理念と具体論ということについては、昨年末のメルマガでも少し
触れさせていただきました。今回は、違った視点も含めて、もう少
し書かせていただくことにします。多少、重複する内容もあるとは
思いますがお許しください。
「どんな論理であれ、論理的に正しいからといってそれを徹底し
ていくと、人間社会はほぼ必然的に破綻(はたん)に至ります。言
うまでもなく、論理は重要です。しかし、論理だけではダメなので
す。どの論理が正しくて、どの論理が間違っているかということで
もありません。これは日常用いられるすべての論理に共通した性質
です。」(藤原正彦著『国家の品格』より抜粋 お茶の水女子大学
名誉教授)
以前からご紹介させていただいている例の一節です。最近、この
文章のすごさをますます実感させられています。
何を行うにも、理念は大切だと言われています。私も理屈っぽい
人間ですから、確かにそうだろうと感じています。
ただ、大多数の人にとって、いわゆる理念というものは、あらた
めて説明されるまでもなく、頭の中で納得してしまっていることが
多いのではないでしょうか。理念とは、誰も反対できないという要
素を持った言葉だと感じています。
年末にも例示させていただきましたが、政治スローガンのような
理念は、幾つでも思い浮かびますよね。
・美しい街にしましょう
・市民が主役
・すべての市民に幸せを
・自然を大切に
・安全安心のまちづくり
・失業は人間の尊厳を損なう。失業率回復の道が大切
・利他の精神
・ごみはなるべく少なく、再利用、リサイクルを
・コンクリートから人へ・・・民主党のキャッチフレーズ
・みんなの声が“ながの”をつくる・・・これ、私のキャッチフレ
ーズです
思い付くままに、さらに10ばかり書いてみました。もっと、と
言われれば、まだまだ書けるような気がします。ここに挙げた多く
は、誰も反対しない、反対できないと、ほとんどの人が感じる印象
が良い言葉だと私は思います(評論家的とも言えます)。
でも、それぞれを具体論に移すと、誰も反対しないというわけに
はいきません。総論賛成、各論反対ということでしょうか。具体論
になると、考えていること、感じていること、皆さんすべて違いま
すから、対する意見も千差万別だと思います。
具体論での対立はある意味で仕方ないことだと思いますが、実際
にはいつまでも対立しているわけにはいきません。知恵を働かせて
妥協を図るとか、相手を説得することによって解決の道を開くこと
になるはずです。
一方、理念の段階での対立となると、不幸なことが起こってしま
う可能性すらありますよね。資本主義と共産主義のような対立が代
表的なものでしょうか。行政がどこまでかかわればいいのかという、
いわゆる大きな政府と小さな政府のどちらが良いのかという考え方
の対立も、理念の対立ということになるのかもしれません。
理念と理念、つまり正論らしき論同士の対立なのですから、解決
するのは至難の業です。力でねじ伏せるわけにもいきません。やは
り説得と妥協以外に解決の道はないのでしょうし、解決できずにず
っとくすぶり続けてしまうのかもしれません(最後は戦争の危険す
らあるでしょう)。
地方自治体は、国という大きな枠組みの中で行政を行っているの
ですから、理念の対立という哲学的な話ではなく、一定の理念(憲
法や法律、上位団体の意思)の下で具体論を考えることが大切だと
思っています。また、それが限界だとも思えます。
民主主義の原点は、多数決だという方がいらっしゃいます。私も
そうだとは思います。でも、それだけで決めるのはポピュリズムで
あるとおっしゃる方もいます。政治経済の世界では、大局的見地に
立って導き出した結論が、多数決とは違う結果になることも起こり
得るでしょう。特に政治的なテーマになりますと、多数意見に沿わ
ないことでも実施せざるを得ない、ということも、少なからずあり
そうです。
実務的な段階になると、必ず具体的に説明しないと真意は理解さ
れないでしょう。しかし、誰も反対しないような理念に基づいてい
ても、具体的に説明したことで厳しい対立が生じる・・・常々経験
していることです。
「みんなの声が“ながの”をつくる」と言っても、この理念だけ
で、市政課題がすべて解決できるわけではありません。個々の課題
にはそれぞれ具体的施策を打ち出し、それを実行に移さなくては意
味がないのです。そのための「みんなの声」なのです。
少し話題を変えます。一般に労働組合は、賃上げの必要性につい
て、「給料が上がらなければ、結局需要が増えず、日本経済の景気
回復につながらない」と主張しています。これは多数意見だと私も
思います。しかし、賃上げすると、「企業の経営状態を悪化させか
ねないし、結果的に税収も減って日本社会全体が沈没しかねない。
ゆえに賃上げはできないのではないか」と心配されていることも事
実でしょう。
究極的に考えれば、「一物一価」ということになるのではないか
と私は思うことがあります。モノの価格だけでなく、人件費も同じ
・・・新興国の人件費ベースが上がって日本と同じになる、あるい
は日本の人件費が下がって同じレベルになる・・・長期的には、さ
らにグローバルスタンダード化が進み、人件費も「一物一価」にな
ってしまう・・・絵空事ではないようにも感じてしまうのです。
先週、(社)日本経済団体連合会(経団連)と日本労働組合総連
合会(連合)のトップ会談が行われたことで、事実上、今春闘の論
戦が始まりました。連合側は、「厳しい現状を認識し、ベースアッ
プの統一要求を見送り、定期昇給の死守」を主張しているのに対し、
経団連側は「賃金より雇用を重視し、定期昇給凍結・延期を含めた
総人件費抑制姿勢」を前面に打ち出しているとのことです。
どちらの要求も、現状を考えれば当然だとは思いますが、結局ど
こかで妥協することになるのでしょう・・・昔の交渉のように対決
姿勢をあらわにするのではなく、話し合いが基本になっていること
は大変いいことだと思いますが、解決には時間を要することになり
そうです。理念と理念がぶつかり合った時は、話し合いが大切です。
連合の主張、すなわち、経団連がリーマンショック以降の厳しい
状況から回復していないことを強調したことに対し、ベースアップ
を要求しないという選択をされたとのこと・・・現在の状況を考え
れば苦渋の選択だろうとは思いますが、日本経済にとっては良かっ
たなあと思います。
私が会社経営をしていたころは、原理主義というのでしょうか、
労働組合側は「労働者の生活を守ることがただ一つの目標だ」と主
張し、経営状態はそっちのけで「断固賃上げ」を要求、場合によっ
てはストライキ権を行使するなんて話があちこちにありました。一
方で、当時の経営側にも経営情報を公開するという発想が乏しく、
労使協調路線という考え方もなかったように思います。
でも最近は、経営側ももうければ良いということではなく、CS
R(企業の社会的責任)を大切にしており、労働者と一緒に会社を
維持していこうとする姿勢が生まれてきていることは事実でしょう。
昔の日本労働組合総評議会(総評)や全日本労働総同盟(同盟)
といった大労働組合組織が合併して「連合」という組織になり、労
使協調の話し合いが始まったのは、恐らく長野オリンピックの少し
前ぐらいだったでしょうか。対立ではなく協調に重きが置かれるよ
うになり、長野でも、経営者側の労働問題専管団体である(社)長
野県経営者協会と連合長野が定期的な話し合いを持つようになりま
した。
理念の対立では物事が解決しない、協調路線が大切だということ
です。社会は大きく変わったと思っています。