2002年5月9日木曜日

善光寺花回廊・ながの花フェスタ2002


 「門前町に花が降る」こんなキャッチフレーズが決してオーバー
でない、素晴らしい花の芸術祭が4月20日から5月6日まで行わ
れました。
 長野の長い冬が終わり、まさに春爛漫の季節。今年は桜が少し早
く散ってしまいましたが、今度は街の中が花いっぱいでとても華や
いだ気分になりました。

 善光寺の表参道である中央通りは、4月20日・21日の二日間、
「インフィオラータ in NAGANO」ということで、約130mの
長さにわたり道路いっぱいに花の絨毯が敷き詰められました。イタ
リア的で、そして私たちの目には極めて斬新なアイデアであり、デ
ザインでした。この花の絨毯は、田中県知事の肝入りでイタリアか
ら招聘した、アートディレクターのヴァレリオ・フェスティ氏、そして
製作は今岡寛和氏(東京ミレナリオ等をプロデュース)が担当して
下さったのですが、お世辞ぬきに素晴らしいの一言でした。色の違
う花びらを風に飛ばされないように、一枚一枚にのりを使って路面
に張りデザインされたのですが、その作業を中心にやって下さった
のは、城山小学校の子ども達を含むボランティアの皆さんです。
 道路ですからあまり長い時間の通行止めは出来ないため、夜も含
めて決められた時間内に作業をしなくてはならない。見た目よりか
なり辛い仕事を皆さん嬉々として取り組んでくれ、その出来映えが
また素晴らしかったようで、フェスティ氏いわく、「この作業メン
バーを飛行機に乗せて、パリかベルリンの街でインフィオラータを
作ってみたい。」と言っておられました。

 4月20日のオープニングの時は、凄い人出でした。オリンピッ
ク以来と言うとちょっとオーバーですが、狭い歩道(車道は花があ
って立ち入り禁止)は押し合いへし合いで大変な混雑。私も式典会
場へ行くのにかなり苦労いたしました。

 あのアイデアは日本人には多分ない。いや、あっても世界でそれ
を初めて実施するには、自由にそれをやってもらおうと支援する態
勢がなかなか出来にくい。このイベントはイタリアには古くからあ
るもののようですが、フェスティ氏はそれを世界中に通用するよう
に工夫したのでしょう。「これだけ大きく一体的なものは初めてだ。」
とおっしゃっていましたから。
 このイベントについて、花が可哀相だという意見が寄せられまし
た。しかし、それは誤解です。あの花びらは、球根を育てるために
摘み取られた花びらを利用し、芸術作品として蘇らせたもので、い
わばリサイクルでしょう。のりを使っているため、お祭りが終わっ
た後は多分焼却するより仕方ないとは思いますが。

 今回、私は本物の素晴らしさに出会ったと思います。まったく知
らなかったアイデアを示されました。特に道路の使い方として、人
や車が移動する場所という概念を少し変えてくれた。そんな思いも
あります。びんずる等で道路を開放することは、最近はそれほど珍
しいことではありません。しかし、道路いっぱい花びらで埋め尽く
し、ひとつのキャンバスにしてしまうなんてことは考えてもみませ
んでした。まさにコロンブスの卵でしょうか・・・。

 惜しむとすれば、もう少し準備時間があったらもっと素晴らしか
ったかなと思いました。それと、新聞報道にありましたとおり、ボ
ランティアで手伝ってくれた城山小学校の子ども達3人が、目の異
常を訴えたということもありました。このことについては、6年生
の男児は花粉のついた手で目をこすってしまったとのことで、すぐ
に養護の先生が目を洗って、その後眼科医の先生に治療をしていた
だき、回復したようです。5年生の男女2名の子どもさんも目が痒
いと訴えたので、すぐ作業を止めさせ、室外に出したところ回復し
たようで、軽い症状だったようで、ほっとしております。その後の
作業には手袋をさせたり、異常時にはすぐ申し出るように指導した
り、終了後の手洗いを徹底したりしておりまして、事前の指導上の
ミスは反省材料ですが、このことが、あのイベントは危険だからや
るべきでないといった世論にならないように願うばかりです。

 長野駅から善光寺までの参道や小路に花回廊が広がり、道路は商
店街やボランティアの方々による手作りの花壇、篝火花壇、和風花
壇、菜の花回廊などが出現し、セントラルスクゥエアや駅前広場も
花で埋まりました。さらに、この時期に合わせコンサートや美術展
もあちこちで開催されました。
 素晴らしかった花フェスタが、長野の春の歳時記に成長すること
を願ってやみません。