東日本大震災は未曽有の被害をもたらしました。そうした中、
10月1日付けの中日新聞の記事が、大変気になっています。その
記事を紹介しながら、私の考えを述べさせていただきます(なお、
引用した記事については、「 」書きとします)。
「3月11日の地震で、福島県須賀川(すかがわ)市にある藤沼
湖(貯水池・約20ヘクタール)のダムが決壊した。水は同市西部
の長沼地区を直撃し、住民7人が死亡、1人が行方不明になった。
津波や原発事故の陰に隠れ、注目を引かなかったが、人命や家が失
われた点では、他の被災地と変わらない。現地では半年以上たった
現在も、復旧工事が進まず、補償をめぐってダムを管理する土地改
良区の組合と被災者たちの確執も生まれている。」というものです。
満水時の150万トンに近い水が一気に流れ出したということです
から、まさに、もう一つの「津波」が山の中で発生したのです。灌
漑(かんがい)用のダム湖、いわゆるため池の決壊により、大きな
被害が発生しました。
長野市は、海に面していないので、津波の影響はまず受けません。
地震や地滑りが恐ろしいのは当然のことですが、ため池が点在する
長野市にとって、このため池が決壊するとなると、さらに恐ろしい
ことになるのではないかと以前から思っていました。
昔、飯綱高原の大座法師池のそばに「論電ケ(谷)池(ろんでん
が(や)いけ)」というため池があったことを記憶している人もい
らっしゃると思います(子どもの頃、あの池でカエルを捕まえて遊
んだ記憶があります)。その論電ケ池が決壊し、下流の地域に大き
な被害があったと聞いたことがあります。調べてみましたら、決壊
したのは、1939(昭和14)年4月15日。雪解けの増水で堤
が決壊し、その濁流は浅川流域の中曽根地区などの集落を襲い、死
者19人、流失家屋9戸、浸水家屋83戸、20ヘクタール以上の
田畑が土砂に埋まる被害を出しました。その後、池は埋め立てられ、
現在はアメリカンフットボールのグラウンドになっています。
こうしたことからも、市内にたくさんあるため池がどうも危ない
のではないかと心配になるのです。
ため池は、水田の用水不足解消などを目的に、古代から築造され
長い歴史があります。農林水産省の「ため池台帳」によると、ため
池は全国に約21万カ所あり、受益面積が2ヘクタール以上あるた
め池は約6万5,000カ所で、そのうちの約75%に当たる約4
万8,500カ所のため池が江戸時代以前に築造されたとあります。
耐震設計基準が定められたのが1950年代とのことですから、相
当数のため池が基準外ということになります。藤沼湖も、1949
(昭和24)年に築造されたそうです。
要は、農業用ダム・ため池の大多数が、コンクリートなどを使っ
て現代の土木技術を駆使して築造された安全な物ではないというこ
とです。単に土を盛ってあるだけの物(アースフィルダム)が多く、
同様の物は長野市内だけでも、190ぐらいあるとのことです。
また、その記事によると、決壊した藤沼湖(ダム)の管理者であ
る江花川沿岸土地改良区は、被災した人たちへの補償金について、
「被災者が求めている金額はとても払えない」とのことです。
ただ、震災後に「藤沼湖を調査した福島大の川越清樹准教授(流
域環境システム)は、『専門家の間でも、ダムが決壊することは想
定されていなかった。これだけ大きな揺れがあった中で、他に決壊
した場所はないので、藤沼湖のケースは未曽有の現象だったと考え
られる』」と言っておられます。また、「震災後、農林水産省が調
べたところ、全国1765カ所の農業用ダム・ため池で損壊があっ
たとはいえ、大半は小規模。世界的に見てもダムが決壊した例は
1930年以降、報告がない」とのことですので、地震によるため
池の決壊は、それほど心配しなくてもよいのかもしれません・・・。
しかし、川越准教授は、「21万カ所すべてを調べるのは難しい
かもしれないが、アースフィルダムを中心に老朽化しているものも
少なくない。今回の震災を機に、調査を進めていく必要がある」と
も言っておられるので、現に「論電ケ池」が決壊したことを思うと、
やはり心配になります。
そういえば先日、大座法師池に行った時、池の水が抜かれていま
した。友人に聞いてみると、池の水をいったん全部抜いて、すみつ
いてしまった外来種のブラックバスを退治し、その後ワカサギを育
てたいとのことでした。ただ、池の泥が深いのでブラックバスを根
絶やしにできるかどうか、その友人は心配そうでした。
何とかうまくいって、以前のようにワカサギ釣りを楽しむことが
できるようにしたいものです。そうすれば、飯綱高原の魅力が、も
う一つ増えると思います。
それにしても、大座法師池も農業用のため池ですから、受益者の
農家が減っているだけに、メンテナンスもなかなか大変だなあと思
いました。
農業の話題としては、今年から新規事業として立ち上げた「長野
市新規就農者支援事業」に応募して、新たに就農を目指す皆さんを
お呼びし、10月14日に「ながの農業再生塾第1回交流会」を開
催しました。この会は、意見交換を通じ相互の連帯感を強めること
を目的に開催したものです。
これまで長野市では、農業の後継者を育てるために「就農促進奨
励金支給事業」として奨励金(10万円または5万円を1回限り)
を過去10年間で100人以上の人にお渡ししています。その皆さ
んが現在も農業を継続しているのか調べたところ、ほとんどの人が
現在も農業に従事して頑張っていることが分かりました。それなら
ば、就農支援をもう少し強化しようということで立ち上げたのがこ
の新規就農者支援事業で、研修費として最長で3年間月額10万円
以内を助成、営農資金として2年間月額10万円または5万円を助
成、そして里親農家への支援の三つを柱とした支援策です。特に研
修費助成は、農業大学校などへの研修を義務付けているもので、こ
の事業の特徴です。助成対象者は現在12人で、そのうちの11人
にこの交流会に参加していただきました。その他、農業委員さん、
農協関係の皆さん、そして長野市農業青年協議会の皆さんなどにも
ご参加いただきました。
まず、新規就農者の皆さんの農業にかける強い志を表してもらお
うと、巻物にそれぞれ名前を筆書きしてもらいました。「血判書」
といっては大げさかもしれませんが、書き入れられた11人の皆さ
んのお名前を拝見したとき、皆さんの熱い思いを感じました。
その後、新規就農者の皆さんからそれぞれ現況報告をしていただ
きました。「無農薬栽培を研究している」「耕作面積を増やしたい」
「販路を確立したい」、中には「今年の売り上げから、消毒代、パ
ート賃金などを差し引いたら10万円の赤字になった」などさまざ
まな報告がありました。こうした報告に対し、農業の大先輩である
農業委員さんや農協関係の皆さんから意見や助言がありましたが、
「農業は甘いものじゃない」「もうけを考える前に、まずは技術を
習得すること」といった手厳しい意見も出ました。しかし、こうし
た意見も親心からだと思います。新規就農者を応援しようという気
持ちは皆さん一緒です。
いずれにしても、こうした交流会を定期的に開催し、技術や販売
に関する情報の交換、そして時には、困ったことや不安に思ってい
ることを相談することなどは大切だなあと感じました。一方、新規
就農者がスムーズに農業の世界に入っていけるような、受け入れ側
の環境づくりも、重要であると考えていますし、少し心配でもあり
ます。
ちなみに、こうした新規就農者への支援事業について、先ごろ農
林水産省が、「新規就農総合支援事業」として来年度予算の概算要
求をしました。長野市が国に先駆けて支援事業を実施しているわけ
で誇らしいことですが、こうした国の事業や県事業も有効に取り入
れ、支援体制をより強固なものにしていきたいと考えています。最
終的には、年間30人、10年間で300人の新規就農者を確保で
きれば、持続可能な長野市の農業が確立できるかなあと思っていま
す。来年1月にも本年度3回目の募集を行う予定で、今後も農業政
策の目玉事業として積極的に取り組んでいきたいと考えています。
2011年10月27日木曜日
もう一つの津波~ため池、決壊
2011年10月20日木曜日
秋のイベント 花盛り
今年は、松代が生んだ偉人・佐久間象山(1811~64)の生
誕200年に当たります。
前回のかじとり通信で、童門冬二先生に、かつて佐久間象山の本
を書いてほしいとお願いしたエピソードに少し触れましたが、10
月8日・9日に開催された「松代藩真田十万石まつり」も、佐久間
象山生誕200年記念にふさわしい趣向を凝らした祭りとなりまし
た。
9日に開催された祭りのメーン行事である「真田十万石行列」の
出陣前のイベントでは、東京都板橋区の西洋流火術鉄砲隊保存会の
皆さんによるオランダ式砲術演武が披露されました。1841(天
保12)年に、現在の板橋区高島平で砲術家・高島秋帆(しゅうは
ん)により国内初のオランダ式銃陣演習が行われ、それを再現しよ
うと結成されたのが同保存会です。天保時代当時を思わせる洋風の
軍服を着ての実演でした。佐久間象山の砲術の師である江川英龍
(ひでたつ)が高島の弟子であったことが縁となり、今回ご参加い
ただいたとのことで、会場となった松代城跡二の丸公園に火縄銃の
音がとどろき、その迫力に圧倒されました。保存会の人の解説によ
ると、当時の西洋と日本の戦術の違いは、西洋は、銃の弾から体を
防御することよりも機敏に動くことを重視したため服装は軽装で、
それに対して日本は、重装備。こうした西洋の考え方、戦術を日本
で初めて取り入れたのが高杉晋作で、高杉は奇兵隊を創り出したと
のことでした。
真田十万石行列でも、今年は佐久間象山隊が組まれ、門下生の坂
本龍馬、勝海舟に扮(ふん)した皆さんも加わり、総勢約300人
が秋の城下町を練り歩きました。佐久間象山役は、長野商工会議所
の加藤会頭さんで、普段掛けている眼鏡を外し、口ひげを付けた加
藤さんは、何となく肖像画で見る佐久間象山に似ていました。そこ
まで見越しての人選であったかは分かりませんが、当の本人はくし
ゃみの連発。付けひげで鼻元がくすぐったかったようで、偉大な佐
久間象山になりきるのは大変だったようです。
行列には、前述の板橋区西洋流火術鉄砲隊保存会の皆さんも参加
し、バグパイプや小太鼓の音が小気味よく城下町に鳴り響き、祭り
ムードを盛り上げていました。その他、戦国ブームを反映して、そ
れぞれ好みの甲冑(かっちゅう)を身にまとった「戦国武将あこが
れ隊」も、沿道の皆さんに大変人気でした。あこがれ隊の皆さんの
多くは、厚紙などで甲冑を自作したとのことでしたが、立派な甲冑
でした。
もちろん、行列には、真田家歴代藩主の隊も組まれ、7代藩主幸
専(ゆきたか)隊、8代藩主幸貫(ゆきつら)隊、9代藩主幸教
(ゆきのり)隊も登場しました。私も7代藩主幸専に扮して馬に乗
り、松代の城下町を練り歩きました。8代藩主幸貫には真田家14
代当主の真田幸俊さんが扮して騎乗され、沿道から大きな声援を受
けていました。それにしても、幸俊さんの乗馬姿は本当に様になり
ます。さすが、「お殿様」です。
午後1時に松代城跡太鼓門を出発した行列は、途中30分ほどの
休憩を挟んで、午後4時に松代城跡に戻りました。「市長さん、お
疲れさま。大変でしたね」と何人もの皆さんから声を掛けていただ
きました。馬に乗っているだけだから楽だろうなんて言わないでく
ださい。体力には自信のある私も馬を下りるのがやっとなぐらい疲
れました。しかし、一番疲れたのは、やはり「槍(やり)振り隊」
の皆さんではないでしょうか。主に20代から30代で結成する地
元の「槍振り隊保存会」の皆さんが、この祭りに向けて練習を積ん
でいらっしゃることは新聞記事で知っていました。いくら若い皆さ
んとはいえ、先端に大きな毛を付けた長さ3メートルほどの槍を、
向かい側の隊員に投げ渡すのですから、大変です。今回私の隊の前
がちょうど槍振り隊でしたので、ずっと後ろから見ていましたが、
やはり沿道のお客さんの注目度はとても高く、槍振り隊が近づくと
大きな拍手で迎えていました。まさに、祭りの花形で、勇壮な演技
は、素晴らしかったです。
その夜は、更北地区の八幡原史跡公園で恒例の「川中島古戦場ま
つり花火大会」が開催されました。少し肌寒くも感じましたが、会
場には多くのお客さんが詰め掛け、屋台も50店は出ていたでしょ
うか。とにかく盛況でした。特に、花火が連続で打ち上げられるス
ターマインを多くのお客さんが楽しみにしているようで、打ち上げ
後は一層大きな拍手が沸き起こっていました。また、軽快な音楽と
花火が共演するミュージックスターマインも圧巻でした。「花火は、
多くのお客さんを引き付ける魅力を持っているなあ」と、あらため
て感じました。
前日の8日に、2011篠ノ井イヤー事業として、篠ノ井駅前で
松本蟻ケ崎高校書道部の皆さん24人による書道パフォーマンスが
行われました。第4回書道ガールズ甲子園で見事3位に輝いた“書
道ガールズ”のパフォーマンスを一目見ようと、開始時刻が近づく
につれ、会場には多くの人が集まり、地面に敷かれた大きく真っ白
な紙の周りには二重三重に人垣ができました。
うわさの書道パフォーマンスは、私がイメージしていたものとは
かなり違っていて、紙の周りをぐるりと囲んだ書道ガールズが、金、
銀のボンボンを両手に軽快なリズムの音楽に合わせステップを左右
に踏む中、1人または2人が交代しながら書き、最後は、墨を含む
と10キログラム以上あるという大筆で一気に書き上げるというも
のでした。若さあふれる元気いっぱいの華やかな書道パフォーマン
スに、集まった皆さんから拍手喝采が沸き起こりました。篠ノ井は、
有名な書家・川村驥山(きざん)が晩年を過ごしたゆかりの地です。
「書のまち篠ノ井」を盛り上げる企画としては、大成功だったので
はないでしょうか。
同じ日、エムウェーブ前の広場では、「2011長野市農業フェ
アinエムウェーブ」が開催されました。
この行事も毎年恒例になっており、多くのお客さんが集まってい
ました。出店している農業関係の団体も、単に農産物や商品の宣伝
をするだけでなく、ある程度その売り上げにも貢献しているのでは
ないかと感じました。
農産物の販売促進を図るには、現段階では、篠ノ井の軽トラ市、
TOiGO(トイーゴ)広場の「ザ・ぎんざ・にぎわい市」などと
いったような“市”やイベントを各地で定期的に開催し、定着させ
ていくことが一番効果的なのかなあと思っています。
少し前になりますが、中心市街地でも秋のイベントとして9月3
日に「ながの大道芸フェスティバル」、9月23日~25日に「T
OiGO 秋祭り」、10月2日に「2011善光寺表参道秋まつ
り」が開催されました。
「ながの大道芸フェスティバル」と「2011善光寺表参道秋ま
つり」は、歩行者天国となった中央通りなどで、長野市中央通り活
性化連絡協議会や長野商店会連合会などが主体となり実施され、
「TOiGO 秋祭り」は、地元商店会などが主体となり、TOi
GO広場を中心に行われたイベントです。
この中でも「ながの大道芸フェスティバル」は、一番古くから開
催されているイベントで、今回が14回目となります。私も様子を
見に出掛けてみましたが、市民の皆さんにもすっかり定着してきた
ようで、多くの人出がありました。大道芸の芸人さんに話を聞くと、
「長野のお客さんがうまくなった」という言い方をされていました。
お客さんが長野の大道芸を育てている、また、お客さんが「投げ銭」
をすることにかなり慣れてきたともおっしゃっていました。
長野の秋祭りが、本当に盛んになってきています。市民の皆さん
が、一生懸命長野市を盛り上げるために、頑張っています。
以前から、「長野市では、毎日どこかで何かやっているよ」、そ
んなイベント都市にしたいと思っていました。一歩ずつ実現に近づ
いているように感じています。
2011年10月13日木曜日
新たな発見、木曽義仲ゆかりの地
「アート&グルメ ふれあいの町」をキャッチフレーズに、本年
度イヤーキャンペーンを実施している信州新町。ジンギスカン料理
は有名ですし、琅鶴(ろうかく)湖畔の美術館や化石博物館は皆さ
んもご存じのことでしょう。今夏、「ろうかく湖 とうろう流しと
花火大会」に出掛けましたが、花火はもちろんのこと、犀川の水面
を渡る灯籠も幻想的でとても素晴らしかったです。そんな信州新町
で、新たな発見をしました。
10月1日・2日、木曽義仲にゆかりのある地域の皆さんが全国
から信州新町に集い、「義仲・巴(ともえ)全国連携大会」が2日
間の日程で開催されました。信州新町イヤーのこの機会にぜひ開催
しようと、関係の皆さんが決意したとのことです。イヤーキャンペ
ーンを盛り上げよう、活用しようという地区の皆さんの熱意が感じ
られ、とてもうれしく思いました。
木曽義仲というぐらいですから、木曽地方が義仲ゆかりの地であ
ることは以前から知っていましたが、信州新町に関係があるとは、
申し訳ありませんが知りませんでした。大会パンフレットなどから
その由縁を紹介します。
源頼朝・義経のいとことして現在の埼玉県嵐山町で生まれた義仲
は、木曽で育ち、上田市丸子で旗揚げし、力を蓄え信濃の豪族を糾
合し、平家と戦いを繰り広げました。破竹の勢いの義仲に対し、危
機感を募らせた頼朝は、義仲の子を人質に出すよう命じ、義仲は和
睦のために涙をのんで我が子を父の仇敵(きゅうてき)の子・頼朝
に差し出すといった内輪の争いもありました。しかし、有名な倶利
伽羅峠(くりからとうげ)の戦いで、牛の角に松明(たいまつ)を
付け、敵を谷に突き落とす奇策で平家に大勝した後、北陸路を攻め
上り、一時都を占拠して、天下を取りました。その後、頼朝の命を
受けた義経に攻められ、滋賀県大津市粟津が原の地で戦死しました。
信濃から大勢の人々が家臣団として参加していて、信州新町からも
義仲に付き従う者があり、義仲討ち死に後、家来の竹村氏が義仲の
守護仏である旭観音を信州新町に持ち帰り、同町越道の玉泉寺にま
つったと言い伝えられているということです。
長野市内には義仲にまつわる場所がいくつかあります。
鬼無里地区の「木曽殿アブキ」もその一つで、裾花渓谷の清水川
に面した間口60メ-トル、奥行き20メートルの大岩窟のことで
す。その昔、義仲が兵馬300を休めた場所といわれ、また義仲が
討ち死にした後、次男の義重が再挙を企てた場所ともいわれていま
す。
また、篠ノ井地区には、旗揚げ後の戦いとなった「横田河原の戦
い」の際に義仲が陣を敷いた「横田城跡」があります。この戦いで
大勝した義仲は、その後次々と勝利を重ね都へ上りました。
ちなみに、当日義仲ゆかりの地からお集まりになったのは、富山
県、福井県、埼玉県や県内の木曽町、鬼無里地区などの17団体の
皆さんです。私は開会式に参加しましたが、開会式前には、長野県、
富山県、石川県、埼玉県の関連のある34の自治体で構成する
「『義仲・巴』広域連携推進会議」が開催され、今後、ゆかりの地
同士が連携を深め、広域的に観光PRをしながらNHKの大河ドラ
マの誘致活動にも力を入れていくことを決めました。
今回の全国連携大会に引き続き、10月23日には、富山県小矢
部市で「義仲・巴顕彰シンポジウム」が開催されます。また、富山
県のホームページに、「まんがでわかる義仲・巴と越中武士団」が
掲載されていることをお聞きし、「県の公式ホームページにまんが
?」と思いながら、ちょっとのぞいてみました。冒頭、石井富山県
知事のメッセージがあり、そこには「これまで逆賊、乱暴者のイメ
ージで語られがちだった義仲は、実は情に深く、また、飢饉で餓死
者が出るなど、都が混迷し地方が疲弊するなか、公家政治から武家
政治への転換期に国を変えようと地方から身を起こした魅力的な武
将であった」とありました。郷土のヒーロー義仲を広く全国に発信
しようという熱の入れように、こちらも負けてはいられないなあと
感じた次第です。
思えば、義仲軍が、信濃から北陸、そして、京に至る進軍路は、
これから延伸する北陸新幹線のルートと重なります。義仲・巴に結
ばれる新たな交流軸の予感がしますね。
実は、その日のお昼に、前述の玉泉寺住職の笠原さんにご案内い
ただき、田中木曽町長さん、当日記念講演をしていただいた作家の
童門冬二さんと信州新町の食堂でおいしいおそばを頂きながら、歓
談しました。
私は何度か童門先生とお会いしたことがあります。皆さんもご記
憶のことと思いますが、松代をもっと売り出そうと、平成16年に
「エコール・ド・まつしろ2004」を開催しました。その際、松
代を売り出す良い手段はないものかといろいろ考えた末に、「佐久
間象山について、どなたかに本を書いてもらおう」と思い立ち、童
門先生にお願いしたことがきっかけです。もちろん、本も書いてい
ただきましたが、松代へもその後何度かお越しいただき、今も「ふ
るさとNAGANO応援団」にお入りいただいています。
今年童門先生は、私と一回りちょっと違う84歳ということでし
たが、久しぶりにお会いした先生は、とてもお元気で、食事をしな
がらお聞きした豊富な知識や情報に、ただただ感服するばかりでし
た。
童門先生の記念講演は、開会式の後に同じ会場の信州新町体育館
で行われました。関係者も含めると約400人の皆さんがお集まり
になり、童門先生の講演を楽しみにしていることがよく分かりまし
た。私は開会式で祝辞を申し上げ、その後別の公務が入っていたの
で、開会式終了時点で退席させていただきました。童門先生の講演
やその後の研究発表などを聞きたかったのですが、後ろ髪を引かれ
る思いで車に乗り込みました。
ちなみに、童門先生はキャラクターグッズがお好きなようで、信
州新町イヤーのキャラクターで使われている羊の「めんこちゃん」
のピンバッジを差し上げると、とても喜んでいらっしゃいました。
それならばと、篠ノ井イヤーのPRも兼ねて、キャラクターの「お
しのちゃん」のストラップもお渡しした次第です。
大会は、その後、夜に交流パーティーがあり、2日目は、玉泉寺
の参拝や、県指定史跡の牧之島城跡、今井神社などを巡り、終了し
ました。参加された皆さんに、とても好評であったと聞いています。
イヤーキャンペーンをきっかけに、地区の皆さんが自分たちの住
む地区の素晴らしさ、豊かさ、そして食べ物であったり、名所・旧
跡であったり、今回のような物語であったりと多くの資源を発信し、
地区に元気と活力をあふれさせることはとても重要なことだと考え
ています。自分たちの地区に自信を持つ元気な皆さんの顔を見るた
びに、イヤーキャンペーンをやってよかったなあと心からうれしく
思います。
今回の大会のオープニングアトラクションで、信州新町出身の観
世流能楽師・古川充(みつる)さんによる能が演じられ、10月4
日には、古川さんご本人が、後援者のお二人と一緒に、市長室にお
越しくださいました。
古川さんは、大学在学中に能と出会い、卒業後、観世流(シテ方)
能楽師に弟子入りされ、厳しい修行を積まれました。現在は、東京
都内と信州新町に稽古場を持ち、信州新町には、月2回帰ってこら
れて、地元の大人はもちろん、子どもたちにも謡曲の指導をされ、
地域発の伝統芸能継承を実践されています。野村萬斎さんの活躍で、
最近は能より狂言が人気とのことですが、古川さんの能は、全国か
ら公演依頼の声が掛かるほどで、将来を嘱望されている能楽師であ
るとのことです。後援者のお話では、長野市出身で、東京で活躍し
ている能楽師は古川さんだけとのことでした。
11月20日には、古川さんがお越しになって「第2回信州新町
能」が公演されますので、ぜひ、この機会に多くの皆さんに信州新
町にお出掛けいただければと思います。
2011年10月6日木曜日
長野市選出県議会議員との懇談会
長野市選出の県議会議員さんは10人いらっしゃいます。9月
26日、県議会開会中にもかかわらず、このうち9人の議員さんに
ご出席いただき、本市が抱える課題に係る要望と意見交換をさせて
いただきました。本市からは、市議会の正副議長さん、副市長、教
育長、上下水道事業管理者、各部局長、関係課長が出席しました。
開会に当たり、私と石田治一郎県議会議員さんがそれぞれを代表
してあいさつをした後、本市から要望事項として、以下の8項目を
提出しました。
(1)長野県短期大学の4年制大学への移行後の大学像について
長野県短期大学の4年制大学移行に当たって、魅力ある大学を目
指すとともに、平成24年度末に閉校予定の後町小学校敷地活用の
検討を求めたものです。
7月に県の「長野県短期大学の将来構想に関する検討委員会」か
ら「長野県短期大学を改組し、新たな公立4年制大学への転換が必
要」との結論が県知事へ報告され、知事は最大限これを尊重すると
発言されました。今後、県において具体的な学部学科、運営体制、
規模などの基本構想策定に向けた検討が行われるとともに、大学開
学のための組織づくりが進められると思います。そこで、本市とし
ては、若者が街なかに集い、行き交うことで新たなにぎわいが生ま
れ、活気に満ちあふれる街とするためにも、閉校後の後町小学校敷
地の活用について前向きにご検討いただきたいと要望しました。そ
して、本市も長野県短期大学の所在地として最大限の協力をしてい
きたいとお伝えしました。
(2)サッカースタジアムの整備について
JFL(日本フットボールリーグ)のAC長野パルセイロは、現
在18チーム中単独2位と大健闘しており、J2への昇格条件の一
つである「JFLシーズン4位以内」も現実味を帯びてきました。
しかしながら、「ホームゲーム1試合平均観客数3,000人以上」
や「Jリーグの基準を満たすサッカースタジアム(収容能力がJ2
では1万人以上、J1では1万5,000人以上など)の確保」と
いった昇格条件を満たしていないことから、たとえ4位以内を確保
してもJ2に昇格することはできない状況にあります。
同じJFLの松本山雅FCにはJリーグの基準を満たす県営のホ
ームスタジアム“アルウィン”があることから、スポーツによる長
野県の振興に向けた北信地域の核として、Jリーグの基準を満たす
サッカースタジアムの整備を要望しました。
もちろん、勝負事ですから、今後どんな展開になるか予測はでき
ませんし、来季以降のことなど全く分からないことです。しかし、
長野市、そして北信地域から、Jリーグで活躍するチームが誕生す
ることは、多くの市民の皆さんが望んでいることでしょうし、長野
市としてもぜひ実現したいプロジェクトです。
(3)北陸新幹線の延伸に伴う要望について
一つ目は、平成26年度に金沢市まで延伸される北陸新幹線の名
称についてです。本年5月に、県内沿線31市町村で構成する北陸
新幹線長野県沿線広域市町村連絡協議会が、「長野」を入れた呼称
とすることを求める決議をし、国やJR東日本へ要望書を提出して
いるほか、平成21年3月には長野県商工会議所連合会などの商工
関係団体がJR東日本に対し同様の要望をしています。これを受け、
県内の新幹線沿線市町村の総意として、「長野」を入れた呼称とす
るよう、県が先頭に立ちJR各社へ積極的な運動展開をするよう要
望したものです。
二つ目は、金沢延伸後にJRから経営分離される長野以北並行在
来線について、県において基本スキームの着実な推進が図られるこ
と、存続に要する費用が沿線市町の過度な財政負担とならないこと、
そして、利用促進につながる新駅の設置について県の積極的な支援
が得られることを要望したものです。新駅については、本年8月に
沿線地区などの皆さんから、JR北長野駅と三才駅間での設置につ
いて要望を頂いています。今後、本市において新駅の収支予測や建
設費などの調査を実施し、その有効性を確認していく予定です。
(4)公共交通網の充実について
最も基本的な社会基盤である公共交通が、利用者減少に伴う採算
性の悪化により衰退の一途をたどっており、各市町村は住民の生活
を支えるため、これまで以上に地域公共交通を確保・充実する施策
を展開していく必要があります。
そのためには、県による新たな財政支援制度の創設と、これまで
どおりの財政支援を要望するとともに、車両購入費などに対しても
現在の制度を拡充するなど積極的な財政支援を要望しました。
(5)新規就農者の確保・育成対策への支援拡充について
農業後継者・担い手不足に対する対策は喫緊の課題であり、本市
では本年度から、市内外から就農希望者を募り、農業の担い手を確
保・育成するため、研修費助成や営農資金助成を行う「新規就農者
支援事業」を先駆的に実施しています。しかし、現状ではこの制度
を利用した新規就農者数が年間目標に達していないことから、県農
業改良普及センターなどの関係機関やメディアを通して幅広く事業
の広報を行う必要があると考えています。
一方、新規就農者の育成に当たっては、国、県、市の連携が不可
欠であることから、県においても県農業大学校での実践学習や販売
・経営指導などの教育課程の充実のほか、県の「農業担い手育成基
金」および「里親農家への支援制度」の拡充を要望したものです。
また、国が検討している「新規就農総合支援事業」の平成24年度
からの着実な実施に向け、国への働き掛けを強く要望しました。
(6)野生鳥獣対策について
野生鳥獣対策としての防護柵設置事業に対しては、市内各地区か
ら事業実施の要望が多く出されています。しかし、活用している国
の「鳥獣被害防止総合支援対策交付金」については、平成24年度
以降の事業継続が不透明であることから、事業の継続と事業費の拡
充について、国へ強く要望していただくようお願いしました。
また、県の「野生鳥獣総合管理対策事業」のうち個体数調整事業
については打ち切り補助ではなく、実績(捕獲頭数)に応じた補助
金の交付と一頭当たりの補助金額の増額を要望したものです。
野生鳥獣捕獲については、狩猟者の労力や経費の負担が大きいた
め、県補助金に本市独自の嵩(かさ)上げを行っているのが現状で、
県の打ち切り補助に伴う本市の負担が非常に大きくなっています。
特に、本市の野生鳥獣被害の特徴として、イノシシによる被害が被
害総額の30%以上を占め、大変大きくなっています。これに対し
県の本年度予算は、ニホンジカ捕獲報奨金がイノシシ捕獲報奨金を
上回る状況になっており、ニホンジカ捕獲報奨金が前年度比約
1.8倍の1,500万円と増額であるのに対し、イノシシ捕獲報
奨金は、前年度比半減の85万円となっています。
一方、本市の本年度の県補助金の交付見込みは、ニホンジカは、
120頭の捕獲に対し、県補助は59頭分。これに対し、イノシシ
は、480頭の捕獲に対し、県補助は29頭分となっており、イノ
シシの捕獲頭数に対する県の補助が極めて少ない状況が分かります。
(7)県管理道路の整備促進について
県管理道路は、都市基盤の強化、広域連携による産業・経済の活
性化に極めて重要であり、その多くは震災対策緊急輸送路に指定さ
れているため、防災・減災の観点からもその整備は急務です。しか
し、本市内の県管理道路の改良率は、平成22年4月1日現在で、
県平均77.3%を大きく下回る70.1%であるため、渋滞対策、
交通安全対策を含めた重点的な整備を要望しました。
主な要望箇所としては、長野電鉄屋代線廃止に伴う代替路線とし
て、バスの定時運行が求められている国道403号について、関崎
橋東詰交差点改良、松代町岩野地区と若穂綿内地区の整備のほか、
本市の東外環状線の一部を構成する県道三才大豆島中御所線のエム
ウェーブから五輪大橋までの間について、早期4車線化と五輪大橋
の無料化などを要望しました。
(8)災害に強い県管理の砂防・河川施設の整備ならびに浅川治水
対策促進について
流域住民の生命・財産を守り、安全・安心な地域づくりを推進す
るため、県施工の基幹的な砂防、地すべり対策、河川施設整備など
について、一層強力な取り組みを要望しました。東日本大震災や栄
村を中心とした地震、また、各地で発生する集中豪雨により多くの
土砂災害や浸水被害が発生しており、本市においても、今後災害発
生が懸念されます。
県内の砂防・河川施設の整備率は依然として低く、さらに年々、
県の砂防・河川事業の予算額が急速に減少している状況です(砂防
事業は、ここ10年で半減となる約106億円。河川事業は、ピー
ク時の平成10年度の約2割に当たる約85億円)。
なお、浅川の主な内水対策である排水機(ポンプ)については、
平成28年度までに最低3基の増設を県に要望しました。また、内
水対策計画は、「千曲川の水位が計画高水位を超えないこと」を前
提に計画されています。しかし、既往最大流量となった昭和58年
9月の洪水に対応する千曲川河川整備の時期が明確になっておらず、
地元の皆さんは豪雨時の浅川の排水ポンプ停止に対し不安を抱いて
います。
以上、8項目の要望をさせていただきました。
その後、いろいろ懇談させていただきましたが、県議会議員の皆
さんからは、特に異論はなく、本市の要望実現に対し、ご努力いた
だけそうな雰囲気で、私は意を強くしたものです。なお、懇談の席
では、太陽光発電システムの設置場所として要望が強い荒廃農地の
利用についてや、県内の動物園で一番規模の大きい茶臼山動物園、
そして先日募集を行った住宅リフォーム補助金についても、意見交
換させていただきました。