にも女子サッカーの文化が普及し、
相乗効果が生まれてくることを期待しています。

 11月9日には、「都市デザインフォーラム in NAGAN
O」を開催しました。はじめに、今年で22回目になる長野市景観
賞の表彰を行い、その後、俳優の渡辺篤史さんに「建もの探訪」と
題した講演をしていただきました。
 長野市景観賞は、昭和63年から実施しており、良好な景観づく
りに寄与している建築物や工作物、景観の向上に努力されている市
民団体などを、毎年市民の皆さんから推薦いただいて「長野市景観
審議会」で選考し、表彰しているものです。“継続は力なり”。こ
の景観賞を続けてきたことによって、少しずつではありますが、長
野市の風景が良くなってきていることを実感しています。

 ただ、私の受け取り方かもしれませんが、今年は景気が悪くて民
間の新しい建物が減っているのでしょうか、例年より応募数が少な
く、かつ行政関係の作品が多かったように思います。その中で、中
央通りに復元建立された「春日灯籠(とうろう)」は、実行委員会
の皆さんの努力もあり、光っていました。

 第22回長野市景観賞表彰作品
  ・長野市民病院 中央棟、南病棟
  ・善光寺表参道復元建立春日灯籠
  ・長野市立博物館付属施設 門前商家ちょっ蔵おいらい館
 長野市景観奨励賞
  ・みんなで北中を良くする会

2009年11月12日木曜日

秋篠宮殿下お成りとクリアウォーター市長の来長


 選挙前でこのメルマガをお休みしていたため、ご報告が遅れまし
たが、10月初旬、長野市に賓客をお迎えしましたので、今回はそ
の報告をさせていただきます。

 10月7日から9日、第57回動物園技術者研究会が長野市で開
催され、その主催者である日本動物園水族館協会の総裁を務めてお
られる秋篠宮殿下が長野市にお見えになりました。

 この研究会は、全国から大勢の動物園の飼育員、獣医師の皆さん
が一堂に会して行われる大規模な研究会です。長野市では初めての
開催でしたが、3日間にわたり、研究発表、茶臼山動物園の視察な
どのほか、歓迎レセプションも行われ、大変意義のある研究会にな
りました。

 秋篠宮殿下には、ご公務お忙しい中での来長でしたが、研究会の
合間に戸隠地質化石博物館、茶臼山動物園のレッサーパンダや長野
県在来の鶏の一種である信州唐丸をご視察いただきました。私は同
行できなかったのですが、大変ご興味をお示しいただいたとお聞き
しています。
 今回私は、ホテルの一室で、30分近く市政概要を説明する機会
を頂きました。殿下と二人だけでしたので緊張しましたが、地図を
机の上に広げて長野市の沿革や歴史、自然、現状などについてお話
しさせていただきました。殿下は、山階鳥類研究所の関係などで何
度も長野にお越しいただいていることから、長野についてはよくご
存じで、今回の訪問を楽しんでおられることがよく分かりました。

 殿下にもご説明させていただいたのですが、動物園のある篠ノ井
の茶臼山は、大規模な地すべりがある地域として全国的に有名だっ
た場所です。昭和40年代以降、深井戸や排水トンネル掘削など、
強力な対策工事によって次第に安定し、地すべりは収まりました。
この地すべりの跡地に整備して皆さんにご利用いただいているのが、
自然植物園や恐竜公園です。隣接している茶臼山動物園は、昭和
58年の長野市制施行80周年記念事業の一環として整備したもの
で、もともとここは、地すべり地帯ではありません。

 今回、殿下にご覧いただいたレッサーパンダは、長野市が中国河
北省石家庄市と友好都市を締結したことを機に、石家庄市から贈ら
れたのが始まりです。以後、繁殖に努めた結果、今や“日本のレッ
サーパンダのふるさと”と言われるくらい、日本中に嫁入りや婿入
りをしています。

 また、レッサーパンダの獣舎ですが、これまでのものが老朽化し、
手狭になっていたことから、いろいろなアイデアを入れて新たなレ
ッサーパンダ舎を建築していました。そしてこのたび、素晴らしい
期待の獣舎が完成したのです。
 実は、今回の殿下のお成りに合わせてこの完成記念式典を開催し、
殿下にもご臨席いただきたいと考えていたのですが、台風18号の
影響により式典を延期せざるを得なくなってしまいました。ご出席
いただくことがかなわず残念でしたが、殿下にはご視察の中で新し
いレッサーパンダ舎をご覧いただくことができましたので、大変光
栄に思っています。

 茶臼山動物園では、今後、順次園内をリニューアルして、動物園
を生まれ変わらせたいと張り切っており、今回のレッサーパンダ舎
の建築はその第一弾です。昨年度、茶臼山動物園には、約20万人
のお客さんにお越しいただきました。リニューアルを機に、本年以
降、さらに多くの皆さんにお楽しみいただけるのではないかと期待
しています。

 同じ時期、10月8日から11日まで、長野市の姉妹都市である
アメリカ合衆国フロリダ州のクリアウォーター市から、フランク・
ヒバード市長夫妻、ポール・ギブソン副市長夫妻、ジョージ・クレ
テコス市議会議員夫妻、ジョン・ドラーン市議会議員夫妻の8名が、
姉妹都市提携50周年を記念して長野市を訪問されました。

 クリアウォーター市ご一行の皆さんには、市役所玄関棟での歓迎
式典、市議会全員協議会での記念あいさつ、協定書調印式、歓迎レ
セプション、長野市周辺の視察、松代藩真田十万石まつり参加など、
忙しいスケジュールをこなしていただきました。

 協定書の調印式は、レセプションの直前に別室で行いました。
 50年前の姉妹都市提携を結んだ当時は、両市議会の議決をもっ
て提携が承認されたようで、双方で取り交わした書類は特に無かっ
たようです。そこで、今回の50周年を記念して、両市のこれまで
の友好関係を振り返るとともに、将来のさらなる交流の進展を願う
「協定書」を作ろうということで、以下のような協定を交換するこ
とになったのです。

***************
50周年記念姉妹都市協定書
 日本国長野県長野市とアメリカ合衆国フロリダ州クリアウォータ
ー市が、両国間の相互理解と友好親善を深めるため、昭和34
(1959)年に両市の市議会において姉妹都市の提携について議
決をしてから、平成21(2009)年の今年で50周年を迎える。
この間、両市の間を絶えることなく多くの市民が行き来し、教育や
文化など様々な面で交流を深め、変わらぬ絆(きずな)と深い友情
を育んできた。
 姉妹都市提携50周年を迎えるにあたり、これまでの両市の交流
の歴史を誇りをもって振り返るとともに、これまで築いてきた両市
民の友好の絆を一層深め、将来の更なる交流の進展を願い、平成
21(2009)年10月8日、日本国長野県長野市において、こ
の協定書を交換する。
***************

 調印式では、両市議会議員の皆さん等々にお立ち会いいただく中
で、緊張して署名をし、ヒバード市長と固い握手を交わしながら、
協定書を交換させていただきました。

 歓迎レセプションには、国際親善クラブの皆さんや、これまでに
クリアウォーター市との交流事業にかかわった皆さんなど、大勢の
市民の皆さんに出席していただき、楽しくにぎやかなパーティーに
なりました。

 視察では、リンゴ狩り、そば打ち体験と自ら打ったそばの試食、
戸隠や地獄谷野猿公苑の見学・・・長野市周辺でいろいろな視察・
体験をしていただきました。途中、稲刈りの風景なども盛んに写真
に収めておられたそうですから、文化の違いを目の当たりにし、驚
きながらも楽しんでいただけたようです。

 そして、11日の日曜日の松代藩真田十万石まつり。ヒバード市
長も大きな体に羽織・はかまをまとって陣がさをかぶり、腰に大小
の刀を差して馬に乗ってパレードに参加、なかなか貫禄(かんろく)
があり格好良い姿でした。ギブソン副市長やお二人の議員さんもそ
れぞれ重臣役に扮(ふん)していただき、奥様方には着物を着て輿
(こし)に乗っていただきました。そして、沿道の皆さんに「こん
にちは!」「ありがとう!」と日本語で話し掛けたり、ハイタッチ
を交わしたりするなど、市民の皆さんとの交流も深めておられたよ
うです。
 ヒバード市長は大変感激され、「一生に一度の体験をさせていた
だきありがとう」との言葉もあり、松代の皆さんの演出に心から感
謝していました。

 この日の夕方、クリアウォーター市の皆さんは新幹線で長野を後
にされ、帰国の途に就きましたが、今回、長野市民のおもてなしの
心は、クリアウォーター市の皆さんに熱く伝わったと思っています。

2009年11月5日木曜日

選挙戦でご意見を頂いた二つの話題


 私は、市長選に当たって市民党を標榜(ひょうぼう)してきまし
た。地方自治体は、市民の皆さんの生活に直接関係する仕事が多い
だけに、できるだけ多くの皆さんと情報を共有し、話し合っていく
必要があると私は思っています。すなわち、一つの政党に片寄るこ
となく、多様な考え方の人たちをすべて包含する包容力が大切であ
る、と私は信じているのです。
 しかし、残念ですが、市民の大多数の皆さんから支持を頂いたと
は言えない結果になってしまいました。私は、市長に就任した8年
前から、すべての市民の皆さんから支持していただける首長であり
たいと考えて市民党を名乗ってきており、そのことについては、ブ
レてはいないのですが・・・。

 このたびの市長選に当たり、私は、次の4年間に何を実行するの
かを具体的にお示しする自分のマニフェストづくりに随分時間を費
やしてきました。現職であるが故に当然ですが、実現不可能なこと
をお示しすることがないように、また、理念より具体論となるよう
に心掛けてまとめたつもりです。
 一方で、立候補された相手のお二人のお考えについては、理念と
してはとても魅力的でしたので、どんな長野市の姿を描いておられ
るのか、もっと具体論で意見交換できれば良かったと思っています。
 ただ、その中で、長野市民会館の建て替えや、住民自治協議会と
区長制度など、幾つか具体論もありましたので、ここであらためて
私の考え方をお示しさせていただきます。

(1)長野市民会館について
 長野市民会館は、昭和36年の完成で築48年、市役所第一庁舎
は昭和40年に完成、築44年です。いずれも、昭和56年以前の
旧耐震基準による建物であり、大規模な地震が頻発している昨今の
状況を見るにつけ、大勢の市民の皆さんがお越しになる施設だけに
とても心配でした。
 そうした中で平成18年に第一庁舎の耐震診断を実施した結果、
震度5強以上の地震で倒壊の恐れがあることが分かったのです。市
民会館は、それより4年も古いことから、耐震診断を実施しても費
用対効果が低いということで、劣化診断や耐久度調査だけにとどめ
ています。

 市民会館の耐震対策としては、耐震補強工事をするという選択肢
もあります。しかし、仮に高額な費用を掛けてこの工事をしても、
今ある建物の耐震強度はアップしますが建物の寿命を延ばすことは
できません。結局は、5~10年後に建て替えを検討しなければな
らないということで、無駄な投資になってしまいます。
 また、建設から50年近く経過していますので、老朽化が著しい
上に、使い勝手、エネルギー効率も悪く、維持費も割高です。ユニ
バーサルデザインという面でも問題があり、人にも環境にも、そし
て財政的にもさまざまなマイナス面を多く抱えていることから、建
て替えという方向が出てきたのです。

 オリンピック施設で代替できるのではないかという意見もありま
した。しかし、建物本来の利用目的が違い、音楽会や舞踊、演劇、
講演などに使用するには不向きで、舞台装置を設置するために手間
とお金が掛かるなど、市民会館の代替施設とするには難しいようで
す。
 また、文化芸術を推進したり、学術会議などを誘致したりする長
野市の立場としては、ホクト文化ホールだけでは需要に応じられな
いと考えています。さまざまな催し物を開催する立場の方々からも、
同様の申し入れを頂いており、市内の文化団体、舞踊団体、音楽団
体等々からも必要性について多くのご要望を頂いています。

 財政的な理由もあります。平成17年1月1日の合併により、市
民会館の建て替えに「合併特例債」という起債を利用できることに
なっているのです。この「合併特例債」は、国が費用の7割を交付
税で面倒をみてくれることになっていますので、地方自治体にとっ
て大変有利なわけです。
 「合併特例債だって借金ではないか」という声もあると思います。
私も同感です。ですが、この「合併特例債」は、長い目で見て国の
財政負担を減らすことにつながる市町村合併をすることで得られた
支援ですから、ここで利用をためらう必要はないとも思っています。

 ただ、この支援を受けるには、平成26年度までに建設を完了し
なくてはならないという制限事項が付いていますので、今、検討を
進める必要が生じているのです。何年か後に検討すればいいとした
場合には、財源確保のタイミングを逃してしまうことになり、この
ような国からの支援なしに費用を捻出(ねんしゅつ)することは、
かなり難しくなると思っています。

 “ハコモノ行政”に対する批判的なご意見や、自治体の財政が厳
しいということで、さまざまなご意見がある中ではありますが、多
くの方々が利用する施設ですから、問題を放置しておくことはでき
ません。
 このようなことから、市民会館の建て替えを検討せざるを得なく
なっているのです。

 一部に誤解があるようにも思うのですが、この長野市民会館の問
題は、あくまでも長野市の耐震対策の一環として出てきた問題です。
 耐震対策として、今、長野市が最優先に進めているのは、学校施
設の耐震化です。可能な限り早く完了できるよう努力していますが、
学校施設全400棟のうち、何らかの耐震対策を必要とする施設が
今年4月の時点で138棟もあります。工事発注に必要な構造設計
が追いつかないこともあり、これだけの建物の工事を一斉に実施す
ることはできません。また、施設ごとの耐震性にも差がありますの
で、より危険度が高い施設から対策を実施するようにしています。
当然ですが、耐震補強工事を実施しても建物の寿命を延ばすことに
はなりませんので、古い施設は建て替えています。

 具体的には、市役所第一庁舎と同程度の危険性がある施設のうち、
補強工事によるものは平成22年度までに完了、建て替えるものは
遅くとも平成24年度までに着工することにしています。平成26
年度には、学校施設の9割の耐震化が完了する予定です。

 そのほかの耐震対策としては、昭和56年5月以前に着工した個
人所有の木造住宅の無料耐震診断や、補強工事への補助金も用意し
ています。これまでに、簡易診断と精密診断を合わせ約2,350
戸の診断を行い、約120戸の補強工事に補助しました。
 また、病院や店舗、事務所など、たくさんの人が利用する特定建
築物の耐震診断にも本年度から補助金を用意しています。市内の建
物の耐震化を促進し、安心して住めるまちにしていきたいと考えて
います。

 相手候補の方々は、市民会館の建て替えを白紙に戻すと訴えてい
らっしゃいましたが、私も、まだ白紙だと思っています。11月
16日には、建て替える必要があるか否かも含めて市民の皆さんと
討論する「市役所第一庁舎・長野市民会館に関する市民会議」を開
催することにしていますので、ぜひ、ご参加ください。

(2)住民自治協議会と区長制度について
 市内には、市長が委嘱する区長さんが460人いらっしゃいます
(あくまでも各区で選ばれた方に委嘱しているもので、市が区長さ
んを選任しているわけではありません)。この460人すべての区
長さんは、二つの立場を合わせ持っています。一つは、住民の皆さ
んから選出された区や自治会の代表者として活動する立場、もう一
つは、市長の委嘱により市の行政事務の一部を行っていただく立場
です。
 区長さん方には、この二つの立場で日々活動していただき、地域
を支えていただいているわけですが、区長さんの中からは、仕事が
多すぎて困る、地域の中でご高齢の方が多くなり区長のなり手がい
ない・・・などの声も聞こえてきていました。

 市が進めてきた都市内分権構想の一環として、区長さんの立場の
うちの一つ、“市長の委嘱”という立場を発展的に解消することに
しています。このことが、区長制度そのものの廃止と混同されてし
まった向きがあるようです。
 市とすれば、区長さんへ集中している負担を分散・軽減したい、
区長さんと対等な立場で地域のまちづくりを進めていきたい、との
考えから”市長が委嘱する制度”を発展的に解消するのであって、
決して区長制度そのものを無くそうとしているのではありません。

 このような誤解が生じてしまったのは、これまで都市内分権を推
進するに当たり、区長さん方のお気持ちや、区長さん方のこれまで
のご尽力に対する配慮が足りなかった面もあったのではないかと反
省しています。

 区長さん方には、今後も住民自治協議会の中核として活動いただ
くとともに、それぞれの区や自治会の代表者として地域を引っ張っ
ていっていただかなくてはならないと考えています。また、日々地
域を支えていただいている区長さん無しには地域はまとまらず、住
民自治も成り立たないとも考えています。そして、区長さんのリー
ダーシップ、地域を思う気持ちが生かされる仕組みでなければ、新
たに設立された住民自治協議会の運営も難しい面が生じてくるので
はないかと感じています。

 この話については、これまで3年がかりで区長さん方と話し合っ
てきたのですが、区長さんへの委嘱について混乱を招いてしまった
ことは事実です。今後の区長制度の在り方については、さらに区長
さん方のご意見をお聴きし、十分な検討を経た後に、あらためて結
論を出す必要があると考えています。

 市長選挙を前に、争点になりそうな問題は先送りすべきだと私の
陣営内部からの意見もありました。しかし、長野市の未来のために
は、躊躇(ちゅうちょ)することは許されないのです。たとえ、選
挙で不利に働くと考えられることであっても、そのために長野市が
後退することがあってはいけないと思い、あえて私は発言してきた
つもりです。
 また、結果的に選挙戦の争点にはなりませんでしたが、ごみの有
料化についても、「引っ込めろ」あるいは「時期を変えるべきだ」
と、随分言われてきました。ただ、そうはできなかったことは、ご
理解いただきたいと思います。

 市長選挙の開票の結果、相手候補お二人を合わせた得票数は、私
の得票数を超えています。このことは真摯(しんし)に受けとめな
ければいけません。私が直すべきところは、陣営の中からも耳にた
こができるほど聞かされてきました。私としては、行政経営という
ことに重きを置いてきたことからあまり気にしていなかったことば
かりで、反省しきりです。

 ただ、これまで私がとってきた施政方針、そして具体論には大き
な間違いはなかったのではないかと思っていることも事実です。で
すが、この選挙を通じてご指摘いただいたことは、修正しなければ
なりません。“みんなの声が「ながの」をつくる”を合言葉に、こ
れまでにも増して皆さんの声を反映した長野市づくりを進めていき
たいと思っています。