2011年10月13日木曜日

新たな発見、木曽義仲ゆかりの地


 「アート&グルメ ふれあいの町」をキャッチフレーズに、本年
度イヤーキャンペーンを実施している信州新町。ジンギスカン料理
は有名ですし、琅鶴(ろうかく)湖畔の美術館や化石博物館は皆さ
んもご存じのことでしょう。今夏、「ろうかく湖 とうろう流しと
花火大会」に出掛けましたが、花火はもちろんのこと、犀川の水面
を渡る灯籠も幻想的でとても素晴らしかったです。そんな信州新町
で、新たな発見をしました。

 10月1日・2日、木曽義仲にゆかりのある地域の皆さんが全国
から信州新町に集い、「義仲・巴(ともえ)全国連携大会」が2日
間の日程で開催されました。信州新町イヤーのこの機会にぜひ開催
しようと、関係の皆さんが決意したとのことです。イヤーキャンペ
ーンを盛り上げよう、活用しようという地区の皆さんの熱意が感じ
られ、とてもうれしく思いました。

 木曽義仲というぐらいですから、木曽地方が義仲ゆかりの地であ
ることは以前から知っていましたが、信州新町に関係があるとは、
申し訳ありませんが知りませんでした。大会パンフレットなどから
その由縁を紹介します。

 源頼朝・義経のいとことして現在の埼玉県嵐山町で生まれた義仲
は、木曽で育ち、上田市丸子で旗揚げし、力を蓄え信濃の豪族を糾
合し、平家と戦いを繰り広げました。破竹の勢いの義仲に対し、危
機感を募らせた頼朝は、義仲の子を人質に出すよう命じ、義仲は和
睦のために涙をのんで我が子を父の仇敵(きゅうてき)の子・頼朝
に差し出すといった内輪の争いもありました。しかし、有名な倶利
伽羅峠(くりからとうげ)の戦いで、牛の角に松明(たいまつ)を
付け、敵を谷に突き落とす奇策で平家に大勝した後、北陸路を攻め
上り、一時都を占拠して、天下を取りました。その後、頼朝の命を
受けた義経に攻められ、滋賀県大津市粟津が原の地で戦死しました。
信濃から大勢の人々が家臣団として参加していて、信州新町からも
義仲に付き従う者があり、義仲討ち死に後、家来の竹村氏が義仲の
守護仏である旭観音を信州新町に持ち帰り、同町越道の玉泉寺にま
つったと言い伝えられているということです。

 長野市内には義仲にまつわる場所がいくつかあります。
 鬼無里地区の「木曽殿アブキ」もその一つで、裾花渓谷の清水川
に面した間口60メ-トル、奥行き20メートルの大岩窟のことで
す。その昔、義仲が兵馬300を休めた場所といわれ、また義仲が
討ち死にした後、次男の義重が再挙を企てた場所ともいわれていま
す。
 また、篠ノ井地区には、旗揚げ後の戦いとなった「横田河原の戦
い」の際に義仲が陣を敷いた「横田城跡」があります。この戦いで
大勝した義仲は、その後次々と勝利を重ね都へ上りました。

 ちなみに、当日義仲ゆかりの地からお集まりになったのは、富山
県、福井県、埼玉県や県内の木曽町、鬼無里地区などの17団体の
皆さんです。私は開会式に参加しましたが、開会式前には、長野県、
富山県、石川県、埼玉県の関連のある34の自治体で構成する
「『義仲・巴』広域連携推進会議」が開催され、今後、ゆかりの地
同士が連携を深め、広域的に観光PRをしながらNHKの大河ドラ
マの誘致活動にも力を入れていくことを決めました。
 今回の全国連携大会に引き続き、10月23日には、富山県小矢
部市で「義仲・巴顕彰シンポジウム」が開催されます。また、富山
県のホームページに、「まんがでわかる義仲・巴と越中武士団」が
掲載されていることをお聞きし、「県の公式ホームページにまんが
?」と思いながら、ちょっとのぞいてみました。冒頭、石井富山県
知事のメッセージがあり、そこには「これまで逆賊、乱暴者のイメ
ージで語られがちだった義仲は、実は情に深く、また、飢饉で餓死
者が出るなど、都が混迷し地方が疲弊するなか、公家政治から武家
政治への転換期に国を変えようと地方から身を起こした魅力的な武
将であった」とありました。郷土のヒーロー義仲を広く全国に発信
しようという熱の入れように、こちらも負けてはいられないなあと
感じた次第です。
 思えば、義仲軍が、信濃から北陸、そして、京に至る進軍路は、
これから延伸する北陸新幹線のルートと重なります。義仲・巴に結
ばれる新たな交流軸の予感がしますね。

 実は、その日のお昼に、前述の玉泉寺住職の笠原さんにご案内い
ただき、田中木曽町長さん、当日記念講演をしていただいた作家の
童門冬二さんと信州新町の食堂でおいしいおそばを頂きながら、歓
談しました。
 私は何度か童門先生とお会いしたことがあります。皆さんもご記
憶のことと思いますが、松代をもっと売り出そうと、平成16年に
「エコール・ド・まつしろ2004」を開催しました。その際、松
代を売り出す良い手段はないものかといろいろ考えた末に、「佐久
間象山について、どなたかに本を書いてもらおう」と思い立ち、童
門先生にお願いしたことがきっかけです。もちろん、本も書いてい
ただきましたが、松代へもその後何度かお越しいただき、今も「ふ
るさとNAGANO応援団」にお入りいただいています。
 今年童門先生は、私と一回りちょっと違う84歳ということでし
たが、久しぶりにお会いした先生は、とてもお元気で、食事をしな
がらお聞きした豊富な知識や情報に、ただただ感服するばかりでし
た。

 童門先生の記念講演は、開会式の後に同じ会場の信州新町体育館
で行われました。関係者も含めると約400人の皆さんがお集まり
になり、童門先生の講演を楽しみにしていることがよく分かりまし
た。私は開会式で祝辞を申し上げ、その後別の公務が入っていたの
で、開会式終了時点で退席させていただきました。童門先生の講演
やその後の研究発表などを聞きたかったのですが、後ろ髪を引かれ
る思いで車に乗り込みました。
 ちなみに、童門先生はキャラクターグッズがお好きなようで、信
州新町イヤーのキャラクターで使われている羊の「めんこちゃん」
のピンバッジを差し上げると、とても喜んでいらっしゃいました。
それならばと、篠ノ井イヤーのPRも兼ねて、キャラクターの「お
しのちゃん」のストラップもお渡しした次第です。

 大会は、その後、夜に交流パーティーがあり、2日目は、玉泉寺
の参拝や、県指定史跡の牧之島城跡、今井神社などを巡り、終了し
ました。参加された皆さんに、とても好評であったと聞いています。
 イヤーキャンペーンをきっかけに、地区の皆さんが自分たちの住
む地区の素晴らしさ、豊かさ、そして食べ物であったり、名所・旧
跡であったり、今回のような物語であったりと多くの資源を発信し、
地区に元気と活力をあふれさせることはとても重要なことだと考え
ています。自分たちの地区に自信を持つ元気な皆さんの顔を見るた
びに、イヤーキャンペーンをやってよかったなあと心からうれしく
思います。

 今回の大会のオープニングアトラクションで、信州新町出身の観
世流能楽師・古川充(みつる)さんによる能が演じられ、10月4
日には、古川さんご本人が、後援者のお二人と一緒に、市長室にお
越しくださいました。 
 古川さんは、大学在学中に能と出会い、卒業後、観世流(シテ方)
能楽師に弟子入りされ、厳しい修行を積まれました。現在は、東京
都内と信州新町に稽古場を持ち、信州新町には、月2回帰ってこら
れて、地元の大人はもちろん、子どもたちにも謡曲の指導をされ、
地域発の伝統芸能継承を実践されています。野村萬斎さんの活躍で、
最近は能より狂言が人気とのことですが、古川さんの能は、全国か
ら公演依頼の声が掛かるほどで、将来を嘱望されている能楽師であ
るとのことです。後援者のお話では、長野市出身で、東京で活躍し
ている能楽師は古川さんだけとのことでした。
 11月20日には、古川さんがお越しになって「第2回信州新町
能」が公演されますので、ぜひ、この機会に多くの皆さんに信州新
町にお出掛けいただければと思います。