個人的な話から入ることをお許しください。
最近、女房から「あなた、最近面白くない!行政に関係ある話し
かしていないのでしょう。もっとロータリークラブ、JC、会議所
など、昔からのお友達と遊びなさいよ」と言われたことがあります。
あまり気にも留めていなかったのですが・・・先日、海外出張を
する際、ヨーロッパまで片道12時間近くかかるものですから、飛
行機の中での暇つぶしに、小さな本を3冊ほど買い込み、持ってい
きました。
その中の一つに、千葉大学の多湖輝名誉教授の“人の心をつかむ
「雑談力」 情報が集まる「雑談力」”というのがあり、面白い内
容でした。多湖教授といえば、昔「頭の体操」というベストセラー
があって読んだことを覚えていますが、今回本屋をブラついている
とき、目に留まったものです。
読んでみて、「雑談」が必要だということが、よく分かりました。
雑談の中にこそ、いろいろなアイデアが生まれる、一見何の関係も
無いことを喋っているうちに、あることの解決策に出会う、気が付
くのだそうです。また、人の心をつかむ、あるいは情報が集まると
いう効用もあるようです。
考えてみますと、市長の公務は、庁内外の会議、視察、イベント
に参加してのあいさつなどいろいろあり、毎日忙しい中、その合間
をぬって、副市長を含めた打ち合わせや事前レクチャーの時間が結
構多いのですが、「雑談」というのはあまり無いなあということに
気が付きました。
会議や打ち合わせの時間というのは、はっきり目的があって、そ
の目的について話し合い、懇談し、最終的には方針を決断するわけ
ですが・・・その中に「雑談」というのはほとんどありません。必
要なことを市長に伝え、市長が意見を言い、長い短いはありますが
議論をして、市長が了解するか否か・・・話が終わると、みんなさ
っさと部屋を出ていきます。打ち合わせ時間が15分とか30分と
秘書課があらかじめ伝えてあるようですから、仕方がないと言えば
そのとおりです。
私にとっての「雑談」について考えてみました。
雑談の場として一つは秘書課の職員と行う暑気払いや忘年会、場
合によっては若手職員との飲み会もあります。スキーの仲間とスキ
ー場での歓談もその一つかもしれません。
また、地域での会議や、市民・ボランティアの皆さんとの懇談。
あるいはまれですけれど農業委員さんとの懇親会、経済団体との会
合。
ほかにもあるかもしれませんが・・・これらが本当に雑談といえ
るかどうか、疑問はあります。いずれにしろ市長という肩書きを外
してというわけにはいきませんから、雑談とはいえないのかもしれ
ません。
大学や高校の同窓会・・・これは雑談の絶好のチャンスでしょう
が、年に一回ぐらいで、それも出席できない場合が多く残念です。
市長就任前から所属していた組織の会合、例えばロータリークラ
ブ、JCシニア会、NUPRI・・・これらは、気楽に喋るという
意味ではありがたいし、目的のない雑談をしているということでは
ありますが・・・なかなか肩書きを外して喋るというのは、困難だ
と感じています。
私が雑談をすることによって、私自身が変わるわけではないでし
ょうが、もしかするともう少しアイデアを出せるようになるかもし
れません。少なくとも女房に「あなた、面白くない」と言われるこ
とは、無くなるのではないか・・・そんな期待を持っています。
皆さんの参考に約60項目もある「雑談力」の目次の中から、い
くつかのフレーズをご紹介しますと「考えが行きづまったらとにか
く雑談しよう」「雑談のよさは気軽さと直感にある」「雑談はでき
るだけ異業種、異世代の人とやるとよい」「脱線するから雑談は面
白い!」「否定的な見方より肯定的な見方をしよう」など・・・。
ご紹介したのは、本のわずかな部分ですが、およそ想像していただ
けるかと思います。
飛行機に持ち込んだ残りの本も、結構面白く読ませていただきま
した。東京工業大学大学院の橋爪大三郎教授の「人間にとって法と
は何か」と、京都大学の中西輝政教授の「なぜ国家は衰亡するのか」
の2冊です。
限られた時間、そして飛行機の中、あまり厚い本を読むのは無理
ですが、新書版ならポケットに収まり、便利です。しかも最近はな
かなか読み応えのある本がそろっていますので、もっぱら私の愛読
書になっています。
2007年11月29日木曜日
「雑談力」について
2007年11月22日木曜日
アテネクラシックマラソンに行ってきました
11月4日、アテネクラシックマラソンが開催され、市長として
現地へ行ってきました。
アテネクラシックマラソンは、アテネオリンピックの時と同じマ
ラトン市からアテネ市のパナティナイコ・スタジアムまでのコース
で開催されました。
長野オリンピック記念長野マラソンとアテネクラシックマラソン
は、1998年に姉妹提携を結んでおり、本年10周年を迎えまし
た。過去の開催では、アテネからはセガス(ギリシャ陸連)の代表
が長野へ来られ、長野市からは助役や収入役を派遣していたのです
が、10周年という節目ですので、長野オリンピック記念長野マラ
ソンの名誉会長である長野市長が参加したものです。
大会当日、朝6時にアテネのホテルを車で出発、40キロメート
ル先のスタート地点のマラトン市へ出掛けました。途中、既にいろ
いろなゼッケンを着けたランナーが走っていました。聞くとフルマ
ラソンに併せて、パワーウオークや10キロメートル、20キロメ
ートル走が行われているようでした。
マラトン市のスタート地点に着くと、9時スタートを前に、マラ
ソンゲートの周辺には、三々五々選手が集まり始めていました。周
辺は広々した野原で、すぐ隣には芝を張ったサッカー場があるだけ
・・・比較的簡素な雰囲気でした。以前に来たことのある信濃毎日
新聞社の局長さんの話ですと、10年前はもっと閑散としていた、
長野マラソンとの提携、そしてアテネオリンピックのおかげで、随
分整備されたということでした。
スタート1時間以上前から、大きなマイクの音が響き始めました。
司会者と言ってよいのでしょうか、言葉は理解できませんが、大会
の雰囲気を盛り上げるため、精一杯大きな声を張り上げていました。
聞くと、その声の主は、アテネオリンピック時の実行委員会委員長
で、今回ギリシャ陸連から依頼を受けたマチス・アシマ・コプロス
さんだということです。日本とのイメージの違いにビックリでした。
そんな中で、特別ゲストとしてロザ・モタさんが紹介されていま
したし、長野からはるばる市長が来ていることも紹介されたようで
す。
スタート時間になり、ロザ・モタさんとマラトン市長の2人がス
ターターを務められ、約6,000人のランナーが走り出していき
ました。日本からの男女2人の選手も含め、先頭集団では一流選手
が真剣に走っていました。市民ランナーは走ることが楽しいという
皆さんで、仮装行列に参加するような凝った衣装のランナー、夫婦
で小さな赤ちゃんを乳母車に乗せて走っていく姿もありました。
選手がスタートした後、私たちもバスでアテネに向かいました。
途中まで選手と並行して走り、応援しながらレースを楽しみ、途中
からコースを外れて、アテネのゴール地点のパナティナイコ・スタ
ジアムへ先回りしました。
パナティナイコ・スタジアムは、3年前のアテネオリンピックの
マラソンでも使われたところですが、あまり広くなく、現代の陸上
競技場では当たり前になっている400メートルトラックはできな
いようですが、すべて大理石造りの素晴らしい雰囲気の場所です。
長野オリンピックの前年の暮れ、すなわち1997年の12月、
私は「聖火の翼」というNAOC(長野オリンピック冬季競技大会
組織委員会)のプロジェクトで、オリンポスでの聖火式に臨んだこ
とがありますが、その時このパナティナイコ・スタジアムも見学し
ました。素晴らしいスタジアムに感心したことを覚えていましたが、
アテネオリンピックを契機に、かなり客席を増設して収容人員を増
やしたのだそうです。古代オリンピックの雰囲気を残しながら近代
オリンピックでも使う、その試みに感心しました。
アテネのオリンピックマラソンコースは、上り坂が多く、好記録
が出にくいのだそうですが、競技の結果は、日本女子の田中さんが
2位になって大いに賞賛を浴びました。男子の吉冨さんは、7位で
したが、1位から6位までケニアの選手、そして8位以下もケニア
の選手という中での大健闘でした。
レース終盤で、選手の一人が電車と接触する事故がありちょっと
残念でしたが、大事に至らず無事帰国したとのことです。
私は、姉妹マラソンの名誉会長として、最高位の地元ギリシャ選
手に対するプレゼンターを務めさせていただきました。雨の中でし
たが、大勢の観客が最後まで声援を送っていました。
皆さんは、オリンピックのマラソンについての故事をご存じだろ
うと思います。
昔、マラトンの戦い(ギリシャとペルシャの戦い)で、ギリシャ
が勝利し、その戦勝報告をアテネに伝えるため兵士の走った距離が
約40キロメートルだったとのこと。その後近代オリンピックにお
いてマラソンの距離が42.195キロメートルになったそうです。
もう少し簡単な数字の方がありがたいと思うのですが・・・歴史的
なものですから仕方ないのでしょう。
それに、国際陸連の規定によると、スタート地点とゴール地点が
直線距離で42.195キロメートルの半分以下でなくてはならな
いのだそうです。この規定によって、長野マラソンは山ノ内町から
長野市へのコースをあきらめ、長野市内のコースに変更したのです
が・・・アテネの場合は難しいでしょうね。「マラトン」というマ
ラソン発祥の地からアテネまで走る、その距離が42.195キロ
メートルなのですから・・・まあコースが公認されるかどうかは、
ギリシャの人にとっては関係ないことかもしれませんね。
マラソンの翌日、「一校一国運動」の交流を昭和小学校と続けて
いる学校を訪問しました。一校はコスティナ・ギトナ学園で、ここ
は私立の学校で幼稚園児から高校生までが通う大きな学校でした。
もう一校はマラトン第一小学校という公立の学校で、校門から校舎
まで子どもたちが大歓迎をしてくださいました。
長野オリンピックから10年を経た現在も交流が続いている一校
一国運動は、北京オリンピックへもつながっており、お互いを理解
し、友好関係を深めてきていることを実感することができ、大変う
れしく思いました。
2007年11月15日木曜日
中山間地域活性化への方策
11月11日、市長就任以来7年目に入りました。
この6年間、随分長かったような気もしますが、一瞬の間であっ
たような気もしています。時間のたつのがこんなに早く感じるのは、
市長という役職に就いた忙しさからでしょうか、それとも「年を取
ると時間が早く過ぎる」と多くの先輩が話されていた、そんな共通
の思いを感じる年代に、私もなったからでしょうか・・・
残された任期、第四次長野市総合計画に示した長野市の未来図に
向かって全力を尽くすことは当然ですが、中でも私は中山間地域の
活性化に特に力を入れたいと考えています。
なぜなら、6年前市長選に立候補して「長野市は広い、ここも長
野市か」と感じ、以来都市部と中山間地域の格差是正(当時はこう
いう表現はしませんでした)の必要を強く感じ、いろいろな施策を
行ってきたつもりですが、限界集落といった言葉が言われるように
なってきており、事態は少しも良い方向に進んでいないことは、残
念ながら事実です。4町村との合併も、そんな時期に重なってしま
ったのかもしれません。
中山間地域は、長野市域の70%を占めています。
(1)若者が都市部に転出し、地域の高齢化が進み、後継者が少な
くなってしまった。
(2)生活の手段としては、農業と林業が主であるが、いずれも稼
ぐための条件は厳しく、将来への夢をなかなか持ちにくい。
(3)長野市近郊の場合、都市部へ通勤することによって生計を支
えることが可能ではあるが、東京のように1時間ぐらいの通勤時間
は普通という地域に比べ、道路が狭い上に急坂、冬の積雪問題があ
る。公共交通機関も減退している。
(4)交通・道路問題だけでなく、都市のインフラが全般的に不足
している。農業集落排水事業などによって下水道整備は前進してい
ますが、買い物をする商店、医療や介護の施設、通信インフラ・・・
都市部の人には考えられないような不便さがあります。
(5)人口が減り、コミュニティが崩壊しつつある。長野市にも限
界集落が発生している。
中山間地域活性化ということで、いろいろな施策を行うのはもう
遅いという方もいらっしゃいます。確かに日本中が困っている問題
ですから、簡単にいかないことは事実です。しかし、本当に人が住
まなくなったら・・・そこで生活の根拠を置けなくなったら・・・
山は荒れて災害が起こるでしょうし、河川の整備もできない、あの
日本の原風景ともいうべき美しい農山村が消えてしまったら、どん
な社会になるのでしょうか?
難しいことは承知の上で、都市部に多少の負担を払ってもらって
も、何としても中山間地域の再興はしなくてはならない事業である
と、考えています。
マクロ的な視点で考えなくてはならないのは、県・市町村レベル
の話ではなく国家的なプロジェクトとして取り組む必要があるとい
うことです。
(1)森林環境税が今話題になっていますが、これを全国レベルの
プロジェクトにしたいものです。県レベルでは十分な税収は望めな
い、ましてや市町村レベルではなく、東京、大阪、名古屋など、人
口集中地域を巻き込まなくては、効果は薄いと思います。大都市は
地方の恩恵を受けている。地方(特に中山間地域)はきれいな水、
きれいな空気を都市に売っているのだという発想が必要です。そし
て地域間格差を埋める絶好の税制だと思いますが、いかがでしょう
か。
(2)ひとつ素晴らしいニュースがありました。県知事から福田内
閣で総務大臣に就任された増田さんが「限界集落に交付金を渡す」
と発言されたことです。これは(1)の発想と同じ効果が望めると
いうことです。現在「中山間地域等直接支払制度」がありますが、
これを充実させることにつながると思います。市町村が単独で取り
組むだけでは効果が薄い。国の政策の中で大きな投資先の変革を起
こさないと・・・単なる発言に終わらないよう、願っています。
(3)地域に人が住む、生活できる、ということが基本でしょう。
ただ地域はすべて違います。それぞれの土地での必要性は、すべて
違いますし、時間の経過でも変わっていくと私は思います。要はそ
この生活に魅力があり、移り住みたいと人が感じる、そんな施策が
必要です。
そこで、長野市ではどうするか、現段階、まだ私の構想段階です
が、
(1)本年度に創設した農業公社や住民自治協議会、農協、森林組
合、そして行政は全庁挙げて協働して課題に取り組む。
(2)公共交通は都市のインフラと位置付け、整備する。
(3)中山間地域の住民自治協議会などで、生活支援要員の採用を
考える(できれば地域に住める人が望ましいが、場合によっては地
域外から通う人もあり得るかもしれない)。人数、仕事の内容など、
詳細は今後検討する。各地域の農林産品などの生産高や人口増への
目標値を決め、行動する。
(4)素晴らしい自然を活用して中山間地域の活性化を図るための
「(仮)いいとき(飯・戸・鬼)エリア構想」(飯綱・戸隠・鬼無
里の頭文字)をつくり、中山間地域活性化のモデル事業として実施
する。
あまり項目を多くしても実行できないでしょうから、この4項目
を確実に実行し、常に検証しながら、国の支援策も受け入れながら
新しい中山間地域活性化の長野市モデルを構築するという意欲を持
って、取り組んでいきたいと考えています。
中山間地域の自然・景観は本当に素晴らしい。そこでの生活は、
忙しい都市部の生活とは根本的に違っている。どこかで価値観の逆
転が起こるのではないか・・・私はそんな希望を持っています。
先日、長野オリンピック記念長野マラソンがアテネクラシックマ
ラソンと姉妹提携して10周年ということで、アテネを訪問しまし
た。そのときイギリスに立ち寄り、自治体国際化協会の方々と懇談
したのですが、イギリスの農村が豊かだということが話題になりま
した。私は、その原因を知りたい・学びたいと強く思いました。
2007年11月8日木曜日
県行政機構審議会で提示した「私案」について
少し前の話で恐縮ですが、7月20日に開催された第3回「長野
県行政機構審議会」に出席しました。私は長野県市長会会長として
審議委員に任命されていましたので、その立場での出席でした。た
だ市長会会長としての審議委員ではありますが、必ずしも市長会の
了解を得ているものではないので、述べて良いものかどうか迷いま
したが、日ごろ考えていたことでありましたので、私見、あるいは
長野市長としての立場であることを明確にした上で、発言させてい
ただきました。
すなわち、県の行政機構改革の目玉になると信じ、県の現地機関
と広域連合について、私の考えていることを述べさせていただいた
ものです。
その後、県市長会でも同趣旨の発言をさせていただいていますの
で、今回はそのことを報告させていただきます。
現在、国では、将来の道州制などを見据え、本年7月に発足した
第29次地方制度調査会において、地方自治の一層の推進を図る視
点から、小規模市町村に対する方策を含め、基礎自治体の在り方な
どについて議論されています。また、地方分権改革の進展、広域的
な調整を要する案件の増加など市町村を取り巻く環境に変化が生じ
ています。このような状況から、私は広域行政を担える新たな自治
組織を構築する必要があると考えていました。
一方で、相当の広域行政を推進できる強い行財政基盤を有する基
礎自治体を整備するための市町村合併については、今後、県内で大
きく進展するのは、なかなか難しいのではないかと認識しています。
そのために、まず、さまざまな県の現地機関の統合を提案しまし
た。これまで県の本庁組織の系列で設置されていた分野ごとの現地
機関を統合していったらどうかということです。長野地域でいえば
仮に「長野広域事務所」として、ここに「地方事務所」「福祉事務
所」「建設事務所」「教育事務所」などを統合したらと考えていま
す。
次は、管轄区域の問題ですが、前述の「広域事務所」を県内の4
ブロック「北信」「東信」「中信」「南信」に再編するということ。
ブロック分けについては、さまざまな意見があると思いますが、人
口・面積など県内の地域バランス、また、県歌「信濃の国」でも
「4つの平」と歌われているように、歴史的な背景や県民意識など
を考え合わせてみると有力な考え方ではないかと思っています。
ただし、管轄区域が現在と比べ広範囲となるため、現地機関の統
合と併せて、区域内の各地にその出張所を設置する必要があると考
えられ、そういう意味では、現在の現地機関の再編成という形にな
ろうかと思います。
最後は、この広域事務所の再編に併せ、現在県内に10ある広域
連合をこれに統合するということ。つまり、現在市町村が構成する
広域連合に県も参画していただき、県と市町村が連携することで、
県の事務や現状ではなかなか進まない権限移譲の受け皿にするとと
もに現在、市町村が担当している相当な部分の事務を移管できるの
ではないかと考えます。市町村での事務は、極端にいえば、住民に
直結している窓口サービスや地域おこしなど、独自色の出せる分野
に特化していくことで、小規模自治体でも自立していける道が開か
れるのではないかと思います。
なお、4ブロックに再編することが先か、まずは現状の枠組みの
中で、「広域事務所」と「広域連合」との一体化を図ることが先か
については議論のあるところだとも考えています(広域連合に県が
参加することは、法的に可能です)。
また、この「広域連合」については、こうした多くの機能を担え
るはずと思っていますが、一方、合意形成の困難さや財源の問題な
ど、課題が多く現状に対する不満も感じています。その意味でも、
住民に近い立場で広域行政サービスを提供している県の現地機関と
統合することで、県のリーダーシップも期待できるし、よく言われ
る二重行政の弊害などを解消する一助ともなるのではないかと思い
ます。
具体的な例で言えば、現在、消防組織法の改正に伴い県内消防本
部の広域化が計画されていますが、これの運営主体・組織として検
討される可能性があり、この議論のきっかけになるのではとも考え
ています。ほかにも福祉分野、ごみ処理、土地利用計画など、広域
で解決すべき課題への対応も、よりスムーズになるのではと思いま
す。
県と市町村の役割分担や財源の問題、組織のリーダー、あるいは
議会等の在り方など、課題も多いのですが、現行の制度の中で実現
できると考えており、「長野モデル」として検討すべき価値がある
と考えています。
地方自治の大きな変革期に当たり、これまで私は、これからの新
しい地方自治の姿をイメージするとき、「連邦都市」という言葉を
使って表現してきました。県の現地機関である広域事務所と広域連
合とが一体となった組織を仮に「広域自治体」と呼ぶとすると、域
内の各自治体は、この「広域自治体」との関係を強化し、各「広域
自治体」同士は緩やかに連携しながら地方自治を進めていくという
考え方です。
いずれにしても、県、市町村、広域連合等、県内自治体全体にか
かわる大改革であり、また法律改正の必要性なども考えられ、短期
間に実現できるとは思っていませんが、県の行政機構の見直しに当
たって、新たな地方自治制度や地方分権改革の観点からも多角的に
検討していただきたいと考え、行政機構の在り方についての議論に
一石を投じるつもりで提案したものです。
今後、前述の「長野県行政機構審議会」では、現地機関問題は来
年度検討するということですので、その時点で改めて提案しようと
考えています。もちろん市長会においても忌憚(きたん)のない意
見をお聞きしたいと考えていますし、また、機会があれば、町村会
の皆さんの意見もお聞きしたいと思っています。
審議会でこの提案をしたとき、同席しておられた板倉副知事が
「長野市長の意見は、われわれには思いも寄らない意見」と表現さ
れたことが印象的でした。
2007年11月1日木曜日
市制施行110周年記念式典
10月27日、長野市制施行110周年の記念式典が行われまし
た。
明治30年に人口約3万人で市制が施行されてから110年、今
や人口38万人余りの地方中核都市に成長したわけですが、多くの
先輩市民の努力によって、この日を迎えることができたこと、本当
に感無量です。
100周年という大きな節目では、長野市はオリンピック・パラ
リンピック冬季大会を開催することができました。以来、長野市は、
毎年一歩一歩前進し、存在感を増しています。
100周年からの10年間の大きな出来事といえば、(1)中核
市への移行、(2)スペシャルオリンピックス(SO)の開催、そ
して(3)4町村との合併でしょうか。いずれをとっても、地方都
市とすれば、大変なことですが、長野市民にとってはオリンピック
の記憶・存在が大きいが故に、影が薄いと感じられるかもしれませ
ん。
中核市になったことはいろいろなメリットがあります。例えば市
の保健所を設置しましたが、今では市民の健康に無くてはならない
もの、また身近な存在になったと思います。SO開催はオリンピッ
ク・パラリンピックの開催と合わせ、三つの大会を開催した世界で
唯一の都市として、世界に“NAGANO”を発信しました。また、
4町村との合併は、長野市の将来に向けて無限の可能性を与えてく
れたと思っています。
以下は、私が式典で述べさせていただいた式辞です。少し長いで
すが、全文掲載させていただきます。
式辞
長野市制110周年記念式典を挙行いたしましたところ、ご多用
中にもかかわらず、御臨席を賜りました国会議員並びに長野県知事
をはじめとする御来賓の皆様、市民の皆様とともに、かくも盛大に
記念式典を執り行うことができ、心から厚く御礼申し上げます。
長野市は季節ごとに美しい表情を見せる北信濃の山並みに囲まれ、
県の東部山梨県境に源を発する千曲川と日本アルプスに源を発する
犀川が合流する肥沃な地に善光寺の門前町として栄えてまいりまし
た。豊かな自然と歴史が織りなす伝統と文化に彩られ、多くの貴重
な文化財を持つ緑豊かなまちであります。
明治30年(1897年)に人口3万人で市制を施行して以来、
市域を拡大しながら、人口38万人余を擁する県都として、また、
政治、経済、文化が集積され総合機能を備えた地方中核都市として、
発展してまいりました。市制100周年に当たる平成10年2月に
は、世紀の祭典であるオリンピック、3月にはパラリンピックの開
催都市として、大会史上最多の国と地域の参加のもと大成功を収め、
スポーツを通じての友好平和のメッセージとともに「NAGANO」
の名を世界に発信いたしました。そして本年、110周年の記念す
べき年を迎えたのであります。
本年は、長野市の歴史の節目を記念して、いくつもの記念事業を
企画・実施いたしております。
まず、「善光寺の森」造成事業として5月に浅川三ツ出の市有林
で、「善光寺の森」植樹祭を行いました。善光寺などの文化財の保
存修理に使う木材を地元から供給できるよう、市民の皆様との協働
によりサワラとヒノキ4,500本を植樹いたしました。
9月には「環境調和のまちづくり推進市民大会」を若里市民文化
ホールで開催し、環境保全に取り組む意識の高揚を図りました。
また、市内全地域の魅力再発見事業の一環として、本日は、記念
式典に合わせて、30地区から選考・推薦された地域資源「地域の
魅力・お宝」を映像で紹介し、併せて写真パネル展を開催しており
ます。
さらに、来月20日には、長野市城山分室に長野市公文書館が開
館するなど、さまざまな事業を展開しながら、記念の年の盛り上げ
を図っております。
ここで、長野オリンピック・パラリンピックが開催された100
周年から10年間の長野市の歩みを振り返ってみますと、平成11
年4月には県内唯一の中核市に移行し、併せて長野市保健所を開設
するなど、より多くの行政事務を市が直接行うこととなり、市民サ
ービスの一層の向上が図れることとなりました。
平成12年には、中心市街地の核でありました二つの大型店が相
次いで閉店となるなど、地元経済とまちづくりに少なからぬ影響を
与えたわけでありますが、平成15年6月には、閉店した大型店を
再活用して、子ども広場などを備えた「もんぜんぷら座」がオープ
ンし、中心市街地のにぎわいを取り戻す新たな拠点として期待を集
めました。
平成17年1月には、近隣の4町村である豊野町、戸隠村、鬼無
里村、大岡村と合併を行い、面積がこれまでの約2倍となる738
平方キロメートルとなり、人口38万人余の新長野市が誕生いたし
ました。
2月には、スペシャルオリンピックス冬季世界大会が開催され、
長野オリンピック・パラリンピックと同様、世界的に大変高い評価
をいただくとともに、多くの友好の輪が花開きました。
平成18年9月には、長野市の中心市街地最大の再開発事業とし
て長野市生涯学習センターを含めた複合施設トイーゴが完成オープ
ンし、「もんぜんぷら座」に続く中心市街地の新たな顔となりまし
た。
本年4月には、平成28年度までの市政運営の骨格となる第四次
長野市総合計画を策定し、将来に向けた新たな歩みを始めたところ
であります。
また、本年は、国宝善光寺本堂再建300年にも当たるため、い
くつもの記念行事が開催されたほか、NHK大河ドラマでは風林火
山が放映中で、ゆかりの地や市立博物館の特別企画展に県内外から
大勢の皆様が訪れるなど例年以上に活気のある年となり、市制
110周年に一層花を添えていただいたと思っております。
さて、100周年から10年を経た今日、社会は、少子高齢化に
加えて、いよいよ人口減少の時代に入ってまいりました。一方で、
市町村合併による広域化や地方分権の推進など、これまでのさまざ
まな枠組みが大きく変化する中で、住民ニーズもこれまで以上に多
種多様化してきており、市民生活に密着した基礎自治体である市の
役割はますます大きくなっております。
こうした時代の中で、将来への「まちづくり」について思いをは
せるとき、市としての行財政改革への取り組みはもちろんでありま
すが、地域の皆様による自主的・自立的なまちづくり、すなわち都
市内分権の推進が最も重要であると考えます。地域の課題を迅速、
かつ、効果的に解決していくためには、そこに住む地域の皆様お一
人お一人が主役となり、「自分たちの地域は自分たちでつくる」と
の気概を持って地域の「まちづくり」にお取り組みいただくことが
何より大切であります。現在、その核となる住民自治協議会の設立
を各地区で進めていただいておりまして、市においてもその支援体
制を強化しているところであり、市民の皆様と市のパートナーシッ
プによる「まちづくり」を一層築いてまいりたいと思います。
市民の皆様と協働で策定いたしました「第四次長野市総合計画」
では、新たな長野市の将来像を「~善光寺平に結ばれる~人と地域
がきらめくまち“ながの”」といたしました。今後も、市民の皆様
とともに長野らしさを生かした希望溢れるまちづくりに向けて一層
取り組み、人が、地域がきらめく素晴らしいまちを次の時代にしっ
かりと引き継いでいく決意であります。
ここに御来賓の皆様、市民の皆様の御健勝、御多幸と本市の限り
ない発展を祈念申し上げまして式辞といたします。
以上が、式辞の全文です。
この110周年を契機に、市民の皆さんとのパートナーシップに
より、さらに都市としての風格、存在感が増すようなまちづくりを
していきたいと考えています。