今回の震災報道に接し、感じていることを少し述べさせていただ
きます。
地震・津波・原発被害と東北・関東地方の皆さんは大変な苦痛を
強いられておられるのですが、自然災害に限った場合、長野市では
どう対応するかということを考えてみました。
怖いのはやはり、地震、次に洪水、地滑り、雪崩、土石流、そし
て火事などでしょう。地震について言えば、糸魚川・静岡構造線と
いった日本で最大級の断層が長野県を縦断していることを子どもの
ころから聞かされていました。
長野市の地域防災計画のうち震災対策については、1847年の
「善光寺地震」を基準に考え、同じ規模の地震が発生した場合にど
う対応するかということを想定しています。江戸時代末期のことで
すから、記録は正確ではないようです。私もいろいろ勉強していま
すが、地震による建物の倒壊を防ぐには、当然建築基準法にのっと
った建物を造ることだと思っていました。しかし、先日建設業界の
皆さんから、「建築基準法は、最低限の規定であって、もっと強い
建物を造っても良い。ただ、お金さえあれば・・・」と言われまし
た。考えてみれば当たり前で、最後の「お金さえあれば」が問題な
のでしょう。ただ、そのお金をどのくらい掛けたら良いか分からな
いわけですから、結局は、建築基準法を頼りにするより仕方ないと
いうことになってしまうのです。
次に、地震に限らないのですが、建築物以外の道路・えん堤など
の土木系構造物の問題として、洪水、山崩れも怖い災害です。
日本では、毎年時期になると台風が襲ってきます。幸いなことに
長野県は山に囲まれているせいか台風の影響を受けにくく、大きな
被害を及ぼすような台風は少なかったように感じていますが、記憶
の中では、昭和34年の伊勢湾台風の被害が一番大きかったのでは
ないかと思っています。しかし、被害を受けないわけではないこと
を心しておかなければなりません。ダムを含めた河川改修、遊水地
の確保、強風対策が必要でしょう。浅川ダムの主目的は外水対策で
すが、内水対策も重要でしょう。
また、昭和40年から5年間続いた「松代群発地震」では、1年
以上にわたり毎日のように揺れましたが、多くの建物が倒壊するよ
うな大きな被害は少なかったと思います。ただ、1日に震度5の地
震が3回もあったような記憶がありますし、かなり激しかったこと
を覚えています。観光客が来なくなるいわゆる風評被害も大きかっ
たように思いますが、今回のような大災害とは比較になりません
・・・。
なお、松代群発地震の名前ですが、当初は北信地震となりそうだ
ったようですが、北信では広すぎる、観光客が来なくなるとのこと
で「松代」になったと聞いています。
今回の被災地もそうですが、わが国の防災計画は、既往最大の地
震、あるいは洪水・津波を基準として決められているとのことです。
数年前の浅川ダムの議論の過程で「既往最大は“過大”だから下
げるべきだ」ということを主張されていた学者さんたちがおられま
した。素人の私にはよく分からなかったのですが、今回はその既往
最大をはるかに超えた地震・津波が襲ったということですから、
「既往最大」なんていう言葉は当てにならないのだと感じています。
そうはいっても、何か基準が必要なことは事実です。阪神・淡路
大震災の時、高速道路がひっくり返った映像を見てびっくりしたの
ですが、今回の地震・津波の発生で、今後日本の土木基準や建築基
準がどう変わるか、ちょっと見当が付かなくなったと感じています。
長野市とすれば、地滑りや土石流の危険のある場所(防災マップ
などで確認できます)の点検、補強工事はやらなくてはいけないで
しょう。
「善光寺地震」では、建物被害は大きかったようですし、善光寺
御開帳の最中だったこともあって死者も多かったとのことです。特
に、信更地区の虚空蔵山(こくぞうやま)が崩壊し、土砂が犀川を
せき止めて、21日間一時的なダム湖になってしまいました。その
後、せき止めた土砂が崩壊し、たまっていたダム湖の水が一気に流
れ出して、善光寺平一円が大水害になったとのことです。当時、重
機などはない時代ですから、手の打ちようがなかったのでしょう。
長野市西部の山地は、比較的崩れやすい地質だと聞いています。
見回り点検と擁壁などの補修工事は、小まめにやる必要があるので
しょう。
いずれにしろ地震による山の崩壊は恐ろしいことです。
もう一つは、自然災害とは言えないかも知れませんが「火災」で
す。
昭和40年代ぐらいまで、火事はかなり多かったと記憶していま
す。善光寺さんも今の場所に再建される前は、元善町の町の真ん中
にあったそうですが、記録に残るだけでも13回、火事に遭ってい
るそうです(もらい火が多かったのでしょう)。そこで当時より北
側の今の場所に移ったそうで、それ以後火事には遭っていないとの
ことです。
木造建物が多かった昭和40年代まで、特に学校の火事が多かっ
たように思います。私が通った城山小学校では、昭和20年代の6
年間に隣接する蔵春閣も含めて3回火事に遭った記憶があります。
昭和48年に市長に就任された柳原市長さんは、そういったこと
を気にされたのでしょうか、市内の小・中学校を昭和50年代前半
までに鉄筋コンクリート造や鉄骨造に改築されました。そのためで
しょうか、味も素っ気もない建物になったと評判は必ずしも良くな
かったのですが、学校の火事は激減したと私は感じています。
昭和56年、建築基準法の改正により、耐震基準が大幅に変わり
ました。その結果、昭和56年以前の建築物は、全て既存不適格と
なってしまいました。
既存不適格とは、違法ではないけれど、いずれ何か増改築などし
たりするときは、適法な建物にしなくてはならないということです。
先ほどお話ししたように、市内の小・中学校は、不燃化を一度に
やってしまったが故に、耐震補強をやらなくてはならない建物が多
くあるとも言えるでしょう。市としては、一生懸命に耐震補強や建
て替えに取り組んでいますが、学校施設だけでも、全て完了するの
は平成31年度の予定です。
これは小・中学校に限った話です。そのほかにも公共の建物はた
くさんありますし、民間建築物は住宅も含めてさらにたくさんある
わけですから、全部終了するのはいつのことか分かりません。
ただ、ここにきて、違う心配も出てきました。
国が公共建築物には、できるだけ木材を使うべきとの指導を始め
たのです。木質系の建物は、優しくて気持ちが良い、日本の森林資
源を活用すべきであるということは分かりますが、強度や耐久性に
は心配もあります。大きな建物は・・・とりわけ火事が心配です。
しかしながら、低層建築物については、小規模の市有施設を中心に
木質建築の促進を図るため、木材の利用促進に関する方針を策定し
ようと検討しているところです。
一時期、国は、震災復興予算を組むために、学校施設の建て替え
への補助金をやめる、あるいは延期することを検討するといった新
聞報道を目にしました。結局そうはならなかったのですが、もしそ
うなったとしたら、国が決めることではありますが、市町村はどう
対処するか、頭を悩ますことになるでしょう・・・。状況は違いま
すが、今回の震災で、あの大地震と大津波に遭っても、写真で見る
限り、しっかりした鉄筋コンクリート造の建物は、残っているので
はないかと感じているのですが。
自然災害が発生した場合の長野市の対応について書いてみました。
来週は、深刻な今回の原発事故と災害の予防活動の大切さなどにつ
いて述べてみたいと思います。