前回のかじとり通信の冒頭で、年末年始の報道について少し感想
を申し上げました。「これは」と思う内容のものがあまりなかった
のですが、それでも、新聞や本から得心したものが二つありました。
一つは、「鋭い痛みを伴う大怪我(けが)の治療に追われ、自覚
症状に乏しい深刻な病の進行を見逃していたようなものだ」という
ものです。「鋭い痛みを伴う大怪我」とは、東日本大震災のような
国民の生命を脅かす出来事などであり、当然こうした問題への対応
は最優先されるべきものです。それに対し、「自覚症状に乏しい深
刻な病」とは、日々の生活の中ではその変化の違いが分からない、
じわりじわりと進行している地球温暖化問題などを意味するものと
思います。
もう一つは、「ドイツのナチス党はクーデターで権力を奪ったの
ではない。極めて民主的と評されていたワイマール憲法の下で選挙
に勝ち、全権委任法を議会で制定して総統ヒトラーが誕生し、独裁
者になった。独裁を許したのは国民であった」というものです。
「なるほど、こういう見方もあるのか」と驚きを感じつつ読みまし
た。それでも自分なりに少し調べてみようと思い、「全権委任法」
についてインターネットで検索してみました。全権委任法とは、
「非常事態に立法府が行政府に立法権を委譲する法律。一般に、
1933年のドイツでヒトラー政権に立法権を委譲した法律を指す」
とあり、「独裁を許したのは国民であった」の意味がようやく理解
できました。
つまり、独裁といえども、それを許した国民の存在があったわけ
で、自覚症状に乏しい深刻な病の進行を見逃してきたからなのでし
ょう。自覚症状に乏しい深刻な病には、対症療法だけでは回復が困
難で、病にかからない体質へ改善すべく根本からの治療が必要なの
かもしれません。これができるかできないかも、われわれ一人一人
の意識にかかっているということなのです。
そして、その自覚症状に乏しい深刻な病の一つは、今、国民(政
治家も含め)が、ポピュリズムに陥っていることではないでしょう
か。国会は、党利党略、選挙対策ばかりで、民主主義の悪い面が出
ているように思えます。大衆迎合では、今の激動の時代を乗り切る
ことはできません。言葉の遊びはもうたくさんです。「決断と実行
」、今では懐かしい昔のキャッチコピーのような言葉です。
話は変わります。今、ヨーロッパの金融不安が深刻な状況となっ
ています。ギリシャ、イタリアなどのようにはなりたくない(でも、
旅行で訪れるには、楽しい国ですよね)。
お金の管理ができなければ、個人であれ、国家であれ、最終的に
は破綻し、他人や他国の助けを借りなければならないことになるで
しょう。「入りを量りて、出ずるを為す」は、どこの社会でも、当
たり前のことなのです。
ところで、以前からどうも分からないことがあります。歴史的な
円高が続いていることです。「日本の財政状況は最悪。イタリアよ
りも悪い」と言われながら、日本国債の金利は安く、「円」が高く
なる。なぜでしょう。
やはり、ヨーロッパを含めた世界の金融不安が深刻であることが、
円高の大きな要因ではないでしょうか。相対的に日本はまだいい。
そして、そうした中でも、やはり日本の実力は上がっている。そう
信じたいと思います。いずれにしても、日本の評価が高いというこ
とであり、それならば喜ぶべきではないでしょうか。1ドル360
円の時代を知っていますが、ニクソン・ショックでドルが安くなり、
「青年の船」に乗った時、船の中の両替所で、ある日1ドル180
円ぐらいになって、うれしかったことを思い出します。
そうであれば、日本がもう一段強くなる大きなチャンスを持った
ということでしょう。国としても、安くなったドルや海外資産を買
い込むチャンスですし、先日も、日本が中国の国債を買うことに合
意したとの報道もありました。円が安くなったら・・・、その時は
ドルや海外資産を売ることもできます。
しかし、こうした円高の中、その影響をまともに受けるのは、輸
出企業です。今、こうした企業は苦境に立たされています。日本で
のものづくりはもう無理だからと工場などの海外移転が進んでいま
す。実際、海外に工場を造って進出した企業をたくさん知っていま
す。昨年のタイの洪水では、現地の日本企業の工場も水害に遭い大
変だったわけですが、その映像を見て、日本企業が海外でものづく
りをしている実態をいや応なく実感させられました。
海外でのものづくりが進む要因は、円高だけではなく、人件費の
多寡、優秀な人材の確保、規制の程度などいろいろあり、利益を追
求する企業としては仕方のないことだと思います。しかし、アメリ
カがものづくりをやめて(すなわち、ものづくりを海外に移転して
)、金融大国になってしまった事実には、日本も注意しなくてはな
らないと思います。
このように日本の輸出産業が停滞する中、先日、ついに日本の貿
易収支が赤字に転じたという記事を見ました。しかし、「日本のG
DPの中で輸出が占める割合は、15~20%程度だから、大した
ことはない」とおっしゃる人もいますが・・・。
円高悪玉論ばかりが横行していますが、一方的な論調に翻弄(ほ
んろう)されるべきではないと思っています。歴史の中でも、世論
が思わぬ方向に傾いていった事実があるということです。
年末にテレビで見た日露戦争を描いた司馬遼太郎さんの「坂の上
の雲」の最終回に、こんな場面がありました。アメリカのセオドア・
ルーズベルト大統領の仲介で日露講和条約が結ばれた時、日本の新
聞は一社を除き、条約反対論を掲げ、それに呼応するような形で日
比谷焼き打ち事件などが起こった。また、当時講和交渉の全権大使
だった小村壽太郎外務大臣は、国賊とののしられ、命の危険すらあ
ったとのことです。
世論、それも、皆が一致して大合唱する時の危険性を感じていま
す。昔読んだ山本七平さんの本に、「全員一致の議決は、無効とす
る」といった文章を記憶しています。つまり、どんな正しい意見で
も、一つの意見には必ずその意見と矛盾するものを含むので、全員
一致はありえないということや、全員が一致してしまえば、その正
当性を検証する方法がなくなってしまい、したがって、誤りでない
ことを証明する方法がないから無効という考え方です。
いずれにしても、多様性を失った社会は脆弱(ぜいじゃく)化し、
やがて衰退していくのではないかと危惧しています。さまざまな意
見が飛び交い、活発に議論される社会こそが健全と言えるのではな
いでしょうか。