2002年8月8日木曜日

オリンピック・パラリンピックの資産(その2)


 先週号では、オリンピック・パラリンピックによりもたらされた
有形・無形の資産のうち、ホスピタリティーや国際感覚の向上とい
った無形の資産について書かせていただきました。今週号では、
もう一つの大きな資産である有形資産の整備についてと、日本の
長野から世界のNAGANOへの躍進についてご説明を申し上げた
いと思います。

 有形の資産とは、両大会の実施に関連し整備された公共施設、
すなわち、私たちの生活を便利で快適にしてくれる資産。そして、
目で見て長野市の変貌を実感できる資産と申し上げるのが最も分か
りやすいと思います。

 これらの資産としては、長野市の社会基盤、すなわち各種のイン
フラ(注1)が急速に整備されたということでしょう。国内では景気
が落ち込み始めたあの時期に、長野市では両大会の開催に関連
してビッグ・チャンスに恵まれました。

(注1)インフラ=都市の基盤となる道路・鉄道・上下水道・電気・
 通信などの施設。社会整備基盤

 準備段階によく言われたことですが、21世紀になれば、日本は
急速に老人国になり活力を失う。そして公共のインフラを整備する
ピッチは相当ダウンせざるを得ないということが言われていました。
そんな中で長野は大きな国家プロジェクトを迎えて、いろいろな整
備を短時間に行うことができました。いわば20世紀最後のチャン
スを長野は掴んだのだと言えると思います。インフラについては、
性格の違ういくつかの例があげられるでしょう。

1.なんといっても新幹線、高速道といった高速交通体系の整備で
  ありましょう。オリンピックがなければ、新幹線の開通時期
  も不確定でしたし、オリンピック開催都市になったことにより
  フル規格に決定したものです。建設にあたっては反対運動もあ
  りました。でも、県外から乗り込んで反対した人は別にして、
  最後は長野オリンピックのために合意して間に合わせていただ
  きました。その後、新幹線や高速道の影の部分もありますが、
  素晴らしい世界を創り出してくれたと私は思います。

2.高速系以外の交通網・道路整備は、白馬線をはじめ、いわゆる
  オリンピック道路等、そして市内の道路もですが、大変便利に
  なりました。道路一本で、地域の流れが全く変わってしまうこ
  とに私達はびっくりするくらいです。

3.競技施設として整備された、エムウェーブ、ビッグハット、ホ
  ワイトリング、スパイラル、そして若里市民文化ホール、フル
  ネットセンターもオリンピックの資産です。これらの建物はコン
  ベンション誘致するための長野の大きな武器ですし、スポーツ
  を軸にして街造りをする象徴です。

4.民間でも市内にホテルがたくさんできたこと、街並みが整備さ
  れたことも大きかったと思います。オリンピック後に不況が進
  んで、ホテルの経営者の皆さんは御苦労されているようですが、
  ホテルという都市施設を造っていただいたこと、長野が一流の
  街と言われるためには、絶対に必要なことだったのです。

5.急速なIT社会の進展に先立ち、通信インフラが他都市より早
  く整備されたことも意義あるものでした。NTTさんの協力で、
  光ファイバーが長野市の全ての小中学校に繋がっている、これ
  は凄いことなのです。学校がフルネットセンターと結ばれたこ
  とにより、教育利用の場面では、ビデオ・オン・デマンド(V
  OD)(注2)という、全国がうらやむ環境が出来ており、学
  校もフルに利用しています。以上インフラの整備は、公共事業
  がドンドン減少している中で、約10年分を先取りしたといわ
  れているのが実情だと思います。

(注2)ビデオ・オン・デマンド=見たい映像を見たい時に簡単に
 見ることができるシステム

 これら、様々な分野においてインフラ整備が進んだことからも分
かるように、オリンピック・パラリンピックによって私達は少なく
とも他の市町村にはない素晴らしいモノを手にしたのです。こうい
う便利なものを当たり前のように使いその恩恵を受けていながら、
悪口をいう人の神経は私にはわかりません。

 しかし、残念なことにこれらインフラ整備が急速に進んだことに
より、影の部分も現れたことも事実であります。根本的には、オリ
ンピック招致が決まった頃から始まった日本のバブル崩壊とそれに
伴う平成大不況、さらに、どこのオリンピック開催都市でも経験す
る宴の後の落ち込み、この二つが重なってしまったことは、長野に
とって不運だったと思います。新幹線が出来て、東京からの日帰り
客は増えたが泊まる人が減った、と言う声がありますし、インフラ
整備を10年以上先取りしたが故に、公共事業が激減した、という
話もあります。
 
 資産はまだまだあります。今街づくりの中でバリアフリー(注3)
とかユニバーサルデザイン(注4)の街と言った努力も多分資産の
一つでしょう。2005年、スペシャルオリンピックス(注5)が
長野で開かれます。この大会でも素晴らしい感動を呼んでくれること
でしょうし、そんなイベントにぜひしたいものだと思います。

(注3)バリアフリー=建築設計において、段差や仕切りをなくす
 など高齢者や障害者に配慮すること
(注4)ユニバーサルデザイン=障害者・高齢者・健常者の区別なし
 に、すべての人が使いやすいように製品・建物・環境などをデザ
 インすること
(注5)スペシャルオリンピックス=知的発達障害者に、日常のス
 ポーツトレーニングプログラムと競技会を提供するボランティア
 活動で、IOC(国際オリンピック委員会)からも「オリンピック」
 という名称使用を正式に認められた、もう一つのオリンピック

 最後になりますが、大きな意味での資産の最後は「日本の長野」
から「世界のNAGANO」になったことでしょう。世界中どこへ
行ってもNAGANOという名前を知ってくれていること、これは
直接的な利益はわかりませんが、世界に長野市の文化、人々の
やさしさ、そして感動を発信できたことは、将来の長野市にとって
最大の財産となるでしょう。まぁそれで安住してしまえば、その
うちに忘れられてしまうかもしれませんが、少なくとも現段階では
NAGANO(長野)は、世界中の人々が知ってくださっている。
それを今後どんな風に生かすか、重い課題ではありますが、でも
大きな資産でしょう。

 オリンピック・パラリンピックにより得られた有形・無形の資産。
これらを今後どのように生かし活用し、さらに後世にどのように引
き継ぎ発展させていくのかは、本市にとって大きなテーマでありま
す。
 後ろを振り向いて後悔していてもはじまらない、前向きに考えて、
この難局を切り開いていくため、これからも、市民の皆さんと協働
しながら、これら資産の有効活用を図ってまいります。