2007年11月22日木曜日

アテネクラシックマラソンに行ってきました


 11月4日、アテネクラシックマラソンが開催され、市長として
現地へ行ってきました。
 アテネクラシックマラソンは、アテネオリンピックの時と同じマ
ラトン市からアテネ市のパナティナイコ・スタジアムまでのコース
で開催されました。

 長野オリンピック記念長野マラソンとアテネクラシックマラソン
は、1998年に姉妹提携を結んでおり、本年10周年を迎えまし
た。過去の開催では、アテネからはセガス(ギリシャ陸連)の代表
が長野へ来られ、長野市からは助役や収入役を派遣していたのです
が、10周年という節目ですので、長野オリンピック記念長野マラ
ソンの名誉会長である長野市長が参加したものです。

 大会当日、朝6時にアテネのホテルを車で出発、40キロメート
ル先のスタート地点のマラトン市へ出掛けました。途中、既にいろ
いろなゼッケンを着けたランナーが走っていました。聞くとフルマ
ラソンに併せて、パワーウオークや10キロメートル、20キロメ
ートル走が行われているようでした。

 マラトン市のスタート地点に着くと、9時スタートを前に、マラ
ソンゲートの周辺には、三々五々選手が集まり始めていました。周
辺は広々した野原で、すぐ隣には芝を張ったサッカー場があるだけ
・・・比較的簡素な雰囲気でした。以前に来たことのある信濃毎日
新聞社の局長さんの話ですと、10年前はもっと閑散としていた、
長野マラソンとの提携、そしてアテネオリンピックのおかげで、随
分整備されたということでした。

 スタート1時間以上前から、大きなマイクの音が響き始めました。
司会者と言ってよいのでしょうか、言葉は理解できませんが、大会
の雰囲気を盛り上げるため、精一杯大きな声を張り上げていました。
聞くと、その声の主は、アテネオリンピック時の実行委員会委員長
で、今回ギリシャ陸連から依頼を受けたマチス・アシマ・コプロス
さんだということです。日本とのイメージの違いにビックリでした。
 そんな中で、特別ゲストとしてロザ・モタさんが紹介されていま
したし、長野からはるばる市長が来ていることも紹介されたようで
す。

 スタート時間になり、ロザ・モタさんとマラトン市長の2人がス
ターターを務められ、約6,000人のランナーが走り出していき
ました。日本からの男女2人の選手も含め、先頭集団では一流選手
が真剣に走っていました。市民ランナーは走ることが楽しいという
皆さんで、仮装行列に参加するような凝った衣装のランナー、夫婦
で小さな赤ちゃんを乳母車に乗せて走っていく姿もありました。

 選手がスタートした後、私たちもバスでアテネに向かいました。
途中まで選手と並行して走り、応援しながらレースを楽しみ、途中
からコースを外れて、アテネのゴール地点のパナティナイコ・スタ
ジアムへ先回りしました。

 パナティナイコ・スタジアムは、3年前のアテネオリンピックの
マラソンでも使われたところですが、あまり広くなく、現代の陸上
競技場では当たり前になっている400メートルトラックはできな
いようですが、すべて大理石造りの素晴らしい雰囲気の場所です。

 長野オリンピックの前年の暮れ、すなわち1997年の12月、
私は「聖火の翼」というNAOC(長野オリンピック冬季競技大会
組織委員会)のプロジェクトで、オリンポスでの聖火式に臨んだこ
とがありますが、その時このパナティナイコ・スタジアムも見学し
ました。素晴らしいスタジアムに感心したことを覚えていましたが、
アテネオリンピックを契機に、かなり客席を増設して収容人員を増
やしたのだそうです。古代オリンピックの雰囲気を残しながら近代
オリンピックでも使う、その試みに感心しました。

 アテネのオリンピックマラソンコースは、上り坂が多く、好記録
が出にくいのだそうですが、競技の結果は、日本女子の田中さんが
2位になって大いに賞賛を浴びました。男子の吉冨さんは、7位で
したが、1位から6位までケニアの選手、そして8位以下もケニア
の選手という中での大健闘でした。
 レース終盤で、選手の一人が電車と接触する事故がありちょっと
残念でしたが、大事に至らず無事帰国したとのことです。
 私は、姉妹マラソンの名誉会長として、最高位の地元ギリシャ選
手に対するプレゼンターを務めさせていただきました。雨の中でし
たが、大勢の観客が最後まで声援を送っていました。

 皆さんは、オリンピックのマラソンについての故事をご存じだろ
うと思います。
 昔、マラトンの戦い(ギリシャとペルシャの戦い)で、ギリシャ
が勝利し、その戦勝報告をアテネに伝えるため兵士の走った距離が
約40キロメートルだったとのこと。その後近代オリンピックにお
いてマラソンの距離が42.195キロメートルになったそうです。
もう少し簡単な数字の方がありがたいと思うのですが・・・歴史的
なものですから仕方ないのでしょう。
 それに、国際陸連の規定によると、スタート地点とゴール地点が
直線距離で42.195キロメートルの半分以下でなくてはならな
いのだそうです。この規定によって、長野マラソンは山ノ内町から
長野市へのコースをあきらめ、長野市内のコースに変更したのです
が・・・アテネの場合は難しいでしょうね。「マラトン」というマ
ラソン発祥の地からアテネまで走る、その距離が42.195キロ
メートルなのですから・・・まあコースが公認されるかどうかは、
ギリシャの人にとっては関係ないことかもしれませんね。

 マラソンの翌日、「一校一国運動」の交流を昭和小学校と続けて
いる学校を訪問しました。一校はコスティナ・ギトナ学園で、ここ
は私立の学校で幼稚園児から高校生までが通う大きな学校でした。
もう一校はマラトン第一小学校という公立の学校で、校門から校舎
まで子どもたちが大歓迎をしてくださいました。
 長野オリンピックから10年を経た現在も交流が続いている一校
一国運動は、北京オリンピックへもつながっており、お互いを理解
し、友好関係を深めてきていることを実感することができ、大変う
れしく思いました。