んが、市役所を訪問してくださいました。グライダーの連続滑空距
離を世界の操縦者が日ごとに競う「オンラインコンテスト」(OL
C 本部はドイツ)で、1位になったという報告に来てくださった
のです。世界中から1,000件を超えるエントリーがあった中で
の1位だそうですから、まさに快挙と言えるでしょう。
記録の概要
日時:平成22年4月18日(日)
午前6時01分~午後4時48分
発着場所:長野市滑空場(若穂多目的広場)
連続滑空距離:687.82キロメートル
飛行経路:長野市-群馬県草津-栃木県日光-栃木県那須-
宮城県蔵王-岩手県一関-宮城県蔵王-栃木県那須-
栃木県日光-群馬県前橋-長野県軽井沢-長野市
最高高度:5,613メートル(3,000メートル以上は酸素
マスク使用)
このことを掲載した長野市民新聞の記事を参考に、両氏と懇談し
た内容を要約しますと、今回は、万場さんが操縦して山崎さんが同
乗。当初は、岩手県花巻までの往復1,000キロメートルを目指
していたそうです。群馬県草津上空でエンジンを切り、気流に乗っ
て上昇し、蔵王連峰上空などを経由して滑空を続けたものの、宮城
県内で西からの強風に苦戦。残念ながら午前10時40分岩手県一
関上空で引き返す決断をして、長野市滑空場へ午後5時前に帰着し
たとのことです。
報告に来ていただいた際に見せていただきましたが、小さな箱状
のGPS(衛星利用測位システム)で距離を測り、その記録を申請
して競うのがこのコンテストなのだそうです。
4月18日は日曜日ということで、平日よりも多いエントリーが
あり、また、ヨーロッパの人の参加が多い中で、日本人がトップに
なったことは、すごいことだと思います。
グライダーの滑空には、地形や気象条件が大きく影響することか
ら、山が多いために複雑な風が吹く日本では記録が出にくいそうで、
気象条件が整うのは年に1日か2日程度だそうです。
ただ、数年前、長野市滑空場の整備を陳情に来られた皆さんは、
「長野の気流は、グライダーが飛ぶために日本一良い条件なので、
ぜひ滑空場を整備してほしい。そうすれば、グライダーを楽しみた
い青年が、全国から長野にやってくる」ということを言っておられ
ました。
確かに、山崎さんも、「気流という宝物と万場さんという素晴ら
しい教官がおられるから、長野で就職した」とおっしゃっていまし
たし、万場さんも、「いずれ長野市で世界選手権を開催したい。そ
の前提として、まず日本選手権を開催したい」と夢を語っておられ
ました。長野の気流は、それぐらい魅力があるようです。
日本選手権や世界選手権を開催するとなりますと、参加者が多く
なりますし、気象相手のスポーツですから、かなり長い期間宿泊す
る必要があるとのことです。そうだとすれば、経済効果もかなり大
きそうです。
万場さん、山崎さんのお話をお聞きしながら、思い出したことが
あります。イギリスの話ですが、パイプたばこをいかに長く吸い続
けるか、ということを競う話です。
参加者が集まって(多分、組織の本部のような場所なのでしょう)、
その場で一定量のたばこの葉を渡される。その後自宅に戻って、定
められた時刻に火を付けて・・・火が消えたら本部に連絡する。最
も遅く連絡した人が優勝・・・まさに“紳士”のゲームですね。
私がこのコンテストのことを知ったのは、30歳前後のころ。ち
ょうど、パイプたばこに凝っていたのですが、火を付けて長い間消
えないようにすることが難しくて悩んでいましたので、このコンテ
ストには、本当に感激したことを記憶しています。
このコンテスト、万場さんたちが挑戦したOLCと何か似ている
と思いませんか?少なくとも、競技の前提となる精神的な部分は共
通している感じです。ゴルフだって自分でスコアを記録して申告す
る、誰かが見ているとか見ていないとか・・・そんなことを考える
ことさえあり得ない・・・。
ヨーロッパで発達した遊び(?)には、互いに相手を信頼し合え
る“紳士”しか参加する資格がない、そんな遊びが多いと感じてい
ます。そう考えると、第三者の証明が必要な現代のさまざまな競技
にいささかむなしさを感じるのは、私だけでしょうか。
“紳士”のプレー・・・政治の世界もそうあってほしいものです。
2010年5月27日木曜日
長野市グライダー協会
2010年5月20日木曜日
長野商工会議所が創立110周年
5月14日、長野商工会議所110周年記念式典に参加させてい
ただきました。
110周年といえば、長野市の市制施行110周年が3年前です
から、長野商工会議所の誕生は長野市の3年後・・・まさに長野市
の歴史と共に歩んできた団体です。明治33年の創立とのことです
から、長野市内にあるいろいろな団体の中で、一番古いと言っても
間違いないでしょう。
商工会議所というのは、商工会議所法に基づいた団体ですから、
例えば日本経団連とか経済同友会などの民間任意団体とは違い、特
別法に基づく認可法人という扱いになります。
地区内における商工業の総合的な改善発達を図り、兼ねて社会一
般の福祉の増進に資する、というのが商工会議所法に記された目的
です。そのために、行政などへの意見具申、調査研究、証明、鑑定、
検査、講演会や講習会の開催、技術や技能の普及・検定、相談や指
導の実施、観光事業の改善など、さまざまな事業を行うのが商工会
議所です。
そして、私とすれば、市長に立候補するまでは、長野商工会議所
の副会頭を務めさせていただいていたものですから、とても思い出
深い団体でもあります。
式典では、“行動する会頭”という評判通り、加藤会頭から、長
野市のまちづくり・活性化に向けて不景気を吹っ飛ばし、元気を出
そうという、全経営者に向けてのメッセージが込められた式辞があ
りました。
長野商工会議所は、創立以来、常に商工業者の先頭に立ち、幾多
の社会経済の変革、苦難を乗り越え、商工・観光の振興のみならず、
地域の発展に多大な業績を残してこられたと言っていいでしょう。
そのことは、会頭に続いて登壇した来賓(高原経済産業省関東経済
産業局長、腰原長野県副知事、栗原日本商工会議所流通・地域振興
部長、井上長野県商工会議所連合会副会長、そして長野市長)の祝
辞からも、皆さんに理解していただけたと思っています。
このほか式典では、長い間役員を務められた方、市内で100年
以上続いている企業、市内企業に永年勤続しておられる方々に対す
る表彰も行われました。
長野商工会議所は、市内の6,300事業所会員によって成り立
っています。その役員として、会頭や副会頭、理事、監事のほか、
議員がいます。
商工会議所の議員について、多くの人が誤解していると思われる
ことがあります。議員という名前が付いているのは、国会議員、県
議会議員、市議会議員といろいろありますが、これらの皆さんは、
基本的に議員歳費や議員報酬を受けています。
しかし、商工会議所の議員は歳費や報酬のたぐいを受けていませ
ん。それどころか、会議所の会員はすべて会費を払っているのです
が、議員は普通の会員の何十倍もの会費を払っていますし、正副会
頭や委員長、部会長はさらに多くの会費を払っているのです。
すなわち、ボランティアというより、自分(会社)の身銭を切っ
て商工会議所活動に貢献していただいているのです。自ら会費を払
って仕事をさせていただく・・・得られるのは、満足感と名誉だけ
と言っては言い過ぎでしょうか(もちろん、まちが元気になること
で、回りまわって自分の会社にも何らかのプラスになることを期待
していることは事実でしょうが)。
会費だけではありません。長野びんずる、長野えびす講煙火大会、
善光寺御開帳の時の奉賛会などは、特別寄付金が求められます。ま
た、長野オリンピックの時に文化プログラムとして開催された「な
がの-アスペン ミュージックフェスティバル」などは、行政の支
援だけでは足りなくて、商工会議所を中心に寄付金集めをしたこと
で運営資金を賄うことができたのです。
そういえば、環境メッセージを携えてノルウェーのリレハンメル
から長野へ向けて出発した犬ぞり隊(国際環境使節団)が資金不足
により途中で止まってしまい、急きょ、商工会議所で資金を集めて
送ったことも思い出されます。
長野オリンピック招致費用の協力を得る際にも、商工会議所が招
致委員会に協力して企業回りをしてきました。
これらは、決して無駄なことではないと思います。商工会議所が
行政に協力して、あるいは補完して活動していただくことによって、
社会を動かし、まちに活気が生まれ、元気が出るのです。市長の立
場からは、商工会議所の長野市を思う心が何よりありがたいと思っ
ています。
長野のまちに活気を取り戻すために、長野商工会議所ではさまざ
まな取り組みを行っています。ここ最近のことを列記してみますと、
株式会社まちづくり長野を設立し、「TOMATO(とまと)食品
館」、「ぱてぃお大門 蔵楽庭(くらにわ)」をオープンしたほか、
長野・篠ノ井・松代の3商工会議所の合併、緊急経済対策、入札・
契約制度の改善、商店街活性化に関する条例の制定などの政策提言
・要望活動、善光寺東庭園にホタルを復活させる活動や「善光寺表
参道に灯籠(とうろう)を復元建立する会」の事業への協力、「信
州おやきブランド化事業」の推進などなど、大変精力的な事業展開
です。
また、昨年からは、少子化対策としてマリッジサポートセンター
「こんぴあNAGANO」を設立して結婚支援事業も行っています。
成果として、たくさんの出会いが生まれつつあるようですが、商工
会議所では、さらに登録メンバーを増やしたいと考えているそうで
す。関心がある方は、ぜひ問い合わせてみてください。この事業の
今後の展開も期待したいと思っています。
2010年5月13日木曜日
「かじとり通信」400号
連休前、「市長の『かじとり通信』が5月13日の配信で、40
0回を迎えます」という話がありました。これは、号外も入れての
数字のようですが、へぇ、400回かあ・・・というのが実感です。
私の市長就任は、平成13年11月。その後3カ月ぐらいたった
ころ、当時の広報課の職員から「小泉首相のメルマガが大変な人気
を呼んでいる。あのまねは大変でできませんよね!」と挑発された
のが事の始まりです。インターネットで首相のメルマガを読んでみ
て「こんなことならヤッテミセル!」とつい受けてしまい、書き始
めてみたら、やめるわけにはいかなくなった、というのが実態です。
それから約8年、自分でもよく続いているなあ・・・と、思って
います。
週1回の配信で、年間約50週。その8年分ですから、計算すれ
ば400回というのは当たり前の数字です。
ただ、配信を始めたころは、結構いろいろなことがあり、週1回
では足りずに号外も出しました。また、二期目と三期目の市長選挙
に当たっては、自主規制ということで、投票日の3カ月前から「か
じとり通信」を休刊にしたりもしました(休刊中は、別のホームペ
ージを立ち上げて書き続けていたのですが)。そのため、配信数は、
「かじとり通信」を掲載している長野市メールマガジンと異なって
います(長野市メールマガジンは、今回で419号です)。
目的は何か?なぜこんなに続いたのだろう?・・・基本的には、
市政運営に当たっての私の5原則の一つ「市民に分かりやすい行政
にしよう」という一点に尽きます。
当初は、行政を執行する市長が何を考えているか、今、長野市で
何が起きているか、このようなことを私の言葉で分かりやすく書き
たい、そんなつもりだったのですが・・・徐々に、毎週書き続ける
ことの大変さが分かってきました。
ただ、始めてしまった以上、途中でやめることは許されない、任
期いっぱい書き続けようと決意せざるを得ず、その積み重ねが40
0号ということなのでしょう。
これまでには、友人などから“よく意味が分かったよ”などと声
を掛けてもらうこともあって、大変うれしく感じたこともありまし
た。一方、ゴーストライターは誰かといった質問、公の手段を使っ
て個人的なことを書くのはけしからんとのおしかり、もっと本音を
書くべきだ、県や国の施策批判を・・・いろいろなご指摘も頂いて
います。
実は、私も書きたいことがいろいろあるのですが、公的なメルマ
ガであるが故に書くわけにはいかないこともあり、なかなか難しい
と感じています。一番書いてはいけないことは、人の悪口(非難)
でしょうね。批判することは簡単にできますが、長野市のためにな
らないこともあります(このことは、4~5年前に痛感しました)。
また、メルマガの配信を担当している広報広聴課の見解によりま
すと、「かじとり通信」の著作権は市長にあるが、版権は長野市に
所属するのだそうです。それなら、独自のホームページを開設すれ
ば良かったと後悔することもありますが・・・ただ、市長の肩書き
がある限り、間違った内容を書くことは許されません。どうしても
市職員のチェックが必要とのことで・・・仕方ないですね。
もう少し読みやすくするために、写真やイラストも入れて、文章
を短くしたいと考えることもあります。ただ、お読みいただいてい
る皆さんのインターネット受信環境によっては、対応できない可能
性があるとのことで実現していません。でも、もう少し工夫したい
と思っています。
このほか、公職選挙法の規定などもありますから、当然ですが、
いろいろ制約を受けることが多いと感じています。
ただ、インターネット社会である現在、インターネットのホーム
ページやメールが、文書の配布に当たるという公職選挙法の考え方
は、実情にそぐわなくなってきていると思っています。この規制は、
インターネットを利用した選挙運動の解禁に向けてこれから大きく
変わるようですが、詳細はまだ明らかになってはいません。
確かに、選挙用のホームページとそうでないホームページとの区
別はつきません。そして、動画サイト「YouTube」(ユーチ
ューブ)などに代表されるように、誰でも動画をふんだんに配信で
きる現在、告示後はホームページの内容を更新してはいけない、と
いうような規制などは、まったく意味を成さなくなっているのが実
情でしょう。
ついでにもう一つ申し上げれば、以前から選挙が近くなると、政
党の候補予定者の顔写真が入ったポスターがあちらこちらに張り出
されますが、市民目線で言えば、あれは事前運動に見えるのではな
いでしょうか。それが許されているのは、あの大きな笑顔の写真の
下に小さい字で、国政報告会や時局講演会のお知らせなどが書いて
あるからだそうです。これは、お知らせのポスターだから事前運動
ではなく政治活動(“清き一票を私に”とは書いてない)・・・と
いう解釈の下に許されているようですが、割り切れないものを感じ
ています。
それと、最近評判の「事業仕分け」ですが、国が実施するのは大
賛成です。ただ、一番大切なテーマが対象になっていないと思って
います。すなわち政党交付金です。
この交付金を創設した目的は、企業・団体献金の全廃へ向けた措
置だったと思っていましたが・・・そのような献金はまだあるよう
ですし、政党に所属しない地方議員や首長、あるいはこれから選挙
に出ようとする人のことが全然考慮されていません。しかも、使途
の報告に当たっては領収書が不要な場合もあるなど、不透明、不平
等の最たるものではないでしょうか。
国会議員の数や得票率で政党交付金を交付することはやめて、よ
り国民が納得できる方法、例えば、国民が審査して交付するように
したらどうでしょうか(国民の審査と言っても誰がするのか難しい
でしょうが、いろいろな方法が考えられると思います。そして、会
計検査も必要かもしれません。お金の流れの透明性を高めなければ、
政治不信は増大するばかりです)。
井戸塀政治家のことは、少し前に書かせていただいた記憶があり
ますが、いずれにしても、お金の問題は「疑わしきは罰す」、その
ぐらいの考え方で制度を整えることが大事でしょう。
なってきてしまいましたが、私とすれば、それぞれ再考をお願いし
たいと考えていることばかりです。実は、まだこのほかにも書きた
いと思っていたことがあったのですが、今回は見送ることにして、
この辺で終わりにさせていただきます。
皆さん、これまでお読みいただきありがとうございました。そし
て、これからも「かじとり通信」にお付き合いくださいますようお
願いします。
2010年5月6日木曜日
クリアウォーター市・善光寺花回廊・虫倉山
連休前のことになりますが、4月20日から28日まで、姉妹都
市アメリカ・クリアウォーター市を訪問してきました。昨年、姉妹
都市提携50周年ということで、同市からヒバード市長、市議会議
員の皆さんなどによる訪問団をお迎えしましたので、今回はその答
礼の意味もあって、三井市議会議長、堀内教育長、そして公募によ
る市民訪問団の皆さんと一緒に訪問してきました。
成田からダラスで乗り換えてマイアミ空港へ。飛行機が4時間以
上も遅れ、少々疲れましたが、翌日は、クリアウォーター市と同じ
フロリダ州のマイアミ市で農業視察をさせていただきました。
温暖な気候、広く平坦な土地、民間活力を最大限生かした産業づ
くり・・・。その多くは、日本でまねすることは、かなり難しいで
しょうが、一つ、観賞用の魚の養殖に興味が引かれました。
マイアミ・デイド郡の担当者の案内で見せていただいたのは、ア
ンジェル・ハチェリーという孵(ふ)化場です。ここでは、日本の
錦鯉もたくさん飼っていましたが、アフリカのタンガニーカ湖に生
息する「アフリカン・シクリッド」と総称される小さくきれいな魚
など、さまざまな観賞魚をたくさんの水槽の中で養殖していました。
世界中から観賞用の魚を取り寄せて、卵から孵(かえ)して成長さ
せ、世界中に出荷しているのだそうです。
従業員は、ご主人夫婦を含めて6人ぐらいということでしたので、
家内工業的な経営と言っていいのでしょう。はっきりとはお答えい
ただけませんでしたが、結構もうかっているようです。販路さえ確
保できれば、規模的には中山間地域向きの産業として有望かなあ・
・・そんなことも感じました。
ご主人は、日本の有力な養殖関係者とコラボレーションしたいよ
うなことをおっしゃっていましたし、錦鯉の産地として有名な新潟
県の旧山古志村(長岡市)にも行ったことがあるとのことでした。
マイアミではこのほか、クリアウォーター市を含むフロリダ州を
管轄する在マイアミ日本国総領事館を表敬訪問し、並木総領事と懇
談させていただきました。
並木総領事のお話によりますと、フロリダ州には、日本の自治体
と姉妹都市提携をしている都市が大変多く、9都市もあるそうです。
ただ、長野市とクリアウォーター市のように、毎年継続的に交流を
続けている都市は極めてまれで、総領事館としても、大切に支援し
ていきたいとのお言葉を頂きました。
そういえば、前回、45周年を記念して訪問した時にも、当時の
総領事さんがクリアウォーター市まで来てくださったことを思い出
しました。
クリアウォーター市での、市および同市姉妹都市協会が主催した
式典や会議には、ヒバード市長や4人の市議会議員をはじめ、多く
の市民の皆さんが集まってくださり、友好と親善を深めることがで
きました。
特に感銘を受けたのは、平成19(2007)年の夏、交換留学
高校生として長野市を訪れたベンジャミン・ポップ君から、りゅう
ちょうな日本語で歓迎のあいさつを頂いたことです。彼は、長野市
を訪問したことで日本が好きになり、帰国後に進学した大学で日本
文化を専攻し、一生懸命日本語を勉強したのだそうです。将来は、
どんな形でもいいから長野市で働きたい、そんな希望も語ってくれ
ました。
両市の交流が、生き生きと根付いていることを知り、大変うれし
く感じました。
50周年を記念して製作した六文銭をあしらった「赤い甲冑(か
っちゅう)」の贈呈式では、市民訪問団の一員として参加してくだ
さった北沢さんがはかまと着物に着替え、英語で甲冑の説明をして
くださいました。北沢さんは、松代で文化財ボランティアとして来
訪客の案内をされているとのことで、豊富な知識を生かした素晴ら
しい英語解説に、盛大な賞賛の拍手を浴びていました。
この記念品ですが、40周年の時は、長野市から善光寺の梵鐘
(ぼんしょう)を模した「鐘」をお贈りしています。50周年を記
念した今回も、日本ならではの、そして節目の年にふさわしいイン
パクトのある品をと考え、海外でも人気のある「サムライ」をイメ
ージする甲冑の複製をお贈りすることにしたものです。
今回、市民訪問団として参加してくださったのは、北沢さんのほ
か、団長を務めていただいた馬場さんをはじめとした8人の皆さん
です。皆さんそれぞれの思いを胸に、公式行事やホームステイを体
験され、さまざまな形で交流を深めていただきました。
このたびの訪問に際し、半世紀にわたる両市の交流をあらためて
振り返って感じたことは、今回参加してくださった皆さんをはじめ、
多くの市民の皆さんに支えられてきたということです。特に、当初
から両市の交流を支えてきていただいた長野国際親善クラブの小出
会長さんには、感謝申し上げなければいけないと思っています。
交流行事の合間には、クリアウォーター市があるピネラス郡内お
よび周辺の環境政策に関する施設をいろいろ見せていただきました。
視察したのは、ごみ焼却施設、汚水処理・肥料製造施設、そしてタ
ンパ湾の水質浄化の状況などです。
処理方法などは、長野市と大きな違いは無いようですが、ごみの
焼却灰を丘のように野積みにしていることが大きく異なりました。
広大な土地があるからできるのだろうなと、国情の違いを感じまし
た。また、汚水処理により発生する汚泥を肥料として販売している
こと、そして、その製造施設の大きさにも驚きました。
クリアウォ-ターからニューヨークへ。
メトロポリタン美術館は、私にとって2度目の訪問でしたが、や
はり時間が足りませんでした。果たして、ゆっくり見る機会はある
のでしょうか。
そして、グラウンド・ゼロ。複雑な思いでした。すでに新たな開
発が始まっていましたが、あまりにも多くの命を奪った現場である
が故に、遺族の理解がなかなか得られなかったそうです。亡くなら
れた方々のご冥福をお祈りするとともに、本市の平和都市宣言でも
掲げている「全世界の恒久平和を希求する」という思いを新たにし
ました。
ニューヨークで印象に残ったことは、大きく二つです。中心街の
マンハッタンでは、ほとんどの道路が一方通行であること。そして、
いわゆる「イエローキャブ」しか市内のタクシー営業ができないこ
と・・・これらをそのまま導入したいということではありませんが、
公共交通の再生と自家用車の在り方を考える上で、このような考え
方は長野市でも参考になるかもしれないと思っています。
日本に戻って連休に入り、中央通りを中心に善光寺花回廊が開催
されました。
5月2日のオープニングセレモニーでは、実行委員長である長野
商店会連合会の渡辺会長、顧問である長野商工会議所の加藤会頭と
一緒に参加させていただきましたが、中央通り一帯は大変な人出で
した。長野の春の風物詩としてすっかり定着してきたようです。
この中央通りですが、数年前から市民の皆さんと研究を進めてき
た結果、本年度から大改造に着手することになっています。完成す
れば、さらに歩行者に優しい道路になりますし、花回廊をもっと盛
り上げることができるはずです。
5月3日、中条地区で虫倉山開山祭が行われました。信州百名山
の一つである虫倉山。合併前から一度登ってみたいと思っていまし
たが、チャンスがなかったのです。開山祭には、地元から招待を頂
いて出掛けました。
この日の登山には、遠方からも含めて350人もの人が参加され
たようです。今年は、登山道が改良され山頂へのアクセスがよくな
ったそうですが、大変険しいコースや、楽に登れるコースなど、何
本も登山ルートができているそうです。
そして、開山祭もさることながら、この日、中条地区では、地区
を挙げて「さぁさ、よっとくらえ 長野市中条 となりの村の道め
ぐり」というお祭りに取り組んでおられました。天気に恵まれ、北
アルプスの見事な景色を背景に、菜の花が咲き乱れ、こいのぼりが
泳ぐ・・・おいしい手打ちそばと山菜料理、素晴らしい雰囲気を堪
能しました。
地区内10会場でさまざまなイベントが繰り広げられていたので
すが、特に、第5回信州発動機運転会というイベントにはびっくり
しました。うまく表現することはできませんが、愛好家の皆さんが
それぞれ自慢の昔のエンジンを持ち寄って、廃校になった小学校の
グラウンドで動かしているのです。私個人とすれば、人生観が変わ
るような錯覚に陥りました。
この「となり村の道めぐり」、1日だけではもったいない・・・
もっと長い期間開催できる要素を持った魅力あるお祭りだと感じま
した。