2011年8月18日木曜日

盆明けのかじとり通信(最近の読書)


 3月11日の東日本大震災、翌日の栄村を中心とした地震で、世
の中が変わってしまった感がありますよね。3月から4月にかけて、
あらゆることが自粛ムードになってしまいました。
 本市では、長野オリンピック記念長野マラソンの中止が代表的で
したが、私個人でも泊まりがけで予定していたスキー旅行を自粛し
ましたし、3月から4月の市職員の人事異動時期の送別会や歓送迎
会も、ほとんど自粛になってしまいました。被災地の惨状を思えば
当然のことと思いますが、約40年間も勤務して退職する市職員に、
単に記念品だけを渡して送り出してしまうことは、すごく申し訳な
い気持ちでした。

 私個人とすれば、前述のように歓送迎会などの中止により空いた
時間を家でかじとり通信の執筆や読書に充てていましたが、このま
までは、日本の元気が失われていく一方だと心配していたのも事実
です。
 
 4月末ぐらいから、自粛の行き過ぎは、日本全体の萎縮につなが
り、震災の復興のためにならないといったムードが出てきて、長野
市では、ゴールデンウイークあたりから、少し元気が出てきました。
現在は8月、大震災以来ほぼ5カ月が経過しています。
 今、時代は大きな転換期にありますが、今回のかじとり通信では、
日本の将来の道しるべともなる素晴らしい書物をいくつか紹介させ
ていただきます。

 新田次郎・藤原ていという作家をご両親に持つ数学者である藤原
正彦さんの「国家の品格」を読んで感銘を受け、その一部をかじと
り通信などで時々紹介させていただいていることは、皆さんもご存
じのとおりです。

 その藤原さんが「日本人の誇り」(文春新書)という本を書かれ
ました。読ませていただき、またまた深く感銘を受けました。
 藤原さんは、同書の中で政治、経済、外交、教育など全てにおい
て危機的状況にある今の日本を憂い、祖国再生の鍵として、以下の
とおり述べていらっしゃいます。
 「一般に多くの困難を解決しようとする場合、一つ一つ着実に片
づけて行こうと誰でもまず考えますが、大ていの場合、労力がかか
るばかりで成功しません。いかなる個人や組織であろうと、さらに
はいかなる国、世界であろうと、多くの困難が噴出しているという
のは、それら全てを貫く何か一つの基軸が時代や状況にそぐわなく
なっているということを意味します。従ってその基軸を変えること
で諸困難を一気に解決する、というのが最も効果的なばかりか容易
でもあるのです。そして最も美しいのです。(略)美しいものを目
指すことが万事において真へ達する道であり善に到達する道なので
す。」つまり、「真・善・美は同じ一つのもの」とおっしゃってい
ます。

 さらに、「この世のあらゆる事象において、政治、経済から自然
科学、人文科学、社会科学まで、真髄とはすべて美しいのだと私は
思っています。何故だかよく分かりませんが、私の経験では常にそ
うなのです。」と述べておられます。

 そして、日本が戦後どのような基軸で歩んできたかについて、以
下のとおり言及しています。「日本近代史における戦争を考える時
に、満州事変頃から敗戦までを一くくりにした十五年戦争や昭和の
戦争がありますが、このように切るのは不適切と思います。その切
り方はまさに東京裁判史観です。(略)私の考えは(略)、ペリー
来航の1853年から、大東亜戦争を経て米軍による占領が公式に
終ったサンフランシスコ講和条約の発効、すなわち1952年まで
の約百年を『百年戦争』とします。」

 その上で、「百年戦争は日本の大敗北となりました。しかし(略)
大局的見地から見ると、実は百年戦争は日本の大殊勲だったのです。
ペリー来航以来、日本が希求してきたものは、第一に独立自尊でし
た。そして第二には、そのためのアジア主義、すなわち日中朝が連
帯して白人によるアジア支配を食い止めることでした。第一のもの
について日本は、百年戦争の最後の6年半ほどアメリカによる統治
を受けただけで、曲がりなりにも有史以来の独立自尊を保つことが
できました。(略)第二のものについても、日本はほぼ独力で達成
してしまいました。(略)アジアを食い物にしていた白人勢力に日
本が敢然と立ち向かう姿を見て、アジアの人々はもはや白人への畏
怖や恐怖を持たなくなりました。(略)1941年には独立国がア
ジアでは日本、タイ、ネパールの3国、アフリカではエチオピア、
リベリア、南ア連邦の3国しかなかったのが、その11年後、百年
戦争の終る時点では合わせて100カ国を超えたのです。」と述べ
られています。
 この本を通読してみて、「百年戦争」という時代認識はそのとお
りだなあと感じるとともに、日本は素晴らしい国家、美しい国なの
だとの藤原さんの主張に深く感銘を受けました。それ故、「自国へ
の(略)誇りと自信こそが、現代日本の直面する諸困難を解決する
唯一の鍵」と藤原さんは訴えておられるのです。
 
 また、藤原さんは、アメリカが占領政策・言論統制・徹底した検
閲を通して実施した、「終戦のずっと前から練りに練っていたウォ
ー・ギルト・インフォーメーション・プログラム(WGIP(*)
=戦争についての罪の意識を日本人に植えつける宣伝計画)(略)
『罪意識扶植計画』」について述べられています。このことについ
ては、江藤淳さんの「閉された言語空間」(文春文庫)でその実態
についてつづられており、少し前にそれを読んだ時、唖然(あぜん)
としたことを思い出します。江藤さんも、アメリカの検閲政策は、
「古来日本人の心にはぐくまれてきた伝統的な価値の体系の、徹底
的な組み替えであることはいうまでもない。」と述べられています。
 その後、自虐史観(江藤さんによると、「日本人のアイデンティ
ティと歴史への信頼(略)崩壊」)なるものが、「今日に至るまで
脈々と、多くの善良な日本人の精神の奥深くに、気づかぬうちに根
を張っているのです。」という藤原さんの言葉を痛感しています。
 失った自国への誇りと自信を取り戻し、何とか藤原さんのおっし
ゃる「美しい国」を目指したいものです。

 本棚を整理していたら、「自分の品格」(三笠書房)という本が
出てきました。2008年に出版された上智大学名誉教授の渡部
(わたなべ)昇一さんの著書です。
 「その道で『一流』になっている人は、必ずその人なりの『品格』
や風格が顔や背中に滲みでているものだ。また、そういう人は、人
から厚く信頼され、盛り立てられ、人間的にも魅力が増し、さらに
いい仕事、大きな仕事をしている。そのような人に共通しているこ
とが、一つある。それは自分の手に負えそうもない壁にぶつかって
も、けっして諦めないことである。」

 人生訓のような本はいろいろな人が書いており、それぞれ立派で
すが、渡部さんの主張は、昔から納得のいく論であると感じている
ところです。最近出版された「日本の歴史」(WAC BUNKO)
全7巻も楽しく読ませていただきました。

 遠山啓さんの「文化としての数学」(光文社文庫)。これは藤原
さんが数学者だったので、他の数学者の本を読んでみたくなり、読
んでみました。遠山さんは、数学の持つ性格、正確さと厳しさが、
子どもたちの中に「正邪(せいじゃ)を見分ける判断力、不正や虚
偽を憎しみこれと妥協しない強固な性格、困難と戦ってこれを征服
する忍耐力を(略)形造る」とおっしゃっています。
 美しい精神にこそ、「美しい国」に通じるものがあると思います。

 山本七平さんの「『あたりまえ』の研究」(ダイヤモンド社)、
「勤勉の哲学」(PHP文庫)、「『常識』の研究」(文春文庫)
などは昔読んだ本ですが、ユダヤ教や日本教という言葉に引かれて、
夢中になって読んだ本です。
 「『あたりまえ』の研究」によると、「日本人は無宗教でもけっ
して無規範ではない。(略)世界で最も厳しい個人的規範をもって
おり、それであるがゆえに世界で最も秩序立った犯罪の少ない社会
を形成しているはずである。だがこれが、宗教=規範の世界には理
解されず、(略)しばしば誤解される。(略)では、それを説明し
相手を納得さすにはどうすればよいか。」宗教=規範というような
前提を持っている外国人からすれば、なぜ、「泥棒もせず、嘘もつ
かず、悪いこともせず、だれも見ていないのに日々誠実に働き、ま
じめな日常生活を送っているのか」と述べられています。
 このような国際社会における「説得力」の問題のほか、日本の歴
史上の人物を分析することなどを通して、日本人を考察された傑作
です。

 阿久悠さんの「清らかな厭世(えんせい)」(新潮社)という本
も読みました。彼の歌詞は、カラオケで大好きですが、文章も素晴
らしい、納得できるものでした。美しい日本語を大切にされた希代
の作詞家が、多くの警句をつづられています。

 その他、私の好きな作家は、司馬遼太郎さん、梅原猛さん、童門
冬二さん・・・夢中になって読んだ時代がありました。いずれも、
美しい文章で、そして真面目に考えさせられる本でした。     
 今回紹介した本は、人生の教訓、そして生きていく糧になる本で
した。

*WGIP:War Guilt Information
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