最近、企業の役員が何人か並んで記者会見し、事情説明をしてか
ら「申し訳ありませんでした」とそろって頭を下げる姿が多くなっ
たように感じておられる方が多いのではないでしょうか。
食品メーカー、保険等の金融会社、自動車メーカー、家電メーカ
ー、湯沸かし器メーカー、建設会社・・・数え上げればきりがあり
ませんが「エッ!あの企業まで・・・」ということを感じておられ
る方も多いのではないでしょうか。
企業のコンプライアンス(法令遵守)ということが強調され、間
違ったことを放置すると大変なことになるということが浸透してき
た結果であり、一面では企業社会がひところに比べ健全になってき
た証ではありますが、これほど多いとうんざりですね。
3月のメルマガ(203号)でライブドアの問題について、世の
中の監査制度が正しく機能していないことが問題点であると指摘さ
せていただきました。その後、村上ファンドの問題が明らかになっ
て、批判されています。今回はこの問題について述べてみたいと思
います。
村上ファンドが物言わぬ株主に寄りかかって安穏としている上場
企業に対し、警鐘を鳴らしてきたことは、すごくよく分かります。
ただ最初の素晴らしい動機が、多分儲かり過ぎたがゆえに、狂って
しまったのでしょうか。彼がテレビの会見で、あの大きな目を見開
彼は本当の意味の資本主義の精神、日本人の良識を踏み外してしま
ったと感じたのは私だけでしょうか。
証券取引法上のインサイダー取引という、ある意味では彼は知ら
なかったということで軽い罪で済むと思っているのでしょう。法的
にはそうかもしれませんが、それは違います。資本主義の本来のあ
り方について、みんなが一生懸命働くことを、つまらないと感じさ
せたという点で、罪は大きいのです。日本社会の良い点をつぶした
という意味で、歴史上有名にはなるでしょう。
もし、彼が最初の動機、それは福井日銀総裁までが若い志を応援
しようと思わせるだけの素晴らしい動機をそのまま維持していたら、
多分日本資本主義の救世主になっていたのかもしれません。でも儲
かり過ぎたがゆえに、最初の動機、志から逸れていってしまったと
言うことではないでしょうか。結局、彼は成り上がり者に過ぎなか
ったという評価を世論から受けてしまうのではないでしょうか。
100億円の資金を集めて年間2割の成果配分を出せても、40
倍の資金でも同じことができると考えた、いや、やらなければなら
なかった・・・だから無理をした、だましや詐欺まがいのこともせ
ざるを得なかった・・・。
日銀総裁の責任が云々されていますが、道義的責任は免れないと
思います。銀行預金の金利がここまで下げられた、大衆の銀行預金
の金利を下げることによって、銀行に利益を与え、銀行の不良債権
を片付け、日本経済の再生を果たした(言い方を変えれば、国民の
受け取るべき金利分を銀行のために使ったとも言えるかもしれませ
ん)、金融の総元締めの日銀総裁とすれば、やむを得ない選択であ
ったと思いますし、不人気な政策をやり通したという意味で立派だ
と思いますが、その裏で数年で倍以上になる投資をしていたことは、
国民感情を逆なでする話だと思います。公人というのは、間違いが
あってはならない、あった場合はきちんと非を認めることが必要で
す。
革命を目指す素晴らしいアイデアの持ち主が活躍する、そして時
代の寵児ともてはやされる、そのもてはやされた時に、きちんと対
応できるかがその人の価値でしょう。私たちも時代に流されず、き
ちんとした目を持っていたいものですよね。
ライブドア、村上ファンドなどの問題で、「お金を儲けること」
イコール「悪」というイメージが社会に浸透してしまった、そして
真面目に額に汗して働くことが、なんとなく馬鹿馬鹿しいといった
風潮を生み出してしまったと思います。
しかし、果たしてそうでしょうか。企業というのは利益を上げる
ことによって成長し、社会に貢献しているのです。企業がその活動
によって付加価値を上げ、人件費を払ったり、法人税等を支払って
くれるから、社会は成り立っているのです。
税金がなければ、福祉も教育も不可能でしょう。あるいは道路や
橋の建設、市役所だって成り立たないのは自明の理です。その意味
では村上さんの言うとおり、儲けることは悪ではない、善なのです。
言葉を換えれば赤字は悪なのです。
ただ儲けるために何をやってもよいかということになれば、それ
は“NO”でしょう。お金だけで動く、自分の商売だけを考えてい
る経営者には高い社会的評価は与えられない。法律違反をするなど
ということはまったく想定されていませんし、自分のでき得る範囲
内で、社会に貢献する精神が経営者に求められるものだと思ってい
ます。
村上氏の強調している株主価値の向上、これは上場会社とすれば
当たり前とも言えますが、会社は株主のものだけではありません。
株主、経営者、労働者、そして会社を取り巻くすべてのステークホ
ルダー(注)のためにあり、社会に貢献することが大切であり、継
続が最大の責務(ゴーイングコンサーン)であると私自身は教わっ
てきました。
藤原正彦氏著「国家の品格」から前にも引用した文章ですが、
『どんな論理であれ、論理的に正しいからといってそれを徹底して
いくと、人間社会はほぼ必然的に破綻に至ります。言うまでもなく、
論理は重要です。しかし、論理だけではダメなのです。どの論理が
正しくて、どの論理が間違っているかということでもありません。
これは日常用いられるすべての論理に共通した性質です。』まさに
この文章の通りですね。
ちょっと観点は異なりますが、私は民間活力の導入を公約として、
市長に就任させていただきました。民間活力の導入とは、簡単に言
えば、行政部門を民営化していこう、小さな政府をつくろうという
ことです。
ただ、それは単にコスト削減によって厳しい行政の財政を補う、
あるいは効率化を目指すということだけが目的ではありません。行
政が行ってきた事業を民間事業者が行うことで、民間に新たな仕事
が生まれ、雇用が発生する、ゆえに地域も元気になってくる、そし
て競争原理によって行政が行うよりサービスも良くなる、さらに工
夫によって新しい産業に発展する可能性もある、行政側としても税
収が確保でき新たな行政サービスを展開できるという好循環となる
・・・等などを狙っているのです。
民営化した部門を担当する企業に対しては「企業武士道」といい
ますか、「コンプライアンス」重視を要求することは当然ですし、
民間活力の導入を新たな産業が起きる起爆剤にしていきたいと考え
ています。それには、きちんと利益を上げ、発展性、継続性をはか
っていただきたいと考えています。
(注)「利害関係者」のこと。企業活動と関係するあらゆる関係者
を指します。