2013年6月6日木曜日

魅力いっぱい、勝山市


 5月16日~17日、福井県勝山市で開催された北信越市長会に
出席しました。
 北信越地区(新潟・富山・石川・福井・長野の5県)の全市長が
一堂に会し、2日間の総会の中で、主に各市が抱える課題について
討議し、国への提言をまとめました。

 会場となった勝山市は、2007(平成19)年にアメリカの経
済誌「フォーブス」電子版の「世界で最もきれいなまち」ランキン
グで第9位に認定されたまちとのことで、すごいですよね。
 以前、勝山市にある越前大仏を見たことがあります。建立した人
は、勝山市出身で、大阪でタクシー会社を経営して財を成し、故郷
に大仏、お寺、博物館(外観は、立派なお城です)、ホテルなどを
次々と建てました。勝山市の山岸市長さんに聞くと、多分
1,000億円ぐらい勝山市に投資したとのことです(会社はその
後倒産したように聞いていましたが、現在息子さんの奥さんが社長
となり、立派に頑張っているとのことです)。大仏(奈良の大仏よ
り2メートル高いとのこと)とお寺は、その後臨済宗のお寺が引き
取り、宗教法人として経営しているそうで、ホテルは市が引き取り、
指定管理制度を利用して経営しています。以前来た時はブームが去
ったのか、ほとんど人けがなかったのに、このゴールデンウイーク
には、4千人が拝観したとのことです。名物・信仰の対象として復
活したのかもしれません。私は勝山市長さんに、「100年後は、
さらに素晴らしい資源になっているでしょうね」と話しました。

 そんな勝山市で今回新たな発見をしました。まずは、総会の合間
に視察でご案内いただいた福井県立恐竜博物館です。
 福井県といえば「恐竜」を連想する人も多いはずです。福井県で
は、1989(平成元)年から行われた発掘調査の結果、多くの恐
竜の化石が発見されました。博物館には恐竜の化石のほか、実物大
の動く恐竜のロボットも数多く展示されていて、とてもリアル。こ
うした博物館などにある展示物は「動きのあることが大事」と私は
常々感じています。先日、エムウェーブで「動く恐竜展」が開催さ
れましたが、開館前に長い列ができるほど大好評だったそうです。

 開館当初、入館者数は24万人程度で推移していたそうですが、
2006(平成18)年度から増加し、今は約54万人だそうです。
建設費用は博物館本体90億円、周辺関係施設整備50億円、総費
用は140億円。加えて年管理費3億円。県知事さんの肝いりでつ
くったそうで、すごい財産ですよね。勝山市街地に入って、ひとき
わ目を引く巨大な卵形の銀色のドーム(まさに「恐竜の卵」)が博
物館です。
 他の市長さんからは、「こんな施設を造るとしたら、長野市しか
できない」と言われましたが・・・市の単独の事業では無理があり
ます。

 数ある貴重な化石の中でも、博物館の最新の目玉は、アメリカで
発見された全長約15メートルの「カマラサウルス」の骨の標本。
2億5千万円で購入したというこの標本は、9割以上が実物で、購
入後クリーニングを行い、3年の歳月をかけて組み立てたとのこと
です。大昔の恐竜の姿が、1億5千万年の時を越えて、今、目の前
にあるのは信じられないことです。

 館内を案内してくれた研究員さんの話では、発掘した骨は、簡単
には組み立てることはできないそうです。化石は、1億年もの長い
間、土砂が積み重なって圧迫され、折れたり、曲がったりして、変
形しています。それを気の遠くなるような細かな作業で直すのだそ
うです。
 復元が不可能な部位は、樹脂で新たに作ります。例えば、頭蓋骨
ならば、まずは、ゆがんだ形のまま、いったん柔らかい樹脂で型を
取ります。そして、頭蓋骨を構成しているパーツごとに分け、それ
ぞれを元の形に復元し、組み上げた状態で再度型を取り、樹脂の頭
蓋骨を作成するとのことでした。
 
 勝山市内では、いろいろな恐竜の模型をあちらこちらで見ること
ができます。伝統工芸の和紙を特殊加工したもの(雨や雪にも耐え
られるのが不思議です)や、繊維強化プラスチック(FRP)素材
のものもありました。見事な「恐竜によるまちづくり」です。
 長野市の茶臼山の恐竜公園は家族連れに人気で、魅力のある公園
ですが、この博物館の迫力には脱帽です。

 その後、白山平泉寺(「へいせんじ」と読みます。「ひらいずみ
でら」ではありません)歴史探遊館「まほろば」を見学しました。
この寺の由来が、物語性に富んでいて素晴らしかったのでご紹介し
ます。
 奈良時代、泰澄(たいちょう)という僧侶が、女神からお告げを
受け白山に登り、千日間の厳しい修行を積みました。お告げのあっ
た場所は、林泉(りんせん)という泉で、そこが平泉寺の起源とい
われています。白山はその後修行の山となり、平泉寺は白山の三馬
場(さんばんば*)の一つとなりました。平安時代、比叡山延暦寺
の末寺となり勢力を強め、戦国時代には48社、36堂、6千の坊
院が立ち並び、寺領は9万石、僧兵は8千人を数え、栄華を極めま
した。しかし、その後の一向一揆で焼き討ちに遭い、滅亡。奇跡的
に生き残った顕海(けんかい)僧侶が復興の足掛かりをつくり、江
戸時代には再興したものの、明治政府の神仏分離令により、仏像な
ど仏教にゆかりのあるものは排除され、寺号も廃止され白山神社に
改められたという栄枯盛衰の歴史をたどりました。
 
 1989(平成元)年に平泉寺の発掘調査が開始され、坊院跡や
石畳道が発見されています。発掘調査が進むことで、新たな発見が
生まれ、物語の魅力がいっそう増しそうです。ちなみに、勝山市の
名の由来は、一揆勢が砦(とりで)を築いた山を「戦に勝った山」
と呼んだことに由来するそうです。

 もう一つ、とても感動したものがあります。それは、素晴らしい
お囃子(はやし)太鼓「勝山左義長(さぎちょう)」です。「左義
長」って、皆さんご存じですか。平安時代の頃から全国各地で行わ
れている小正月の火祭りで、勝山左義長は、300年以上の歴史と
伝統を持つ奥越地方に春を呼ぶ奇祭として有名だそうです。三味線、
笛、太鼓の軽快なテンポに合わせ、女装した男性が太鼓をたたき踊
るのは全国でも勝山左義長だけということです。入れ代わり立ち代
わり大人から子どもまでが、体をくねらせ、比較的小さな太鼓のバ
チを器用に操りながら、そしてまた表情も豊かに踊り、太鼓をたた
く。多くの市長さんが興味津々に見入っていました。演目が終わる
と拍手喝采でした。初めて見せていただいた私も、素晴らしいと感
心しました。

 今まで勝山市はあまりよく知らなかったのですが、名峰・白山、
そこから流れ出る九頭竜川など風光明媚(めいび)な景色に加え、
こうした伝統、風土が醸し出す特有の雰囲気が「世界で最もきれい
なまち」に選ばれたゆえんではないかと感じました。

 今回の総会は「スキージャム勝山」というスキー場のホテルが会
場でした。スキーは私の趣味であるが故、とても気になりましたの
で、最後に皆さんに紹介します。ホテルを一歩外に出れば、そこは
ゲレンデで(もちろん、既にグリーンシーズンです)、とにかく広
いゲレンデです。斜度も適当で、気持ちよく滑れそうな感じでした。
さらに奥に見えた標高の高い山にあるコースも同じスキー場と聞い
て、その広さにびっくり。気になったのは雪質です。越前市の奈良
市長さんいわく「比較的暖かいので、湿っぽい雪」とのことでした。
でも、外国人のお客さんもたくさん訪れるそうで、「できれば一度
ぐらい滑ってみたいなあ・・・」そんなことを思いながらホテルの
窓から眺めていました。

*馬場:修行の拠点