平成18年度長野市の決算数値を発表しました。
市長としては、平成18年度当初予算編成の段階では、市の貯蓄
である基金を40億円も取り崩さなければならない状況であったの
に、決算段階では、9億円の取り崩しで済んだ、そして市債の残高
も順調に減少していましたので、良い方向に向かっていると自信を
持っていたのですが、国が決めたルールに沿って長野市の財政状況
を指数化してみますと、一部の指標が警戒ラインに入るという結果
となり、正直ショックを受けました。
すなわち、自治体の財政状況を表す、「経常収支比率」「実質公
債費比率」の二つの指標が警戒ラインを超えてしまったことです。
「経常収支比率」は、平成16年度に警戒ラインを超え、平成
18年度もさらに上昇することとなり、平成17年度には問題ない
範囲であった「実質公債費比率」も上昇し、どちらの指標も警戒ラ
インを超えてしまったのは、正直参りました。
私は市長就任以来「入りを量りて出ずるを為す」をモットーにし
てきました。
ただ、国の「三位一体の改革」により、国税から地方税へと税源
が移譲された一方で、国からの補助金や地方交付税が減ってきてい
るので、数値が徐々に悪化してきていることはやむを得ないとして
も、「警戒ラインを超える」というのは、どうも納得できませんで
したし、市民の皆さんにも分かりにくい話であり、何よりも経済界
出身の私(市長)にとっては、市民の皆さんが期待していたことに
対し、裏切ってしまったのではないか・・・本当に慙愧(ざんき)
に堪えない思いを感じています。
そこで、市議会での議論や財政部局からの説明を聞いて、私自身
が学んだことを市民の皆さんにもご理解いただきたい、そんな思い
でこのメルマガを書いています。
まず用語の説明をしますと、
「経常収支比率」というのは、自治体の財政状況を表す指標の一
つで、自治体財政の硬直化の度合いを示す指標です。
地方税や普通交付税、地方譲与税など、経常的に見込める収入に
対して、職員人件費や公債費(毎年度の借金返済額)、福祉や医療
などの扶助費のほか、市の施設の維持管理費や継続的に交付する補
助金など、毎年度経常的に支出される経費(言い換えれば義務的な
支出)がどの程度占めているかという割合です。
この比率が高くなればなるほど、経常的に見込める収入の多くが、
経常的に支出される経費に充てられてしまい、結果的に、緊急的な
財政支出や新たな政策経費に充当する余地が少なくなってしまうこ
とは、お分かりいただけると思います。
この「経常収支比率」は、一般的には70%~80%が適正ライ
ンといわれていますが、近年、厳しい自治体財政を背景に多額の財
源を必要とする公共事業が減少する一方で、社会の変化に伴う市民
ニーズの多種多様化によって、自治体の行政サービスは、ハードか
らソフトに転換が図られてきているため、この比率の上昇は全国的
な傾向のようです。
長野市の比率は、全国の他の自治体と比べ、比較的低いようです
が、それでも合併した平成16年度には81.9%と適正ラインを
超え、平成17年度83.9%と上昇してきました。
平成18年度は、84.5%とさらに上昇してしまう見通しです
が、少子高齢化の進行に伴って、福祉施策の経費が増加したことや、
退職者の数が多かったことによって人件費(退職金)が増加したこ
となどが大きな要因となっているようです。
次に「実質公債費比率」は、経常収支比率と同様、自治体の財政
状況を示す指標の一つで、自治体の財政規模に対する借金返済の度
合いを示す指標として、平成17年度の決算から新たに用いられて
います。
この比率は、より的確に自治体の財政状態を把握するため、単に、
一般会計の「公債費」として表れる表面的な借金返済額のみならず、
一般会計が「繰出金」として負担する、上下水道事業や病院事業な
ど企業会計の借金返済額のほか、市の関連団体の借金返済額に対す
る元利補給金などの「公債費に準ずる経費」を広く借金返済額とし
てとらえ、その借金返済額が自治体の財政規模に対してどの程度占
めているのかを表す比率として用いられています。
この比率が高ければ高いほど、財政的な体力に比べて、毎年度の
借金返済額が大きいということになり、18%が警戒ライン、25
%が危険ラインとされ、25%を超えると新たな借金が一部制限さ
れます。
平成17年度16.9%だった長野市の比率は、平成18年度か
ら比率の計算ルールにおいて、「公債費に準ずる経費」の範囲が拡
大され、結果として、警戒ラインの18%を超え、18.6%まで
上昇する見通しとなってしまいました。
このルール変更は、常に18%を意識していた長野市にとって痛
かった、でも自治体の財政状況を正確に表すためには仕方ないと感
じてはいます。
ただ私としては、この指標の扱い方について不満もあります。と
言うのも、長野市には、現在300億円を超える基金、いわゆる積
立金を持っています。
これら積立金のうち、約100億円は、福祉や教育、環境など、
特定の政策目的を持ったものでありますが、残り約200億円は、
毎年度の財源調整のために使うことのできる積立金です。
長野市の積立金の規模は、他の自治体と比べ、比較的多いようで
す。確かに長野市の場合、オリンピックの開催に伴って財政の体力
以上に借金が残っており、「実質公債費比率」などの各種指標にも
表れているのは事実ですが、一方でその返済の財源ともなる積立金
の規模など、長野市の返済能力が的確に反映されていないのではな
いかということが、私にとっては不満なのです。
私が市長に就任した当時は、大きな借金と大きな貯蓄があるので、
金利差を考えれば貯蓄を崩して借金返済をすべきだ、と主張したこ
とがあります。ただ、財政のことを勉強するうちに、企業とは根本
的なところで違うということが分かってきました。
すなわち、借金を勝手に返すことは認められないし、必要な資金
を勝手に借りることもできない、ということです。企業のように銀
行と話して、必要な資金だけ借り入れるということが自由にはでき
ないのです。
それなら、金利が低い今の時代なら、金利差はそれほど考える必
要はなく、新規事業に取り組んだり、不測の事態に対処するために
は、流動性を大切にすることが良い、すなわち借金もあるけれど、
基金(貯蓄)もあるという状態が良い、と考えることにしました。
今回、この「実質公債費比率」が警戒ラインを超えることとなり
ましたが、この結果が直ちに長野市の財政に大きな影響を及ぼすも
のではありません。
でも、今後、毎年度の借金返済額が体力以上のものとならないよ
う、計画的に公債費負担の軽減を図っていくことは必要なことと考
えています。
今年度から国の臨時特例措置により、過去に借り入れた高い金利
の市債の繰上償還がしやすくなりました。
このことは、長野市もこれまで、過去に高い利率で借り入れた市
債の金利負担が重くのしかかり、一部前倒して返済しようと思って
も、国が認めるハードルが高く、自由にはなりませんのでしたので、
長野市にとっても朗報です。
今年度からの3年間、自治体の財政状況に応じて、そのハードル
が緩和されるとのことですので、対象となる市債の償還を積極的に
進め、残高の縮減と将来の公債費の負担軽減を図っていきたいと考
えています。
少々長くなりましたので、今回はここまでとさせていただき、次
回は合併による影響と将来負担比率などの新たな指標についてお話
ししたいと思います。
2007年8月30日木曜日
長野市の財政指数が悪化?(1)
2007年8月23日木曜日
9月市議会定例会での閉会あいさつ
本年は、市議会議員選挙の年です。
定例市議会は、3月、6月、9月、12月の年4回開催されます
が、本年は9月16日告示、9月23日投票で、市議選が行われま
すので、9月市議会定例会を早めて8月2日から8月17日まで開
催しました。従って、この市議会は特別のことがない限り現在の議
員さんの任期中、最後の議会ということになります。
そこで、今議会の閉会に当たって、私は現在の議員さんの4年間
の任期中にあった主なことを、概括的に述べ、特に今期限りで勇退
される議員さんへの餞(はなむけ)の言葉とさせていただきました。
以下その概要を報告します。
「この4年間は、景気が回復傾向とはいえなかなか実感が伴わない
経済情勢、少子高齢化の進展、深刻化する環境問題、地方分権の推
進など、自治体を取り巻く環境が大きく変わる中、それに呼応する
ための変革が求められている大変重要な時期であったと思います。
当選された直後の平成15年12月には、長野地域合併協議会が
設立されました。平成16年5月には合併協定の調印、そして平成
17年1月には1町3村編入合併による人口38万人、面積738
平方キロメートルの「新長野市」が誕生しました。
平成16年4月には、松代城跡の復元整備が完成し、「エコール
・ド・まつしろ」がスタートしました。多くの皆さんの思いが結集
し、年間30万人ほどの観光客が86万人となり、「遊學城下町
信州松代」の魅力を全国に発信できた画期的なプロジェクトとなり
ました。
平成17年2月には、世界84の国と地域から2,575人の選
手団が参加した「2005年スペシャルオリンピックス(SO)冬
季世界大会・長野」が開催されました。アジアで初めて、またオリ
ンピック、パラリンピック開催地で初めての大会となり、SO冬季
世界大会史上最多の選手団と、総観客数20万人を超える皆さんを
温かく迎え入れ、「心のバリアフリー」への関心を高めた感動に包
まれた8日間でありました。
同年3月には、次世代育成支援行動計画を策定しました。福祉行
政については、平成18年3月に「新あんしんいきいきプラン21」
の策定、4月には柳町保育園、柳町子育て支援センターを、10月
には真島保健センター、豊野西部児童センターを開所することがで
きました。
行政への民間活力の導入については、平成18年4月に県内初の
PFI手法でオープンした温湯温泉「湯~ぱれあ」をはじめ、指定
管理者制度を295施設に導入、第二学校給食センター、上下水道
料金徴収・収納業務、犀川浄水場運転管理業務、秋葉・松ヶ丘両保
育園、二つの斎場などの民間委託あるいは民営化を実施することが
できました。
都市内分権に関しては、平成18年3月に「都市内分権推進計画」
を策定し、その後、各地区に住民自治協議会の設立をお願いしてい
ます。現在9地区で住民自治協議会が設立され、そのほかの地域に
おいても住民自治協議会設立に向けた準備が鋭意進められています。
中心市街地の再生については、旧長野センタービルが「もんぜん
ぷら座」として生まれ変わり、平成17年には「ぱてぃお大門・蔵
楽庭(くらにわ)」、平成18年には長野銀座A-1、D-1地区
市街地再開発事業が完成し、TOiGO(トイーゴ)、トイーゴパ
ーキング、長野市生涯学習センターが相次いでオープンしました。
また、本年4月にスタートした「改定都市計画マスタープラン」
には、将来の都市像として「歩いて暮らせるコンパクトなまち」を
掲げました。
地域産業経済の活性化については、平成17年4月に産学行連携
の拠点施設「長野市ものづくり支援センター」(通称 UFO
Nagano)を信州大学工学部内に開設し、平成18年からは
「産業フェア IN 善光寺平」を開催しています。
浅川治水対策については、県が、本年7月9日、国土交通省関東
地方整備局へ河川整備計画の認可を得るべく申請しました。重く切
迫した課題でしたが、大きな前進であり速やかに治水事業が実施さ
れますよう県と協力してまいります。
また、浅川治水対策をめぐっては、長沼地区において北陸新幹線
の延伸に伴う設計協議や建設予定地の用地交渉が滞っておりました
が、設計協議については本年1月から地元対策委員会と協議が再開
され、用地交渉については本年3月に「地権者会」を発足していた
だきました。
併せて、長野以北の並行在来線に関しましても、存続に向けた経
営の可能性について、JR東日本や新潟県などとの話し合いを重ね
ながら、広い視点に立って総合的に検討していかなければならない
課題ですが、平成18年5月に「長野以北並行在来線対策協議会」
が設立されたことから、県および沿線市町と協力し、知恵を出し合
う中で存続に向けて努力してまいります。
教育に関する諸課題では、皐月高校は、長い間、新生市立高校へ
の移行について検討してきましたが、いよいよ来年4月「市立長野
高校」として開校します。中心市街地の3つの小学校は、通学区域
特例校制度を導入し将来の方向を見定めてきましたが、後町小学校
を平成24年度末で閉校することとしました。また、昭和小学校の
過大規模解消として平成18年4月に新共和小学校を開校して解消
を図ったほか、大規模校を中心に限定隣接学校選択制度を導入して
学校規模の適正化に向け取り組んでいます。
近年、地域密着型のプロスポーツチーム「AC長野パルセイロ」
や「信濃グランセローズ」の活躍により「スポーツを支える喜び」
の輪が広がっていること、また、数多くの市内小・中学生チームが、
野球やソフトボールなどさまざまな競技で全国大会の出場を果たし
ていることなど、「スポーツを通じた元気」が溢れてきています。
また、本年5月にエムウェーブとスパイラルが文部科学省からナ
ショナルトレーニングセンターの競技別強化拠点として認定をいた
だきました。
環境対策については、長野広域連合が長野市内に建設するごみ焼
却施設建設候補地の選定におきまして、大変重要な事項として、慎
重に議論・ご検討を重ねていただきました。地球温暖化対策につき
ましても、喫緊の課題としてさまざまなご意見やご提案をいただき、
今後の温暖化対策に生かしてまいります。
思い起こせば語り尽くせないほど、さまざまな出来事がございま
したが、「市民が主役」の元気なまちづくりを進めていくことがで
きるのは、市民の代表である議員の皆さんが、市の発展と市民福祉
の向上のためにご尽力されておられるからにほかなりません。
また、地域に関する課題はもとより、広い視野を持ち、10年先、
20年先を的確に見定める中で、第四次総合計画、産業振興ビジョ
ン、改定都市計画マスタープランなど、市の根幹をなす計画の策定
にご協力いただきました。
ここに改めて、長野市議会議員としてのご尽力と、今日まで市政
に寄せられました幾多のご協力とご支援に対しまして、心から敬意
を表し感謝を申し上げます。」
以上が、9月定例会で述べた私の閉会あいさつの概要です。閉会
のあいさつで触れることができなかったこの4年間での出来事はま
だまだたくさんありますが、もう一つだけ挙げるとするならば、長
野駅周辺第二土地区画整理事業が多くの方のご努力とご理解により、
事業が着実に進展していることです。
皆さんもこの4年という区切りで総括していただければと思いま
す。
この後、勇退される議員さんへの感謝と今後のご健康を、そして
9月の選挙に出馬される方々へのご健闘をお祈りすると申し上げ、
閉会のあいさつとさせていただきました。
さて、この9月に執行されます市議会議員選挙は、議会改革とし
て議会自らが率先して議員定数の削減に取り組んでいただき、条例
定数を39人へと削減されての初めての選挙です。現段階では少数
激戦という予想で、なかなか厳しい場面も想定されますが、まさに
民主主義の原点、正々堂々と戦い、勝ち抜いて、再び議場でお会い
できる日を楽しみにしたいと考えています。
また、市民の皆さんには、ぜひ投票を・・・投票率を上げていた
だくことを心からお願いします。
2007年8月16日木曜日
Dual Mode Vehicle(デュアル・モード・ビークル)について
今回の話題は少し前の話で恐縮ですが、5月に北海道へ行ってき
た報告をします。
皆さん、DMV(デュアル・モード・ビークルの略)をご存じで
すか?少し前にテレビで放映されましたから、ご存じの方も多いと
思いますが、線路と道路の両方を走ることができる乗り物(黄色い
車体で、ボンネットがある形)です。
JR北海道が開発した乗り物ということで、私はテレビで見て以
来、ぜひ一度乗ってみたいと考えていました。理由は
(1)線路と道路、両方を走るという発想は素晴らしいが、開発し
たJR北海道の意図を知り、どんな利用方法があるのか、調べて
みたい。
(2)すぐには無理でも、将来の可能性を考えてみたい。
(3)乗り心地は・・・そして経営的に成り立つ乗り物か。
(4)長野市にとって、並行在来線問題、あるいは長野電鉄の屋代
線問題等に、何らかのヒントがないか?
実際に試乗してみて、開発者の話を聞きたい・・・こんなことを
考えて出掛けました。
視察日程は
5月12日(土)羽田空港から女満別(めまんべつ)空港へ行き、
その日は網走に一泊。
5月13日(日)釧網(せんもう)本線で試験的営業運行をしてい
るDMVに、浜小清水(はまこしみず)~藻琴(もこと)(約
11キロメートル)間で体験試乗。線路と道路の両方を経験し、
札幌へ移動し、テイネスキー場を視察しました。
5月14日(月)札幌のJR北海道本社を訪問。技術開発部長、D
MV推進センター所長ほか技術開発者にお会いし、話をお聞きし
ました。午後の飛行機で東京経由、新幹線で長野に戻りました。
網走での試乗体験は、現段階では、正直言ってあまり乗り心地が
良いとは思いませんでした。スピードは時速50キロメートルぐら
いで、まずまずなのですが、車両がマイクロバスの改造なので軽く、
また、車輪が鉄道車両に比べて小さいからでしょうか、レールの継
ぎ目のゴトン・ゴトンという響きが気になりました。それと、現段
階では乗車定員が、乗務員を含めて17人というのは、ちょっと小
さいと感じました(これについては30人弱ぐらいにはしたい、ま
た2両編成は可能ということでしたが)。今のままであれば営業的
に採算をとるのは厳しい、というのが感想でした。
しかし、線路と道路の乗り換えはわずか10~15秒、鉄道と道
路のインフラ(交通等の基盤)をそのまま活用可能で、走行安定性
の向上、ゴムタイヤの寿命の延伸など・・・いろいろ工夫がなされ
ており、特に切り替え時間の短縮は大変な発明に思われました。
JR北海道の本社で、技術開発部長の佐藤氏、DMV推進センタ
ー所長の横井氏等と懇談。DMVの可能性、将来性等について色々
お聞きしました。
開発意図は、JR発足以降、さまざまな地方閑散線区の収支改善
施策を行ってきたが、出尽くしの感がある(ワンマン列車化、駅業
務の委託、地方交通線のバス転換等)とともに、車両の更新時期を
控え、地方閑散線区のために高額な鉄道車両を購入することが難し
くなってきた。
このため、輸送量の少ない線区に見合った輸送力の車両を安価に
製造するため、バスをベースに、鉄道車両を開発することとし、道
路も走行可能な車両を目指して開発を進めてきたとのことでした。
また、ディーゼル車両での開発も、北海道全域でディーゼル車両が
運行されている実情に合わせたものとのことでした。
北海道は全般に過疎地域が多く、鉄道輸送は採算的に合わない地
域が多いようです。1日の客数が500人以下、極端に言えば三桁
にならない路線もあるということで、会社とすれば、地元の意向か
らすぐには廃線にできないので、何とかコストを下げるために、開
発をしたものである、列車というよりバスとして考えてほしいとの
ことでした。
ただ、技術的な話をお聞きしているうちに、課題だけではなく、
将来もしかすると大きく飛躍する可能性も感じました。
例えば、道路面を走るときはゴムタイヤで走り、線路に入ると鉄
の車輪が下りてくるのですが、車両を動かす動輪は、ゴムタイヤの
方なのです。その重量配分が絶妙になっているようですからいろい
ろな状況への対応も可能のようですし、また維持費などはかなり減
額できそうです。
価格も魅力です。電車の車両価格は1台約1億円ですが、DMV
は改造費込みで約2千万円とのことですから、有利です(しかし乗
車定員から考えると厳しいですが)。ですから将来的に大型バスぐ
らいの乗車定員になれば、十分実用になると思いました。
観光用に使う手もありそうです。旅館へお客さんのグループをお
迎えに行って、道路を走り、駅まで行って線路上へ・・・そのまま
観光スポットへという使い方はどうでしょうか。でも現在は、バス
と電車の運転手がそれぞれ必要とのこと・・・これは、法の問題で
すから、いろいろな課題が解決していけば可能でしょうが・・・。
長野の並行在来線や長野電鉄屋代線については、まだまだ相当の
乗車人員があって、朝夕のラッシュ時はとても無理ですが・・・昼
間だけ、観光用なら・・・でも普通の電車車両と混在することは、
信号機などの設備の安全性をきちんと確保するなど、難しいことも
あるようです。
今すぐの可能性として私が考えたのは、復活したいとの声がある
軽井沢以遠の廃線になった碓氷峠なら使い方を工夫すれば・・・。
あるいは、信越線の北長野駅から長野電鉄の信濃吉田駅へつながる
というのもあるかなあと思ったりしています。
皆さん、夢が膨らみませんか。私は北海道へ行って実際に見るこ
とができたこと、大変良かったと思っています。JR北海道の今後
の開発力に期待したい・・・。
DMVは、これまでに無かった新しい交通機関としての可能性を
持っています。導入に当たって既存の鉄道、道路といったインフラ
を活用でき、その双方を行き来できることで、乗り換えを無くすと
いう利便性の向上が図られ、これまで鉄道やバスが想定していなか
った需要を取り込んでいくことが可能になると考えられます。これ
からもDMVの動向には注目していきたいと思います。
2007年8月9日木曜日
御祭礼と屋台巡行、そして夏祭り
長野にはいろいろな祭りがあります。分類してみると(分類する
ことに意味があるかどうかは別ですが)
・びんずるやえびす講煙火大会等、大勢の人が参加する、いわゆる
観光・市民祭。
・秋祭り等の神社・お寺の地域の伝統的な祭り。
・地域の皆さんが、皆で楽しむ手づくりの祭り。
・健康祭り・スポーツ大会のような運動中心の祭り。
・豊作を祝ったり、農作物の直売を行う農業祭。
別の要素からみると、古くからある伝統の祭り、現在の皆さんが
つくり出した新しい祭りという分け方もあるかもしれません。いず
れにしろ、長野にはたくさんの祭りがあります。合併した4町村に
も、素晴らしい地域の祭りがありますし、長野オリンピックを記念
した灯明まつりも年とともににぎやかになっています。
夏祭りのシーズンを迎え、7月15日に御祭礼屋台巡行が行われ
ました。この祭りは、弥栄神社の祭りとして、大変歴史の古いもの
で、弥栄神社の齋藤宮司の「弥栄神社と御祭礼」に詳しく書かれて
いますので、詳細はそちらをお読みください。
私の経験した屋台巡行は、昭和30年代、年番を担当する御祭礼
加盟町の力が衰えはじめ、毎年の屋台巡行が難しくなりはじめた時
期、例えば私の生まれた西之門町の区長さんの話によりますと、昭
和38年に「今年が最後、今後は屋台巡行はしない」と宣言して、
最後の巡行を行い、その後屋台は町倉に入ったままとのことですし、
西町の屋台は長野市立博物館に飾られていて、立派ではありますが、
多分巡行することは難しいでしょう。
また、屋台会館を作ろうという議論は昭和40年代からあったよ
うに思いますが、いまだ実現していません。場所が無い、お金が掛
かりすぎるというのが大きな理由でしょうが・・・財政が大変な時
期は、どうしても後回しになってしまうのは、仕方がないことかも
しれません。
私の知っている範囲ですが、過去いろいろな屋台の展示館を見て
きました。高山市、長浜市、小布施町・・・一番近い所では合併し
た鬼無里には素晴らしい会館があり、屋台4台、神楽2台が飾って
あります。
屋台は組み立てたり、保管のために解体したりするのが大変で、
屋台会館で組み立てたまま保存できれば、毎年の負担はかなり減少
するということです。ただ毎年、ある程度補修をする必要があると
いう意見もお聞きしています。私の見た長浜市の曳山博物館には、
常時補修できる工房があったように、記憶しています。
歴史の資産は一度無くなってしまうと、回復は困難です。何とか
残したい・・・歴史と伝統を残していくためには、大きな負担が必
要です。
それでも、幾つかの町は頑張って、毎年は無理でも、例えば善光
寺御開帳の折等には、屋台巡行を行い、伝統の灯を守っていただい
ています。今年は、善光寺の本堂再建300年のお祝いということ
で、4年ぶりに権堂町、西後町、大門町、元善町の4つの屋台が巡
行しました。
当日は、勢力の強い台風4号が九州から四国、紀伊半島と進んで、
西日本で雨の被害が出ている中、偶然ですが梅雨の間の晴れ間とい
うのでしょうか、何とか雨も降らず、久しぶりの屋台巡行は無事奉
納され、市民の皆さんの目を楽しませてくれました。
私も、もんぜんぷら座前から善光寺まで、神の代理として選ばれ
た少年が乗る白馬と一緒に歩かせていただきました。これは「御先
乗り」と称し、純真な稚児に神が乗り移り、夏の疫病を祓(はら)
うという信仰だそうで、長野を彩る夏の風物詩でした(白馬は飯綱
高原乗馬倶楽部のスノーフレーク、私も時々お世話になる、大変お
となしい馬でした)。
行列は、中央通りから権堂アーケードに入って、秋葉神社で休憩。
そして再び中央通りに戻って、大本願、大勧進に寄ってご挨拶をし
てから善光寺三門前(三門は今年一杯工事中です)へ。三門の前に
着席、大勧進のご貫主様、大本願のお上人様等々と一緒に、屋台奉
納を受けて答礼する立場で着席させていただきました。
屋台奉納が始まり、午前中は権堂の暴れ獅子〔勢獅子(きおいじ
し)〕付きの屋台、次は西後町の屋台、午後は大門町、元善町の屋
台奉納が行われました。いずれも各町の意気と典雅さ、そして立派
な屋台を誇りとしている姿が感じられました。
以上、今年は4つの屋台の巡行でしたが、久しぶりの屋台、良か
ったです。天気がもってくれたことが何よりですが、元善町の屋台
は、故笠原市議会議員と元善町の区長の決断で、伊勢町の屋台を譲
ってもらったものだそうで、近隣の町も共同で運行しているとのこ
とでした。また大門の屋台は現在修復中の屋台を引き出したとのこ
とですが、なかなか素晴らしい屋台でした。西後町の屋台は、信州
大学の学生たちがボランティアで屋台の組み立てを手伝ってくださ
ったそうで、新しい動きがいろいろ出てきているようです。
日本三大祇園祭とまでいわれた長野の御祭礼が、毎年できなくな
った理由を考えてみますと、何といってもまず大変お金が掛かるた
め、町や商店街にそれを負担する力がなくなってきた、中心市街地
の町の人口が減り、人手が足りなくなってしまった、交通事情も車
の往来が激しくなって、屋台運行がしづらくなった(当時は歩行者
天国という発想はなかった)、というようなことだったと思います。
最近は行政も補助金を出したり、歩行者天国も比較的楽にできるよ
うになりましたし、ボランティアの手伝いもあるようですが・・・
それでも運行する町の負担は大きいとのことです。屋台の車輪は木
製で、重さに耐えることはかなり大変のようですし、その屋台の補
修をする職人さんも少なくなってきているそうです。
何とか伝統を残したいと思っていますが・・・最近中心市街地に
マンションが林立してきて、人口が増える傾向にあるようです。そ
こに住む新しい住民の方々が、意気に感じて、屋台運行に取り組ん
でいただければ・・・なんて勝手に思っているのですが。
御祭礼が毎年できないなら、何とかほかの形式で祭りをやろうと
いうことで、長野商工会議所や長野青年会議所が熱心に取り組んで
きました。
昭和30年代の長野広告祭り、昭和40年代前半の城山公園の噴
水の周りでの「火と水と音楽と若者たち」、そして昭和46年から
始まった「長野びんずる」です。そしてびんずるは創設以来、今年
で37回目になります。私の個人的な感想ですが、長野びんずるの
前の「火と水と音楽と若者たち」なんてお祭り、もう一度復活して
も良いような感じがしています。
そのほか、夏祭りはいろいろありますので、既に本年終了したも
のもありますが日程と祭りの名前だけ報告しておきます。
7月15日 御祭礼、7月27日~8月7日 権堂町の七夕まつ
り、7月28日 篠ノ井合戦まつり 若穂ふれあい踊り 大豆島甚
句まつり、8月4日 長野びんずる、8月4・5日 戸隠ミセスウ
ェストン祭、8月5日 豊野ヨイショコまつり、8月10日 飯綱
火まつり、8月14日 大岡ひじり三千石祭り、8月14・15日
善光寺お盆縁日、8月15日 鬼無里ふるさと夏まつり、9月
1日 川中島古戦場まつり
今年はあちこちで盆踊りが復活しているようです。皆さん浴衣掛
けで、ぜひ参加しましょう。
2007年8月2日木曜日
広域行政に係る幾つかの報告
長野県市長会長に就任したことは、既に第264号のメルマガで
報告させていただきました。
ただ、この市長会長については、大変多くの当て職があり、正直
まだ整理がついていない状態ですが、責任を果たすために一生懸命
手探りで取り組んでいるというのが、実感です。
まず、後期高齢者医療広域連合ですが、この広域連合の連合長に
就任したことについてはすでにご報告いたしましたが、後期高齢者
医療制度の財政運営は、国の方針により長野県内81市町村で構成
した広域連合で行うことになっており、平成20年4月にスタート
するための準備を進めています。年金に関する社会保険庁の実態を
見ていますので、慎重に、そして誤りがないように、県派遣の事務
局長を中心に、市町村から職員を派遣していただいて、来年へ向け
て一歩一歩進んでいます。現段階で行うべき準備は確実に進んでい
ますので、事務的にはご安心いただけると思っています。
次に、市長会長の当て職の一つである長野県市町村振興協会の理
事長職ですが、先日、本年度の理事会が開催され、正式に私が理事
長に就任し、昨年度の事業報告・決算、本年度計画などが承認され、
スタートしました。
理事会メンバーは、県の総務部長・市町村課長、市長会・町村会
の正副会長、市議会議長会・町村議会議長会の会長、それと市長会
・町村会の事務局長、都合10人で、監事は市町村の収入役2人
(本年の場合、塩尻市と長和町)が就任しておられます。
この協会の主な仕事は、「県を通じて協会に配分されてくる宝く
じの収益金を、どのように使うか」を決めることといっても言い過
ぎではないと思います。そこで主な事業概要を報告させていただき
ます。
一つには、市町村職員の研修費、市町村団体(市長会、町村会、
議長会、監査委員会など)への補助。あわせて廃棄物や県と市町村
のあり方検討会等、県全体で話し合いをする会合への助成、市町村
行政情報ネットワーク事業や自治会館管理運営費への助成、市町村
ハンドブック等印刷物の作成経費・・・これらは合計約9千万円
(平成19年度予算では約1億円)ほどの事業ですが、各団体にと
って、無くてはならない原資になっています。
二つには(これが大きな事業ですが)宝くじの販売促進事業を行
って、その収益金をもって、基金を設置し、市町村に対する災害時
の融資、緊急を要する施設等の整備事業のため、基金の運用を行っ
ており、以下のような事業を実施しています。
(1)基金を長・短期の貸付金として、必要な市町村に貸し付けを
行っています。この分野は、平成18年度末の段階で貸付残高
135億円余り、現金約70億円余り、合計205億円の資金を
保有して、運営しています。
長野市もこの基金から約10億円を借りています。岡谷市も昨
年の災害時、緊急資金を借り入れています。緊急災害時に備える
など、一定の資金確保は今後も必要なことと感じています。
(2)コミュニティー助成事業への交付金は、基金収益などを利用
して、地域における芸術・文化の振興に係る市町村等が行うコミ
ュニティー活動に助成するものです。長野市でも、地域のおみこ
し・子ども用神楽、太鼓に助成を受けています。
(3)市町村交付金(オータムジャンボ宝くじ)。これは目的を特
には制限せず、市町村へ交付するもので、81市町村に均等割
25%、人口割75%で、分配しています。平成18年度の場合、
約4億円弱の金額を分配し、長野市は約5400万円余りの配分
を受けています。
(4)基金交付金(サマージャンボ宝くじ)。この交付金は、緊急
時のための必要な基金残額が確保されたことから、本年度から市
町村に交付することにしています。本年度は、全体で6億円の分
配となりましたので、長野市では8千万円余りの配分を受けてい
ます。
いずれにしろ、この宝くじの収益金である交付金は、税収不足に
悩む市町村にとって大変重要になってきていると思います。本年以
降、毎年確実にとは言えませんが、サマージャンボ分を追加配分す
ることにしましたので、市町村にとっては、地域の元気を出すため
に大いに活用していきたいものです。
それには宝くじを大いに宣伝して、より多くの配分金をいただく
必要があることは当然です(この配分は県単位に、売り上げに比例
して分配されます)。県内の配分率については、前述のとおりであ
り、長野市とすれば均等割において若干不満がありますが・・・ま
あ仕方ないとしておきましょう。
以上、市町村振興協会についての報告です。長野市とすればこの
資金の使い方も今後重要になるように思います。
次は、北信農業共済組合と長野地区農業共済事務組合(以下「長
野地区」)の統合に関する話題です。長野市は、須坂市など周辺8
市町村とともに「長野地区」に入っています。北信組合は、中野市、
飯山市など6市町村で構成されています。
この両組合を統合しようということで、北信地域農業共済組合等
再編整備協議会が動き始めました。市長就任以来の課題が一歩前進
したということです。
農業共済組合という組織は、県内に5つあります。南信、中信、
東信、そして長野地区と北信です。そして長野地区だけが一部事務
組合(特別地方公共団体)、その他はすべて組合営(民営)です。
そして県内の5農業共済組合を指導・統轄する組織として、長野県
農業共済組合連合会があります。
市長就任当時、いろいろ勉強する中で、なぜこうなっているのか
どうしても理解できませんでした。NOSAI(農済)というのは、
農家の皆さんを対象にした、農作物や園芸施設などの共済事業を行
っているいわゆる保険屋さんで、農家が自然災害を受けたとき、そ
の損害を補償するため国が法律で定めた保険制度です。農家が掛金
を払い(国も一部負担しています)、被害があったとき、組合が損
害を補償するシステムで、農家にとってはなくてはならない保険で
す。
保険が主要業務である以上、母集団が大きくなくては・・・すな
わち加入農家数が多ければ多いほど、効率がよくなり、財政的に有
利になるということは、どなたにもご理解いただけると思います。
しかも運営費についても基本的に国から補助を受けており、細かく
規定されていますから、組合独自の運営範囲は限られるというのが
実態ですし、国からの補助も将来的にはかなり厳しいといわれてい
ます。
私は、この組織を早く統一して、県内を一つにしたいと考えまし
たが、どうも一気には難しいということで、まず北信組合と長野地
区を統合しよう、そして組合営とするため、長野地区が解散して北
信組合の区域を拡大する、という手法を考えました。若干ご不満の
向きもあるかと思いますが、実質は何も変わらない、行政の合理化
であり、サービスはもっと良くなる可能性がありますので、ご理解
をお願いします。
長野地区の一部事務組合が何で不都合かと言いますと、(1)農
家の建物・農機具共済については一部事務組合では扱えないので、
わざわざ任意共済推進協議会という組織をつくって行っていること。
(2)一番大切な仕事は、農家の皆さんと親しくなって、保険に加
入いただくことなのですが(もちろん損害に対する共済金の算定や
支払いもあります)、一部事務組合の職員は、構成市町村からの派
遣職員ですから、2~3年で転勤してしまう、そのためせっかく仕
事に慣れた職員が居なくなって新人になってしまい、農家の皆さん
との間に築いた信頼関係が途切れてしまうのです。組合営になれば
こうしたことも解消されます。
このようなことから、一日も早い統合、それも組合営に移行する
必要があると考えました。
以上、少しくどかったかもしれませんが、農業共済の統合の必要
性について、述べさせていただきました。実際の統合は平成21年
4月を目指していますので、ご理解いただきたくお願いします。