先週に続き浅川ダムについてですが、もう一つの対立点である
「ダムが必要か、不必要か」ということについて、考えてみまし
ょう。
まず初めに、浅川ダムが必要となるまでの簡単な経緯であります
が、度重なる浅川の氾濫を抑えるため、昭和40年代に県が提案し
たのは河川改修案でした。しかし、河川改修による治水は川幅が最
大81メートルにも及ぶもので、当時の優良農地がかなり広く潰れ、
また家屋移転を伴うというものでありました。その後、高度経済成
長時代を迎え、流域における住宅整備などが急速に広がりました。
そのため、昭和50年代に入り、現存する施設を最大限保全したま
ま治水対策を進めるために、ダムと河川改修を合わせた事業が必要
となってきたものであり、浅川ダムの整備は、長い時間と研究の中で
事業化が進められてきたものです。特に、一旦災害が起こると深刻
な被害をもたらす外水対策は、内水対策よりも先んじて進める必要
があるものです。また、すでに建設されている橋、橋脚、堤防など
は、ダム建設により安全性が保てるということを前提に整備された
ものであり、仮にダム以外の方法で治水対策を進めるとすれば、
河川改修のみならず、既存のまちづくり全体を見直すことが必要と
なり、このためには、(治水対策以外の部分においても)莫大な費用
と時間が必要となるものです。
さて、今回のテーマである「ダムが必要か、不必要か」の問題に
戻りますが、この議論も正直に申し上げて素人には分かりにくい議
論です。しかし、長野県治水・利水ダム等検討委員会の浅川部会の
議論を通じて学んだことや長野市の河川課との討論、そして部会メ
ンバー以外の識者の意見を総合すると、治水計画を立てるためには
「基本高水(たかみず)流量」という数字をまず決めることが基本
なのです。
基本高水流量というのは、過去の降雨量からみて、何十年から何
百年に一度の大雨が降ったとして、どのくらいの水が流れる可能性
があるかを推定した数字でして、今回の場合、浅川の基本高水流量
をどのくらいにするべきかを過去の降雨量の記録から計算式を使っ
て決め、その流量によって治水計画を考える。その流量が低い数字
になれば、ダムがなくても河川改修などの施策で雨水をのみ込める
から大丈夫となるし、逆に、高い数字になるとより多くの河川改修
などが必要となるため、優良農地を多く潰して川幅を広くしたり、
住宅移転をしなくてはならないなどの問題が生じるため、ダムを造
って上流に一時的に雨水を貯め、徐々に流していこうということに
なる。いわばダムが必要か不必要かを決める基本の数字なのです。
県が浅川ダムを計画した段階で、基本高水流量を毎秒450立方
メートルとしました。この計算方式は専門的でかなり難しいのです
が、過去の降雨量の記録データから計算式に基づいて求めた数値で
あり、日本中で通常行われている計算方法です。このため、実際に
発生した数値(流量)ではなく、ある程度の安全率を見た計算値で
すが、特に浅川だけが過大に見積もってあるということではありま
せん(このことは、ダムに反対する立場の方々も認めていることで
して、普通のやり方とのことです)。そして、それは確率的には
100年に一度の大雨が降っても耐えられる数値だそうです。
ダムに反対している方々は、この数字が過大であるから、もっと
小さくて良い。「既往最大程度」の数値が毎秒330立方メートル
なのだから、それで良いとおっしゃっているのです。どういうわけ
か分かりませんが、この数字はいろいろ変化しておりまして、毎秒
350立方メートルになったり、そのうちにまた毎秒330立方メ
ートルになったり・・・。まぁそれは数字とすればわずかな差です
から、問題にはならないのかも知れませんが、あまり説得力がない
ように聞こえます。
私がここでどうしても納得できないのは、「既往最大程度」とい
う考え方です。言葉の意味で考えれば、過去にあった最大流量とい
うことですから、過去にその数字があったという事実を述べている
だけで、将来の安全に対する余裕は「0」ということではないでし
ょうか?そして、それを上回る量の雨が降らないという保証はあり
えないのですから、今後、我々は常に洪水の恐怖と戦っていかなく
てはならないということになります。自然が相手の話ですから、過去
にあった事例に対して、安全率を見込んで考えるのが当然ではな
いでしょうか?
我々は、更に重大な事実を見つけました。5月1日の記者会見で
発表させていただきましたが、昭和12年7月に実際に降った雨を
計算したところ、毎秒415立方メートルという流量になるという
ことが分かったのです。これは大変です。「既往最大程度」で良い
と主張し、それは毎秒330立方メートルだとおっしゃっている
方々の理屈を根本からひっくり返す話だと私は思います。県がダム
建設に当たって検討した数値は、近年の洪水として概ね戦後以降の
実被害のあったものを選定したようですが、このような実際にあっ
た降雨を考慮する必要があることはいうまでもありません。
以上、「既往最大程度」ということで良いのだとおっしゃる方々
の理論は、まず初めに「ダムなし案ありき」であり、看過できない
矛盾点があり納得できません。「既往最大程度」で良いと主張する
方々のこういった理論のために、長野市民の生命と財産を危険な目
にあわせたくない。そして、その方々の主張を仮に認めたとしても
それを上回る降雨量の記録が見つかったことなどから、代替案に
おける毎秒330立方メートルとした流量は、過少と言わざるを得ま
せん。ただし、お断りしておきますが、我々はこの毎秒415立方
メートルという流量を基に、現ダム計画を上回るダムが必要と申し
上げているわけではありません。「既往最大程度」で良いとおっし
ゃる方々にこの数字を理解してください、と申し上げているのです。
現に県の計画した毎秒450立方メートルは、毎秒415立方メー
トルを上回っているわけですから、当時ダムがあれば災害になった
可能性は低いと考えられます。
最後に先日の検討委員会で、国土交通省の見解として、「基本高
水流量の切り下げは、安全度の切り下げである」ということが報告
されました。これは私達の主旨と同じ事と思います。市民の生命と
財産を守る立場の行政としては、安全度の切り下げは決して認めら
れるものではありませんし、絶対に許せない問題です。
県政がすごく身近になったという声が聞こえます。私もそのとお
りだと思いますし、そのことは地方の時代にとって大切なことです。
ただし、浅川ダムというような住民の生命と財産に直接つながるテ
ーマにおいては、個人としての理念や一部ダム不必要論者の意見だ
けで、先人の長い間の努力を無にするような政策はいかがなもので
しょうか。
もっと自分の組織と一緒に考えてもらいたい。組織の人を信じて
欲しい。そして何よりも、安全な生活を願う人々の声を聞いてほし
い。
私は、市民の生命と財産を守るため、長野市の河川課の職員や
流域住民のみなさんの意見を聞き、そして相談しながら、浅川ダム
は必要という立場で行動していこうと考えています。