東日本大震災は未曽有の被害をもたらしました。そうした中、
10月1日付けの中日新聞の記事が、大変気になっています。その
記事を紹介しながら、私の考えを述べさせていただきます(なお、
引用した記事については、「 」書きとします)。
「3月11日の地震で、福島県須賀川(すかがわ)市にある藤沼
湖(貯水池・約20ヘクタール)のダムが決壊した。水は同市西部
の長沼地区を直撃し、住民7人が死亡、1人が行方不明になった。
津波や原発事故の陰に隠れ、注目を引かなかったが、人命や家が失
われた点では、他の被災地と変わらない。現地では半年以上たった
現在も、復旧工事が進まず、補償をめぐってダムを管理する土地改
良区の組合と被災者たちの確執も生まれている。」というものです。
満水時の150万トンに近い水が一気に流れ出したということです
から、まさに、もう一つの「津波」が山の中で発生したのです。灌
漑(かんがい)用のダム湖、いわゆるため池の決壊により、大きな
被害が発生しました。
長野市は、海に面していないので、津波の影響はまず受けません。
地震や地滑りが恐ろしいのは当然のことですが、ため池が点在する
長野市にとって、このため池が決壊するとなると、さらに恐ろしい
ことになるのではないかと以前から思っていました。
昔、飯綱高原の大座法師池のそばに「論電ケ(谷)池(ろんでん
が(や)いけ)」というため池があったことを記憶している人もい
らっしゃると思います(子どもの頃、あの池でカエルを捕まえて遊
んだ記憶があります)。その論電ケ池が決壊し、下流の地域に大き
な被害があったと聞いたことがあります。調べてみましたら、決壊
したのは、1939(昭和14)年4月15日。雪解けの増水で堤
が決壊し、その濁流は浅川流域の中曽根地区などの集落を襲い、死
者19人、流失家屋9戸、浸水家屋83戸、20ヘクタール以上の
田畑が土砂に埋まる被害を出しました。その後、池は埋め立てられ、
現在はアメリカンフットボールのグラウンドになっています。
こうしたことからも、市内にたくさんあるため池がどうも危ない
のではないかと心配になるのです。
ため池は、水田の用水不足解消などを目的に、古代から築造され
長い歴史があります。農林水産省の「ため池台帳」によると、ため
池は全国に約21万カ所あり、受益面積が2ヘクタール以上あるた
め池は約6万5,000カ所で、そのうちの約75%に当たる約4
万8,500カ所のため池が江戸時代以前に築造されたとあります。
耐震設計基準が定められたのが1950年代とのことですから、相
当数のため池が基準外ということになります。藤沼湖も、1949
(昭和24)年に築造されたそうです。
要は、農業用ダム・ため池の大多数が、コンクリートなどを使っ
て現代の土木技術を駆使して築造された安全な物ではないというこ
とです。単に土を盛ってあるだけの物(アースフィルダム)が多く、
同様の物は長野市内だけでも、190ぐらいあるとのことです。
また、その記事によると、決壊した藤沼湖(ダム)の管理者であ
る江花川沿岸土地改良区は、被災した人たちへの補償金について、
「被災者が求めている金額はとても払えない」とのことです。
ただ、震災後に「藤沼湖を調査した福島大の川越清樹准教授(流
域環境システム)は、『専門家の間でも、ダムが決壊することは想
定されていなかった。これだけ大きな揺れがあった中で、他に決壊
した場所はないので、藤沼湖のケースは未曽有の現象だったと考え
られる』」と言っておられます。また、「震災後、農林水産省が調
べたところ、全国1765カ所の農業用ダム・ため池で損壊があっ
たとはいえ、大半は小規模。世界的に見てもダムが決壊した例は
1930年以降、報告がない」とのことですので、地震によるため
池の決壊は、それほど心配しなくてもよいのかもしれません・・・。
しかし、川越准教授は、「21万カ所すべてを調べるのは難しい
かもしれないが、アースフィルダムを中心に老朽化しているものも
少なくない。今回の震災を機に、調査を進めていく必要がある」と
も言っておられるので、現に「論電ケ池」が決壊したことを思うと、
やはり心配になります。
そういえば先日、大座法師池に行った時、池の水が抜かれていま
した。友人に聞いてみると、池の水をいったん全部抜いて、すみつ
いてしまった外来種のブラックバスを退治し、その後ワカサギを育
てたいとのことでした。ただ、池の泥が深いのでブラックバスを根
絶やしにできるかどうか、その友人は心配そうでした。
何とかうまくいって、以前のようにワカサギ釣りを楽しむことが
できるようにしたいものです。そうすれば、飯綱高原の魅力が、も
う一つ増えると思います。
それにしても、大座法師池も農業用のため池ですから、受益者の
農家が減っているだけに、メンテナンスもなかなか大変だなあと思
いました。
農業の話題としては、今年から新規事業として立ち上げた「長野
市新規就農者支援事業」に応募して、新たに就農を目指す皆さんを
お呼びし、10月14日に「ながの農業再生塾第1回交流会」を開
催しました。この会は、意見交換を通じ相互の連帯感を強めること
を目的に開催したものです。
これまで長野市では、農業の後継者を育てるために「就農促進奨
励金支給事業」として奨励金(10万円または5万円を1回限り)
を過去10年間で100人以上の人にお渡ししています。その皆さ
んが現在も農業を継続しているのか調べたところ、ほとんどの人が
現在も農業に従事して頑張っていることが分かりました。それなら
ば、就農支援をもう少し強化しようということで立ち上げたのがこ
の新規就農者支援事業で、研修費として最長で3年間月額10万円
以内を助成、営農資金として2年間月額10万円または5万円を助
成、そして里親農家への支援の三つを柱とした支援策です。特に研
修費助成は、農業大学校などへの研修を義務付けているもので、こ
の事業の特徴です。助成対象者は現在12人で、そのうちの11人
にこの交流会に参加していただきました。その他、農業委員さん、
農協関係の皆さん、そして長野市農業青年協議会の皆さんなどにも
ご参加いただきました。
まず、新規就農者の皆さんの農業にかける強い志を表してもらお
うと、巻物にそれぞれ名前を筆書きしてもらいました。「血判書」
といっては大げさかもしれませんが、書き入れられた11人の皆さ
んのお名前を拝見したとき、皆さんの熱い思いを感じました。
その後、新規就農者の皆さんからそれぞれ現況報告をしていただ
きました。「無農薬栽培を研究している」「耕作面積を増やしたい」
「販路を確立したい」、中には「今年の売り上げから、消毒代、パ
ート賃金などを差し引いたら10万円の赤字になった」などさまざ
まな報告がありました。こうした報告に対し、農業の大先輩である
農業委員さんや農協関係の皆さんから意見や助言がありましたが、
「農業は甘いものじゃない」「もうけを考える前に、まずは技術を
習得すること」といった手厳しい意見も出ました。しかし、こうし
た意見も親心からだと思います。新規就農者を応援しようという気
持ちは皆さん一緒です。
いずれにしても、こうした交流会を定期的に開催し、技術や販売
に関する情報の交換、そして時には、困ったことや不安に思ってい
ることを相談することなどは大切だなあと感じました。一方、新規
就農者がスムーズに農業の世界に入っていけるような、受け入れ側
の環境づくりも、重要であると考えていますし、少し心配でもあり
ます。
ちなみに、こうした新規就農者への支援事業について、先ごろ農
林水産省が、「新規就農総合支援事業」として来年度予算の概算要
求をしました。長野市が国に先駆けて支援事業を実施しているわけ
で誇らしいことですが、こうした国の事業や県事業も有効に取り入
れ、支援体制をより強固なものにしていきたいと考えています。最
終的には、年間30人、10年間で300人の新規就農者を確保で
きれば、持続可能な長野市の農業が確立できるかなあと思っていま
す。来年1月にも本年度3回目の募集を行う予定で、今後も農業政
策の目玉事業として積極的に取り組んでいきたいと考えています。