2013年6月27日木曜日

消防力の向上


 本当に早いもので、あの衝撃を受けた3.11東日本大震災と翌
日の栄村を中心とした長野県北部地震から、もう2年以上が経過し
ました。多くのボランティアの皆さんが支援活動で活躍され、また
長野市からも保健師や上下水道局職員、技術・事務職員、そして消
防局職員を被災地に多く派遣しました。特に、消防局職員は総務省
消防庁の要請により発生直後から東北地方に向かい、過酷で危険な
任務を全うしました。今回は、その「消防」に着目し、長野市の消
防・救急・救助分野の動きについて、過去1年間のトピックスを中
心にお話ししてみたいと思います。

 まずはハード面についてです。昨年の11月、エムウェーブ西側
に中央消防署東部分署を新設開署、中央消防署七二会分署の救急車
を高規格化、また、本年の2月には松代消防署若穂分署に高規格救
急車を配備しました(この車両はアステラス製薬株式会社から寄贈
されたものです)。この高規格救急車は、救急救命士による処置が
十分にできるように半自動式除細動器、自動人工呼吸器、自動心臓
マッサージ器などの救命用資器材を積載しています。また医師が同
乗して、車内で高度な治療をすることもできます。動く医療機関と
いうところでしょうか。医療機関から比較的距離のある中山間地な
どにお住まいの皆さんにとって、高規格救急車の配備は間違いなく
安心度の向上につながるものと思います。
 また、篠ノ井署にはポンプ付救助工作車を配備しました。これは、
消火活動と救助活動の両方の能力を兼ね備えた車両で、人命救助に
関する専門的教育を受けた隊員で編成された「特別救助隊」により
運用しています。
 また、本年3月には、大規模災害の発生懸念や東日本大震災など
の経験を踏まえ、緊急消防援助隊出動時の責務を果たすとともに、
通常災害時における消防力を補完するため、長野県の代表消防機関
である長野市消防局へ計3台の無償使用車両が、国から新たに貸与
されました。無線不感地帯の中継や災害現場の画像伝送を行う「無
線中継車」、消防活動やテントなどの必要な後方活動支援資機材を
搬送する「資機材搬送車」、および「人員輸送車」です。現在、既
に貸与を受けている、現場の活動拠点として使用する「支援車」お
よび「燃料補給車」と合わせ、計5台を運用しております。こうし
た一連のハード面の整備により、長野市の消防・救急・救助体制は
以前に増して向上したものと思います。

 さて、配置されている各種高性能な消防・救急車両を的確に運用
し、その性能を十分に引き出すためには、消防職員の日頃の訓練が
欠かせません。長野市では、今後発生が予想されている首都直下型
地震や連動型の海洋性巨大地震などに備えるとともに、増加の一途
である救急需要への対応を含め、総合的な消防力強化のために、昨
年度、長野市独自で救急隊員資格取得のための養成講習を行いまし
た。具体的には、信州大学医学部および附属病院、長野赤十字病院、
厚生連篠ノ井総合病院、厚生連長野松代総合病院、長野中央病院、
長野市民病院などの医療機関や長野市医師会、更級医師会の支援を
受け、高規格救急車などに乗車し、応急処置などを実施したり、救
急救命士が行う救急救命処置の補助をすることが許される救急隊員
30人の資格者を4カ月間にわたり、養成しました。この資格は、
救急救命士を目指すための最初の関門です。現在、長野市消防局に
は65人の救急救命士の資格を持つ救急隊員が現場で活動しており、
日々、市民の皆さまの要請に応えて出動しています。  
 救急救命士は、消防機関の場合は救急隊員として5年または
2,000時間の業務経験を積んだ後、救急救命士の養成所などで、
約7カ月間の研修を受け、国家試験に合格しなければなりません。
さらに、病院で160時間の実習を経て現場の業務に就きます。救
急救命士は、医師の具体的な指示により救急現場で点滴および特定
の医療用薬剤を使用したり、器具を使用した気道確保などの医療行
為を行うことができます。消防局では、毎年4人の職員を資格取得
のため研修所などに派遣していますが、この中で、東京都八王子市
にある一般財団法人救急振興財団 救急救命東京研修所第43期研
修生の一人として、昨年9月から本年3月まで派遣した畑大悟主査
(当時中央消防署に所属)は、大変に頑張ってくれて、全国から集
まった研修生299人中で上位3人の学業成績優秀者に選ばれ、優
秀賞として同財団から長野市に高度救急救命処置の訓練用資器材一
式が贈呈されました。長野県からの派遣生としては初めての快挙と
聞いています。今後は頂いた資器材を活用して、後進の育成指導に
大いに役立ててほしいと思っています。彼を含め4人の職員は4月
に国家試験に合格し、救急救命士の資格を取得しました。

 消防団などの皆さんが参加して行われる訓練のことについてもお
話ししましょう。
 6月1日、水防訓練が篠ノ井西横田運動場で開催されました。毎
年開催しているこの訓練には、今年、篠ノ井地区住民自治協議会を
はじめ、自主防災会、消防団、長野市建設業協会などから、420
人余りの皆さんが参加され、河岸を守るためのシート張り工法、木
流し工法などの設置訓練の他、さらに防災ヘリによる救助訓練など
も行い、本番さながらの緊張感のある訓練ができたと思いました。
閉会式の挨拶の中でも申し上げましたが、できれば訓練は訓練のま
まで終わってくれることが理想ですが、備えあれば憂いなしという
言葉のとおり、安全・安心の環境づくりのためには、こうした日々
の訓練が極めて重要・有効だと感じたところです。
 また、本年8月4日には、飯綱高原スキー場を会場に、消防団員
がその技能を競い合う「第55回長野県消防ポンプ操法大会・第
22回長野県消防ラッパ吹奏大会」が開催される予定です。
約3,000人近くが参加し、各地で勝ち抜いてきた皆さんが真剣
に競技する姿は素晴らしいものです。当日は放水による何本もの水
柱が立ち、一糸乱れぬラッパの音が山間に響き渡るでしょう。
 安全・安心のまちづくりは一朝一夕にできるものではありません。
関係者の皆さまはじめ市民一人一人が普段から防災意識を持ち続け、
不断の努力を怠らない結果として得られるものです。いざという時
に慌てないために、備えは万全にしたいと思っています。

2013年6月20日木曜日

権堂のにぎわい、ふたたび


 5月23日に、権堂B-1地区第一種市街地再開発事業の起工式
が行われました。
 同地区では、2007(平成19)年度から整備範囲や整備方法
などの検討を重ね、昨年6月に再開発組合を設立し、10月に権利
変換計画(再開発事業施行前の権利に代えて、施行後に新しい土地
・建物の権利を与えることです)の認可を経て、念願の起工式を迎
えることができました。
 いまさらこんなことを申し上げるのはどうかと思いますが、実は
この地区は、新市民会館を建設しようと考えていた場所でした。し
かし、諸事情から計画を変更し、新市民会館は現在の敷地で新市役
所第一庁舎と合築することになりました。紆余(うよ)曲折はあり
ましたが、権堂地区再生の新たな一歩を踏み出すことができ、本当
に良かったと感じています。完了予定は来年12月で、平成27年
のエポックイヤーをさらに盛り上げてくれることは間違いないでし
ょう。

 この事業は、権堂の東の玄関口であるこの場所に、施行区域面積
約0.6ヘクタール、南北2棟の再開発ビルと公共広場を整備する
ものです。北棟ビルは地上4階建てで、住民自治協議会事務局や長
野電鉄(株)の本社などが入り、「住民活動の拠点」の役割を担う
市民交流センターとして位置付けています。南棟ビルは地上14階
建てで、1階を店舗、2階以上を分譲マンションとすることで、
「まちなか居住」の促進を図ります。郊外からまちに人が集まる流
れに加え、まち自体に人が住むことが、まちを再生させる重要なポ
イントなのです。また、北棟と南棟の間には広場を整備し、市民が
交流できるイベントスペースや噴水テラスなどの設置を検討してい
ます。事業費は約47億円で、うち長野市は約8億円を補助し、そ
の他に約4億円の公益施設や広場整備の負担金を見込んでいます。

 再開発事業は、小規模な敷地の共同化により高度利用が図られる
とともに、民間活力により都市機能の向上を図る有効な手法です。
1990(平成2)年度に完成した北長野駅前B-3地区の「東急
ライフ」から始まり、2010(平成22)年度に完成した長野駅
前A-3地区まで、現在9地区の施行実績があります。まだ構想段
階ですが、権堂地区の皆さんの中では、さらなる再開発計画の話題
もあがっているようですし、もっと大きな構想を打ち出している人
もいらっしゃるそうです。

 権堂は、長野県随一の繁華街として発展してきました。しかし、
今はまち全体の活力の再生が必要な状況となってきています。そこ
で昨年度「長野市権堂地区再生計画」を策定し、権堂再生のテーマ
を「楽」とし、「情報発信拠点の整備」「市民交流ステーションの
整備」「劇場を核とした滞留空間の整備」の3事業を再生の柱とし
て位置付けています。
 この再開発事業が、中心市街地活性化と権堂地区再生計画の先導
的な事業となることを大いに期待していますし、権堂地区の発展は、
中心市街地、ひいては長野市全体の発展に欠かせないものと思って
います。

 こうした整備事業がスタートする中、5月22日、権堂アーケー
ド通り周辺の飲食店で、飲み歩き・食べ歩きイベント「ごんバル」
が盛大に開催されました。昨年の8月に初めて開催されて、今回は
4回目の開催です。チケット(前売り3,500円、当日
4,000円)の販売数は過去最多の1,090冊で、イベントの
魅力が広く知れ渡り、人気が上昇しているということでしょう。私
もチケットの販売開始から早々に購入し、長野商工会議所の皆さん
と夜の権堂に繰り出しました。

 最初に立ち寄ったお店は、古い蔵を改装して中庭にはテラス席が
置かれ、とてもしゃれた雰囲気で、仕事帰りの若い人たちが入れ代
わり立ち代わり席に着いて盛り上がっていました。特別メニューを
一品頂き、「さあ、次のお店へ」とアーケード通りを歩き始めたと
ころ、にぎやかな笑い声があちこちで聞かれ、途中にあったスポー
ツバーは、AC長野パルセイロの熱狂的なファンだという人たちで
あふれていました。私も引きずり込まれそうになりましたが・・・
アコーディオンの路上ライブも見掛けましたし、通行人が突然踊り
だす路上パフォーマンスもあったようです。あまり経験したことの
ない雰囲気を存分に楽しむことができました。

 「ごんバル」が大盛況の中、篠ノ井駅前でも「第4回しの駅バル」
が開催されることを聞き、市議会開会中でしたが6月12日に初め
て出掛けました。「ごんバル」に対抗して篠ノ井でもバルを開催・
・・と思っていましたらその逆で、始まりは「しの駅バル」の方が
「ごんバル」よりも3カ月早かったとのことです。「バル合戦」で、
さらにまちがにぎわえばうれしい相乗効果ですね。

 「ごんバル」が1日の開催であるのに対し、「しの駅バル」は8
日間の開催です。前回は2日間の開催でしたが、地域をより盛り上
げるために今回は期間を延長したとのことです。参加店舗18店で
使えるチケットを購入し、長野商工会議所篠ノ井支部の人たちと一
緒に参加しました。地区の役員さん、市議会議員さんなどと小料理
屋さんで軽く一杯飲んで、わいわいしゃべってから、歩いて3軒ほ
どはしごしました。今まであまり知らなかった方との出会いもあり、
こうした出会いがあちこちにあれば、新しいコミュニティーが生ま
れていくような感じがして、うれしかったです。

 酒がうまい、料理がおいしいと、個々のお店はなかなか魅力的か
つ個性的で、新たにお店を発見することができる「バル」の素晴ら
しさを実感しました。ちょっと感じたことは、料理屋さんや飲み屋
さんの位置関係が少し離れているせいでしょうか、ごんバルと比べ
ると、地域全体で盛り上がる雰囲気がちょっと足りなかったかな・
・・若者が路上で自由にパフォーマンスを繰り広げるようなハプニ
ングや仕掛けがあったり、会社の同僚で誘い合ったりして、バルの
参加者がもっと増えれば、夜の篠ノ井も盛り上がるだろうなあ・・
・そんな感想です。

 両バルとも、5回、6回と回を重ねるごとにさらに成長し、「バ
ルの開催が待ち遠しい!」そんな声がまち中にあふれ、まちの活性
化につながるイベントになることを期待しています。

2013年6月13日木曜日

監査委員、轟光昌さんの視察報告です


 以前かじとり通信で、若槻地区住民自治協議会の「コミわかグリ
ーン倶楽部」が積極的に取り組んでいる、遊休農地を活用した市民
菜園の運営が大変好評であることをお話ししました。同倶楽部の元
代表理事で長野市監査委員でもある轟光昌さんには、わざわざ市役
所までお越しいただき、市部局長に対して、同倶楽部の取り組みな
どについての勉強会も開催していただきました。
 先日その轟さんと、ある会合でご一緒させていただいた際に、
遊休農地の活用先進地を視察したお話をお聴きしました。とても素
晴らしいお話でしたので、ぜひメールマガジンで報告してほしいと
お願いしたところ、ご快諾いただけました。  
 ここからは、轟さんに報告していただきます。

「耕作放棄地『ゼロ』の村がある?!」
=東日本で一番人気の道の駅「田園プラザかわば」も経営=
 監査委員 轟 光昌

 耕作放棄地ゼロの村があると聞き、昨年11月、長野市農林部、
地域振興部の新進気鋭の若手職員2名と群馬県利根郡川場村を訪問
しました。谷田部兼光(やたべ かねみつ)副村長から2時間にわ
たり詳細な説明を受け、村内の複合施設や観光施設を視察しました。
                
○川場村の紹介
 川場村は、関越自動車道沼田インターチェンジから車で10分。
人口3,898人、面積85.79平方キロメートル(うち約86
%が森林)の自然豊かな農山村で、主産業の農業と観光に、環境を
合わせた村づくりを推進しています(川場温泉ほか4つの温泉が村
を潤しています)。世帯数は974世帯ですが、最近10年間で
47世帯増加したというから驚きです(平成22年10月1日時点)。
谷田部副村長から頂いた名刺には、キャッチフレーズ「田園理想郷
農業と自然の里『川場』」とありました。

○田園プラザかわば
 川場村の魅力を一堂に集めた総合複合施設で、敷地面積約5ヘク
タールの大型の「道の駅」です。プラザの土地と建物は村が所有、
運営は村も出資する「(株)田園プラザ川場」が行っています。建
物は全て木造瓦ぶきで(ガソリンスタンドも瓦ぶきです)、田園の
雰囲気が満喫できます。地場産の米類や野菜、フルーツ、食肉加工
品、手作り工芸品などを販売する「ファーマーズマーケット」、地
酒や漬物などの村の特産品が並ぶ「物産館」、地ビールが好評の
「川場ビールレストラン武尊(ほたか)」、石臼ひき地粉が自慢の
「そば処 虚空蔵」をはじめ、プラザ内にある「パン工房」「ミー
ト工房」「ミルク工房」などで生産される新鮮で良質な手作り製品
は絶賛されています。また、「体験工房」では、ジャムやコンニャ
ク作り、陶芸・木工体験も可能で、大勢の参加者がいました。
 また、敷地周辺の小山の一部には、ブルーベリーの木が2メート
ル間隔で整然と植えられていて、7~9月には観光客が散策しなが
ら自由に実を摘むことができて大変好評とのことです。

 訪問したのは平日でしたが、観光バスでの来場者も数多く、各館
とも満員で、レストランもお客さんが列を成していました。
 夕方もう一度立ち寄ると、ファーマーズマーケット内の商品は完
売状態で、さすが人気の道の駅です。年間観光客が100万人を超
える理由が分かりました(レジ通過客のみの集計で、テナント入場
者数を除いています)。

 地産地消を前提としており、特にここで取り扱っているブランド
米「雪ほたか」は、全国でも5本の指に入る人気米(魚沼産と同じ
コシヒカリ)。市場価格と比べて決して安くはありませんが(その
日の価格は5キログラム3,750円でした)、生産地と生産者が
確認でき、また山間地特有の寒暖の差が大きいことによる美味が高
く評価されて、毎日完売状態とのことです。私も購入し早速頂きま
したが、大変美味。
 ブランド米づくりや農産物直売所の運営などの取り組みにより、
耕作放棄の水田はゼロの状態で、急傾斜地の畑でのソバの栽培のみ
が苦労している模様でした。

 田園プラザかわばの存在は大きいもので、生産者自らが価格付け
をし、生産者名を貼り付けて持ち込むため、輸送費の低減と中間マ
ージンなしという点は、生産者にとって大きなメリットとなってい
ます。さらに個性味ある生産と、自分で行う価格設定は、やる気を
引き出すシステムで、村民に大変喜ばれています。「(株)田園プ
ラザ川場」にとっても、販売のみに注力でき利益率も上がる好循環
となっています。

 村内は大変きれいで、清潔感十分。道路沿いなどに外来植物の
「セイタカアワダチソウ」は皆無で、農家の境界沿いには、花(秋
につき菊の花)が植えられていました。景観条例が厳しく商業用看
板ゼロで、公共施設の案内板のみ。湧き水を求めて来村する人も多
いとのことです。
 キャッチフレーズ「田園理想郷」にたがわぬ美しい村づくりに村
民全体で取り組んでいることがよく分かりましたし、豊かな自然と
日本の原風景を求める観光客が殺到している状況を目の当たりにし
て、小さな村の取り組みに感動しました。

 特色のある観光施設も視察しました。
○世田谷区民健康村
 川場村は、東京都世田谷区と「縁組協定」を結んでいて、交流を
深めるなどの活動拠点としています。世田谷区と村の共同出資によ
る株式会社が運営し、建物は世田谷区所有、村には固定資産税相当
額が入る仕組みです。
 現在、春と秋の2回に分けて、世田谷区の小学校5年生全員が2
泊3日の移動教室に参加します。農業体験(農家の人が先生役です)
などを行い、64校の約7,000人を受け入れています。川場村
は世田谷から車で約2時間の距離ということもあり、土、日曜日は
区民の宿泊利用も多いとのことです。
 都市と農村の交流事業が31年を経過し、当初の行政レベルでの
交流から、文化、教育、スポーツ、産業、福祉など幅広い分野にお
ける村民と区民同士の交流へと発展し、つながりが生まれています。

○川場温泉かやぶきの源泉湯宿「悠湯里庵(ゆとりあん)」
田園風景が広がる川場村に懐かしい日本の原風景を再現したかや
ぶき家屋の湯宿で、民間事業者が経営し、宿泊棟は4棟で部屋は8
室です。1泊一人3万円ですが、稼働率は高く、約97%とのこと
でした。

 そのほか、「SL D51」プラス「助手席」(日本に2台のみ)
の乗車体験や子供向け鉄道模型(プラレール)で遊べる「ホテル
SL」、なでしこリーグ、少年少女、ユース利用のサッカー場(本
物志向で、あえて管理の大変な天然芝のサッカー場です)を視察し
ました。

 最後に、谷田部副村長についてお話しします。東京都職員で世田
谷区に出向し、健康センター、臨海学校、林間学校などの業務に長
く関わってきた方で、5年前に関清(せき きよし)村長に口説か
れて、副村長に就任されました。とても気さくな方で、「山間地だ
からこそおいしい米、野菜ができる」「山間地を逆手に取って事業
を進める。美しい田園の理想郷をこれからもつくり続けたい」「村
民は、老いも若きも元気。自信と誇りを持っている」と、村経営に
熱心に取り組む様子などを一生懸命話される姿は自信に満ち溢れて
いて、印象に残りました。

 以上が轟監査委員さんからの報告です。大変参考になりましたし、
長野市においても、このような取り組みが、それも住民自治協議会
が主体となってできれば素晴らしいことです。さしずめ、旧合併町
村の戸隠、鬼無里、大岡、信州新町、中条地区が候補ではないでし
ょうか。もちろん、松代、若穂地区なども有力です。住民自治協議
会と支所を中心に、企業も巻き込んだ組織の力も必要ですし、行政
が補助する仕組みも必要でしょう。そして何より、事業に果敢に取
り組む地域の中心人物、「リーダー」の存在が重要だと強く感じて
います。

*轟監査委員さんから視察の様子が分かる写真も頂きました。長野
市ホームページにある私の「フォトレポート」に掲載させていただ
きましたので、ぜひこちらもご覧ください。
http://www.city.nagano.nagano.jp/site/shicyo/69447.html 

2013年6月6日木曜日

魅力いっぱい、勝山市


 5月16日~17日、福井県勝山市で開催された北信越市長会に
出席しました。
 北信越地区(新潟・富山・石川・福井・長野の5県)の全市長が
一堂に会し、2日間の総会の中で、主に各市が抱える課題について
討議し、国への提言をまとめました。

 会場となった勝山市は、2007(平成19)年にアメリカの経
済誌「フォーブス」電子版の「世界で最もきれいなまち」ランキン
グで第9位に認定されたまちとのことで、すごいですよね。
 以前、勝山市にある越前大仏を見たことがあります。建立した人
は、勝山市出身で、大阪でタクシー会社を経営して財を成し、故郷
に大仏、お寺、博物館(外観は、立派なお城です)、ホテルなどを
次々と建てました。勝山市の山岸市長さんに聞くと、多分
1,000億円ぐらい勝山市に投資したとのことです(会社はその
後倒産したように聞いていましたが、現在息子さんの奥さんが社長
となり、立派に頑張っているとのことです)。大仏(奈良の大仏よ
り2メートル高いとのこと)とお寺は、その後臨済宗のお寺が引き
取り、宗教法人として経営しているそうで、ホテルは市が引き取り、
指定管理制度を利用して経営しています。以前来た時はブームが去
ったのか、ほとんど人けがなかったのに、このゴールデンウイーク
には、4千人が拝観したとのことです。名物・信仰の対象として復
活したのかもしれません。私は勝山市長さんに、「100年後は、
さらに素晴らしい資源になっているでしょうね」と話しました。

 そんな勝山市で今回新たな発見をしました。まずは、総会の合間
に視察でご案内いただいた福井県立恐竜博物館です。
 福井県といえば「恐竜」を連想する人も多いはずです。福井県で
は、1989(平成元)年から行われた発掘調査の結果、多くの恐
竜の化石が発見されました。博物館には恐竜の化石のほか、実物大
の動く恐竜のロボットも数多く展示されていて、とてもリアル。こ
うした博物館などにある展示物は「動きのあることが大事」と私は
常々感じています。先日、エムウェーブで「動く恐竜展」が開催さ
れましたが、開館前に長い列ができるほど大好評だったそうです。

 開館当初、入館者数は24万人程度で推移していたそうですが、
2006(平成18)年度から増加し、今は約54万人だそうです。
建設費用は博物館本体90億円、周辺関係施設整備50億円、総費
用は140億円。加えて年管理費3億円。県知事さんの肝いりでつ
くったそうで、すごい財産ですよね。勝山市街地に入って、ひとき
わ目を引く巨大な卵形の銀色のドーム(まさに「恐竜の卵」)が博
物館です。
 他の市長さんからは、「こんな施設を造るとしたら、長野市しか
できない」と言われましたが・・・市の単独の事業では無理があり
ます。

 数ある貴重な化石の中でも、博物館の最新の目玉は、アメリカで
発見された全長約15メートルの「カマラサウルス」の骨の標本。
2億5千万円で購入したというこの標本は、9割以上が実物で、購
入後クリーニングを行い、3年の歳月をかけて組み立てたとのこと
です。大昔の恐竜の姿が、1億5千万年の時を越えて、今、目の前
にあるのは信じられないことです。

 館内を案内してくれた研究員さんの話では、発掘した骨は、簡単
には組み立てることはできないそうです。化石は、1億年もの長い
間、土砂が積み重なって圧迫され、折れたり、曲がったりして、変
形しています。それを気の遠くなるような細かな作業で直すのだそ
うです。
 復元が不可能な部位は、樹脂で新たに作ります。例えば、頭蓋骨
ならば、まずは、ゆがんだ形のまま、いったん柔らかい樹脂で型を
取ります。そして、頭蓋骨を構成しているパーツごとに分け、それ
ぞれを元の形に復元し、組み上げた状態で再度型を取り、樹脂の頭
蓋骨を作成するとのことでした。
 
 勝山市内では、いろいろな恐竜の模型をあちらこちらで見ること
ができます。伝統工芸の和紙を特殊加工したもの(雨や雪にも耐え
られるのが不思議です)や、繊維強化プラスチック(FRP)素材
のものもありました。見事な「恐竜によるまちづくり」です。
 長野市の茶臼山の恐竜公園は家族連れに人気で、魅力のある公園
ですが、この博物館の迫力には脱帽です。

 その後、白山平泉寺(「へいせんじ」と読みます。「ひらいずみ
でら」ではありません)歴史探遊館「まほろば」を見学しました。
この寺の由来が、物語性に富んでいて素晴らしかったのでご紹介し
ます。
 奈良時代、泰澄(たいちょう)という僧侶が、女神からお告げを
受け白山に登り、千日間の厳しい修行を積みました。お告げのあっ
た場所は、林泉(りんせん)という泉で、そこが平泉寺の起源とい
われています。白山はその後修行の山となり、平泉寺は白山の三馬
場(さんばんば*)の一つとなりました。平安時代、比叡山延暦寺
の末寺となり勢力を強め、戦国時代には48社、36堂、6千の坊
院が立ち並び、寺領は9万石、僧兵は8千人を数え、栄華を極めま
した。しかし、その後の一向一揆で焼き討ちに遭い、滅亡。奇跡的
に生き残った顕海(けんかい)僧侶が復興の足掛かりをつくり、江
戸時代には再興したものの、明治政府の神仏分離令により、仏像な
ど仏教にゆかりのあるものは排除され、寺号も廃止され白山神社に
改められたという栄枯盛衰の歴史をたどりました。
 
 1989(平成元)年に平泉寺の発掘調査が開始され、坊院跡や
石畳道が発見されています。発掘調査が進むことで、新たな発見が
生まれ、物語の魅力がいっそう増しそうです。ちなみに、勝山市の
名の由来は、一揆勢が砦(とりで)を築いた山を「戦に勝った山」
と呼んだことに由来するそうです。

 もう一つ、とても感動したものがあります。それは、素晴らしい
お囃子(はやし)太鼓「勝山左義長(さぎちょう)」です。「左義
長」って、皆さんご存じですか。平安時代の頃から全国各地で行わ
れている小正月の火祭りで、勝山左義長は、300年以上の歴史と
伝統を持つ奥越地方に春を呼ぶ奇祭として有名だそうです。三味線、
笛、太鼓の軽快なテンポに合わせ、女装した男性が太鼓をたたき踊
るのは全国でも勝山左義長だけということです。入れ代わり立ち代
わり大人から子どもまでが、体をくねらせ、比較的小さな太鼓のバ
チを器用に操りながら、そしてまた表情も豊かに踊り、太鼓をたた
く。多くの市長さんが興味津々に見入っていました。演目が終わる
と拍手喝采でした。初めて見せていただいた私も、素晴らしいと感
心しました。

 今まで勝山市はあまりよく知らなかったのですが、名峰・白山、
そこから流れ出る九頭竜川など風光明媚(めいび)な景色に加え、
こうした伝統、風土が醸し出す特有の雰囲気が「世界で最もきれい
なまち」に選ばれたゆえんではないかと感じました。

 今回の総会は「スキージャム勝山」というスキー場のホテルが会
場でした。スキーは私の趣味であるが故、とても気になりましたの
で、最後に皆さんに紹介します。ホテルを一歩外に出れば、そこは
ゲレンデで(もちろん、既にグリーンシーズンです)、とにかく広
いゲレンデです。斜度も適当で、気持ちよく滑れそうな感じでした。
さらに奥に見えた標高の高い山にあるコースも同じスキー場と聞い
て、その広さにびっくり。気になったのは雪質です。越前市の奈良
市長さんいわく「比較的暖かいので、湿っぽい雪」とのことでした。
でも、外国人のお客さんもたくさん訪れるそうで、「できれば一度
ぐらい滑ってみたいなあ・・・」そんなことを思いながらホテルの
窓から眺めていました。

*馬場:修行の拠点