ボランティアの活動が、私達の社会の中で大変重要であるという
ことが言われています。確かにその通りですが、理由は次の三つに
整理できるかと思います。
1.行政が全てをやる時代は終わったといえるのでしょう。バブル
時代、行政は仕事を増やし、職員を増やし、市民の要望に一生懸命
応えてきました。しかし、少子・高齢化の進展、人口減少の時代を
迎え、経済成長が望めず、税収が減る傾向がはっきりしてきて、行
政は厳しい財政運営を強いられる中で、市民要望を全て実現するこ
とは困難になってしまいました。
2.市民社会、市民参加型社会が出現してきました。即ち「自らの
社会は自らの手でつくろう」という市民型発想、自立型社会を目指
す運動が大きく広がりはじめました。行政側からすれば、その大き
なパワーを頼りにしたいということで、市民とのパートナーシップ
を行政運営の中心に据えようと考えはじめました。
3.ボランティアが組織として認められはじめたことも重要です。
個人ベースの行動だけでは、どうしても継続体制とか責任体制が曖
昧になることは否定できません。そこで、個人の自由な発想をベー
スにしながらも社会に対し責任と継続性をもった社会貢献活動をす
る組織として、いわゆるNPOが法的存在として出現してきました。
ボランティアが社会の構成要素として認知されてきたといって良い
のでしょう。
行政とすれば、そういう風潮を盛り上げ、ボランティアの方々に
もっと活躍してほしいと願っているのですが、いろいろネックはある
ようです。長野市の調査によると、ボランティアの皆さんが感じる
悩みは次の3点ということです。
1.資金問題
2.活動拠点
3.人材確保
資金問題については、行政がボランティア団体やNPO等に事業
を委託することが重要な要素でしょう。行政からある仕事を受託し
てその報酬を受け取ることで、安定した活動が可能になると考えら
れます。ボランティア活動を維持・推進するには、これが最も重要
でしょう。介護保険がはじまって、この事業分野は大きく広がりま
した。行政のサービスではまかないきれない、というよりボランテ
ィアのきめ細かな配慮は、行政には真似の出来ないものと思います。
行政からだけの受託ではなく、民間同士でも可能な分野(例えば
企業から市場調査や企画提案、福祉分野の音楽療法やアニマルセラ
ピー、青少年の健全育成やスポーツクラブ等々)もあるのではない
でしょうか。社会構造やシステムの違い、あるいはNPOの歴史の
違いがありますが、欧米のNPOは第二の市役所と言われるぐらい
大きな存在になっているようです。日本でもいずれ企業でも行政組
織でもない、21世紀の最も重要な組織になるかも知れません。
資金問題で大切なことは、実費や事務費、あるいは正当な報酬を
受け取ることは間違いではないということです。事業を行い利益を
上げても良いのです、ただその利益を構成員で山分けする、あるい
は配当をすることは許されません。その組織の目的達成のために使
うことはかまわないと言うことなのでしょう。
拠点については、現在はNPO代表者の自宅等を事務所にしてい
ることが多いようです。長野市では既に市役所の隣に本格的なボラ
ンティアセンターを設けていますが、まだ足りないと言われていま
す。そこで、今度取得した旧ダイエー長野店ビルにも、市民活動
をする方々の拠点として使っていただくフロアを設置する予定です。
ご相談いただいて、ぜひご利用ください。そして、あのビルには、
まだ余裕がありますので、みなさんからの要望が多ければ、さらに
増やすことも検討したいと考えています。たくさんのNPOの出現
を期待しています。
人材不足、これはある意味では一番深刻なのでしょう。いずれの
組織・団体でもそうですが、創業時の人材から次の世代に活動の中
心を移すことは、なかなか難しい問題です。創業者からみれば「若
いものにはまだまだ任せられない」若い人からみれば「あんな年寄
りとは一緒にやっていられない」そんな感情があることはある意味
では当然でしょうし、後継者が現れない一つの原因でしょう。また
創業時の方々は、お互いみんなよく知っている、気心の知り尽くし
た人が集まった集団であることも、次の世代が参加することを難し
くしているのかもしれません。
このことについては、行政としてなかなかお手伝いしにくいテー
マです。ボランティア育成のための研修、リーダー養成ということ
でのお手伝いはぜひやらしていただきたいと考えていますが、直接
的にはボランティアのみなさんの努力であり、組織内部のコミュニ
ケーションと仲間育成の重要性の認識でしょう。
以上、ボランティアに関していろいろ申し上げてきました。もっと
違う考えがあるとは思いますが、いずれにしても長野市のボランティ
ア活動をもっと盛んにしたいという私の意気込みは、ぜひわかってい
ただきたいと思い、このメールマガジンを書いています。
2002年10月31日木曜日
ボランティアについて
2002年10月24日木曜日
豊野町からの合併協議の申し入れ
10月8日、豊野町から萩原町長さんはじめ、助役さん、収入役
さん、そして町議会の正・副議長さん、町議会合併問題特別委員会
委員長さんの6名の方が長野市へ来られました。これに対して、長
野市は、私と市川助役、伊藤収入役、小山議長、宮﨑副議長、松木
合併問題調査研究特別委員長さんでお迎えしました。
萩原町長さんから、長野市との合併協議の申し入れがありました。
ここに至るまでの経緯としましては、豊野町では16歳以上の住民
全てにアンケートが実施され、その結果をもとに町議会議員、各種
団体代表者等で構成する市町村合併研究委員会、町議会合併問題特
別委員会で議論を重ねられ、正式に長野市との合併協議の申し入れ
になったわけです。
私は豊野町の決断に敬意を表するとともに、合併は長野市の将来
を占ううえでも重要な課題であり、早急に検討を要するものである
と考えておりました。このため、合併協議を進めるための第一歩と
して、豊野町との間で任意合併協議会を設置することについて、
10月21日に市議会全員協議会を開催し、承認をいただきました。
市町村合併に対する長野市長としての私の考え方は、次のような
ものです。
1.近年の交通・通信手段の発展や経済活動の広域化等により、通
勤、通学、買い物等の住民の日常生活圏は、市町村の枠を越え
て広がっている。行政の垣根をとりはずすことは、社会が発展
するうえで重要なことであろうということは、常々考えていた
ことの一つです。
2.地方分権一括法が成立した現在、いよいよ本格的な地方の時代
がやってきました。まだ財政自主権が地方自治体にあるとは言
えない不十分な状況で、今後の行政や財政の効率的な運営を考
えると、地方自治体の果たすべき役割は現在よりも重要性を増
すことは間違いないでしょう。その時、市町村がきちんとした
受け皿にならないと、地方自治が成り立たない。そのためには、
市町村が一定の規模にないと、多様化する住民要望に応えてい
けないのではないか。
3.政府は合併を促進するために、平成17年3月末までを合併特
例法の期限と定め、様々な支援策を提示しています(いわば合
併促進のための“にんじん”と言っても良いでしょう)。その
方法に反発もあって合併はしないとの方針を打ち出している自
治体もありますが、私は「どうせ合併するのなら、“にんじん”
がある間にした方が良いのではないか」と考えています。
政府の提示している合併の支援策は次のようなものです。
(ア)地方交付税の算定の特例
(イ)合併準備事業への支援
(ウ)新たなまちづくり事業への支援
(エ)国や県の事業の優先採択・重点投資
4.長野市としては、今後、効率的な行財政運営をするため、また、
一層の権限移譲を受け、独自のまちづくりを進めるために、新
たに策定する「第三次長野市総合計画後期基本計画」に政令指
定都市を視野に入れた市町村合併の推進を掲げていくことを検
討しています。
さて、本市としましてはこの申し入れを受け、今後、豊野町との
間で任意合併協議会を設置し具体的な協議を進めてくとともに、庁
内に合併協議を進めるための推進体制の整備を図り、併せて、合併
協議のための情報提供を積極的に進めてまいりたいと考えています。
2002年10月17日木曜日
公共事業悪玉論について
公共事業を止めるべき、あるいは減らすべきという議論が高まっ
ています。確かに日本全体に財政が悪化して余裕がなくなっている
こと、無駄な公共事業が指摘されていること、政治献金とゼネコン
のつながりが告発され、国民の嫌悪感をつくってしまったことなど
が要因にあると思います。また、少子高齢化が進む中で、国民の関
心は公共事業よりも福祉施策の充実へと変わってきており、この背
景には、自然志向というか自然を大切にしようといった、意識変化
なども要因の一つと思われます。さらに加えれば、閉塞感が深まる
中、「将来の子孫に美田を残す余裕はない、現実が大変なのだ」と
いうことかも知れません。
こんな傾向が反映したわけでもないのですが、長野市の平成14
年度の予算は、初めて民生費が土木費を上回りました。土木費の中
には公共事業に必要な土地の購入費も含まれていますので、今年の
場合はたまたま土地購入が少なかったということもありますが、こ
の傾向は今後も続くのかなと感じていることは事実です。
ただ、市長就任以来約11ヶ月、市内各地で「元気なまちづくり
市民会議」と題して行政懇談会を開催していますが、住民サイドの
公共事業期待論、特に道路建設の要求は大変多くあります。もちろ
ん学校のことや保育所、児童館、障害者施設、公民館などの要望も
多いのですが、地区ごとの話になるとどうしても生活道路やバス路
線といった市民の足の部分が多いように思います。
オリンピック前の長野市は、高速交通網の遅れから、「陸の孤島」
といつも自嘲気味に嘆いていたのですが、新幹線の開通や高速道の
整備に伴い、市民の関心は変わってきています。高速交通網の整備
から生活環境の充実へと意識が変わる中で、中山間地の市民にとって、
生活道路への投資はどうしても必要であるということなのです。
過去、オリンピックを前にして、その関連道路に力を入れざるを
得なかったことは事実ですが、オリンピック直後からは、長野市も
生活道路に力を入れています。全般的に財政が苦しく、なかなか事
業が進まないことも事実ですが、でも、こういう公共事業はどうし
ても必要なのです。
国の議論を聞いていても、整備新幹線建設の是非や道路公団の民
営化によるプール制の廃止と不要路線の建設中止など、公共事業の
あり方が大きな焦点になっているようです。
長野市にとってみればオリンピックを契機に高速交通網の整備は
一応出来ていますので(もちろん、高速道については上越市までの
片側2車線化、新幹線については最終的には大阪までの延伸といっ
た問題はありますが)、あまり切実感がないということも事実では
ないでしょうか。しかし、これから造ろうという地域にとっては、
まちの再生をかけた一大事業であり大問題でしょう。地域や国民の
平等感という観点からみれば、当然必要ということなのだと思いま
す。
同じようなことですが、70歳以上の皆さんが市内のバスを100
円で利用できる「おでかけパスポート」事業は、お年寄りの活動範
囲が広がったという意味で大変評判の良い事業ですが、一番つらい
のは「せっかくパスポートをもらっても乗るべきバスが無い」と言
われることです。それを解消しようと必死に取り組んでいますが、
バス会社も採算性の問題などから、簡単にバス路線を増やせないと
いった問題があり、なかなか市民の皆さんの平等感を満たすことは
難しいものです。
公共事業とは少し違う話ですが、公共交通機関の確保、再生は地
方都市にとって大変重要な仕事と考えています。若者が多い時代は
自家用車を運転して、病院へお年寄りを送迎したり、買い物などで
山間部から市街地へ出かけることも簡単に出来ていたわけですが、
現在のように地区によっては高齢化率が30%を大きく超えるよう
な時代になると、それがままならないわけで、お年寄りや子どもの
足をどのように確保するかが問題になってきます。これは、一種の
福祉事業かも知れませんが、市民の重要な要求の一つなのでしょう。
このことは、環境問題の面からも考えなくてはならないことだと
思っています。道路幅を広げ、あるいは立派な道路を造ると、結局
車が増えるという「いたちごっこ」が続いているのです。環境を考
えると、自動車の排気ガスを減らす、エネルギー消費を減らすとい
うことが、今後重要な施策になってくることは事実でしょう。
通勤時間帯、ほとんどの車は一台に一人で乗っています。バスな
ら一台に数十人が乗れるわけで、その結果、何台もの車を通勤時間
帯の道路から減らすことが可能になり、その分、ラッシュアワーの
混雑も無くなって、そこでも排気ガスを減らすことが出来る・・・。
難しい問題ではありますが、いずれ施策の柱になるのではないかな、
という予感がしています。
「環境」は人類の生き残りをかけたテーマなのですから。
2002年10月10日木曜日
旧そごう跡地への信越放送の進出
平成12年の夏、旧長野そごうが自己破産、直後に旧ダイエー長
野店が撤退発表と暗いニュースが相次ぎ、以来、市民はもとより地
元商店街、そして長野市の経済界全てが、オリンピック終了後の景
気の落ち込みを憂え、暗澹たる気分になっておりました。しかし、
旧ダイエービルである長野センタービル(以下、NCB)については、
長野市が取得し、公共施設などにより後利用の方向性が決まりつつ
あるなど、ようやく明かりが見え始めました。
そんな中、8月22日に信越放送(株)(SBC)の塩沢社長が
来庁され、SBCとして中心市街地の旧長野そごう跡地へ進出する
ことを決意したというお話をいただき、さらに、10月8日には管
財人との売買契約が完了し、いよいよ決定したとの話をいただきま
した。私としては、空洞化した長野市の中心市街地をいかに再生す
るかという大命題に対し、具体的な再生策が見えてきたということで、
大歓迎の意を表明させていただきました。本当に嬉しかったというの
が実感です。
今日は、旧長野そごう跡地へSBCが進出するまでの経緯と後利
用について、私の考えをお話いたします。
1.オリンピック終了後の平成11年、長野市は中心市街地の活性化
を目指し、中心市街地活性化基本計画を新たに策定いたしまし
た。その中で、中央通りと昭和通りが交差するあの一角につい
ては、大型専門店を核に分譲住宅、市の公益床、既存商店など
からなる長野銀座A-1地区の再開発計画を進め、商業集積の
場と位置付けてきました。
2.ところが、前述のとおり平成12年に両大型店の破産・撤退が
発表になり、その計画が進まなくなり、画餅に帰してしまった
のです。どうすべきなのか、その間各方面で議論されてきたわ
けですが、論点は概ね次の事柄だったと思います。
(ア)長野駅と善光寺、長野県庁と長野市役所、これらを結ぶこの
交差点は長野市の象徴ともいうべき場所であり、何とかしな
くてはならない。
(イ)最大手といわれたそごう、ダイエーが駄目だったということ
は、物販を中心とした開発は無理ではないか。ながの東急百
貨店などいくつかの例外はあるものの、中心市街地の大型店
は、モータリゼーションの進展と共に発展している郊外店に
押され、全国的に苦戦している。しかしながら、何でも良い
というわけにはいかない。それなりの風格があり、そして街
の賑わいを演出できるものが欲しい。
(ウ)平成の大不況下、特に長野市はオリンピックという大事業の
後という事情も加わり、民間投資が冷え込んでおり厳しい。
しかし、手をこまねいて何もしないということでは、あの場
所に大きな空ビルが相当の期間残ることになり、街にとって
は大変困った状況になる。また、そんなことになったら、長
野市は「不況都市の典型」と言われかねないうえ、今後、長
野市へ投資しようという事業者がいなくなってしまい、街の
発展は望めなくなってしまう。何とか象徴的な場所に投資す
る人がいないか、債権者の八十二銀行、商工会議所、商店街、
地元の方々、そして長野市も、一生懸命考え模索してきたわ
けです。
3.平成14年に入って、長野市がNCBのビルを取得しました。
その経過、理由については以前のメルマガに書かせていただき
ましたので、ここでは省かせていただきます。
4.NCBとは事情が違って、長野そごうは自己破産をしています
ので、資産は裁判所の管轄下に入ってしまいました。管財人や
債権者の立場では早く競売して資産処分するということが大切
なのでしょう。しかし、私はその方々に対し「長野市の将来を
考えて処分を決めて欲しい。競売という手段は、法的には当た
り前ではあるが、誰が落札するか分からない怖さがある。出来
たら任意売買で処理して欲しい。」ということを管財人に対し
てお願いしてまいりました。
5.いろいろな選択肢が考えられる中で、昨年秋ごろから、八十二
銀行や管財人がSBCに進出を打診し始めました。SBCとす
れば、創業以来の歴史的な変革期であるテレビ放送のデジタル
化への投資を目前にして、出来たら中心市街地に出る可能性も
模索されていたようです。また、同社の意思として空洞化した
中心市街地再生のお手伝いが出来るなら、という気持ちもおあ
りになったようです。
6.一方、旧長野そごうの西隣では長野銀座A-1地区再開発事業
が行われることになっていたのですが、こちらの計画はオリン
ピック以降、下落が止まらない地価の影響をはじめ、 社会経
済情勢の悪化や大型店の撤退という予想外の出来事に遭遇し、
テナントを探すことが難しくなり、採算性の問題からそのまま
実行することはかなり難しいといった状況に見舞われていました。
再開発という手法そのものが、いわゆる右肩上がりの経済の時
代における産物のため、動けなくなってしまった、ということ
も言えるのでしょう。
7.そんな状況の中、長野銀座A-1地区の都市計画決定を変更し、
A-1再開発計画を旧長野そごう跡地まで広げ、全体としての
開発を考えようという新たなまちづくり構想が持ち上がりまし
た。商工会議所等でもその線で進めようということでSBCに
陳情したり、八十二銀行、管財人、そしてA-1再開発準備組
合や長野市も加わって、話し合いを進めてきました。さらに、
長野市が3月に設立した長野中央地域まちづくり検討委員会や
議会の中心市街地活性化対策特別委員会のご意見を踏まえたう
えで、今回のSBCの決断につながったという事だと思います。
私は、今回の決定はまだ方向性が決まったという段階であり、詳
細が決まるまでは、まだまだ山あり谷あり、難問は山積みだと思っ
ています。SBCとすれば、2006年のデジタル放送開始という
期限があり、それまでには完成しないと困るという制約もあるわけ
で、早急に解決に向かって動き出す可能性が高いと考えられますが、
長野市が取得したNCBとの有機的な利用ということも大切ですし、
周辺の商店街の協力体制も重要で、それが中央通り全体に波及して
いく効果も期待したいところです。
全国的に中心市街地の空洞化が叫ばれている中で、この計画が上
手く進んで、空洞化解消のモデルとして全国へ発信できる、そんな
事業になってくれればと夢みています。
2002年10月3日木曜日
猪瀬直樹氏を迎えて
9月29日の日曜日に「元気なまちづくり市民シンポジウム」を
長野市民会館で開催しました。当日は、猪瀬直樹さんを迎えて「民
営化の時代」と題し基調講演をして頂きました。
猪瀬さんについてはすでにご存知の方も多いこととは思いますが、
長野市出身で長野高校、信州大学を経て作家として活躍されていま
す。さらに、現在では政府税制調査会委員、そして道路関係四公団
民営化推進委員会委員として大活躍をしておられる方です。失礼か
もしれませんが、「民営化の権化」と言っても良い方であろうと私
は思っています。
私は一年前の市長選の時から、一貫して常用してきた政策手法と
して「行政に民間発想を入れる」と言いつづけてきました。そのた
めにこのシンポジウムに誰を呼ぶかについては、多分迷ったのでし
ょうが、彼を講師と選任した長野市の企画政策部の感覚は悪くない
なあ、と感じています。まさに呼びたかった人、そしてテーマでし
た。
この講演会は、本年度第三次長野市総合計画の後期基本計画の策
定に当たり、いろんな方のご意見をお聞きする、いわゆるパブリッ
クコメント(注)の一環としてのシンポジウムでした。
(注)パブリックコメント=行政機関などの意思決定過程において
広く国民に素案を公表し、それに対して出された意見・情報を考慮
して意思決定を行うもの
長野市の第三次総合計画は、平成11年度から平成22年度まで
の12年間の計画です。それを前期と後期に分けて、平成15年度
までが前期基本計画、平成16年度から後期基本計画がスタートす
る予定でした。しかし、私が市長に就任した平成13年11月の時
点で長野市をとりまく環境は、この計画を策定した時期と大きく変
わっており、この計画をそのまま継続することは、無理になってい
ると判断しました。しかし、本市の基幹となる計画ですので、変更
には膨大な資料と審議会等における十分な検討が必要であったこと
から、平成14年度は前期基本計画に従った予算組みを基本にしま
した。その代わり平成14年度中に、後期基本計画を策定して、一年
前倒ししようということを決定し、策定作業に取り組んできたわけ
です。
猪瀬さんの話は、聞く人によって感じ方はいろいろでしょうが、
「何故、今、民営化か―単に四公団の話ではない、日本人のライフ
スタイルの変更なのだ、このままでは日本は活力を失う、日本全体
が社会主義化している。大人になること、それはリスクを受け入れ
ることだ。諏訪の「御柱」、岸和田の「だんじり」などは命がけだ
けれど、それは大人になる通過儀礼として必要なのだ。今はその通
過儀礼がない。子どもに言う前に大人がリスクを受け入れなくては
・・・。」
「みんなサラリーマンになってしまった、変化の無い人生を皆が
求めている(それは行政が膨らみすぎたから)、将来に不安がある
から人生のはず、という当たり前のことを日本人は忘れている・・
・。」
私の受け取り方は、皆さんと違うかもしれませんが、彼の話に大
変感激しました。彼の話を長野市に移して考えることの重要性を考
えさせられました。言いかえればこのくらい乱暴な意見の持ち主で
ないと、改革は出来ないのだろうな、と思いました。
猪瀬さんの講演の後は、元信越放送アナウンサーの武田徹さんが
コーディネーター、猪瀬さんがコメンテーターで、総合計画審議会
の塚田俊之会長(長野県経営者協会副会長)、立浪澄子同審議会副
会長(長野県短期大学助教授)、石川利江さん(ISHIKAWA
地域文化企画室代表)、そして私も加わって「元気なまちを目指し
て~未来のために長野改革~」をテーマにパネルディスカッション
を行いました。
それぞれ経済界、福祉、教育、文化・芸術の方面で活躍されてい
る皆さんの実体験を踏まえた有益なお話を伺うことができ、大変有
意義なパネルディスカッションになったと思います。
このシンポジウムを通じ、改めて「元気なまち」に向けて、市民
の皆さんとのパートナーシップにより、積極的に長野改革を実行し
ていこうと気持ちを新たにしました。
引き続き皆さんのご協力をお願いします。