2002年8月22日木曜日

上越地域との関係について


 7月31日に海水浴に行ってきました。これは、長野市母子寡婦
福祉会と長野市の共催による市長の一日父親事業ということで、母
子家庭の父親役として新潟県の谷浜海水浴場に行ったものです。
このイベントは、日頃、一家の大黒柱として家庭を支えながら子
育てを行っている皆さんと、その子ども達の楽しい夏のイベントと
なるよう毎年実施しているもので、今回も総勢150人ぐらいの参
加がありました。私個人としては泳ぎは苦手な部類ですが、お母さ
ん方もたくさん参加され、嬉々として賑やかに子ども達と遊泳や
すいか割りをしたり、食事をしたりして過ごしました。
 
 この市長の一日父親事業は、昭和52年に日帰りのキャンプを実
施したことから始まり、昭和54年からは海水浴が実施されるよう
になり、今回で24回目を迎えました。この事業を始めた頃は、現
在ほど自動車の普及率が高くなかったため、経済的に恵まれない母
子家庭が海水浴に行くことがまだ難しい時期でもあり、また、夏の
レクリエーションとしての海水浴は子ども達にとって憧れでもあり
ました。
 平成12年度までは、市内小学校の臨海学校として使っている百
川の海水浴場に行っていましたが、百川の海水浴場の砂浜が狭くな
ってきたうえ、水深が深くなってきたことや、遊泳時間を少しでも多
く確保するなどの事情により、現在では谷浜の海の家を借りて実施
しているものです。

 一口に24回といいましても、ここまでこの事業を継続して実施
してくるには数々の困難があったと思いますが、当初から会長を務
めていらっしゃる荒井会長さんはじめ、役員の皆さんはこの事業が
続いていくことを誇りに思い、何日も前から準備をしているという
話を聞きますと、頭が下がる思いです。また、当日は、安全対策や
イベントの企画に万全の準備をしていただいたおかげで、事故もな
く楽しい一日を送ることができました。

 長野市母子寡婦福祉会では、夏の海水浴の他にも、冬には飯綱で
のスキーを実施しており、これからも子ども達に楽しい時間を提供
できればいいなぁと思いながら戻ってまいりました。

 それにしても、日本海で泳ぐなんて何年ぶりになるでしょうか。
一時は海が汚れ、海岸にゴミが打ち寄せられている時期もあったよ
うですが、最近の環境意識の変化によるものでしょうか、とっても
きれいになっている気がしました。

 長野地域と上越地域との関係は、かなり昔からのものです。明治
以降は県境が設定されたせいか、かえって往来は減ったのかも知れ
ません。江戸時代まではかなり近い地域であったようです。さかの
ぼれば戦国時代、上杉謙信と武田信玄が川中島で大合戦をやったこ
とは有名ですが、小説「天と地と」を読めば、武田に攻められた
信濃の豪族がみんな上杉に助けを求めたように、そんな時代以前か
ら海なし地域の信州にとって、上越との交流はかなり深かったと思
われます。私的なことで恐縮ですが、我が家の先祖は現在の本願寺
長野別院(戦前は正法寺という浄土真宗のお寺)が糸魚川から移っ
てきた際についてきたという伝えが残っていますし、江戸時代には
上越地域から信州にお嫁さんが来たという記録が残っています。こ
のようなことからも、上越地域との交流がかなり昔からあったと思
います。

 近年では、直江津港の整備も進んでガントリークレーン(注)が
設置されたり、外国との定期航路も生まれて、長野の企業の利用も
増えているようです。また昭和40年代の早い頃から、長野と上越の
商工会議所が毎年定期的な交流を続けており、その場に両市の市長、
理事者、議長及び議会関係者も入って毎年交互に開催しています。
長野上越経済協力会もそのことをベースに生まれました。長野オリ
ンピックの時には上越側にも随分応援してもらいましたし、上信越
自動車道の整備、北陸新幹線の長野以北の整備ということでは、協
力して国に働きかけたりしています。そういえば、直江津港の整備
費用として、長野県が毎年わずかではありますが協力していること
も、長い目でみると両者の関係を保つのに、有効でしょう。直江津
港では現在99haに及ぶ大きなふ頭などを造成中なのですが、そ
こに中部電力と東北電力がLNG(液化天然ガス)の火力発電所を
建設する予定になっており、この電力は当面長野県へ向けて送電さ
れるものだそうです。長野の電力は現在中部地域の浜岡原子力発電
所等からのものが多いのだそうですが、その電送路の幹線に、もしも
の事故があった場合は、長野県内は大停電になる可能性があるわ
けで、上越からの送電が確保できることは、長野にとって危険分散
ということでは、大変なメリットになるはずです。

(注)ガントリークレーン=港湾などでコンテナなどを積み下ろす
 ための巨大クレーン

 いずれにしろ、両市が高速道で結ばれ、あまり遠くない将来、新
幹線も繋がるわけで、今後交流は飛躍的に進むと思われます。上越
側の事情とすれば、県都の新潟市へ行くより長野市へ来るほうがは
るかに近いわけです。長野市側からみても、直江津港は長野の海と
いう位置付けで、そこから海外への飛躍が考えられる、夢が膨らむ
関係が進むことを期待しています。ひとつ気になることは、高速交
通網で結ばれて経済交流が盛んになることは嬉しいことですが、長
野の企業が新潟県へ進出するのと、新潟の企業が長野県に進出する
のと、どちらが多いかということですが、今の所、新潟の企業の方
が少し元気が良いのかな・・・・・と感じています。