2003年10月2日木曜日

教師の適格性について(その1)


 『困った先生』は教室から退場を・・・・・。指導力不足教員を
認定する制度が全国で急速に広がっており、認定を受けて教壇を降
りた教員が昨年度、過去最多となったことが文部科学省の調査で分
かったという新聞記事が載っていました。

 この問題に取り組んだのは、東京都が97年と早かったようです
が、国としては98年9月に文相の諮問機関である中央教育審議会
が「適格性を欠く教員等への対応」を行うよう答申したことがきっ
かけで、それ以降、各都道府県の教育委員会は、いろいろな工夫を
しながら進めてきているようです。教職員の処遇に関することです
から、教職員組合(日教組、高教組)も大いに関心があるはずです
が、「指導力不足の認定制度」は容認しているとの話ですので、
当たり前とはいえ少し前までの状況とはかなり違ってきているよう
です。

 では、長野県の場合はどうなっているのかということですが、今
回発表された文部科学省の数字(指導力不足289人を認定)には
1人も入っていないようです。

 昨年7月、指導力不足教員検討委員会が設置され、10名の委員
が任命されて審議を開始し、本年3月、「指導力不足等教員への対
応について」という報告書を県教委に提出しました。東京都は97
年に始めているわけで、それに比べて長野県教委の対応の遅さは気
になりますが、報告書の内容を拝見した限り妥当なものと思います
ので、一日も早く報告書の中味を実現していただきたいと望むもの
です。

 制度の根幹を作るのは具体的にはなかなか難しいとは思います。
でも既に他県でもやっていることですから、“良いとこ取り”で早
くやることです。

 その内容を要約すれば
1.指導力不足教員という認定を、「誰が」「どういう基準で」行
  うか
2.認定された教員の再教育をどうするか
 の二点でしょう(指導力不足と認定された先生の職種転換問題も
 大切ですが、それは次の問題でしょう。)

 私達の社会では、もともと先生は尊敬すべき人として敬う伝統が
ありましたし、子どもの教育を負っていただいているという意識も
あって、直接的に先生を批判することは避けてきたように思います。
でも一部どうしようもない先生がいることは事実ですし、それを「か
ばう」あるいは「隠す」体質も常に指摘されているところで、その
ために教育界全体が批判される風潮もあるように思います。

 一般行政社会、いや、それ以外にもあらゆるところにそういう体
質はあると思います。しかし、ここ10年ぐらいで行政社会だけで
なく、政治の世界、企業社会、医療関係、福祉関係等々、あらゆる
世界で求められるのが、透明性・公開性・説明責任であり、社会が
変わりつつある大きな要因になっています。

 教育界だけを特別視する理由はないと私は思います。行政の社会
で言えば、最近全ての自治体が始めた行政評価であり、特に外部評
価です。教育の世界で言えば、学校の先生が真の教育をやっている
か、子供達の成長に貢献しているか、社会が問うているのだと私は
思います。学校での学校自己評価(外部評価も含めた)制度もスタ
ートしていますが、しかし、これは教育改革のほんの序の口であり、
第一歩です。これから本当の意味での変革が始まる、そんな予感が
します。