長野センタービル(旧ダイエービル)取得問題は、私が市長に就
任する前からの懸案です。今回は、なぜあのビルを長野市が取得す
ることを提案したか、その経緯について聞いてください。
平成12年7月、長野そごうが自己破産、続いてダイエー長野店
の撤退発表がありました。長野オリンピックから2年、二十世紀最
後の年、景気がどんどん落ち込んでいる中で、長野の中心市街地か
ら灯りが消えてしまう。私は長野市民として暗澹たる気分になって
しまったことは事実です。「そごう」のように自己破産の場合は、
裁判所の管轄下に入ってしまいますので、処理は法的に粛々とやる
以外に仕方ないのですが、ダイエーの場合は一応契約期間満了での
撤退ですから、地元のビル保有会社にとってはテナントがいなくな
り、収入がなくなるわけで、後をどうするか大変に困った状況にな
ってしまったわけです。ビルの所有者である(株)長野センタービ
ル(以下、NCBとします)は、あらゆる手を使って新しいテナント
の獲得に努力しましたが、この不況では借り手は現れず、平成12
年12月末ダイエー長野店閉店、そして平成13年3月末にダイエ
ーとNCBの間の賃借契約が終了したことに伴い撤退ということに
なったわけです。NCBとすれば、期限到来後も賃貸契約は継続し
てもらえると考えていたのでしょうが、結果的に甘かったというこ
とです。
それから約一年が経過しました。その間、NCBはテナント探し
を継続する一方で、今後どうするか懸命に努力してきました。しか
し、問題を難しくしていたのは、単にテナントがないだけではなく、
NCBがダイエー本社から建設協力金として預かっていた資金、結
果としてはダイエーからの14億円の借金が残ってしまったという
ことが、あったようです(なぜ、契約満了後に借金が残っていたか
については、ビルの建設当時の第一次オイルショックにより建設費
が暴騰し、やむを得ずダイエーに追加資金を要請したため、その
分が残ったということです。不運であったということです)。その
他にも、ダイエーへの担保にはあのビル及び土地が差し入れてあり
ましたし、固定資産税や維持管理費だけでも相当な費用がかかるこ
とも解決を難しくしていた理由のようです。
ダイエーも頑張ったのだろうとは思いますが、マスコミにも出て
いる通りリストラを断行し、生き残りをかけている状況ですので、
経済原理のもとでは仕方ない。ただ、本音を言えば貸し金は回収し
たいがそれは無理であろう。本来は競売にかけて回収することが本
筋なのですが、現在の経済情勢ではあのビルを取得する相手を見つ
けるには長い時間が必要となってくる。そのため、ダイエーとして
は長野市が街の活性化のために公共的にあのビルを利用するのなら、
債権を積極的に放棄しても構わないという方針を示してきました。
そして、ビルのオーナーのNCBの立場ですが、社長以下、役員
や株主の皆さんは、30年前に長野の代表的な場所を所有する者の
立場として、長野市初の再開発ビルの建設に取り組み頑張ってきた。
スタートに当たって問題点を全て片付けなかったマイナス面はある
ものの、第一次オイルショックの危機を何とか乗り切り、ダイエー
を誘致し、長野の中心市街地の顔として頑張ってきた。結果、
時に利あらず、ダイエーの撤退という事態に遭遇し、努力してもビル
の再建は困難と判断した以上、会社の倒産あるいは清算は覚悟して
いる。自分たちの個人財産は全て投げ出すこともやむを得ない。しかし、
あのビルにはダイエー以外の地元テナントも入っていて、その方たち
の生活もかかっている。何とかビルそのものは存在して、長野の顔
として誰かが維持して欲しい。そんな心境を当時お聞きしました。
私は長野商工会議所副会頭時代に、この問題をどうすれば一番良
いのか、ダイエー、NCB、地元商店街、そして長野市の間に入っ
て最良の解決方法を模索してきました。また、長野市とすれば企業
の契約行為の失敗を救うことは出来ない、しかし中心市街地から灯
りが消えて、いつまでも空きビルが残ってしまう事態は避けたいと
いう思いはありました。
来週は、空きビルとなった長野センタービルをどのような経緯で
長野市が取得し、今後どのような活用策を図っていく予定なのかに
ついて書きたいと思います。
2002年6月27日木曜日
長野センタービル(旧ダイエービル)取得問題(その1)
2002年6月20日木曜日
故斎藤英四郎さんのお別れの会に出席して
斎藤英四郎さんについては、良くご存知の方もいらっしゃると思
います。新日鉄社長・会長、そして財界総理ともいわれる経団連会
長として、その足跡は大変な方です。特に我々にとっては、あの長
野オリンピック冬季競技大会組織委員会(NAOC)の会長として
ご活躍され、長野オリンピックを大成功に導いた立役者としての記
憶がまだ残っていると思います。その斎藤さんが去る4月22日、
90歳の天寿を全うされ永眠されました。数年前に奥様に先立たれ
たということで、その頃からお寂しくなっていらっしゃったという話を
聞いておりました。告別式では、長野市民を代表して心から感謝と
哀悼の意を表し、ご冥福をお祈りしてまいりました。
個人的には斎藤さんとの接点はそれほどあるわけではありません。
しかし、斎藤さんがNAOCで会長を務め、私はその下部組織の実
行委員会の委員でしたので、何度かお会いする機会がありましたし、
一度だけですがお話する機会もありました。その機会というのは、
オリンピックの表彰式会場にセントラルスクゥエアを使って欲しい
ということを長野都市経営研究所(NUPRI)が提言していた頃、
突然、斎藤さんが視察に来られるという連絡が入り、急きょ現地
でお会いしました。斎藤さんは秘書と思われる方とお二人で車に乗っ
て現れ、数分でしたが会場を見学し、私が「ここで表彰式をやれば
絶対に盛り上がると思いますし、街のためにもなります。」と申し
上げると、「こんな素晴らしい場所を提供いただけるのは、ありが
たいことです。」と一言おっしゃり車に乗り込まれたことを今も覚
えています。
当時、セントラルスクゥエアでは表彰式会場には狭いとか、お
金がかかるとかいろいろ言われており、もしや違う場所でやるとい
う話になったらどうしようかと思っていた時期でした(私たちは、この
広場を無償でお貸しすると申し上げていましたが、通信回線や会場
装飾などにお金がかかるのは事実だったでしょう)。本当に嬉しか
った。私たちが無理をしてあの広場を作った行為がようやく報われ
る、正直そう思ったことは事実です。
斎藤さんとのご縁にお許しをいただいて、オリンピックの表彰式
会場になったセントラルスクゥエアについて話させていただきま
す。あの土地はオリンピック前、第一生命・鈴木土地・昭和建物
さんの所有地で、ホテルを作る予定だったことは皆さんご承知のと
おりです。しかし、バブル崩壊に伴いその計画は水泡に帰してしま
い、一等地であるあの場所が工事用の塀囲いのまま何年も放置され
ていました。
ある日、地主でありホテル建設の関係者でもある方から「俺はあ
そこにあった自分の家を移して、都市型ホテルをつくることに全力
をあげたが失敗した、二度と失敗を繰り返したくない、お前に活用
方法はまかすからなんとかしろ。」と言われ、また、NUPRIの
仲間は「オリンピックを今のままで迎えるのは何としてもまずい、
なんとかならないか」ということで、様々な活用方法を研究しまし
た。そして考えたのがオリンピックの表彰式会場でした。
新聞でサマランチIOC会長の「表彰式はなるべく多くの人が集
まる場所でやるべきだ」という発言を知り、ここが一番良いと判断
し、長野市に土地購入を提案しました。当時、長野市でもいろいろ
検討をしていたようですが、結論として有効活用は困難ということ
でした。しかし、私たちはあきらめきれませんでした。オリンピッ
ク施設は全て郊外にある、このままでは街の中でオリンピックの火
が燃え上がらない、なんとしても何かオリンピック施設を街の真中
に欲しい。それが将来の中心市街地活性化のきっかけになると私た
ちは信じ、長野市が買収しないなら、我々でなんとかしようではな
いかということで衆議一決、みんなで資本を出し合って新会社を作
り、第一生命さんの土地は借金をして不動産鑑定の価格で買収、鈴
木土地・昭和建物さんの土地は借りて、あのセントラルスクゥエア
を作ったのです。
会社の最初の取締役会での決議は、役員は全て無報酬であり配当
は期待しないということでした。要するに、私たちは儲け仕事です
るのではない、街のために、企業の武士道を発揮しようではないか
という気持ちでした。もちろん当時は、現在ほど景気が落ち込んで
はいなく、オリンピックを前にして皆の気持ちが高揚していた時期
だから可能だったということは事実でしょう。
結果はオリンピック時の中央通りの盛り上がりは想像以上であり、
すっかり有名な場所になりました。街のにぎわいも皆さんご記憶の
とおり、長野にあんなに人がいたのだろうかというほどでした。
オリンピックが終ってからの会社経営は、苦しいものがありまし
た。表彰式の舞台は、市民の皆さんからぜひ残してほしいとの声が
多かったので、手直しをして長野市に寄附しました(底地は無償の
使用貸借契約)。また、施設の維持管理費を捻出するため、舞台裏
の土地は原則有料駐車場、前面の広場は土・日・祭日は市民開放し
ていますが平日は有料駐車場として活用したり、ピンバッジ販売や
イベントの開催、さらに看板広告を設置したりと会社としてはいろ
いろな工夫をして赤字を出さないように頑張っているのですが、や
はり最大の誤算はバブル崩壊がここまで深刻であることを予測でき
なかったことで、土地価格が値下がりした分だけ含み赤字になって
しまいました。まぁ長野市との契約は平成15年3月までというこ
とになっていますので、そろそろどうするかを考えなければならな
い時期になっています。
今後もあの場所が、地元や街づくりを推進する組織(TMO)と
も相談しながら、街の活性化のために役立てば良いなあ、と思って
います。
故 斎藤英四郎さんのことを書き始めましたが、故人のことを思
い出す中でもっとも印象深く、長野市における大いなる資産となっ
たご功績を皆様に知っていただきたいと思っているうちに、思わぬ
方向に話がいってしまったことをお許しください。
2002年6月13日木曜日
レッツ トレッキング!!
トレッキングをご存知ですか。山や川辺、あるいは湖周辺や野原
でも良いと思いますが、ハイキング、あるいは登頂を目的とせずに
山を歩く。特にこうしなければいけないという義務を持たずに野山
を歩いて楽しむ、こんな感じでしょうか。海外では広大な土地を何
日間もテントを担いで歩くロングトレールという本格的なものもあ
るそうです。
私は、自分の選挙運動やその後の行政懇談会などで市内各地を巡
らせていただき、山、川、景色の素晴らしさ、自然の美しさ、空気
のうまさなどに触れ、本当に長野が誇れるものはこれではないか!
と改めて感じました。もちろん長野の魅力といえば、善光寺や松代
などの歴史的、文化的な価値、さらにはオリンピック施設を中心と
した近代的な施設など、いろいろあるのですが、これらと組み合わ
せたあの自然の美しさは素晴らしい資産であり、これを利用しない
手はないと考えました。
考えてみれば私の子どもの頃、すなわち昭和20年代の頃の遠足
といえば、この善光寺平周辺の山々でした。葛山、頼朝山、神代桜、
飯綱、富士の塔、旭山、ブランド薬師など、どれも懐かしい時代の
懐かしい名前ではありませんか。私の記憶は生まれた場所の関係で
どうしても北に偏りますが、長野市の周辺は素晴らしい自然の宝庫
なんです。バスで行く遠足より、自分の足で汗を流し、歩く早さで
景色を眺めながら近くの山を登ってみましょう。小田切や七ニ会か
ら見る北アルプスの山並み、長野市の街区を見下ろす気分は本当に
素晴らしいです。そして、そこにはあまり知られてはいないけれど、
その地域独特の歴史、文化が埋もれています。歩きながらそれらを
訪ねるのも素晴らしいではありませんか。
中山間地の活性化が求められております。農業や林業の再生によ
る地域の活性化はもちろん大切ですが、トレッキングコースを作っ
て都市部の人と交流し、その地域のことを知っていただくことも一
つの策ではないでしょうか。自然保護団体の意見でも「トレッキン
グコースは開発ではない。それより折角コースを作っても、放って
おけば一年で山にもどってしまう、メンテナンスが大変でしょう」
という見解でした。長野の自然が復元力に恵まれた素晴らしい場所
だという証しなのでしょう。
時代のムードが変わって、大型バスの観光旅行は減少気味で、親
しい人同士あるいは家族で旅行を楽しむ人が増えています。折から
の健康ブームもありトレッキングには絶好の機会になってきている
と私は考えるのです。最近の小・中学校の遠足はバスに乗って出か
けることが多いと聞いています。山々を歩くことは、子供達にとっ
ても身の回りの自然を見つめ直すことにも役立つような気がします。
二年前、私は飯山の関田山脈で「信越エキゾチック・トレッキン
グ委員会(小山邦武飯山市長が委員長)」を作って、コース設定の
お手伝いをしてきました。このコースは、日本有数のブナ林をもつ
素晴らしい場所で、今も少しずつトレッキングの輪が広がっており、
冬でも楽しめるようです。その前例を参考にしながら連携をとり、
長野では善光寺平周辺トレッキングとか、長野広域連合を視野に千
曲川右岸、左岸コースとか、いろいろ考えられるのではないでしょ
うか。
もちろん難しい問題はあるでしょうが、ぜひ挑戦してみたいテー
マです。地元の皆さんと良く相談する中で、上級・中級・初級と難
易度によって三つぐらいのコース設定をし、市民みんなで参加して
みると楽しいでしょう。
先日、七ニ会の陣場平へ行ってきました。あそこには青少年山の家
(宿泊施設)やグラウンドもあるのですが、今は利用者がほとんどな
くて、「取り壊そう、いや壊すな」と議論があるところです。私は約
2時間ぐらいかけて山の中を歩きましたが、素晴らしいところです。
地元の歴史もいろいろな言い伝えが残っているようで、調べてみると
面白そうです。「この陣場平もトレッキングコースの一つになるかな」
と、楽しく心地よい汗をかいて、帰りにおやきをご馳走になり帰って
きました。
2002年6月10日月曜日
長野県治水・利水ダム等検討委員会の答申について
去る6月7日に長野県治水・利水ダム等検討委員会の最終委員会
が開催され、宮地委員長から田中県知事に対し答申が為されました。
すなわち、「これまでの委員会審議の概要及びこれについて委員か
ら寄せられた意見を総合して、その多数を優先し、委員会は浅川の
総合的治水・利水対策として、B案すなわちダムによらない河川改
修単独案及びそれに対応する利水案を答申する。なお、A案を支持
する意見もかなりあったことを付記する」というものです。
長野市長である私は、この委員会の下部組織である浅川部会の委
員として約5ヶ月、議論に参加させていただきましたが、この答申
については極めて遺憾であり、市民の生命と財産を守る地元行政責
任者の一人として、言いようもない怒りを感じるものであります。
以下、理由を広く皆様に知っていただきたい、委員会の内情を知っ
ていただきたいと思い、敢えてメルマガ号外を配信させていただき
ます。
一点目としまして、まずこの文中にある「多数を優先し」という
部分です。委員会の構成メンバーは、最初からダム反対論者が多い
と分かっていたことではあります。従って少なくとも委員長は、多
数決の議論はとらないはずであると信じていました。これについて
は見事に予想に反してしまったと申し上げる以外に言葉がありませ
ん。私は大学教授という方はもう少し民主主義の原点を知っていら
っしゃる方と思っていました。田中知事が「脱ダム宣言」を発し、
県議会が反発してこの委員会の設置を決め発足したとき、私はある
県議会議員さんに「なぜこの委員構成なのですか?」と質問しまし
た。議員さんいわく、「委員会の設置は議会で提案できるが、残念
ながら委員の任命は知事の専決事項なんだ」とのことでした。私が
地方自治法の規定を知らなかった故の疑問でしたが、しかしこうい
う答申が出てくる、しかも結果として多数決で決したとおっしゃる
わけですから、ダム推進派の県議会議員さん方のご努力には敬意を
表しますが(すなわち委員会を設置すれば公平に委員は選ばれ、民
主的な議論が行われるという考え)、その委員会が設置された時点
から否定されたと考えざるを得ないということでしょう。もし私が
委員長の立場であり、B案をとるなら、A案の問題点を納得のいく
ように全て指摘した上で学問的良心にかけてB案だと言う。公平中
立な立場を求められる委員長としてそれが言えないなら、両論併記
しかないと私は思います。
二点目として、部会の討議を通して言えることですが、部会の委
員は自分の意見を述べ合っているだけで、相手の意見を聞いて自分
の意見を変更するということは、まずありませんでした。19名の
内、公募委員のお一人だけが、部会での審議を通じ賛成派の意見に
近づいていただけたかな、という感じはありましたが、学者的な方
々やダム反対に凝り固まっている方々の意見は終始一貫同じでした
(推進派の私達もその意味では同様です)。要するに「これは何か
を話し合って決める委員会ではなく、討論会、意見の述べ合いの会」
と申し上げて間違いないでしょう。この種の委員会の本来の姿は、
もっと公平で権威のある専門家の方々で構成され、そこで今回の委
員の意見等を十分聴取されて、判断を下すというのが民主的な手法
ではないでしょうか。アメリカの裁判が陪審員制をとっている意味
が良くわかりました。
ダム反対派の意見は、ある一つの組織の意見で統一されていまし
た。実に良く勉強されていましたし、公聴会での口述人を含めてお
っしゃることは全て同じ出所の意見と私には聞こえ、良く理論武装
されて喋っておられました。それに比べ、ダム推進派の意見は多種
多様で、それほど理論だっているわけではなく、長年水害に悩まさ
れてきた方々の生活実感のこもった意見が多かった。ですから、い
わゆる学者さんに対抗して議論するにはどうしても気後れがして言
いたいことの半分も言えない、そんな方々が多かったと私は思いま
した。私は行政代表の立場として、そんな方々の代弁をきちんとし
なくてはならないと考え、長野市の河川課の職員と連日頑張ってき
ましたが、本来の目的を果たすことができないこの委員会では、理
屈の通らない世界が数により支配されており、誠に残念ながら力不
足でした。
既に過去二回のメールマガジンで、私のダム推進の立場は十分述
べさせていただきましたし、その意見は委員会の答申が出た現在で
も全く変わっておりません。従って今回はダムそのものについての
意見は避けさせていただき、委員会の実態について述べさせていた
だきました。(この意見はもっと早く申し上げ、市民の皆さんに知
っていただきたかったのですが、もしかすれば答申内容が、市民の
生命と財産を守る立場にたったものになるかもしれない、という淡
い期待をもっていましたので、答申がでるまで出せませんでした。
お許し下さい)。
最後に、住民の生命と財産を守ることは、行政にとってもっとも
基本的な責務であり、最も尊重すべきことであります。この答申を
受けて知事がどのような判断を下すのかは分かりませんが、行政の
責任者として子々孫々にわたり地域住民を守り続けるという、責任
ある判断を下すことを期待しております。
2002年6月6日木曜日
ペイオフについて
この4月1日から始まったペイオフという言葉を知っていらっしゃい
ますか?要は銀行等の金融機関にある預金は、一預金者が一金
融機関につき1,000万円までしか国は保証しないという制度です。
実際は国の保証ではなく、預金保険機構の保証のようですが、これ
は大変なことです。今まで銀行が潰れるなんてあまり実感をもって
考えていなかったでしょうし、まあ潰れたって銀行の預金は国が保
証しているのだから、どこへ預けておいても同じと、大方の人は考
えていたと思うのです。
しかし、グローバルスタンダードの時代を迎え、金融機関のみな
らず、全ての企業が世界を相手に競争していかなければならない。
そんな時代に全ての預金を国が保証しているのでは、金融機関が
それに甘えてしまい、自らの経営努力をしていかない。国が保証を
やめれば、銀行が倒産したとき、預金も無くなってしまうわけですか
ら、預金者はそういう危ない金融機関には預けない、あるいは預金
を下ろしてしまう。すなわちその結果として不健全な金融機関が自
然に淘汰されるということなのです。お金持ちにとっては厳しい時
代、金融機関の安全性を自分の責任で判断しなくてはならない、そ
ういうことなのです。
ただ当面保証されないのは、定期性の預金だけで、普通預金や
当座預金は1年間は全額保証してくれるということなので、この4月
から定期を解約して普通預金に切り替える人が続出しているよう
です。
預金保険機構への保険料率の改定などから、銀行も困って普通
預金の金利を極限まで下げてしまいました(そのうち、預かり賃を
いただくことになるかも知れません)。まぁ定期の金利も大変低い
ですから、下げてもあまり影響はないのかもしれませんが。
個人の預金は、おのおのの責任で判断するとして、長野市の預金
はどうしたらよいか、これは大問題です。市民の皆様からお預かり
している大切な公金ですから、ハイリスク、ハイリターンは現段階
では求めにくい。すなわち、危険がたとえ僅かでもあってはいけな
いと考えています。
長野市は借金があるのだから借金と預金の両建てにしていければ
心配はない、いざとなったら相殺すればよいと私は当初考えていま
した。しかし甘かった!借金は銀行だけでなく、一番大きいのは国
から借りているのです。
それと例えば中小企業に制度資金を貸すためにいろいろな銀行に
長野市が預金をして、金融機関はそれを元に何倍かの資金を企業に
貸している制度ですが、結構いろいろな金融機関に預託しているの
です。その金融機関からは借金がなく預金だけでした。(長野市は
相殺が可能となるよう、新たに借入れを行いました。)
その他、実質的に長野市が全責任を持っている組織でありながら、
法的な代表者は市長ではない、そんな外郭団体が長野市にも結構
あり、それらの預金も相殺は出来ない。さらに、市民の皆さんの税
金なども、いろいろな銀行などを通して長野市に入ってくるので悩
んでいます。
幸い、普通預金が一年間はペイオフ対象ではないので、一応は普
通預金で対応することで、当面は問題ないのですが、来年以降の解
決にはなりません。公的預金はペイオフ対象からはずすべき、とい
うことが国会で議論された時期もありますが、どうも立ち消えになっ
てしまったみたいです。しかし、国の預金は最終的には日本銀行に
預けられ、その分については全額保証されるわけですから、地方公
共団体の公的預金についてもある程度の保護をしていただきたい。
現段階では、長野県内の金融機関は大変健全であるといわれて
おり、心配しなくても良いとはいわれておりますが、でも昨年の上田
商工信組破綻の例もあります。あの時は、幸いまだペイオフ解禁に
なっていなかったので、長野市だけでなくすべての預金は保護され
ましたので、事なきを得ましたが、今後絶対にないとは言えないの
が実態でしょう。行政も自己責任を問われる時代であることは承知
しています。
将来的には利回り等を考えて、有利な資金運用をすべき状況も生
まれてくる、しかし、現段階では行政にそのノウハウがないし、ある
金融機関が危ないからといって預金の引き下ろしをやったらどうな
るでしょうか?地元金融機関倒産の引き金を引くことにもなりかね
ないので、慎重な対応が必要でしょう。
長野市では、今後も健全な行財政運営を推進するため、全国の市
により構成されている全国市長会等を通じ、地方自治体における公
金の保護を国に要請するとともに、公金の運用及び安全性の確保に
おいて最大限の努力をしてまいります。