2002年5月30日木曜日

「入りを量りて出ずるを為す」


 昨年10月の選挙で幸いにして当選させていただき、11月11日
から市長の任期が始まりました。それから半年、浅川ダム問題や
長野センタービル(旧ダイエー長野店)などの大型プロジェクトを
研究する中で、市長の仕事はあちこちに関連があって難しいものだ
と実感しています。ただ、市長になるまでの私は、長野市のことを
ある程度知っているという自負があったのですが、実際に市長とし
てその中に入り、いろいろな側面から考えて最終責任者としての判
断を下す立場になったとき、今まで私が理解していた生半可な知識
は役に立たないということを痛感させられているというのが実感で
す。

 私は市長就任以来、一貫して常用してきた財政運営上の言葉があ
ります。それは、「入りを量(はか)りて出(い)ずるを為す」と
いうものです。この言葉は、収入をきちんと推計して、支出はその
範囲でやりましょう、という意味で使っています。

 行政は、多様な市民要望を実現するために、一般的に借金体質に
なっています。すなわち、収入よりたくさんの支出をしている。その
極めつけは国家財政ですが、地方自治体も例にもれず借金が多い。
長野市もオリンピックという大イベントをやったわけで、施設費等
を公共事業で行っていますので、どうしても借金は大きい。しかし、
その割には長野市の財政は悪くなってはいないというのが、市長に
就任以来、内容を精査して分かってきました。でも借金の絶対額は
かなりの金額で、一般会計規模の1.5倍ぐらいの借金がある。こ
れを何としても減らさなければならないというのが実感でした。

 そこで初めての予算編成にあたっても、まず収入をよく見て固く
見積もり、そして借金も返済するときには国が交付税で面倒をみて
くれる、いわゆる良質の市債を発行して収入を確保することに努め
ましたし、支出も無駄を省くように最大限の努力をしたつもりです。
でも残念ながら、14年度の長野市の独自財源(市税)は、13年度
に比べ約19億円減少し、最盛期に比べ約63億円減ってしまって
いますので、大変厳しい予算組みになってしまいました。
63億円といえば、今話題になっている小学校を一つ造っても50
億円ぐらいですから、これはかなり大きな金額です。ですから、現
段階はつらくても我慢し、力を貯める時期、すなわち借金を減らす
時期と考えています。「中心市街地に1,000億円ぐらい投下し
て街をつくりかえてしまうぐらいの構想を打ち出すべき」という方
もいらっしゃるのですが、ちょっとその度胸はありませんし、今は
その時期ではないでしょう。

 現段階は力を貯める、行政は民間活力が発揮しやすい環境を整え
て、民間と行政のパートナーシップで頑張るのが最良の判断と思っ
ています。

していこうということですが、同じような言葉で、「入りを図りて
出ずるを制す」という言葉もあるようです。これは企業経営の要点
でして、企業が儲けるためには、これしかないのです。この「図る」
ということは「企(くわだ)てる」と同じような意味で、いろいろ
投資をして収入を増やしていこうという前向きの発想が入っている
と私は思います。長野市の財政もいつの時点か、「入りを量りて」
から「入りを図りて」に転換したい、と私は考えています。

2002年5月23日木曜日

浅川ダムの話し その2


 先週に続き浅川ダムについてですが、もう一つの対立点である
「ダムが必要か、不必要か」ということについて、考えてみまし
ょう。

 まず初めに、浅川ダムが必要となるまでの簡単な経緯であります
が、度重なる浅川の氾濫を抑えるため、昭和40年代に県が提案し
たのは河川改修案でした。しかし、河川改修による治水は川幅が最
大81メートルにも及ぶもので、当時の優良農地がかなり広く潰れ、
また家屋移転を伴うというものでありました。その後、高度経済成
長時代を迎え、流域における住宅整備などが急速に広がりました。
そのため、昭和50年代に入り、現存する施設を最大限保全したま
ま治水対策を進めるために、ダムと河川改修を合わせた事業が必要
となってきたものであり、浅川ダムの整備は、長い時間と研究の中で
事業化が進められてきたものです。特に、一旦災害が起こると深刻
な被害をもたらす外水対策は、内水対策よりも先んじて進める必要
があるものです。また、すでに建設されている橋、橋脚、堤防など
は、ダム建設により安全性が保てるということを前提に整備された
ものであり、仮にダム以外の方法で治水対策を進めるとすれば、
河川改修のみならず、既存のまちづくり全体を見直すことが必要と
なり、このためには、(治水対策以外の部分においても)莫大な費用
と時間が必要となるものです。

 さて、今回のテーマである「ダムが必要か、不必要か」の問題に
戻りますが、この議論も正直に申し上げて素人には分かりにくい議
論です。しかし、長野県治水・利水ダム等検討委員会の浅川部会の
議論を通じて学んだことや長野市の河川課との討論、そして部会メ
ンバー以外の識者の意見を総合すると、治水計画を立てるためには
「基本高水(たかみず)流量」という数字をまず決めることが基本
なのです。

 基本高水流量というのは、過去の降雨量からみて、何十年から何
百年に一度の大雨が降ったとして、どのくらいの水が流れる可能性
があるかを推定した数字でして、今回の場合、浅川の基本高水流量
をどのくらいにするべきかを過去の降雨量の記録から計算式を使っ
て決め、その流量によって治水計画を考える。その流量が低い数字
になれば、ダムがなくても河川改修などの施策で雨水をのみ込める
から大丈夫となるし、逆に、高い数字になるとより多くの河川改修
などが必要となるため、優良農地を多く潰して川幅を広くしたり、
住宅移転をしなくてはならないなどの問題が生じるため、ダムを造
って上流に一時的に雨水を貯め、徐々に流していこうということに
なる。いわばダムが必要か不必要かを決める基本の数字なのです。

 県が浅川ダムを計画した段階で、基本高水流量を毎秒450立方
メートルとしました。この計算方式は専門的でかなり難しいのです
が、過去の降雨量の記録データから計算式に基づいて求めた数値で
あり、日本中で通常行われている計算方法です。このため、実際に
発生した数値(流量)ではなく、ある程度の安全率を見た計算値で
すが、特に浅川だけが過大に見積もってあるということではありま
せん(このことは、ダムに反対する立場の方々も認めていることで
して、普通のやり方とのことです)。そして、それは確率的には
100年に一度の大雨が降っても耐えられる数値だそうです。

 ダムに反対している方々は、この数字が過大であるから、もっと
小さくて良い。「既往最大程度」の数値が毎秒330立方メートル
なのだから、それで良いとおっしゃっているのです。どういうわけ
か分かりませんが、この数字はいろいろ変化しておりまして、毎秒
350立方メートルになったり、そのうちにまた毎秒330立方メ
ートルになったり・・・。まぁそれは数字とすればわずかな差です
から、問題にはならないのかも知れませんが、あまり説得力がない
ように聞こえます。

 私がここでどうしても納得できないのは、「既往最大程度」とい
う考え方です。言葉の意味で考えれば、過去にあった最大流量とい
うことですから、過去にその数字があったという事実を述べている
だけで、将来の安全に対する余裕は「0」ということではないでし
ょうか?そして、それを上回る量の雨が降らないという保証はあり
えないのですから、今後、我々は常に洪水の恐怖と戦っていかなく
てはならないということになります。自然が相手の話ですから、過去
にあった事例に対して、安全率を見込んで考えるのが当然ではな
いでしょうか?

 我々は、更に重大な事実を見つけました。5月1日の記者会見で
発表させていただきましたが、昭和12年7月に実際に降った雨を
計算したところ、毎秒415立方メートルという流量になるという
ことが分かったのです。これは大変です。「既往最大程度」で良い
と主張し、それは毎秒330立方メートルだとおっしゃっている
方々の理屈を根本からひっくり返す話だと私は思います。県がダム
建設に当たって検討した数値は、近年の洪水として概ね戦後以降の
実被害のあったものを選定したようですが、このような実際にあっ
た降雨を考慮する必要があることはいうまでもありません。

 以上、「既往最大程度」ということで良いのだとおっしゃる方々
の理論は、まず初めに「ダムなし案ありき」であり、看過できない
矛盾点があり納得できません。「既往最大程度」で良いと主張する
方々のこういった理論のために、長野市民の生命と財産を危険な目
にあわせたくない。そして、その方々の主張を仮に認めたとしても
それを上回る降雨量の記録が見つかったことなどから、代替案に
おける毎秒330立方メートルとした流量は、過少と言わざるを得ま
せん。ただし、お断りしておきますが、我々はこの毎秒415立方
メートルという流量を基に、現ダム計画を上回るダムが必要と申し
上げているわけではありません。「既往最大程度」で良いとおっし
ゃる方々にこの数字を理解してください、と申し上げているのです。
現に県の計画した毎秒450立方メートルは、毎秒415立方メー
トルを上回っているわけですから、当時ダムがあれば災害になった
可能性は低いと考えられます。

 最後に先日の検討委員会で、国土交通省の見解として、「基本高
水流量の切り下げは、安全度の切り下げである」ということが報告
されました。これは私達の主旨と同じ事と思います。市民の生命と
財産を守る立場の行政としては、安全度の切り下げは決して認めら
れるものではありませんし、絶対に許せない問題です。

 県政がすごく身近になったという声が聞こえます。私もそのとお
りだと思いますし、そのことは地方の時代にとって大切なことです。
ただし、浅川ダムというような住民の生命と財産に直接つながるテ
ーマにおいては、個人としての理念や一部ダム不必要論者の意見だ
けで、先人の長い間の努力を無にするような政策はいかがなもので
しょうか。

 もっと自分の組織と一緒に考えてもらいたい。組織の人を信じて
欲しい。そして何よりも、安全な生活を願う人々の声を聞いてほし
い。
 私は、市民の生命と財産を守るため、長野市の河川課の職員や
流域住民のみなさんの意見を聞き、そして相談しながら、浅川ダム
は必要という立場で行動していこうと考えています。


2002年5月16日木曜日

浅川ダムの話し(部会での議論)その1


 昨年の田中長野県知事の「脱ダム宣言」以来、もう一年以上経過
してしまいました。永年荒れる浅川をどうやって治めるか、腐心さ
れてきた流域の皆さんとすれば、ダム着工でようやく一つの区切り
がつくと喜んでいたのに、突然の宣言で工事が一時中止ということ
になり、困惑と大きな失望を味わっておられる状況でしょう。長野
市長としても市民の生命と財産を守るということは、行政の最大の
テーマですから、代案も提示せずに(もしダムなし案で安全性を保
証出来るなら勿論受け入れるつもりですが)一時中止というのは、
誠に無責任な話と考えており、行政の空白を生んでいるわけで、も
し今大雨が降って被害が出たら、自然災害ではなくてこれは人災だ
と申し上げ、速やかな工事再開を主張しているわけです。

 脱ダム宣言後、県議会の決議で設置された長野県治水・利水ダム
等検討委員会、そしてその委員会のもとで浅川部会が置かれ、長野
市長もその部会委員として論議に参加しましたので、少し長くなり
ますが、二週にわたってその話をさせてください。

 部会の議論の争点は、主として「1.ダムは安全か、危険か?」
「2.ダムは必要か、不必要か?」という問題です。もちろん他に
も、「浅川と千曲川の合流点問題」、「緑のダムによる治水対策」
とか、「浅川にそそぐ小河川の内水問題」、「都市化問題」などい
ろいろありましたが、大きな対立点があって、意見が一致しなかっ
たのは、1.2.の問題でした。

 まず安全性の問題については、当たり前のことですが、もしダム
が崩れるという危険があるとすれば、長野市とすればダム建設は絶
対に反対です。ただこの議論は、地質とか断層とか第四紀層とか、
素人にとって分かりにくい話で、本来その道の専門家、権威者の意
見・議論で決めるべきことでしょう。我々には分からない議論をす
ることはかえって感情をむき出しにするばかりで、何の益もないと
考えました。ダムの計画段階で日本において権威として認められて
いる専門家10人が集まって検討し、9人が「ダム建設には支障と
ならない」とした、「浅川ダム地すべり等技術検討委員会」の結論、
また、国も安全性を認めているのですから、これ以上のものはない
と考えました。
 日本におけるダムの歴史は約100年ぐらいだと思いますが、地
震等で崩壊したダムは一つもないそうですし、それだけ技術的
には安定したものだそうです。

 緑のダムを育てて洪水を防ぐ、素晴らしい響きです。私もその必
要性を否定するものではありません。ただ日本学術会議でも、緑の
ダムの効果はいわゆるダムに代わり得るものではないと結論付けて
いるようですし、まあそうだろうと常識的には私も思います。同じ
ようなことですが、都市化したが故に降雨がすぐ浅川へ流れ込む、
だから洪水になるという議論ですが、これについては長野市も最大
限の努力をすることを約束しています(校庭貯留、排水路改修、調
整池設置、そして今年から個人住宅へも雨を一時的に貯留する施設
を作っていただくための補助事業の実施を予定しています)。ただ、
それらが浅川の計画流量に与える影響は最大で約5%、しかも基本
的に織り込み済みの数値なのです。これらの議論は努力をしていか
なければならないテーマではありますが、決定打にはならないよう
です。

 ここで誤解があるといけませんので、一つ申し上げます。ダムが
出来たら、100%洪水は起きないか、という問題です。残念なが
らその可能性は否定できないようです。一点目としては、100年
に一度の雨以上の降雨量があった場合、二点目としては、千曲川の
水位が高くなって千曲川との合流点にある排水機場のポンプを止め
ざるを得ない場合や、排水ポンプの能力を超える雨量があった場合、
即ち浅川の水を千曲川に流せなくなったときです。ただこれはいず
れにしろダムが有っても無くても同じこと、起こり得ることだとい
うことで、部会内の議論が対立したということではなく、国に対し、
千曲川の河床を下げるとか、立ヶ花の狭窄部を拡げるとか、問題の
解決を要請すべきということで一致していたように思います。いず
れにしろ自然を相手の仕事ですから100%安全はないということ
でしょう。

 次回はダムが必要か、不必要かについて発信します。

2002年5月9日木曜日

善光寺花回廊・ながの花フェスタ2002


 「門前町に花が降る」こんなキャッチフレーズが決してオーバー
でない、素晴らしい花の芸術祭が4月20日から5月6日まで行わ
れました。
 長野の長い冬が終わり、まさに春爛漫の季節。今年は桜が少し早
く散ってしまいましたが、今度は街の中が花いっぱいでとても華や
いだ気分になりました。

 善光寺の表参道である中央通りは、4月20日・21日の二日間、
「インフィオラータ in NAGANO」ということで、約130mの
長さにわたり道路いっぱいに花の絨毯が敷き詰められました。イタ
リア的で、そして私たちの目には極めて斬新なアイデアであり、デ
ザインでした。この花の絨毯は、田中県知事の肝入りでイタリアか
ら招聘した、アートディレクターのヴァレリオ・フェスティ氏、そして
製作は今岡寛和氏(東京ミレナリオ等をプロデュース)が担当して
下さったのですが、お世辞ぬきに素晴らしいの一言でした。色の違
う花びらを風に飛ばされないように、一枚一枚にのりを使って路面
に張りデザインされたのですが、その作業を中心にやって下さった
のは、城山小学校の子ども達を含むボランティアの皆さんです。
 道路ですからあまり長い時間の通行止めは出来ないため、夜も含
めて決められた時間内に作業をしなくてはならない。見た目よりか
なり辛い仕事を皆さん嬉々として取り組んでくれ、その出来映えが
また素晴らしかったようで、フェスティ氏いわく、「この作業メン
バーを飛行機に乗せて、パリかベルリンの街でインフィオラータを
作ってみたい。」と言っておられました。

 4月20日のオープニングの時は、凄い人出でした。オリンピッ
ク以来と言うとちょっとオーバーですが、狭い歩道(車道は花があ
って立ち入り禁止)は押し合いへし合いで大変な混雑。私も式典会
場へ行くのにかなり苦労いたしました。

 あのアイデアは日本人には多分ない。いや、あっても世界でそれ
を初めて実施するには、自由にそれをやってもらおうと支援する態
勢がなかなか出来にくい。このイベントはイタリアには古くからあ
るもののようですが、フェスティ氏はそれを世界中に通用するよう
に工夫したのでしょう。「これだけ大きく一体的なものは初めてだ。」
とおっしゃっていましたから。
 このイベントについて、花が可哀相だという意見が寄せられまし
た。しかし、それは誤解です。あの花びらは、球根を育てるために
摘み取られた花びらを利用し、芸術作品として蘇らせたもので、い
わばリサイクルでしょう。のりを使っているため、お祭りが終わっ
た後は多分焼却するより仕方ないとは思いますが。

 今回、私は本物の素晴らしさに出会ったと思います。まったく知
らなかったアイデアを示されました。特に道路の使い方として、人
や車が移動する場所という概念を少し変えてくれた。そんな思いも
あります。びんずる等で道路を開放することは、最近はそれほど珍
しいことではありません。しかし、道路いっぱい花びらで埋め尽く
し、ひとつのキャンバスにしてしまうなんてことは考えてもみませ
んでした。まさにコロンブスの卵でしょうか・・・。

 惜しむとすれば、もう少し準備時間があったらもっと素晴らしか
ったかなと思いました。それと、新聞報道にありましたとおり、ボ
ランティアで手伝ってくれた城山小学校の子ども達3人が、目の異
常を訴えたということもありました。このことについては、6年生
の男児は花粉のついた手で目をこすってしまったとのことで、すぐ
に養護の先生が目を洗って、その後眼科医の先生に治療をしていた
だき、回復したようです。5年生の男女2名の子どもさんも目が痒
いと訴えたので、すぐ作業を止めさせ、室外に出したところ回復し
たようで、軽い症状だったようで、ほっとしております。その後の
作業には手袋をさせたり、異常時にはすぐ申し出るように指導した
り、終了後の手洗いを徹底したりしておりまして、事前の指導上の
ミスは反省材料ですが、このことが、あのイベントは危険だからや
るべきでないといった世論にならないように願うばかりです。

 長野駅から善光寺までの参道や小路に花回廊が広がり、道路は商
店街やボランティアの方々による手作りの花壇、篝火花壇、和風花
壇、菜の花回廊などが出現し、セントラルスクゥエアや駅前広場も
花で埋まりました。さらに、この時期に合わせコンサートや美術展
もあちこちで開催されました。
 素晴らしかった花フェスタが、長野の春の歳時記に成長すること
を願ってやみません。

2002年5月2日木曜日

長野オリンピック記念長野マラソン


月14日(日)に盛大に行われました。出場希望者がどんどん増え
て、今年は約6,100人の申し込みがあったそうです。しかし、
交通規制にかかわっている警察との話し合いや運営面での検討
の結果、5,700人が限界ということで、残念ながら申し込んだ
のに走れなかった方も出てしまったようです。今年、走れなかった
方につきましては、来年はお早めにお申し込み下さい。
 
 このマラソンの人気が全国的にどんどん上がっているようで有り
難いことです。これだけ出場者が多くなると、スタートで一番後ろ
の方がスタートラインを通過するのは5分後ぐらいだそうです。

 ここまで盛り上がってきた背景には、NHKが生中継しているこ
と、オリンピック記念という冠をつけることをIOCが認めたこと、
「信毎マラソン」の伝統を引き継いでいること、JOCや日本陸連
が応援してくれていること、大手コンビニエンスストアやアパレル
メーカー、その他多くのスポンサーが協賛してくれていること、オ
リンピック発祥の地そして次のオリンピック開催地のギリシャ・ア
テネの「アテネ国際平和マラソン」と姉妹提携を結んでいること、
そして何よりも多くのボランティアの方々の協力で素晴らしいイベ
ントに育てていただいたおかげです。地元の皆さん、商工会議所や
商工会の皆さんなどが、ゴール付近を中心にいろいろ楽しむ場所を
作って盛り上げていただきました。

 メイヤーズ・ウオークという付帯イベントもあって、小・中・高
校生により編成したバトントワラーズやマーチングバンドを先頭に、
私と子ども達が約1kmを一緒に歩きました。外国ではそんなイベン
トがよくあるそうです。また、走った人(市民ランナー)に聞くと、
「苦しいレースの中で沿道が応援者で切れ目なく埋まっていたのが、
とても嬉しかった。」とのことです。

 参加者は県内の方が半分弱、ということは海外や県外から走りに
来て下さった方の方が多いということで、今年は47都道府県すべ
てから参加がありました。旅館・ホテルを含め、長野にとっての経
済効果はとても大きいのではないでしょうか。長野の人にもっと走
ってもらいたい、でも、人数制限がある以上、長野を訪れる方々
も歓迎したい、今後そんなジレンマに悩まされることになるのかも
しれません。

 一流選手と市民ランナーが一緒に走る『フルマラソン』というのは、
日本では大変珍しいそうです(海外にはたくさんあるそうですが)。
参加者が多いことで有名な東京の「青梅マラソン」は30kmマラ
ソンだそうですので、いろんな意味で長野マラソンは、将来性を見
込めるイベントと言われています。みんなで大切に育てて、信濃路
の春の風物詩として定着し、超一流のレースと言われるようなマラ
ソンに育って欲しいものです。

 長野オリンピックのおかげでしょうか、長野では国際的なイベン
トが増えています。3月にはフィギュアの世界選手権がエムウェー
ブで開催され、皇太子同妃両殿下をお迎えすることができました。
世界選手権とまではいきませんが、ワールドカップ級のイベントは
毎年のように開催されます。来シーズンは地元の越和宏選手が出
場するスケルトンの世界選手権がありますし、スペシャルオリンピ
ックスも2005年に開催される予定です。

 スポーツだけではなく、いろいろな国際イベントが繰り広げられ
るようになり、長野は益々楽しくなりますよ。

 オリンピック・パラリンピックの時に育ったボランティアの存在、
そして市民のホスピタリティーの心、これら、オリンピックにより
培われた無形の資産は確実に根付いていることを感じさせてくれ
ます。