2002年10月10日木曜日

旧そごう跡地への信越放送の進出


 平成12年の夏、旧長野そごうが自己破産、直後に旧ダイエー長
野店が撤退発表と暗いニュースが相次ぎ、以来、市民はもとより地
元商店街、そして長野市の経済界全てが、オリンピック終了後の景
気の落ち込みを憂え、暗澹たる気分になっておりました。しかし、
旧ダイエービルである長野センタービル(以下、NCB)については、
長野市が取得し、公共施設などにより後利用の方向性が決まりつつ
あるなど、ようやく明かりが見え始めました。

 そんな中、8月22日に信越放送(株)(SBC)の塩沢社長が
来庁され、SBCとして中心市街地の旧長野そごう跡地へ進出する
ことを決意したというお話をいただき、さらに、10月8日には管
財人との売買契約が完了し、いよいよ決定したとの話をいただきま
した。私としては、空洞化した長野市の中心市街地をいかに再生す
るかという大命題に対し、具体的な再生策が見えてきたということで、
大歓迎の意を表明させていただきました。本当に嬉しかったというの
が実感です。

 今日は、旧長野そごう跡地へSBCが進出するまでの経緯と後利
用について、私の考えをお話いたします。

1.オリンピック終了後の平成11年、長野市は中心市街地の活性化
  を目指し、中心市街地活性化基本計画を新たに策定いたしまし
  た。その中で、中央通りと昭和通りが交差するあの一角につい
  ては、大型専門店を核に分譲住宅、市の公益床、既存商店など
  からなる長野銀座A-1地区の再開発計画を進め、商業集積の
  場と位置付けてきました。

2.ところが、前述のとおり平成12年に両大型店の破産・撤退が
  発表になり、その計画が進まなくなり、画餅に帰してしまった
  のです。どうすべきなのか、その間各方面で議論されてきたわ
  けですが、論点は概ね次の事柄だったと思います。

(ア)長野駅と善光寺、長野県庁と長野市役所、これらを結ぶこの
   交差点は長野市の象徴ともいうべき場所であり、何とかしな
   くてはならない。

(イ)最大手といわれたそごう、ダイエーが駄目だったということ
   は、物販を中心とした開発は無理ではないか。ながの東急百
   貨店などいくつかの例外はあるものの、中心市街地の大型店
   は、モータリゼーションの進展と共に発展している郊外店に
   押され、全国的に苦戦している。しかしながら、何でも良い
   というわけにはいかない。それなりの風格があり、そして街
   の賑わいを演出できるものが欲しい。

(ウ)平成の大不況下、特に長野市はオリンピックという大事業の
   後という事情も加わり、民間投資が冷え込んでおり厳しい。
   しかし、手をこまねいて何もしないということでは、あの場
   所に大きな空ビルが相当の期間残ることになり、街にとって
   は大変困った状況になる。また、そんなことになったら、長
   野市は「不況都市の典型」と言われかねないうえ、今後、長
   野市へ投資しようという事業者がいなくなってしまい、街の
   発展は望めなくなってしまう。何とか象徴的な場所に投資す
   る人がいないか、債権者の八十二銀行、商工会議所、商店街、
   地元の方々、そして長野市も、一生懸命考え模索してきたわ
   けです。

3.平成14年に入って、長野市がNCBのビルを取得しました。
  その経過、理由については以前のメルマガに書かせていただき
  ましたので、ここでは省かせていただきます。

4.NCBとは事情が違って、長野そごうは自己破産をしています
  ので、資産は裁判所の管轄下に入ってしまいました。管財人や
  債権者の立場では早く競売して資産処分するということが大切
  なのでしょう。しかし、私はその方々に対し「長野市の将来を
  考えて処分を決めて欲しい。競売という手段は、法的には当た
  り前ではあるが、誰が落札するか分からない怖さがある。出来
  たら任意売買で処理して欲しい。」ということを管財人に対し
  てお願いしてまいりました。

5.いろいろな選択肢が考えられる中で、昨年秋ごろから、八十二
  銀行や管財人がSBCに進出を打診し始めました。SBCとす
  れば、創業以来の歴史的な変革期であるテレビ放送のデジタル
  化への投資を目前にして、出来たら中心市街地に出る可能性も
  模索されていたようです。また、同社の意思として空洞化した
  中心市街地再生のお手伝いが出来るなら、という気持ちもおあ
  りになったようです。

6.一方、旧長野そごうの西隣では長野銀座A-1地区再開発事業
  が行われることになっていたのですが、こちらの計画はオリン
  ピック以降、下落が止まらない地価の影響をはじめ、 社会経
  済情勢の悪化や大型店の撤退という予想外の出来事に遭遇し、
  テナントを探すことが難しくなり、採算性の問題からそのまま
  実行することはかなり難しいといった状況に見舞われていました。
  再開発という手法そのものが、いわゆる右肩上がりの経済の時
  代における産物のため、動けなくなってしまった、ということ
  も言えるのでしょう。

7.そんな状況の中、長野銀座A-1地区の都市計画決定を変更し、
  A-1再開発計画を旧長野そごう跡地まで広げ、全体としての
  開発を考えようという新たなまちづくり構想が持ち上がりまし
  た。商工会議所等でもその線で進めようということでSBCに
  陳情したり、八十二銀行、管財人、そしてA-1再開発準備組
  合や長野市も加わって、話し合いを進めてきました。さらに、
  長野市が3月に設立した長野中央地域まちづくり検討委員会や
  議会の中心市街地活性化対策特別委員会のご意見を踏まえたう
  えで、今回のSBCの決断につながったという事だと思います。

 私は、今回の決定はまだ方向性が決まったという段階であり、詳
細が決まるまでは、まだまだ山あり谷あり、難問は山積みだと思っ
ています。SBCとすれば、2006年のデジタル放送開始という
期限があり、それまでには完成しないと困るという制約もあるわけ
で、早急に解決に向かって動き出す可能性が高いと考えられますが、
長野市が取得したNCBとの有機的な利用ということも大切ですし、
周辺の商店街の協力体制も重要で、それが中央通り全体に波及して
いく効果も期待したいところです。

 全国的に中心市街地の空洞化が叫ばれている中で、この計画が上
手く進んで、空洞化解消のモデルとして全国へ発信できる、そんな
事業になってくれればと夢みています。